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第5章 残したい、最後の私達は

22話

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 卒業式の日。
やはりその目配せは、大人数の中で行われた。
卒業式も各々の教室での最後の挨拶も終え、学校前に多くの生徒がいた。
卒業証書が入れられた筒を持って、写真を撮って笑い合ったり、泣きながら抱きしめ合っている子もいる。
小さな花束を両親から貰っている子も、第二ボタンをせがむ女子に囲まれている男子もいた。  
 私は尾田先生が来ていないか探してみたくらいで、両親も先に帰っていたから、もう特に用事はなかった。
もし尾田先生が卒業式に来ていたとしても、こっそりと帰っていると思う。
敢えて声を掛けたり、掛けてもらうのを待ったり、先生はそういう人ではない。

 私は白瀬ちゃんと一緒にいて、

「騒がしいし、帰ろっか」

と話していた。
私も白瀬ちゃんも、どちらかと言えば冷めたところがあったから、こういう場に居続けるのは似合わなかった。
卒業証書なんかは既にカバンにしまっているし、感傷的な気持ちなんてない。
 その時、何となく視線を感じたのか、それとも偶然だったのか。
視線を向けた先で、仁井くんと目が合う。
白瀬ちゃんにバレないよう、仁井くんの目配せの意味を考えた。
目配せの次に、仁井くんの左手人差し指が上に向けられた。
きっと、あの場所だろうな、と思う。
私は一度、頷いた。

「白瀬ちゃん、私、忘れ物したっぽいから、ここで」

それこそ分かりやすい嘘だったと思う。
でも、白瀬ちゃんは

「そっか。じゃあね」

と言った。
あっさりした別れだ。
あんなにも仲良くするのを望んだ白瀬ちゃんに対して、例え冷めた性格のせいにするにしても、あんまりだ。
でもその時の私は、仁井くんともう一度話す機会ができたことで頭の中がいっぱいだった。
それに、その時の私は、その一連の目配せや頷きを、司に見られる可能性なんて考えてもいなかった。
実際、司は沢山の同級生に囲まれていたから、見ていた可能性はないと思うけれど、真相なんて分からない。

 白瀬ちゃんと別れ、私は再び学校に入った。
その時には、さっきの場所に仁井くんはいなかった。

 私にとって特別な人。
初恋ではないし、今、好きな人でもない。
それでも、仁井くんを残したい。

 水飲み場に近づく廊下で、私は自分の足音が仁井くんまで届くように意識した。 
その響きは、私の青春の最後を告げる音。
 水飲み場に着くと、奥の角から仁井くんが現れた。
初めてここに来た時も、そんな風に登場したな、と思い出す。
あの時とは違う。
それは当たり前だ。
でもその再現は、一番あの時に近い再現。
他の誰にも出来ないもので、出来てもダメなものだ。
私は自然と笑顔になっていた。

「仁井くん」

つい、呼んでしまった名前に、自分でハッとする。
鼓動が速くなる。
どうしても名前を呼びたくなるのは、私の欲望が露わになる瞬間だ。

「山村さん。なんか、久しぶりだね」

「うん。もう、人差し指で上指すだけで、ここって分かっちゃった」

「そうだね。でも、よく考えれば今までだって、ここじゃなくて、もっと隠れやすい場所、探せばあったと思う」

もしも、もっと人目につかない、秘密の場所を見つけていたら。
私達の今は違ったのかもしれない。

「卒業する前に、もう一回だけ仁井くんと話したいと思ってたよ」

私から話さないと、という焦りがあった。
それに、私から話してあげたいという気持ちも。
仁井くんはきっと、何をどうやって話すかまだ決めかねている。
私は仁井くんといるとやっぱり、きっと、変わっていけるのだろう。
まるで、正反対の性格になろうとするみたいに、ないものを埋めようとするみたいに。

「俺も思ってた」

「三年間って本当にあっという間だったね」

「うん。入学した時は、これからの三年って考えたら長く感じてたのに、過去のことになると、短いって思う」

「これからの三年も、長そうだけど、きっとあっという間なんだろうね」

「うん。山村さんはどうなってるのかな」

「多分、そんな変わらないと思うよ。見た目も老けていくだけで、それ以外は変わらないと思う。性格だってきっとこのまま。司といるなら、尚更・・・仁井くんは、背、もっと伸びるかな」

