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第1章 名前の無い喫茶店
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そう一礼をするとマスターは隣でグラスとケーキの準備をする女性に視線を送った。
店内を改めて見回してみる。ログハウス風の作りに変わりは無いが、丸太の香りと店内に流れる音楽が不思議とマッチしている。
今日はテーブル席に他のお客も座っている。女性二人組のお客と、男性客が一人。
女性二人は近所の奥さんだろうか。聞き耳を立てていると話題はボーナスの話や旦那さんへの愚痴が聞こえた。
男性客は、静かに手にした文庫本サイズの本を読んでいる。黒縁の眼鏡を時折、人差し指を使って上に上げている。
「お待たせいたしました。アイスカフェオレと、レアチーズケーキです」
マスターが静かに愛美の前に注文した品を並べてくれる。愛美はストローでアイスカフェオレを一口啜ってから、「先日も、こちらに来たんですが、覚えていらっしゃいますか?」とマスターに尋ねた。
「えぇ、覚えていますよ。思い出を小説にされたお客様ですよね」とマスターはサイフォンを綺麗に拭きながら言った。
「はい。実は・・・、あの日記帳。いえ、思い出を書かせていただいた中に出る祖母が、先日、亡くなりました」
「そうですか・・・。それは、残念でしたね」
「はい。ですが、ここでその思い出を書いたあと、うたた寝をしたみたいで・・・、その時、祖母と二人で海を見ている夢を見ました」
「・・・」マスターは静かに聞いてくれている。
「そのお礼をと思って、あと、もしわがままを聞いてくれるなら、あの不思議な体験が出来るならもう一度、あの席で思い出を書かせてもらえないかと・・・」と、愛美は不躾なお願いだなと頭で思いながら、それでも自分の素直な感情を言葉にした。
「そうですか・・・。ママ、どうですか?」とマスターは隣にいる若くて細い体つきの女性に聞いた。
ママと呼ばれた女性は、一段、高くなっているリザーブ席に視線を送って、何かを考えている様子を見せたが、すぐに「いいですよ、どうぞ」と自らカウンターから出て来て、愛美をリザーブ席に案内してくれた。
愛美はカウンター席から立ちあがり、自分の荷物を手にしてママの後をついていく。一段、一段と木の板の階段を昇る。それが不思議な緊張感をもたらせる。
「では、こちらの席へ」と以前と変わらず昇った右側のテーブル席に案内をされた。
そして、左に置かれているテーブルから、あの日記帳を手渡された。
愛美は前回書いた内容の文章を確かめたくて、ページを開いた。しかし、最初から最後までページを捲るが、愛美の書いた文章はどこにも残っていない。それどころか、綺麗に真っ白な真新しい日記帳になっていた。
「あの・・・」
愛美は席から立って、細身のママに声を掛ける。
「この日記帳って、新しくされたんですか?」と尋ねると、ママは美しい歯を見せながら笑顔で「いえ、それは前のと同じ物ですよ」と教えてくれた。
「えっ・・・、でも、この前の文章が残って・・・」愛美は日記帳を開いて見せた。
「えぇ、その思い出は日記帳には残っていません。お客様とお婆様二人の心の中にしっかりと書き込まれたからです」
「あの・・・、どういう意味ですか?」愛美は、訳の分からないという顔で聞き返した。
「それは、オーナーがあなた方お二人の素敵な思い出を、あなた方お二人の心の中に残る小説に書き換えたのです。これ以上の説明は、私にも出来ませんが、お客様の思い出は亡くなられたお婆様にも思いは伝わり、互いの大事な思い出へとなったはずです」
愛美は何を言っているのだと怪訝そうな表情を作って見せたが、その後すぐに祖母が亡くなる寸前に残した最後の言葉の意味を今、理解したのだ。
『愛美。最後に見たあの海の夕焼け・・・は、綺麗だった・・・ね』
「あの時のお婆ちゃんの言葉・・・、そういう事だったの・・・」
愛美は祖母の最後の言葉の意味を理解して、手にしている日記帳を眺めた。
「それなら、ここに書いた文章は何も消さなくてもいいのに・・・」と愛美は愚痴をこぼした。
「それは・・・、お二人にとってもっとも素敵な思い出を残してあげたいという、オーナーの気持ち、じゃないですか?」とマスターがママの後ろから説明した。
「人は良い思い出はすぐに忘れる。逆に嫌な悪い思い出はいつまでも心に残すものです。だけど、オーナーはその良い思い出をいつまでも大切にして欲しいから、最も素晴らしい素敵な思い出をお二人に残してくれたんだと思います。ここに残した文章よりも、あなた方お二人の心にオーナーが記した思い出が大切なんです」
「そうですね・・・」と愛美は静かに答えると、しばらく沈黙をしたあと、静かに日記帳を閉じた。
そして、その場からカウンター席に自ら戻ろうと荷物を持つと、「私の心に残る祖母との大切な思い出を、あの時二人で見た夕焼けを忘れたくないから、この日記帳には、もう書きません」
そう言うと愛美はカウンター席へと戻った。
マスターが静かにケーキ皿とアイスカフェオレの入ったグラスをカウンター席へと運ぶ。
