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痛い①

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 その日の朝は昨日と違い、恭弥くんに抱きしめられている状態で目を覚ました。
 閉じ込められているように窮屈で、触れて混ざり合った体温が虚しい。私が少し身動ぎするだけで、寝息を立てていた恭弥くんまで目を覚ましてしまう。

「あ……、ごめんね。起こしちゃって」
「あー……んん、朝か」
「うん。でも、私は明るくて目が覚めちゃっただけだから、恭弥くんはまだゆっくり寝ててもいいし」

 私はまだ、恭弥くんの腕の中にいる。
 離して欲しいという意味を込めて軽く胸を押すと、距離を戻すように恭弥くんの腕に力が入った。
 起きたばかりでも昨夜と変わらない腕の力に、私の身体はびくりと震えてしまう。密着したままなのだから、私の反応は恭弥くんにも伝わってしまっただろう。
 煩わしそうに、恭弥くんが溜め息を吐いた。

「もう出るの? どうして?」

 不機嫌そうに聞こえる声は、寝起きだからというわけではないだろう。
 私の反応が面倒臭いと、暗にそう言われているように感じる。

「引越しの片付けとか、他にもいろいろ……したいことがまだあるし、今日は朝ごはんの準備も頑張りたいから」
「そういうのって疲れない? これが妻の義務だからって態度で、若菜はなんでもしようとするね」
「へ……」
「義務感でやったことで昨日みたいに爆発されたら、僕としては堪らないんだけど」

 爆発、というのは、昨夜の私が泣いてしまったことを指しているのだろう。
 恭弥くんが優しく触ってくれるから期待して、急に彼女の話を持ち出して困らせた。責めるようなことを言ってしまったし、いきなり癇癪を起こしたようなものだ。
 爆発と言われても仕方がない。

「……昨日のは、その、私も覚悟が足りてなくて、感情的になってごめんなさい。でも、もう本当に大丈夫だから」
「たった一日で何か変わるとも思えないし、口で大丈夫って言われただけで僕は安心なんてできないよ」
「え、っと……昨日恭弥くんに言われて、考えても意味がないことだって分かったから、ちゃんと自分の中で折り合いつけたよ?」
「そういう顔には見えないから言ってるんだよ。嫌なこと無理強いさせて、不満募らせて限界迎えて勝手に出ていかれたら困るから」

 言われた瞬間、顔が引き攣る。
 私はまだ、何か期待するような顔をしていたのだろうか。
 恭弥くんが目覚めた時から、頑張って表情を作っていたつもりだった。穏やかに笑って、もう私は何も気にしていないとアピールするつもりで、声だって明るく出すように努めた。
 選ばれない私は不幸ですと言うつもりはないし、そんなことで気を引きたいとも思っていない。
 恭弥くんの目に、私はどれだけ痛々しく映っているのだろう。

「嫌なことを無理強いされてるなんて、そんな風に思ってないよ。恭弥くんと結婚することだって、私が望んで選んだことなんだから」

 加賀家の嫁にいくとはどういうことなのか、私はしっかりと教育されている。
 恭弥くんが過ごしやすい環境を作るため、私にできることは全て頑張らなくてはいけない。
 必要なのはそれだけなのに、恭弥くんが私を好きになってくれたらもっと幸せなのにと、そんな欲を出してしまった。
 そういう意味で好きになってもらえなくても、昔の私は恭弥くんに認めてもらえるだけで嬉しくて、満足できたはずなのに。

「昨日僕に散々好き勝手されたのに、朝から動く体力なんて残ってる?」
「っだ、大丈夫だよ。心配してくれるのは嬉しいけど、早く恭弥くんに認めてもらいたいし、もっと頑張りたいなって思ったから……。あの、本当に、細かいことは気にしないで」