「どうだろ。さすがにもう、止まったかも」

「そっか。じゃあ、髪伸ばしたりするの?ピアスの穴開けたり」

「すると思う?」

「ごめん、思わない」

 こういう何気ない会話も最後にしたかった。
でも、もっと、確信的な、もっと残る、そういうことがしたい。
このままダラダラ、繋ぎ合わせる為みたいな時間を過ごすのは良くないと思う。
 
「仁井くん、どうして理花子と別れたの?」

「それは・・・」

「ごめん、理花子から聞いたの」

「そっか・・・多分、恋じゃないって気付いたからかな」

「そんなことないよ。仁井くんは、自分と違う理花子に恋してた。それに、私には分かる。同調っていうのは、相手に逆らえなくてする場合もあるけど・・・相手のことが好きだからこそ同調しちゃうこともあるって。どうしようもないって」

「山村さんはさ、司に同調し続けるの?」

その問いは、その場の雰囲気をさらに緊張感で満たした。

「私は、同調し続けるよ。前にも同じようなこと言ったと思うけど。共感は人を油断させる。共感を求め続けたくなって、共感されなかったら勝手に裏切られた気分になる。自分のことも、相手のことも嫌になる」

仁井くんは、同調じゃない、もっと酷い、同情の目で私を見た。
だけど、途中で気付く。
それは共感の目なのかもしれない、と。
少し前までの、理花子と付き合っていた時の自分を見るように、私を見ただけだったのかもしれない。

「山村さんは、相手に合わせるのが自分の喜びになってるだけなんじゃない?逆らえない相手に自分を譲り続けて、だんだん、合わせることに満足感を得るようになる。そうしてる方が楽だから、それを正当化する」

仁井くんの言ってることが正しい。
その時の私には分かっていた。
仁井くんが理花子を選んだ意味と、私が司を選んだ意味が同じだったんだろう、ということも理解できた。
私は尾田先生を尾行し、先生の真実を知ってもなお、それだけで満足してしまい、自分まで変わった気になっていただけだったのかもしれない。
先生の悲しみと、悲しみの克服を目の当たりにしただけで、自分も変われたなんて、勘違いに決まっている。
白瀬ちゃんに理花子が嫌いと伝えられるようになっても、司に好きだと伝えられるようになっても、それは単に言葉で伝えられるようになっただけ。
私の感情はきっと、どこかで埋もれ続けている。

「山村さん、せっかく理花子から逃れられたのに。また、同じことの繰り返しになってるよ」

その通りだ。
同じことの繰り返しになっていることを、こんなにも簡単に分かることを、私は見逃していたのだろうか。
それでも、同調だけが存在していても、司を好きという気持ちは嘘ではないから・・・
仁井くんだってきっと、自分を変えたいと思っただけで、理花子のことを嫌いになって別れたわけでは
ないはずだ。
嫌いになっていないのなら、私は司と別れる意味がない。
理由にならない。
それに、仁井くんと理花子が別れたと聞いて、揺らいだのはほんの一瞬だった。
私には、同調しかない。
仁井くんだけへの共感は、今日で最後。 


「仁井くん」

「ん?」

「物にあたるお父さんのことがまだ、怖い?まだ、嫌?」

「うーん。もう、実家出るし。そういうので生まれた心の余裕のお陰か、今は大丈夫。それとも、俺が優しくない人間になっちゃったのかもしれない。だって、俺が家を出るってことは、母さんを置いていくってことだから」    

そんなことを言う仁井くんが、優しくないわけがないと思った。
司も、仁井くんも、父親に似ないことを意識して生き続けている。
呪いのようなものに、囚われ続けている。

「これからは、一人暮らし?」

「うん」

「仁井くんの、物に優しく接するところ、変わらないでほしい。本当に」

「分かってる。もし、間違ってでも物にあたったりしちゃったら、一番傷つくのは自分自身だから。結局、自分の気持ちの為だから、大丈夫だよ。変わらない」

もう一度だけ、肩に触れてほしい。
そう心の中で呟く。
トントンと、優しく撫でてほしい。
ごめんね、じゃなくて、さよならの意味を込めて。

「山村さん。司とはうまくいってるんだよね?」

「もちろん」

お願い。
さよならの意味を込めて、肩を撫でて。

 私は期待してしまっていた。
それが間違いだった。
仁井くんは、私が好きだった時と同じ優しい表情のまま、静かさだけを求めるような、ズルさを隠し持った本性のまま、言った。

