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第2章 似ているあなたの原型は
8話
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「嫌いだし、なんか怖いって思う」
「えっ、あっ、うん。ええと・・・」
はっきりと言われ過ぎて、自分でもよく分からない反応をしてしまった。
「嫌いだけど、いいの。別にどうしようとも思えない。避けたって、面倒になるだけ。向こうが攻撃してくるか、もしくは山村ちゃんが罪悪感で苦しくなっちゃう。山村ちゃん、理花子ちゃんが教室に来る度に私の顔色伺ってる。さっきだって、私に謝った。顔色伺われたり、機嫌とられたら私、理花子ちゃんと同じになっちゃうよ」
誰かを嫌いということが、誰かを救うこともあるのだ。
白瀬ちゃんは、理花子を嫌いだと言い、私はそれに救われた気がした。
「山村ちゃん、理花子ちゃんのこと、友達だと思ってるの? 嫌いじゃないの?」
私は心の中で、嫌いという言葉を発してみる。
心の中で言うのは簡単で、慣れていることだった。
体の外には出ない、嫌いという言葉は、体内の壁にぶつかり、バウンドして動き回る。
歯を食いしばるみたいな、眉間に皺が寄るみたいな、どうにもできない怒りの種が暴れる。
「好きではない」
声になったのは、嫌いという言葉ではない、それでも私が初めて口にした言葉だった。
多分、白瀬ちゃんは、私に理花子が嫌いだと言ってほしかっただろう。
期待していたと思う。
でも、白瀬ちゃんは笑った。
「その言葉のチョイスは、自分の保身の為なの?それとも、単に気遣い屋なのかな?」
「前者の方だよ。自分が良い人だと思っていたいの」
白瀬ちゃんはまた笑う。
その笑いは私を馬鹿にしているものではなかった。
制服のリボンが、楽しそうに笑う白瀬ちゃんに同調するように、微かに揺れた。
「それをはっきり言えちゃうなら、いいんじゃない?そういうところが山村ちゃんの魅力。でも私、知ってたよ。山村ちゃんが理花子ちゃんに連れ回されたり、いいように構われてるの見て、好きではないんだろうなって」
嫌いという表現をやめ、好きではないという、私の表現を引き継いでくれる白瀬ちゃん。
「可哀想だと思った?それとも私を、意思のない残念な人だと思ってた?」
クラスメイト達が自分の席に戻りだし、私は会話を聞かれるのを恐れた。
反対に白瀬ちゃんは堂々としていた。
「正直、どっちも思ったことはある。でも、最初は」
本鈴のチャイムが鳴り始めた。
尾田先生が教室に入ってくる。
「最初は?」
「いや・・・ただ、山村ちゃんを見た時、友達になりたいと思ったの。ただ、それだけ。そういうのあるでしょ?直感」
私は楽しくなって、答えた。
「あるね、直感」
白瀬ちゃんは可愛く微笑み、私を席に戻るよう目で促した。
チラッと尾田先生の方を見ると、
「はい、座ってー」
と言いながら、私と白瀬ちゃんが仲良くするのを喜ぶような、どこか満足そうな顔でこっちを見ていた。
それなのに、どこか悲しみが滲んだような目。
勘違いだろうか。
でも、尾田先生は確かにどこか嬉しそうで、それに矛盾して悲しそうだった。
その後も何度か、悲しそうな目を向けられることがあった。
嬉しそうだったのは、この一回くらいで、あとはもう、悲しそうなだけだった。
見られて嫌だ、とか、気持ち悪いとか、そんなのは全くない。
そういう類じゃない。
本当に、そういう類じゃないことだけは確かだった。
放課後は、私も白瀬ちゃんもそれぞれアルバイトをしていて、バイトまでの時間をよく一緒に過ごす。
だから、白瀬ちゃんに放課後の司くんとのことを話すと一言、
「本当に大丈夫?」
と聞かれた。
その大丈夫?は、司くんとの映画は、理花子に強制されていたり、断りきれなかっものではないのか確認しているようだった。
それに白瀬ちゃんはどこか、司くんに苦手意識を持っているようにも見える。
「大丈夫。自分の意思」
司くんと映画に行くと決まってから、私は緊張していたし、期待も感じてしまっていた。
一体何に期待するんだ!と、自分を戒めても、期待は数珠つなぎになっていく。
だからそのいやらしい期待に、別の期待を見せびらかせた。
それは、効果抜群だった。
別の期待というのは、仁井くんにまつわる話を聞けるのではないか、というもの。
司くんと話せば自然に、仁井くんの話題になる。
何か最近の、仁井くんのエピソードを知りたい。
たまに聞く、理花子からの話ではなく、親友が知る仁井詩音の近況。
司くんと映画に行くのは、仁井くんにまつわる話を聞く為だ!
