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想い出という名の美しい呪い
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しおりを挟む「俺の事は、たった今からベンジャミンと呼んでくれ」
音を立てて引いた椅子の背にもたれるように行儀悪くどかりと座ったフェンガリが唐突に切り出した。
夕の交代には少しはやい時間の食堂は、人影もまばらで、調理場から鍋をかき回しているらしいカンカンと言う音が響いてくる。
「いいけど。今更かい、ベンジー? 」
あっさりと愛称呼びをして、エールひと息グビリと喉に流し込むと、旨そうに口元の泡を拭ったカルロが心配そうに眉を顰めて言う。
それに「そういう時もあるさ、なぁベンジー」としみじみと頷いたマッツが、夕飯のステーキ肉を切っていたナイフを置くと、皿をおもむろ傍に寄せる。
―― さあ、話してごらん。
そう聞こえて来そうな良い顔つきで、にっこりと優しく微笑みながら胸の前に手を組む二人。
いや、のりがいいな、大好き。おかげさまでフェンガリは引きながらときめくという器用な事になっている。
目の前には無言のお父さん力の圧が二人分。包容力凄いし愛情という圧も凄い。
勝てる気がしない。
そう悟ったフェンガリは一秒で抵抗を諦めた。
記憶を振り返ると、フェンガリの知るマグワイアの家は、いつも栗の花ににた、青臭い臭いがしていた。それは力のある魔道士の証、仕事から戻った父親の黒いローブからも良く香っていた臭いだ。力あると自認した魔法士は好んで栗の木を庭に植える。
マグワイア本邸の庭にあった栗の木は、春には独特の青臭い花を咲かせた。
フェンガリの苦手なその花も、熟せば秋にはいがに包まれた硬いが美味しい実がなる事、それを集めて殻をむき、渋皮ごと甘煮すると、上品なおやつになる事も、季節ごとに母が教えてくれたのだった。
父方の一族は魔力を重要視するあまり、皆どこかいびつで、そして一様に精神的にとても未熟だった。
優れた魔力器官というものは、成長前の幼い体と心にとてつもない負担をしいる。苦しむ幼な子に大人たちは、それは優れたものの証、耐えて誇れと教えこむ。
その未成熟な心のまま、己は他者とは違うと歪に育った自尊心は、まともに制御もできない強い魔力を持つ優越感のみでは補いきれず、大抵は成長期にそのアンバランスさにより程度の差はあれ精神を病む。
そしてまるで依存症のように性処理に溺れていくのだ。その繰り返しが連綿と一族に受け継がれて、強いすり込みと強迫観念となっていく。認められない傷は癒される事が無いから傷のままだ。
それゆえ彼らの大半は愛情の受け取り方を知らず、畢竟愛し方を覚えられない。
フェンガリが母と義姉とともに五歳まで過ごした家マグワイアの家は、今振り返って思い返すと、とても哀れな人たちだったのだと思う。
だからこそ、そこを出て引き取られたヘリオスコープ家には驚いた。そこには魔道灯の光量を急に全開にしたように、眩しいくらいにぴかぴかに成熟した大人がたくさんいた。
些細な日常から愛情を交わす事を知っていた。そのためか未就学児の従兄妹たちでさえ、そばにいると、まるでどっしりとした古木のそばに侍るような、不思議な安心感をくれたのだった。
人が完璧でない、それは当たり前のことだが、マグワイアでは足りない事は恥であり忌むべきこと、それを自覚したくなくて、力をことさらに主張していた。
大人になった今あの頃を振り返ると、マグワイア家のものは皆二次性徴前の子供のような未熟さがあり、とても痛々しかった。
ヘリオスコープは、欠けているからこそ個性があり面白い、足りないなら補えるやつが補えばいい。それが家族であり、恋人、友人という特別な愛情の繋がりを産むんだという
なんとも健やかな精神をもった一族で、そういった家訓ともいえる考え方が一族に遍く共有されているので、傷ついて自我さえ崩壊しかけた子供にはとても居心地がよかった。
マグワイアで失った大人への信頼は、ヘリオスコープで完璧に復元され、あわせて自我も再構築されたので、姉弟とも一回完全に壊されて、ヘリオスコープ流に再構築されたと言っても過言でない
おかげで二人とも、ちょっとやそっとでは折れない、強靭な鋼の心の持ち主として立派に成長を遂げた。
父親は強大な魔力に反して、心の成長が追い付いていない人だった。
だからこそ、母の健全で裏表のない穏やかな心を欲していたのだと思う。
母があの時、せめて嫉妬で出て行ったのなら。そんな父親のささやかな願望が、完全についえた結果がマグワイアの悲劇である。
母は、ただ子供たちの成長には、マグワイアの家が適さないと判断して、父とあの家から離れたのである。
父親の愛に寄り添いたいと思って婚姻したのも真実だったろう。尋ねた事があった。なぜ父親と結婚したのかと。
母は驚きに瞳を見開いた後、その夜明け色の瞳を柔らかく細めた。
「あの人に私が必要だと言われて、私もそうしてあげたいと思ったからよ。」
強くて強くて強いから弱い人。
しかし子をさずかり母になって、その子供たちを健やかに育てたいと願った。
そんな母にあの日の父親の所業は、容認できる閾値を完全に超えてしまった。
おまけに、最愛を失う絶望から魔力暴走による心中を図ったのに、さくっと無かったことにされ、あまつさえ暴走で破壊された己の魔力器官まで復元されて、心中さえ無かった事にされてしまった、父親の絶望はどれほどだったのか。
想像する気もないので知らないけれど、そして完全にそんな父親とは別次元へと昇華した母は、聖女として神殿に迎えられ、父親にとっては完全に手の届かない存在になってしまったわけである。
ざまあみろ。
姉と弟にの頭に最初に浮かんだ言葉はそれだった。甘ったれたいい年した男なんて、かわいいとか絶対に思わない。
それはもはや、二人の魂に刻まれたトラウマである。
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