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縮まる距離

2-3.デート開始

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 どういう気持ちでいたらいいのか分からないまま二日が経ち、ダニスとのデート当日を迎えた。
 二日前に会ったばかりなのに、いつもと違う場所に出かけるというだけでなんだか緊張してしまう。

「……並んで歩いて大丈夫かな」

 鏡の前で自分の姿を見つめながら、リーシャは小さく唸り眉を下げた。服にも髪にもおかしなところはないはずだが、このままダニスの隣を歩くのかと思うと落ち着かない。
 早めに身支度を始めたはずなのに、もう一時間以上は鏡を見つめている気がする。こうしている間にも約束の時間は迫ってくるのだが、いくら見直しても完璧じゃない気がしてしまうのだ。
 王太子殿下の隣を歩くのに相応しい格好をしている自信がない。

(うう……でも、もうこれ以上なにを直せばいいのかも分からないし、あんまり待たせるわけにもいかないよね)
 
 最後にもう一度鏡の前で髪を撫で、小さく息を吐いてから部屋を出た。
 リーシャが廊下に足を踏み出すと、扉の前で待機していた使用人がリーシャに向かって一礼をする。
 どうやら彼女は、ダニスからの伝言を預かっているらしい。ダニスがすでに準備を終えていると伝えられたリーシャは、慌てて待ち合わせの場所に向かうことになった。

 予定の時間よりも少し早いけれど、長いこと待たせてしまったかもしれない。
 早足で廊下を進み、庭園を抜けて約束の場所に向かう。外に出て数歩進んだところで、御者と話をしているダニスがリーシャの視界に入った。

「あ、馬車……」

 今から向かう城下町は、凄く遠いというわけではないが、歩いて行くには少し距離がある。
 街の近くまでは馬車で移動するのだろうと、そう思ったタイミングで、ダニスもリーシャのことを見つけたらしい。御者に向けられていた視線がリーシャの方を向き、ふわりと笑いかけられてリーシャの心臓が軽く跳ねた。

「おはようリーシャ。もう準備はできてる?」
「は、はい。お待たせしてしまってごめんないさい」 
「全然、待ってないよ。それじゃあこのまま行こうか」

 どうぞと伸ばされたダニスの手を取り、優しくエスコートされて馬車に乗り込む。
 なんだかこの時点で、すでにデートが始まっているように感じた。緊張よりも楽しみな気持ちが勝って、足元が少しだけふわふわする。
 これだけでこんなにドキドキしているのに、今日一日心臓が持つのだろうか。そんな心配をするリーシャの隣で、ダニスは楽しそうに表情を緩めてリーシャを見つめている。
 ダニスの髪色と同じ、雲ひとつない晴天の中。二人の初めてのデートの場所に向けて、馬車はゆっくりと進み出した。


*****


 他愛もない話をしながら数十分が経ったところで、「着きました」と声をかけられて会話が止まる。
 人通りの少ない場所で停められた馬車から降り、そこからはダニスと二人で街中に向かうことになった。
 ダニス曰く、ちゃんと護衛はついているらしいが、それらしき人の姿は見えない。気を利かせて見えないところで待機しているのだとダニスは教えてくれたが、リーシャが周囲を見回しても、誰が護衛なのかはよく分からなかった。

(本当にダニス様と二人きりで遊びにきたみたいだ)

 ただ話しながら隣を歩いているだけ。腕を組んでいるわけでも、手を繋いでいるわけでもない。
 それなのに、この空気感だけで十分にデートを楽しめているような気がしてしまう。
 目的の店までは少し歩く必要があるようで、すぐに到着するわけではない。店に着いてからがデート本番なのかもしれないが、話しながら歩く道中でさえ、ダニスのことを知れる時間のようで楽しかった。
 目的の店以外にもおすすめの店がいくつかあるようで、そういう店の前を通る度にダニスがいろいろと教えてくれる。
 ダニスがよく利用する店以外にも素敵な場所や景色がたくさんあって、同じものを見ながら話をするだけで、ダニスの生活や性格が少し垣間見えた気がした。

(今日がすごく楽しいって思っているのが、私だけじゃないといいけど)

 ずっと笑顔を向けてくれているけれど、ダニスがどう思っているのかはよく分からない。
 ただ、リーシャの方は本当にずっと楽しくて、初めてのデートというものを心から満喫させてもらっていた。
 そのくらい、ダニスのエスコートは完璧だったのだ。

 目的としていた店は外観から内装までとても可愛くて、ずらりと並んだ焼き菓子はどれもとても美味しそうだった。
 迷いながらお菓子を選ぶ時間も、ダニスと話しながらだと一人で買い物する時の何倍も楽しい。
 ダニスのおすすめしてくれたお菓子と、リーシャが気になったお菓子を籠に入れ、次のお茶の時間が楽しみですねと話をしながら店を出た。
 少し気になる店を見つけてリーシャが視線を向けると、すぐに気付いて「ここも少し寄ろうか」とダニスの方から訊いてくれる。
 リーシャが人にぶつかりそうになった時に、守るように肩を抱き寄せてくれたり、エスコートするように手を引いてくれたりと、ダニスの言動ひとつで胸の辺りがくすぐったくなった。嬉しくなったり熱くなったりして、ふわふわする心が忙しい。
 人から聞いて憧れて、自分もいつかはと空想していたデートの何倍も素敵な時間だった。
 本当に楽しいなぁと、そんなことを考えながら、リーシャは店内の椅子に腰かける。
 現在、カフェで一息ついている最中だ。
 ここもダニスのおすすめの店で、あらかじめ行く予定を立てておいてくれたらしい。ずっと散策して立ちっぱなしだったので、休憩を挟むにはちょうどいいタイミングだった。

