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質問

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 新居に置くものは全部新品で揃えたいと、そういうこだわりでもあるのかと思っていた。そんな言い訳で思考を止めて、私はずっと気付かないフリをしていたのだろうか。
 一度意識してしまうと、もう違和感が拭えない。
 まだ使えたはずの家電ですら何一つ持ち込まれていないし、家具も小物もこの部屋で初めて見るものばかりだった。
 二人で並んで座っていた三人掛けのソファも、結人が気に入って使っていたカップも、この部屋には何も持ち込まれていない。
 ただ、あの時の気持ちだけを持って、結人はここで生活している。

「……和音に出ていかれるまで、そこまで嫌われてたなんて正直思ってなかった」
「え……」
「和音が行きたがってるところ調べてデートして、誘ったらちゃんと来てくれるし、どこ行っても普通に楽しそうにしてくれてたから。二人で家にいる間は、どれだけ触っても絶対に許してくれたし」
「それは……」
「別にいいよ。色々と考えて拒めなかっただけなんだろうなって、後から考えは改めた。でもあの時の俺は全然そんな風に思えなくて、和音に好きだって言われたことはなかったけど、ちゃんと恋人らしいこと出来てるよなって安心してた。だから和音が嫌がる事は極力しないように気をつけて、相当我慢して一緒に寝るだけで抑えてたよ。本当は毎日でも抱きたかったけど、このまま近くにいてくれるならいいやって思って、和音が俺から離れようとしなければシないって約束守ってたつもり」

 私にとっては苦い思い出でしかなくて、詳しく思い出さないようにしていた。
 だけどちゃんと考えていたら、あの時の結人の気持ちが少しは見えていたのだろうか。
 初めては婚約者を辞めたいと切り出した日で、二回目は確か、結人に内緒で進路を変更したのがバレた時だった気がする。
 それ以降は、何がきっかけだったのだろう。大学に入ってからの事だとは記憶しているけど、どんな理由があったのかはよく分からない。
 結人がそういう気分になった時にしているだけだと思っていたし、早く終わって欲しいとしか私は考えていなかった。
 思い出してぐっと息を呑む。結人に名前を呼ばれて顔を上げると、目が合った瞬間にその表情が僅かに緩んだ。

「一緒に暮らし始めてからどんどん警戒緩めてくれて、大分許してくれるようになったなって思ってた。もう二度と駄目になりたくないし、こんな状態で和音が嫌がる可能性あることしないよ」
「……え?」
「この歳になって再会して、少しずつではあるけどようやく本気で和音からの好意感じられた。俺の事が怖くなったなら、また信頼してもらえるように頑張るよ。和音には悪いけど、二度と手放すような事したくない。和音がここを出ていく言い訳になるような事、俺は絶対にしてあげない」
「……っ」

 再会した時からずっと、少しだけ感じていた事がある。
 結人が執着しているのは、きっと私じゃないのだ。
 苦しい思いをした過去があって、それが強い衝撃として脳に残っていて、同じ事が起こらないようにやり直したいと思っているだけ。
 学生の頃に住んでいた部屋を今でも残しているのも、その延長なのだと思う。
 だってそうじゃなきゃ、そこまで強い想いを向けてもらえる理由が本当に分からない。
 結人に惹かれる女の子は昔から沢山いたし、今だって変わらずに結人を慕う素敵な人が沢山いる。
 そんな中で、何の努力もしていない私が特別になるのは、どうしても卑怯な気がして受け入れられない。
 昔から好きだったとか、昔みたいに急にいなくなるのは嫌だとか、結人が言っている内容はそれだけなのだ。具体的にどこを好きになってくれたとか、そういう事は一度も教えてもらってない。
 結人は過去の事を引きずっているだけで、それは一種の呪いのようにも思える。
 今の結人を知って、惹かれて、好意が透けてしまうくらいの感情を結人に向けるようになってしまった。そんな私と結人は違う。
 子供の時からの知り合いで仲が良かったと、それだけの理由しか私にはないのだ。それだけで結人の特別になれるなんて、始まり方から全部が狡い。

「……結人が私の事を好きって言ってくれるのって、子供の時に一番仲が良かったから、その時の気持ちを引きずってるだけなんじゃないかって思う」
「は……?」
「だって、子供の頃に結人と一番仲が良かったのって私だし、その時の身近に感じた気持ちを好きだって思い込んでるだけみたいで、それは……」
「俺が和音にしてた事って最低だと思うし、和音が俺に対して嫌な気持ちを残してるのは仕方ないと思ってるよ。でも俺の気持ち否定して、無かった事にしようとするのは違うよね?」