だから司くんとの映画は、断りきれなかったから行く、ではなく、自分の意思へと変わったのだった。
放課後、途中まで白瀬ちゃんも一緒に帰って、私と司くんは映画館に向かった。
白瀬ちゃんとの別れ際に、司くんは
「悪いな。白瀬も一緒にと言いたいところだけど、二人で行くっていうのは、随分前の約束を果たすものだからさ。今度、三人で行こうな」
と、私に対する嫌味のように言った。
白瀬ちゃんは、嫌な女になると言った時とは対照的な内気さで
「別に大丈夫です。二人で楽しんで下さい」
と言った。
私にだけ手を振ると、逃げるように去って行った。
私達は、白瀬ちゃんと反対方向に歩き出す。
「なんか白瀬って、俺のこと嫌い?」
司くんは頭を掻きながら、困った顔をしている。
「そうかもね」
「っていうか、モテそうなのに、男どもを避けてる感じ」
そう言われて、確かにそうかもと思う。
「まあ、男どもは男どもだからね」
「どういう意味?」
「えーと。良い男がいないって意味?ほら、男子だって、同級生の女子より、先輩とか後輩とか、他校の女子が魅力的に見えたりするでしょ?」
司くんは少し考えているようだ。
私も咄嗟に言ったことだから、自分の発言が正論なのかどうか分からない。
「そうか?そんなことないんじゃないか。だって、沙咲だって」
「え?私?」
「うん。詩音のこと好きなんじゃないの?仁井詩音」
「え、違うよ」
仁井詩音。
フルネームで言われると余計、言い当てられたことを実感してしまう。
確かに、私には先輩も後輩も他校の男子も怖くて近づけない存在で。
反対に、同級生で、話していて楽しくて、同調したいと言ってくれた、物に対する態度が魅力的な仁井くんが良かった。
今はもう、同調してくれない仁井くん。
恋人の理花子に同調して、傍に居ようとする仁井くん。
「違くないだろ」
少し不機嫌な司くんの声に、自分の頬が熱くなるのを感じた。
照れではなく、恐れだった。
理花子のことを嫌いと言えないのと同じように、仁井くんのことが好きだなんて、言えない。
バレてしまうのは、あまりにも禁断だった。
本人には気になると伝えたくせに。
ただ、本人に言うのとこれは別だ。
「違うよ」
映画に行く気なんて失せた。
でも帰りたいなんて言えない。
仮病でも使おうか。
仁井くんの近況が聞けないなら、この放課後に意味はない。
いや、そうなのか?
私の心を見抜いた司くんとの時間は、本当に無意味なのか?
