ありえへん世界の恋人へ

東雲夕

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【完結】ありえへん世界の恋人へ(その2)

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 強姦なんかしてない、DVでもない。愛し合っただけだ、犀太に合わせろ。そう言い張って、親の付けた弁護士が来るまで、頑なに犯行を認めようとしななかったらしい。

 まあ、そうだろう。世間の大多数の人間にとっては「ありえへん」事であろうとも、桐真にとっては、それが普通なのである。

 犀太側からも弁護士をたて、最終的には示談となった。

 桐真の婚約も一時は破棄されそうになったが、子作りが実って婚約者が妊娠していたそうで、ひとまず籍は入れるが、結婚式も披露宴も見送ったとの事。

 婚約者の彼女も気の毒だが、男二人の同居でダブルベットはおかしいとは思ったと、後に語っていたらしいが、全て後の祭りである。

 それら全部を犀太が病院のベッドでたくさんの管をつけられて、うんうん唸っている間に、四十住と姉、それから両親が綺麗に片付けてしまってくれていた。

 それでも桐真の顔など二度と見たくも無いし、声も聞きたくない犀太にとって、それは何よりの退院祝いになったのであった。

 図らずも間接的にカミングアウトとなってしまった父と母には、心の底から申し訳なかったが、姉に時代は「だいばーしてぃ」だからと説明されて、なるほどとなっている両親は、やっぱり自分たちの親だなと呆れながらも、犀太は密かに嬉し涙を流したのだった。

 退院後に四十住に付き添って貰って、アパートの管理人さんと交番にお礼に伺った。
 恥ずかしい姿を見られたという居た堪れない気持ちもあるが、それ以上に皆命の恩人だと言う感謝の気持ちが大きい。自分でちゃんと頭を下げて御礼を言いたかった。

 色眼鏡や偏見は仕方ないと、覚悟を決めて行った管理人さんは、危うく事故物件に仕掛けた店子にも優しかった。無事で良かった、ここ暫くずっと元気が無いから心配していたのだ、元気になったなら良かったと、退院を喜んでくれた。

 その後交番にも御礼によって、退院を祝われて労われた。

 ーー時代はだいばーしてぃ あんど いんくるーじぇん なんだよ

 あの日の姉の声が脳裏に響いている。
 偏見と差別が怖くて無意識にクローゼットに隠れていた、あの狭い部屋でのみ恋人だった、かつての自分達を、今は哀れに思う。

 犀太の退院より先に部屋は退去になっている。桐真を思い出しそうな物は見ないで捨てて貰ったので荷物は最小限だ。

 それでも人ひとりの3年分の荷物はそれなりになる。実は、犀太の荷物は一時的にだが四十住の家に預けさせて貰っている。
 さらに甘えついでに、犀太自身も退院してからずっと預かって貰っている状態だ。


 あれから「愛してる」はトラウマになり言えない。

 そんな犀太だが、オーナーである四十住が保護という名目でずっと手元から離さないでいる。店には出ていないが、四十住は休業中扱いで補償も出してくれていた。
 手厚過ぎて申し訳ないので、療養中のリハビリ兼ねて、近ごろは新作のレシピを研究中だ。

 犀太の実家に帰る話も出たが、目を離すとまた、あの消え入りそうな声で「助けて」と電話がかかってきそうで、心臓に悪いから、ここにいてくれないか。

 そう言って、四十住は犀太をそばに置くのだ。
 
 そんな風に家主に懇願される形で同居が始まった。

 今日は店休日なので、四十住は朝から鼻唄混じりにご機嫌でキッチンに立って、犀太の為に料理を作る。

 犀太より頭二つは大きい四十住だが、その大きく無骨な指先が、びっくりするくらいに繊細に動くことを、犀太はもう良く知っている。

 「手伝う」
 恩は体でかえさないとね。

 そう嘯いてうそぶ四十住の隣に立って、横顔を覗き込む。ちょっと首が痛くなる位の身長差に、自然と笑いが込み上げてきた。

 そんな犀太を何か言いたげに四十住がじっと見下ろしてきて、目が合うと、そのままおもむろに手にしていた包丁と蕪を、まな板に置いた。

 それから、やけに丁寧に鍋の火も止めると「いや、もう降参」と体ごと犀太に向き直った。

 「なに?」

 「時代はだいばーしてーあんどいんくるーじゃんと? なんだろう? まあ、そんな事は割とどうでも良いんだけど……そろそろ名前で呼んでくれないかな」

 愛しそうに目尻を下げ、犀太の頬に手を添えると柊太郎しゅうたろうが言った。
 
 「ふ、言えてないじゃん」
 
 犀太を見る四十住の瞳に映る己の姿に、空っぽになったはずの胸の奥が、暖かく満たされて行くのが、分かる。
 そのぬくもりに背中を押されるように、犀太も己の瞳にしっかりと彼をしゅうたろう映すと幸福に緩む頬で告げてみる。

 愛してる、はトラウマで言えないけれど、四十住あいずみと呼び続けたらいつか言えるかもしれないよ、と。

 「あい、まで言えてるからね」

 それは仕方がないねと落とされた、彼からの初めてのキスは、蕪の香りであった。
 後に四十住と犀太、二人の記念日には、必ず特別な蕪料理が食卓を彩るようになるのだが、それはまた別の幸せな物語である。

 ありえへん世界に住んでいた恋人は
 もう、いない。
 


おわり
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