 どこまですれば、今の私は認めてもらえるのだろうか。
 広くて歴史ある日本家屋で生活する予定だったはずが、最新の家電が揃えられた新築のマンションに私は住まわせてもらっている。
 用事がないなら頻繁に行く必要はないと恭弥くんに言われていて、加賀庵からも本邸からも遠い土地だ。
 本来するはずであった事務作業や裏方の手伝いすらしていないのに、家事の手間や負担もかなり少なく済んでしまう。
 もちろん、それは悪いことではないのだろう。機械の手を借りることを否定したいわけではないし、非効率なことが大切なわけではない。
 私が手を出さなくても加賀庵の経営は上手くいっていて、優秀な社員が育っていれば、ただ嫁入りしただけの私が仕事の方で必要とされることもない。
 もともと私は、従業員として雇われたわけではないのだ。
 しかしそうなると、私が恭弥くんのために提供できるものなんて本当に少ししか残らない。
 それなら、その残った少しを完璧にこなさないと、本当に私が恭弥くんと結婚した意味がなくなってしまう。
 ただでさえ昨日の私は、泣いて拒んで爆発して、恭弥くんを困らせたのだ。これ以上に面倒臭い面を見せたくないし、負担に思われたくもない。
 何もできない焦りと罪悪感を隠して、恭弥くんの重荷にならないようにニコニコしながら、花嫁修行で習ったことを全力で活かすのが最適解だ。
 セックスだって同じであろう。私以外の人とした方が恭弥くんは気持ち良いのだから、ただ身近で手軽に使える存在になれるように、せめて面倒臭い反応はしないように努めなければならない。
 セックスは「妻としての義務」ではあるが、昨夜の時点で私はそこまで割り切れていなかった。だからこそ昨日は爆発してしまったのだ。
 もう、あんな風に泣いたりしない。

「あの、恭弥くん。私キッチンに行きたいから」
「声、少し掠れてるね」
「そんなこと……あ、でも、痛みとかないし普通に話せるよ」
「……身体は? 平気?」
「うん、平気」

 ヘラっと笑って言ってみせると、恭弥くんの眉間に皺が寄る。
 昨日から、もう何回その顔を見ただろうか。本当に私は、恭弥くんを苛立たせることだけは上手いらしい。

「もういい、君はゆっくりしてて。お腹空いてるなら朝は僕が用意する」
「え……」
「若菜が無理して笑ってること、どうして僕が気付かないと思うの」
「……えっと」

 なにを言えばいいのか分からず言葉が詰まる。
 恭弥くんにそんなことはさせられないのに、今の彼を止めていいのか分からない。

「っあの、私は全然……無理して笑ってるわけじゃないし……」
「嘘。つらそうな顔してるって自覚した方がいいよ。僕だって無理させたの分かってるし、動くのがつらいなら言ってくれていい。別に家事を任せたくて一緒に住んでるわけでもないんだ」
「じゃあ、あの……セックス要員なの、私?」

 言ってしまった瞬間に、分かりやすく恭弥くんの表情が歪む。
 昨夜に引き続き、私は最悪な言葉を選んでしまったらしい。
 後悔してもなかったことにはできず、吐き捨てるように漏らされた恭弥くんの声に、胸の辺りがキリキリと痛む。

「はっ……ほんと、馬鹿じゃないの」
「でも、私は今のところ、それ以外に何もできてないよね……?」
「だからなんで……あー……いや、それはごめん。勘違いさせるようなことをした僕も悪い。だけど本当に、若菜のことをそんな風には思ってないから」

 どちらが悪いという話ではなく、最初からこの結婚自体が間違っていたのだろう。
 恭弥くんが本命の彼女と結婚できていたら、ここまで面倒臭い話にはなっていなかった。

「あの、私も覚悟してたはずなのに全然だめで……中途半端な気持ちで結婚しちゃったこと、ごめんなさい」
「……もういいよ、それは。結婚できないって言われる方が僕にとってはきつかった」

 私と結婚しない方が、意外といろいろ上手くいったのではないかと思ってしまう。だけど、もう余計なことは口にしない。
 話題を逸らすように「とりあえず、何か食べようよ」と口にし、終わりの見えないこの会話がこれ以上続かないようにした。

「……そうだね。昨日と同じでいいなら僕の方で用意するから、若菜はもう少しゆっくりしてからおいで」
「え? ……あ、本当に身体がつらいわけじゃないし、私も恭弥くんと一緒に準備するよ。少しでも奥さんらしいことしたいから、あの、それも迷惑……?」

 張り詰めるようだった雰囲気が、微かに緩んだ。
 恭弥くんの話し方が柔らかいものに戻ったことが、今はこんなにも安心する。

「分かった。リビングで待ってるから、一度シャワーだけ浴びておいで。泣き跡も残ってるし、さっぱりしてきた方がいいよ」
「ん、うん。あの、すぐに戻るから」
「ちゃんと待ってる。急がなくてもいいよ」

 頷いてから寝室を抜け、恭弥くんを待たせないように脱衣所へと急ぐ。
 昨日も恭弥くんが後処理をしてくれたみたいだが、寝汗のせいか少し身体がベタついている感じがした。恥ずかしいもので汚してしまった下着も替えた方がいいだろう。
 脱衣所の扉を閉め、着ていた服を脱いでいく。上の服を脱いだところで鏡の中の自分と目が合い、その姿にひゅっと私の喉が鳴った。
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