「じゃあ、誰が好きなの?」
司くんは、私に何か決定的なことを言わせたいようだ。
帰りたいと言えないなら、この場をどうにかしなくてはならない。
「早く映画、行こ」
私には遅すぎる司くんの歩みから抜け、歩幅を広げ、スピードを上げた。
そういえば、仁井くんと歩いた中華街や夜道では、歩幅やスピードが心地良いほどにピッタリだったな、と気付く。
振り返ると、司くんは私について来ないで立ち止まっていて
「映画、やめよ」
と大きな声で言った。
私が立ち止まると、司くんは自分のスピードで私のところまで追いつく。
「じゃあ、帰ろ」
私が言うと、司くんは首を横に振る。
「話そ。仁井詩音について。そして、沙咲自身ついて」
「話すくらいなら、映画行こ」
映画に行こうが、帰りたいと言おうが、司くんは私が決定的なことを言うまで帰らせてくれないだろう。
それを分かっていながら私は、時間稼ぎをしようとしている。
これじゃあただ、嫌なことを先延ばしにしているだけの子供。
それでも私は駄々をこねるみたいに、わがままに振る舞った。
「話すなら映画に行く。映画行かないなら、帰る。そもそも、今日の目的は映画です」
司くんは笑った。
白瀬ちゃんのと似た、私を馬鹿にしているのではない笑いだった。
どうしてか、笑われているのに嬉しくなる。
「分かったよ。とりあえず、映画行くか」
とりあえず、というのは気に食わなかったけれど、私は黙って頷く。
ふたたび司くんの歩幅に合わせて歩いていった。
司くんとの映画に、私の意見は一つもない。
何を観たいのかも聞かれず、何を飲みたいのかも聞かれず、全て司くんのお金で、司くんの選択だった。
「お金、払うから」
私が言っても、
「結局は俺が強引に誘い続けたんだから。その代わり、今度行く時はよろしく」
とか
「あとこれ、俺のバイト代だから。決して、親のお金ではない。お小遣い沢山貰ってるとかないから。俺のお金、だから俺の意思」
と、慣れた言葉のように話す。
司くんは冗談っぽく話したけれど、きっと、彼なりの防衛でもあるのだろう。
自分の父親が有名人ということに対しての、先入観から逃れる為の。
「分かった。じゃあ、今は、ありがとう」
さすがにその時には、私は素直になった。
映画の予告で、司くんのお父さんがスクリーンに映し出される。
私はあえて何も言わなかったけれど、司くんが私の肩を二度トントンして、
「親父」
と言って笑った。
もちろんそのトントンの時、仁井くんのことを思い出した。
だけど、今までと何かが違った。
私の片想いに気付いた存在が隣にいるからだろうか。
私達が観たのは、今人気の海外のアクション映画で、見飽きはしなかったけれど、どこかで見たことがある気がするストーリー設定だった。
アクションシーンは騒がしくて、なんの気無しに司くんの方を見たら、物凄く見入っていた。
そして、中華街でマフィアみたいな人達と主人公が喧嘩するシーンではもちろん、仁井くんを思い出した。
和食が好きだと言った私に、仁井くんは
「じゃあ中華食べよう」
と笑った。
その場面こそが、私にとって映画みたいだったと思う。
視線を感じ横を見ると、司くんがこっちを見ていた。
目で、何?と問い掛けると、彼は私の手を握った。
これまで何度も私を映画に誘ってきたその理由が決定的になった気がして、手をそのままにしたけれど、すぐに思い直して離した。
「ねえ、映画面白い?」
小声でそう聞く彼に、私は少しおかしくなりそうだった。
司くんが魅力的に映ったからだ。
でもこれはきっと、ほとんどの人が、そう思ってしまう、そんなシチュエーション。
司くんは格好良いし、積極的だし、私は自惚れてしまいそうになる。
それに私はこういうのに慣れていないし、ああ、騙される人はこうやって自らハマっていく感覚なのだろうか、なんて思う。
