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第5章 残したい、最後の私達は

21話

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演劇部だけでは物足りなくなった司は、オーディションを受けるようになる。  
ワークショップにも参加していた。
もちろん、国内で。
私が、微かな違和感のようなものを感じたのは事実だ。
海外に行くとまで言った彼の、宣言と違う行動。
でも、人の考えが変わるのはよくあることだし、気にしないようにした。
それに、司が本当に海外に行こうとしていたら、私はどうすれば良いのか、全く分からなかった。

 この頃、司の父親、正木聖司の主演した映画が海外の映画祭で最優秀作品賞を受賞した。
映画祭の映像は、ワイドショーで何度も流されていた。
観客は拍手喝采。
出演者たちは、想像以上の現地の反応に驚いているようだった。
特に正木聖司は、若くして成功したわけではなく、売れるまでに時間がかかったからなのか、他の誰よりも感動が大きいように見えた。
これが、司の言う圧倒的な魅力なのかもしれない。
 海外メディアからの質問に、正木聖司は流暢な英語で答えた。
もう、欠点を見つけたいレベルだ。
こういうのを見てしまえば、海外で活躍するという選択肢も司からは消えてしまったのかもしれない。
司にとって、父親と自身を比べない、というのは不可能なのだ。
きっとこれまでも、父親と違う何かを求めてきたんだと思う。
それでも、俳優、役者という圧倒的な魅力には逆らえなかった。
司は、自分のやりたいことを誤魔化したり、なかったことにするなんて、出来ない人だから。 
私みたいに、臆病という都合の良い言い訳なんか、しない人。


 でも、秋になった頃。
私の部屋に来た司は玄関で突然、

「当たり前だけど、真面目に大学通うわ」

と宣言し、何かに甘えたいような、どこか怠惰な空気を醸し出した。
私は司が何を伝えたいのか分からず、

「今だって芝居も、勉強も頑張ってるじゃん。大学生は遊び放題ってイメージがあるから?」

と冗談っぽく返した。
すると司は、同調を求めるような瞳で聞いてくる。

「圧倒的な魅力の方には行かないことにした。俺のこと、嫌いにならない?」

 夢を語ったくせに早々と諦めるから、俺を嫌いにならないか、と聞いているのだろうか。
それとも、私が司を好きな理由の一つに芝居という条件が追加されてしまったと恐れているのか。

「ならないよ」

私は何度か頷き、司の右肩に私の左手をのせた。
そして、トントンとすると心の中で、ごめんねと呟く。
何に対しての、「ごめんね」なんだろう。
そう思いながら。

 私は本当に、何も変わらなかった。
もちろん、傍から見ればどうかは分からない。
だけど、驚くほどに冷静な自分がいる。
司が芝居をしようが、やめようが。
私とは違う、司には変わりない。
 
 圧倒的な魅力を諦めても態度の変わらない私に、司は満足そうだった。
そんな司を見ているだけで、私は良かった。

 芝居をやめた理由は聞けないまま。
多分司は、私が理由を聞いてこないことを分かっていた。
きっと都合が良いと思っただろう。
それに、さすがにもう、司も気付いているのだ。
私達は似ていないということに。
私達は違うから良いということに。
共感よりも同調の、恋人。 
私の気付かないところで、司もきっと、私に同調している。


 それから次第に寒くなってゆき、クリスマス間近、十二月のある日。
司の、大学の講義終わりに待ち合わせしている日だった。
私は街中で、白瀬ちゃんを見掛ける。
 高校を卒業し社会人になって、私と白瀬ちゃんは一切会わなくなっていた。
卒業式の日、安易な約束を交わしたのが引き金になったみたいに。
 何度か、会えないかと思い連絡したものの、返信はなく、少し心配しながらも、その心配さえ薄れていった。
所詮、こんなものだ。
学生時代の友人と卒業後にも会うなんて、私には難しい。
同窓会に行く人達が目立つから、そういう人達にはドラマが起きるから、みんながそうなんだと思い込むだけで、私みたいな人が多数なんだ、きっと。
そういうことにした。

