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初恋の人

3-7.全部が間違い

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 ポーションのおかげで一定の魔力は回復したけれど、考えることがたくさんあって集中なんて出来なかった。
 集中力の切れた状態で魔法を使った所為なのだろう。失敗はしなかったものの、到着地点は行きの時よりも大きくズレてしまった。
 転移を終えたリーシャの足がついたのは、見覚えのある広場の石畳の上。日が沈みきっていて空の色は暗いけれど、簡易的な柵で囲われた広場の端には、いつかのデートで目にした鐘が設置されている。
 こんなタイミングで来ることになるなんてと、自嘲するようにリーシャは息を漏らした。
 遮蔽物のない空は広く、暗くなり始めた空には星が輝いている。しかし、綺麗な夜空を楽しむような心の余裕も、ゆっくりと星を眺める時間も今のリーシャにはなかった。

「帰らなきゃ……」

 約束を交わした思い出の場所から逃げるようにして広場を出る。再び転移魔法を使う魔力は残っておらず、一人で歩くには長い道をひたすらに歩いて進んだ。
 休憩もせずにただ歩き続けていたら、いつの間にか城に辿り着く。一時間以上歩いていたことになるのだろうが、あまり疲れは感じなかった。
 どう切り出そうか、何と伝えようかとそんなことばかり考えていて、時間の流れを意識していなかったせいだろう。決意なんて全然固まっていないのにもう着いてしまったのかと、そんな風に思ってしまう。
 どんな表情を作ればいいのか分からず、城門前でピタリと足が止まる。
 ここより先に進む勇気が出てこない。こんな中途半端な覚悟で入ってもいいのかと、吸い込んだ呼吸が乱れた。

「リーシャ!」
「え……っわ」

 立ち尽くしていると急に名前を呼ばれ、その声の方向にゆっくりと顔を上げる。正面から走ってきた人物に勢いよく抱きしめられ、触れたその体温にリーシャは呼吸が止まりそうになった。

「……ダニス様」
「はぁ、よかった。帰ってきたらどこにもいないし、あと少しリーシャの帰りが遅かったら全員で捜索に出るところだった。誰も行き先を聞いてないっていうから、攫われた可能性も考えて……」
「あ……その、ごめんなさい。もっと早く帰ってくるつもりだったんですけど、遅くなってしまって……あの、時間があったから、少し出かけたかっただけなんです」

 家に探し物をしに行っていたとは言えず、曖昧な言い方で誤魔化してしまう。
 心底安堵したように息を吐いたダニスを前にして、今の自分がどんな顔をしているのか分からない。

「……そう。うん、出かけるのは別に構わないよ。だけど帰りが遅いと不安になるから、外出するならせめて誰かに言ってからにして。本当に心配した」
「……ごめんなさい」
「いいよ。リーシャが無事なら、それで」

 ふわりと笑いかけられ、ダニスの手が一度リーシャの頭を撫でる。優しさに触れる度にジクジクと胸が痛み、泣きそうになるのを必死で堪えた。
 ダニスは何も知らないのだから、こうやって触れてくれることは何もおかしなことではない。それなのに、いつも通りのやり取りを、こんなにも苦しく思ってしまう。

「少し冷えてるね。早く中に入ろう」
「あ……」

 肩を抱かれ、ダニスに連れられる形で重たい足が前に進む。
 一度足が動くとそこからはいつも通りに時間が進み始め、真実を言うタイミングを完全に逃してしまった。
 ダニスと一緒に城の中に入り、いつも通りに向かい合って食事をする。お風呂に入ったあとで寝着のワンピースに着替え、就寝のためにダニスの部屋に訪れた。
 いつもと同じように流れていく時間に、どんどん心が固くなっていく。
 大事なことを何も話せていないのに、自分は一体何をしているんだろうと罪悪感だけが募っていった。

 ダニスの部屋に入ると、ソファをそのまま通り過ぎて寝室に連れて行かれてしまう。流されるままにダニスのキスを受け入れて、押し倒されるようにベッドに入った。
 こうやって全部受け入れているフリをして、言うタイミングを逃そうとしているのだ、私は。
 浅ましい自分に気付いて嫌気が差す。もうこういうことをしてもらえないのかと思うと、言い出すのがどうしても怖い。

「あ、んぁ……は、ダニス様……」
「っは、かわい。キス気持ち良い?」
「……ん。好きです、キスするの。……これ、やめて欲しくない」
「やめないよ? 俺もまだ全然足りない」

 呼吸ごと食べられるようなキスが、脳に回る酸素を奪っていく。
 このまま何も考えられないようにして欲しい。頭に浮かぶ可能性は怖いことばかりで、考えることに今日は疲れた。
 キスをしながらダニスの首に腕を回し、甘えるように距離を縮めて媚びるような息を漏らす。
 狡くて浅ましくて本当に嫌な女だと、心の中で自嘲した。

「珍しいね。こんなに積極的にリーシャから腕回してくれるの」
「……だめ、ですか?」
「はは、まさか。リーシャから触ってくれるの嬉しいよ。ずっとこういう関係になりたかった」
「んっ……」
「本当に無理だと思ってたから。こんな風に触っていいんだって、俺が確かめたいだけなんだろうね」

 ずっと好きだった女の子に向けられた、切ない声。
 髪に触れられた瞬間に涙腺が弱くなって、視界が滲むと同時にリーシャの瞳からぼろりと水滴が落ちる。
 驚いたようにダニスが息を呑んだことが分かったが、自分の意思では止めることができなかった。

「リーシャ?」

 ――ああ、もう駄目だ。
 名前を呼ばれるだけで苦しくて、どれだけ触ってもらっても純粋に幸せだと思えない。
 不安で、怖くて、息が苦しい。
 だってこれは、私を想って言ってくれたセリフではないのだ。

「どうしたの? 何か嫌だった?」
「ごめんなさい……あ、違っ、あの……少しだけ、待ってもらえますか」
「いくらでも待つし、嫌なら今日はしないよ。大丈夫?」
「ごめんなさい。本当、大丈夫で……違うんです。あの、大切なお話があって……」
「話?」

 リーシャが頷くと、軽く頭を撫でながら、心配そうな顔でダニスが覗いてくれる。
 こういう暖かい空気やストレートな優しさが、本当に好きなのだ。
 だけど、この人の優しさを受け取っていいのは私じゃない。

「不安があるならなんでも聞く。なに?」

 触れてくれることがどれだけ嬉しくても、その度に罪悪感がついて回る。
 黙っていたらきっと、心から笑える日は一生こないと思った。
 ――だから、ちゃんと知って欲しい。

「……間違いなので、この婚約、なかったことにしたいんです」

 何から話せばいいのか分からず、震えた声で結論だけが口から溢れた。
 ここから順を追って説明しようと顔を上げると、ダニスの表情が目に入りリーシャの口からひゅっと息が漏れる。
 室温が急に下がったように感じて、ダニスの口元が不自然な弧を描くのをリーシャは黙って見つめていた。

「……は、なんで?」

 聞いたことがないくらい、ダニスの声が冷たい。
 初めて見るダニスの冷たい表情を前に、言うはずだった言葉が全て、喉の奥に張り付いてしまった。
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