彼は真剣な表情をしている。
父親が俳優の松木聖司で、その芸名から名前をつけられた司くん。
アクションシーンを食い入るように見ていた司くん。
私の好きな人を言い当てた司くん。
彼は俳優の息子という、他と比べれば特殊な環境で育ち、演技力や洞察力が長けているのだろうか。
それともそんなのは関係なく、ただ、司くんはそういう人間なのだろうか。
「面白くない」
私は小声で正直に伝える。
今、彼の前で嘘をつけそうになかったからだ。
司くんは納得したように頷くと、私の腕を掴み、
「出よう」
と言って、体勢を低くしながら、行儀よく席から離れた。
暗い階段では、私が転ばないよう注意しながら歩いてくれた。
「司くんも面白くなかったの?そんな風には見えなかったけど」
何も言わずに映画館を出てしまった司くんに私は問い掛ける。
まだ腕は掴まれたままだった。
そして、さっきまでとは違い、歩くスピードが速かった。
「ということは、映画見ながら、俺を見てたの?」
意地悪っぽく、私の顔を覗き込む。
「そっちだって、見てたじゃん」
「ふーん」
腕を離そうとすると、強く握られた。
「俺が選んだ映画だから。見続けるかやめるかは、俺が決めるの」
わがままだなと思う。
でももし、私が選んだ映画を一緒に見て、司くんがそれを面白くないと言うよりは全然マシだ。
自分の選択が相手にとって良いものとなるか、プレッシャーになったと思う。
「なんか、ごめん」
謝りながら、また腕を離そうとした。
また、強く握り返される。
「映画を面白くないと思ったことに謝ってる?それとも、詩音を好きなことに?」
今度こそは本当に離してやろうと思って、思い切り自分の腕を引っ張る。
司くんはそんな私のもう片方の手を、空いてる方の手で握った。
さっきまで掴まれていた腕は解放された。
「ちょっと」
片手を、油断してた。
掴まれた腕ばかり意識していて、もう片方の手は、阿呆面で油断しまくり、ガードゼロ。
今は司くんと手を繋いでいる。
阿呆面から赤面へ。
私は、怒った顔をしながらも、ついに笑ってしまった。
ダメだと思いながらも、自分がおかしくなっていると思いながらも。
司くんはそんな私を見て、今までとは違う、柔らかくて、子供っぽい顔で笑った。
「沙咲。映画を途中で抜けたことを、むしろ良かったと思えるようにしようよ」
まだ、彼の目的が分からない。
それでも、ほんの少し、今日の放課後が良いものかもしれないと思った。
仁井くんへの当てつけだろうか。
いや、そんな高度な心境の変化ではない。
単純に、司くんが格好よく映っただけなんだと思う。
そんな風になびかれながら、この後まさか、私の一等賞の仁井くんを表彰台から引きずり下ろす想像をするなんて思わなかった。
「えっ、あっ、うん。ええと・・・」
はっきりと言われ過ぎて、自分でもよく分からない反応をしてしまった。
「嫌いだけど、いいの。別にどうしようとも思えない。避けたって、面倒になるだけ。向こうが攻撃してくるか、もしくは山村ちゃんが罪悪感で苦しくなっちゃう。山村ちゃん、理花子ちゃんが教室に来る度に私の顔色伺ってる。さっきだって、私に謝った。顔色伺われたり、機嫌とられたら私、理花子ちゃんと同じになっちゃうよ」
誰かを嫌いということが、誰かを救うこともあるのだ。
白瀬ちゃんは、理花子を嫌いだと言い、私はそれに救われた気がした。
「山村ちゃん、理花子ちゃんのこと、友達だと思ってるの? 嫌いじゃないの?」
私は心の中で、嫌いという言葉を発してみる。
心の中で言うのは簡単で、慣れていることだった。
体の外には出ない、嫌いという言葉は、体内の壁にぶつかり、バウンドして動き回る。
歯を食いしばるみたいな、眉間に皺が寄るみたいな、どうにもできない怒りの種が暴れる。