 白瀬ちゃんは、私の知らない女性と二人、楽しそうに歩いていた。
お揃いなのかは、よく見えなかったけれど、同じような白色のマフラーを巻いている。  
高校の頃の白瀬ちゃんのイメージよりもっと柔らかく、元から尖っていたわけではないけれど、丸くなったような印象を受けた。
二人の雰囲気はどことなく似ていた。
白瀬ちゃんの肩に、一緒にいる人の右手が添えられる。
 その時、白瀬ちゃんに肩を触れられた時の感情が蘇った。
確か、私が白瀬ちゃんに、理花子が嫌いと伝えた後だったと思う。
あくまで憶測でしかないけれど、その回想に、白瀬ちゃんの私への特別な気持ちを感じた気がした。
私が気付かないフリをした、白瀬ちゃんの気持ちを。
理花子が言っていた、全校集会で私を見ていた二人。
一人は司、もう一人は・・・
 でも、本当に憶測と、遅すぎる直感でしかない。
私を見ていた誰かというのは、本当に存在したのか。
そもそも、理花子の勘違いかもしれない。
憶測でしか得られない感情は、ひどく悲しいものだ。
そしてその悲しみを、悲しいと気付けないほどに、憶測は私達の心を蝕んでいく。
期待も憶測、失望も憶測、全部憶測。
本物はどこに紛れてしまったのだろう。
私は、同調することで、本当から逃げていると気付きながらも、それを心地良いと思ってしまっているのだから、どうしようもない。
今さらもう、高校時代も、せっかく仲良くなれた白瀬ちゃんも、向き合わなかった気持ちも取り戻せない。

 白瀬ちゃんに声を掛けず、ただ楽しそうに歩く二人の姿を遠くから、見えなくなるまで見つめ続けた。
 私と白瀬ちゃんの間にできた距離。
卒業しただけで、開いてしまったのだろうか。
それとも、卒業を言い訳として利用された、とられるべくしてとられた距離なのかもしれない。
 結局、仲の良いフリだったとしても、期間的に一番長続きしたのは理花子。
夢に登場するのだって理花子。
白瀬ちゃんとの、美しい記憶を越えられない、理花子との苦しくも、私を捕らえてしまう記憶。
私にとって、友情はそういうもの。
今から美しい友情を見つけるなんてきっと、無理だ。

 だから時々、理花子の今を想像してみたりする。
してみるというより、強制的にしてしまう。
きっと、メイクが濃くなっているんだろうなとか、髪を染めているんだろうなと想像する。
仁井くんとは違う、彼氏を見つけているんだろうなとか、私を逆らえなくしたキツい言葉のチョイスも続いているんだろうな、とも考える。
そしてそれもやっぱり憶測でしかなくて、私はどうにかして、考えるのをやめるのだった。
私はまだどこか、学生時代の名残から抜け出せずにいるのだろう。
 
 そして、もう一人。
私をそんな学生気分にさせてしまう、青春の時にいた人。
今を知ることができない人。
知ることができないことが、もはや心地良く、時に訪れる現実逃避したい瞬間に思い浮かぶ人。
卒業式の日、私が本音を伝えた人のこと。


 私の荒れていた日記は、卒業式前日で終わっている。
卒業式当日の夜に書かれた日記は、誰に読まれても良いものになっていて、その日の本当の出来事の詳細は、私と仁井くんしか知らない。
永遠に二人だけの秘密になるかもしれない。
仁井くんがそのことを誰かに話していなければ。
仁井くんが詳細を日記に書いていなければ。
 そもそも、仁井くんは日記を書くのだろうか。
私は、仁井くんについて知っていることがほとんどない。
でもきっと。
仁井くんは私達の間の出来事を、例えば修学旅行の逃避とか、万引きした過去を告白したこととか、私だけが気付いた物に対する優しさとか、その理由とか。
大人数の中にいる時に何度も目を合わせたこととか、水飲み場での秘めやかな空間とか、最後の日の秘密とか。
そういうのを私達だけのものにしてくれているはずだ。

 卒業式の日。
私と仁井くんは新たな秘密を作った。

 それが卒業後もずっと、私が思い出したい時に自分勝手に思い出す記憶。
それが、私が生涯忘れたくない、青春の締めくくり。
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