ママはそこに残された日記帳を、静かに一番、素敵な景色の見える永久リザーブ席へと戻した。
店内を改めて見回してみる。ログハウス風の作りに変わりは無いが、丸太の香りと店内に流れる音楽が不思議とマッチしている。
今日はテーブル席に他のお客も座っている。女性二人組のお客と、男性客が一人。
女性二人は近所の奥さんだろうか。聞き耳を立てていると話題はボーナスの話や旦那さんへの愚痴が聞こえた。
男性客は、静かに手にした文庫本サイズの本を読んでいる。黒縁の眼鏡を時折、人差し指を使って上に上げている。
「お待たせいたしました。アイスカフェオレと、レアチーズケーキです」
マスターが静かに愛美の前に注文した品を並べてくれる。愛美はストローでアイスカフェオレを一口啜ってから、「先日も、こちらに来たんですが、覚えていらっしゃいますか?」とマスターに尋ねた。
「えぇ、覚えていますよ。思い出を小説にされたお客様ですよね」とマスターはサイフォンを綺麗に拭きながら言った。
「はい。実は・・・、あの日記帳。いえ、思い出を書かせていただいた中に出る祖母が、先日、亡くなりました」
「そうですか・・・。それは、残念でしたね」
「はい。ですが、ここでその思い出を書いたあと、うたた寝をしたみたいで・・・、その時、祖母と二人で海を見ている夢を見ました」
「・・・」マスターは静かに聞いてくれている。
「そのお礼をと思って、あと、もしわがままを聞いてくれるなら、あの不思議な体験が出来るならもう一度、あの席で思い出を書かせてもらえないかと・・・」と、愛美は不躾なお願いだなと頭で思いながら、それでも自分の素直な感情を言葉にした。
「そうですか・・・。ママ、どうですか?」とマスターは隣にいる若くて細い体つきの女性に聞いた。
ママと呼ばれた女性は、一段、高くなっているリザーブ席に視線を送って、何かを考えている様子を見せたが、すぐに「いいですよ、どうぞ」と自らカウンターから出て来て、愛美をリザーブ席に案内してくれた。
愛美はカウンター席から立ちあがり、自分の荷物を手にしてママの後をついていく。一段、一段と木の板の階段を昇る。それが不思議な緊張感をもたらせる。
「では、こちらの席へ」と以前と変わらず昇った右側のテーブル席に案内をされた。
そして、左に置かれているテーブルから、あの日記帳を手渡された。
愛美は前回書いた内容の文章を確かめたくて、ページを開いた。しかし、最初から最後までページを捲るが、愛美の書いた文章はどこにも残っていない。それどころか、綺麗に真っ白な真新しい日記帳になっていた。
「あの・・・」
愛美は席から立って、細身のママに声を掛ける。
「この日記帳って、新しくされたんですか?」と尋ねると、ママは美しい歯を見せながら笑顔で「いえ、それは前のと同じ物ですよ」と教えてくれた。
「えっ・・・、でも、この前の文章が残って・・・」愛美は日記帳を開いて見せた。
「えぇ、その思い出は日記帳には残っていません。お客様とお婆様二人の心の中にしっかりと書き込まれたからです」
「あの・・・、どういう意味ですか?」愛美は、訳の分からないという顔で聞き返した。
「それは、オーナーがあなた方お二人の素敵な思い出を、あなた方お二人の心の中に残る小説に書き換えたのです。これ以上の説明は、私にも出来ませんが、お客様の思い出は亡くなられたお婆様にも思いは伝わり、互いの大事な思い出へとなったはずです」
愛美は何を言っているのだと怪訝そうな表情を作って見せたが、その後すぐに祖母が亡くなる寸前に残した最後の言葉の意味を今、理解したのだ。
『愛美。最後に見たあの海の夕焼け・・・は、綺麗だった・・・ね』
「あの時のお婆ちゃんの言葉・・・、そういう事だったの・・・」
愛美は祖母の最後の言葉の意味を理解して、手にしている日記帳を眺めた。
「それなら、ここに書いた文章は何も消さなくてもいいのに・・・」と愛美は愚痴をこぼした。
「それは・・・、お二人にとってもっとも素敵な思い出を残してあげたいという、オーナーの気持ち、じゃないですか?」とマスターがママの後ろから説明した。
「人は良い思い出はすぐに忘れる。逆に嫌な悪い思い出はいつまでも心に残すものです。だけど、オーナーはその良い思い出をいつまでも大切にして欲しいから、最も素晴らしい素敵な思い出をお二人に残してくれたんだと思います。ここに残した文章よりも、あなた方お二人の心にオーナーが記した思い出が大切なんです」
「そうですね・・・」と愛美は静かに答えると、しばらく沈黙をしたあと、静かに日記帳を閉じた。
そして、その場からカウンター席に自ら戻ろうと荷物を持つと、「私の心に残る祖母との大切な思い出を、あの時二人で見た夕焼けを忘れたくないから、この日記帳には、もう書きません」
そう言うと愛美はカウンター席へと戻った。
マスターが静かにケーキ皿とアイスカフェオレの入ったグラスをカウンター席へと運ぶ。
ママはそこに残された日記帳を、静かに一番、素敵な景色の見える永久リザーブ席へと戻した。
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