 硬くなった声で咎められ、冷たい目で見下ろされるがそれは一瞬の事だった。
 小さく息を呑んだ私に結人も気付いたのだろう。険しい表情は直ぐに苦い微笑みに変わり、子供をあやす時のような優しい声色が鼓膜を揺らす。

「ごめん、怒ってるわけじゃないよ。でも和音にそういう風に思われるのは嫌だから、もう言わないで」
「だけど、あの……」
「結構分かりやすく伝えてると思うんだけど、どうしてそんな風に思ったの?」

 どうしてかと訊かれると、口にしたくない言葉ばかりが頭を過る。
 結人に似合わないし、釣り合わない。好きになってもらう要素が見当たらなくて、ただ町で結人に声を掛けただけの人と比べても、私より素敵な人がいっぱいいた。そういう相手の事をちゃんと知ったら、結人もそっちに惹かれるんじゃないだろうか。
 結人の厚意に寄り掛かって浅ましい恋をした私なんかより、ずっと良い人が沢山いると思う。
 そんな説明は自分の悪い所を並べる行為に等しくて、出来る事なら結人にはあんまり曝け出したくない。そうやって保身に走る気持ちがある時点で、やっぱり私は性格が悪いのだろう。
 自分の汚い面がどんどん見えてきて嫌になってしまう。
 一度深く呼吸をして、結人から視線を逸らす。真っ直ぐに目を見ながら話をするのは怖くて、結人の表情を見ないようにしたまま口を動かした。
 幼い頃に仲が良い異性が私だったから、その感情の延長を好きだと思ってしがみついてるだけなんじゃないかな。他の女の人をちゃんと知る機会があったら、結人は違う人を好きになっていたと思う。
 言葉を選びながら、思っている事をゆっくりと結人に伝えていく。私がそこまで説明したところで、はぁぁぁという深い溜息を目の前の結人が零した。

「え……あの、結人?」
「……俺は別に人と会わない生活してた訳じゃないし、学校でも仕事でもプライベートでも和音以外の女の人と散々知り合ってきたよ。話す機会も親しくなる機会もいくらでもあったし、その上で和音じゃなきゃ無理だって言ってるんだけど、それだけじゃまだ足りない?」

 足りないよと頭の中で即答してしまう程度には、やっぱり納得ができなかった。
 中途半端に受け入れて突き放して深い傷を付けた挙句、今になって都合の良い関係を望むような人間なのだ、私は。

「色んな人がいるって知った上で、他の奴のことなんて一切考えてない。俺は和音に嫌われない事だけを考えて動いてる」
「結人が素敵な人だって知ってるし、でもそれは私以外の人だって同じことを思ってるはずで、結人はもっと」
「和音が素敵だって思ってくれてるならそれでいいよ。これでも色々考えて、何をしたらいいのか分からないなりに思い付くこと全部やってるんだけど、何か響いてくれた? どこを良いって思ったのか、具体的に教えてくれると嬉しいんだけど」
「どこって言われても……」

 優しくてかっこよくて何でも出来て、欠点の方が見当たらない。
 私の記憶の中にあった過去の結人が霞むくらい、今の結人と知り合ってからは悪い感情が思い出せなくなっている。
 嬉しそうに緩んだ表情が一等に好きで、そういう顔を向けられると胸の辺りにぶわっと熱が湧いて、一緒にいて嬉しいのに逃げ出したくもなる。
 青臭くて幼い。自分勝手なこの感情が、恥ずかしいという自覚もしていた。本当なら、学生時代に芽生えて経験するような気持ちだ。
 十年遅れてやってきた初めての恋のような感情を、どう説明すれば気持ち悪く思われないのかが分からない。
 
「どこが良いとか一つずつあげていかなくても、結人はなんでも出来るから……」
「まあ、そうかもしれないね。和音が俺のところから逃げた時に色々と考えて、大抵のことは出来るようにしたから」
「え……?」
「一般的に不安材料に思われそうなところは無いようにしたし、和音に会いに行くまでの期間で出来るようになった事も多いよ。何か奇跡が起こってヨリを戻せた時に、呆れられて嫌われるの嫌だって思ったら、全部出来るようにしておかないと駄目だろうなって考えてたし」
「あ、えっと……?」
「あの時と同じ事は絶対にしない。今度は失敗しないようにって、和音に好きになってもらいたくて全部積み重ねてきた」