「そっか。良かった」

その一言に私は、息が詰まるような、身悶えするような衝撃を受ける。
仁井くんの想いが伝わってきてしまった。
良かった、と言った仁井くんはその瞬間、私を本当に諦めたのだ。
あったかもしれない可能性は、そこで途切れた。

「良かったよ。うまくいってるなら。もう、余計なことは言わない」

仁井くんは、同調に囚われた私を救うのを、やめた。
仁井くんの瞳が涙で潤んでいる気がした。
気のせいだろうか。
男の涙はズルいと思ってた。
でも、そんなのは、存在しない。
ズルくない。
ただ、私は苦しい。
その瞳を見て、苦しかった。

「仁井くん」

「何?」

「それ・・・」

「ん?」

 私はさっき、仁井くんの顔を見てからすぐに、あるものを確認していた。
私がそんなものを気にするなんて。
他の人達のを見ても何とも思わない。
むしろ、そんなものに必死になって馬鹿みたいとさえ思っていたくらいだ。
彼氏の司のに対しても、特別と思えなかったのに。
仁井くんのそれは、特別だった。
欲しい、と思っていた。

「第二ボタン・・・」

「ああ。モテないから、まだあるよ」

仁井くんは照れるように笑った。

「仁井くん、モテなくはないのに」

「えっ?モテないよ」

「私、欲しい」

「え?」

多分この時に仁井くんは気付いた。
私がまだ、仁井くんに救われたがっていることを。
でも、もう遅い。
そんなわがままでズルい私を、嫌になればいい。
私なんか同調だけで生きていけばいい、と呆れてほしい。  
可哀想が愛だと、勘違いしたらダメだよ。
仁井くんまで、前の仁井くんに後戻りしてしまうから。


「第二ボタン・・・」

「山村さんは、司のを貰えばいい」

仁井くんは私に厳しく、そう言った。
私は、諦めなかった。
だって、最後だから。

「それはいつだって貰えるけど、仁井くんのは今日貰わないと永遠に貰えない」

私は仁井くんの第二ボタンに手を伸ばした。
仁井くんは抵抗しなかった。
触れて、それは本当にただのボタンだと気付く。 
私が価値を付けたから特別になっただけ。

「私、仁井くんみたいな優しい人でいたいの。だから、これを貰ったら、そういう心掛けを思い出せるから」

仁井くんはボタンに触れている私の手首を掴み、そっとボタンから離させた。
そして、自分で第二ボタンを取り外す。

「こんな簡単に外せると思わなかったよ」

仁井くんは既に厳しさを捨ててしまったようだ。
ただ、優しく私に笑い掛けている。

「私も、もっと勢いよく、ブチっと引っ張るのかと思ってた」

仁井くんは私を一瞥した。
それから、

「じゃあ、はい。あげる」

と言い、私の掌にボタンをのせた。

「ありがとう」

「どういたしまして」

第二ボタンがなくなった仁井くんの制服。
私だけが知っていたい姿。

 もう、いい。
この思い出までがあれば、ずっと残る。
私にとっても、仁井くんにとっても。

「じゃあ、もう帰ろっか」
 
私は何かが変わってしまう前に、優柔不断みたいな余計なものに脅かされる前に告げる。

「もう?」

「うん」

「司と帰るの?」

「ううん。司は人気者だから。私は静かに帰りたい」

「そっか」

「じゃあ、ボタンありがと」

私は仁井くんに背を向け、歩き出す。
 歩きだしてもなお、欲望は沸き起こった。
心の中が騒がしい。
やっぱり私はズルい。
 ここでまた何か一つ、再現が起きてほしいと思っている。
抱きしめられるとか、腕を引っ張られるとか。
肩をトントンでも良い。
残る何かが欲しい。
物体的ではなくて、感覚として。

「山村さん」

仁井くんの声。
聴覚。
今私の右手には、仁井くんの第二ボタン。
触覚。
学校の匂い。
嗅覚。
私は振り返る。
視覚、仁井くんの顔。
仁井くんは近づいてくる。
そして、次のは・・・
これは、ある意味、味覚なのかもしれない。
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