(本当に、全部が完璧だなぁ)

 選んでくれるお店や、休憩しようかと切り出してくれるタイミング。すべてが完璧すぎて、やっぱり慣れているのかなぁと思ってしまう。
 実際に、ダニスとこうやって出かけたいと思う女性は多いだろう。
 つい数秒前も、商品を運んできてくれた店員の女性が、ちらりとダニスに熱っぽい視線を向けていたばかりだ。
 焼き菓子を選んでいる時や、雑貨屋に寄った時にも少し感じたことだけれど、どこにいても並んでいる商品と同じくらいに、ダニスが視線を集めている気がする。

「飲まないの?」

 運ばれてきた紅茶を一口飲んだダニスが、カップを手に持ったまま動かないリーシャを見て首を傾げた。
 その様すらも見惚れそうになるくらい綺麗で、誤魔化すように笑ってからリーシャもカップに口を付ける。紅茶と一緒に運ばれてきたタルトも一口食し、その美味しさにリーシャは思わず声をあげた。

「わ、これおいしい……!」
「はは、よかった。俺もこの店のタルト好きなんだ」

 嬉しそうに緩んだ表情を向けられ、それだけで喉の辺りがきゅっと狭くなる。ダニスの表情ひとつでキュンとしたりドキドキしたり、今日は本当に心が忙しい。
 嬉しくて美味しい。楽しくて幸せだ。にやけて情けない顔になっていないだろうかと心配になるけれど、リーシャの方も表情が緩むのを止められない。

「今日一日中、ずっとリーシャが楽しそうにしてくれてて俺も嬉しい」
「え……?」
「どこに連れて行ってもニコニコしてくれるから、俺もつられそうになる。楽しんでくれてるみたいで安心した」

 こんなに完璧なエスコートが出来る人なのに、なにか不安になることでもあったのだろうか。
 連れて行ってくれる場所もペースの配分も完璧で、リーシャが不満に思うことなんて何ひとつなかった。そもそも、リーシャが気になる店にばかり寄ってもらったのだから、楽しいのは当然だろう。
 楽しむのが難しいのは、むしろダニスの方なのではないだろうか。

「っあの、私、本当に今日ずっと楽しいんです。私の好きなところばっかり連れて行ってもらえて、どこも全部素敵で……だから今からは、その、あんまり時間はないかもしれないですけど、ダニス様の行きたいところにも一緒に行きませんか?」

 一度考え出すと少しだけ不安で、ダニスの楽しめることもしたいと思った。
 そう思って口にしたリーシャの提案を、ダニスは楽しそうに笑って聞く。

「ふっ、はは。真剣な顔してどうしたのかと思ったら、そんなこと考えてたんだ。今日行ったところ、全部俺が行きたかったところだけど?」
「え? でも……」
「行き慣れた店でも、リーシャが一緒だったらもっと楽しいだろうなって想像してた。一緒に歩いてるだけで楽しいし、この店も、美味しいもの食べて笑ってるリーシャが見たいなぁって俺の希望で連れてきたんだよ。……ね? だから全部俺が行きたかったところ」

 嬉しそうな表情がリーシャの方を向き、ダニスの金色の瞳が満足げに細くなる。
 一気に体温が上がって、なんだか溶けそうだ。
 食べている最中のチョコレートのタルトは甘いが、ダニスが醸し出す空気もタルトに負けないくらいに甘い。
 向けられる視線や声、纏う空気。表情や言葉が全部甘くて、上昇した体温に溶かされそうになる。自分では見えないのに確信してしまうくらい熱くて、おそらく今、顔が真っ赤になっている。

「ねえ、リーシャ」
「はい。どうかしましたか?」
「少し前に、俺がリーシャのことをこれからどう思うのか分からないって言ってたよね?」

 城に滞在することを決めて、初めて一緒に夕食を摂った時のことだろうか。
 ダニスの部屋に誘われて、いろいろと変なことを口走ってしまったから、その時の発言だろう。

「……そう、ですね。言いました」
「リーシャがこれから俺をどう思ってくれるのかは分からないけど、俺の方は簡単に気持ちが変わったりしないよ。久しぶりに会って、少し話しただけで確信できた」

 なにを、とわざわざ訊ねるほど野暮ではないし、質問するつもりもなかった。
 それなのにダニスは丁寧に、全部を言葉にしてくれる。

「俺がリーシャのこと好きなのは、子供の時からずっとだから」

 ぶわりと心臓が震えて、なぜだか少し泣きそうになった。
 好きという短い言葉が、心に絡みつくように耳に残る。

(……私は今日一日で、こんなに深く落とされたのか)

 嬉しいと感じてしまうのが少しだけ怖くて、頷くだけの返事が精一杯だった。
 気持ちが変わらないなんて、どうしてそんなことが言えるのだろう。見た目も性格も、今のリーシャが子供の頃とまったく同じだなんてことはないはずなのに。
 ダニスが想い続けてくれた子供の頃の自分を参考にしたくても、今のリーシャにはどうしようもできない。リーシャの方は昔の思い出なんて、何も覚えていないのだ。
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