 真っ直ぐに伝えられて、胸の辺りがぎゅっと苦しくなる。
 自分の感情なのに上手く表現できない。ただ呼吸をするだけでも苦しくて、全部を思い出すとなんだか泣いてしまいそうだった。
 これまでに結人がしてくれた事は、単純な優しさからくるものだけではなかったのだろう。
 色んなところに結人の不安が滲んでいるような気がして、どう受け止めるのが正しいのか分からなくなる。
 出来るようになった事の中に、料理の腕なんかも含まれているのだろうか。そういう結人が積み重ねてくれた沢山のものに甘えていたのが、悪い事じゃなかったみたいで安心してしまう。
 遠慮して受け取らないでいたら、多分もっと結人を傷付けていた。
 ──ああ、駄目だなぁ。
 色々と理由を作って、結人の気持ちに応えたくなってしまう。
 そういうところを好きになったと、伝えないこと以上に結人を傷付ける行動があるだろうか。
 ここまで色々重ねてきた結人の事を、認めない方がずっと酷い。
 そんな考えが頭に浮かんだ瞬間には、口が勝手に動いていた。

「……ごめん。もうとっくに、結人のこと好きになってた」

 結人にここまで言われて、「好きじゃない」なんて嘘で突き放すことが出来る人間がいるなら教えて欲しい。
 とっくに好きだと自覚していたのは本当で、これを抑えておくなんてもう無理だ。

「す、好きだなって思った時がいっぱいあって、どこがって具体的に訊かれると迷うんだけど……でも、本当にしてくれること全部嬉しくて、結人が好きだって思ってた」

 伝える声が震える。
 大事なことなのに、上手に話せている自信がない。だけど今は誤解をされないように、たとえ上手く出来なくても必死に言葉を尽くすしかない。

「あの、でも私が逃げて、結人の家に迷惑かけたのは消えないし、その事で反対されるのも当然で、また結人に迷惑かける事になるかもしれないけど」
「さっきも言ったと思うけど、うちの親は昔っから俺じゃなくて和音のこと心配してるだけだよ。俺が和音を自分のモノ扱いして、同意も無しに無理矢理手を出すんじゃないかって。……で、実際に俺はそういう事をしてた訳だし」

 本当にごめんと謝られ、その謝罪がすんなりと脳に溶けていく。
 心の中でぐちゃぐちゃに絡まっていた太い糸が、一本だけするりと解けた。

「反対されるとしたら、俺がまた和音の事を脅して関係を迫った時だと思う。そうじゃないなら俺の家がどうこう言う事はないよ。……和音のご家族には、本気で頭下げないと許してもらえないと思うけど」
「原因作ったのは私だし、頭下げる必要があるなら私もする」
「……うん、ありがとう。でも本当に、和音が俺のこと好きになってくれないと無理だったんだよ、絶対」

 俯きながら一度大きく息を吐き出した結人が、ゆっくりと顔を上げる。
 空いていた数歩分の距離が詰められ、伸ばされた指が優しく私の頬に触れた。
 
「勘違いだと嫌だから、もう一度ちゃんと確認させて。和音は俺のこと好きになってくれたの?」
「……結人のこと本気で、ちゃんと好きだよ」
「うん……良かった。ごめん、ありがとう。俺も和音のことが誰より好きだよ。……それじゃあ、もう一つだけ確認」

 頬を撫でていた手がゆっくりと動き、私の横髪を耳に掛けた。
 至近距離で視線が絡んで、少しだけ泣きそうな顔の結人が縋るように瞳を細める。

「俺は、和音の何?」

 彼氏とか恋人とか、決められた答えをただ口で言うだけだった。
 過去に何度も返した質問の答えに、今初めて自分の気持ちが乗った気がする。

「……彼氏に、なってくれると嬉しいな」

 恥ずかしいのと嬉しいのが混じって、顔が緩むのが抑えられなかった。
 絶対に情けない顔になっていたと思うけど、目の前の結人も嬉しそうに表情を緩ませるから、余計な考えは頭から消えてしまう。
 自然に触れた唇が嬉しくて、ゆっくりと口内に差し込まれた舌が気持ち良い。気にせずに好きにして欲しいと言っても頑なにしてくれなかった事を、結人がしてくれている。
 息が当たって舌が絡む。近くて気持ち良くて、結人に掴まりながらその場に立っているのがやっとだった。
 一度唇が離れてからも熱が引かず、もっと触りたいという気持ちで頭の中がいっぱいになる。

「……ベッド、行きたい」
「は……? え、和音……?」
「ごめ……あの、試しただけなんてもう言わないから、もう一回してもらうの、だめ……?」

 一瞬驚いた顔をさせてしまったけど、きっと駄目とは言わないだろう。
 目の奥に欲が宿った事くらい、私にだって分かるのだから。
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