「好きではない」
声になったのは、嫌いという言葉ではない、それでも私が初めて口にした言葉だった。
多分、白瀬ちゃんは、私に理花子が嫌いだと言ってほしかっただろう。
期待していたと思う。
でも、白瀬ちゃんは笑った。
「その言葉のチョイスは、自分の保身の為なの?それとも、単に気遣い屋なのかな?」
「前者の方だよ。自分が良い人だと思っていたいの」
白瀬ちゃんはまた笑う。
その笑いは私を馬鹿にしているものではなかった。
制服のリボンが、楽しそうに笑う白瀬ちゃんに同調するように、微かに揺れた。
「それをはっきり言えちゃうなら、いいんじゃない?そういうところが山村ちゃんの魅力。でも私、知ってたよ。山村ちゃんが理花子ちゃんに連れ回されたり、いいように構われてるの見て、好きではないんだろうなって」
嫌いという表現をやめ、好きではないという、私の表現を引き継いでくれる白瀬ちゃん。
「可哀想だと思った?それとも私を、意思のない残念な人だと思ってた?」
クラスメイト達が自分の席に戻りだし、私は会話を聞かれるのを恐れた。
反対に白瀬ちゃんは堂々としていた。
「正直、どっちも思ったことはある。でも、最初は」
本鈴のチャイムが鳴り始めた。
尾田先生が教室に入ってくる。
「最初は?」
「いや・・・ただ、山村ちゃんを見た時、友達になりたいと思ったの。ただ、それだけ。そういうのあるでしょ?直感」
私は楽しくなって、答えた。
「あるね、直感」
白瀬ちゃんは可愛く微笑み、私を席に戻るよう目で促した。
チラッと尾田先生の方を見ると、
「はい、座ってー」
と言いながら、私と白瀬ちゃんが仲良くするのを喜ぶような、どこか満足そうな顔でこっちを見ていた。
それなのに、どこか悲しみが滲んだような目。
勘違いだろうか。
でも、尾田先生は確かにどこか嬉しそうで、それに矛盾して悲しそうだった。
その後も何度か、悲しそうな目を向けられることがあった。
嬉しそうだったのは、この一回くらいで、あとはもう、悲しそうなだけだった。
見られて嫌だ、とか、気持ち悪いとか、そんなのは全くない。
そういう類じゃない。
本当に、そういう類じゃないことだけは確かだった。
放課後は、私も白瀬ちゃんもそれぞれアルバイトをしていて、バイトまでの時間をよく一緒に過ごす。
だから、白瀬ちゃんに放課後の司くんとのことを話すと一言、
「本当に大丈夫?」
と聞かれた。
その大丈夫?は、司くんとの映画は、理花子に強制されていたり、断りきれなかっものではないのか確認しているようだった。
それに白瀬ちゃんはどこか、司くんに苦手意識を持っているようにも見える。
「大丈夫。自分の意思」
司くんと映画に行くと決まってから、私は緊張していたし、期待も感じてしまっていた。
一体何に期待するんだ!と、自分を戒めても、期待は数珠つなぎになっていく。
だからそのいやらしい期待に、別の期待を見せびらかせた。
それは、効果抜群だった。
別の期待というのは、仁井くんにまつわる話を聞けるのではないか、というもの。
司くんと話せば自然に、仁井くんの話題になる。
何か最近の、仁井くんのエピソードを知りたい。
たまに聞く、理花子からの話ではなく、親友が知る仁井詩音の近況。
司くんと映画に行くのは、仁井くんにまつわる話を聞く為だ!
だから司くんとの映画は、断りきれなかったから行く、ではなく、自分の意思へと変わったのだった。
放課後、途中まで白瀬ちゃんも一緒に帰って、私と司くんは映画館に向かった。
白瀬ちゃんとの別れ際に、司くんは
「悪いな。白瀬も一緒にと言いたいところだけど、二人で行くっていうのは、随分前の約束を果たすものだからさ。今度、三人で行こうな」
と、私に対する嫌味のように言った。
白瀬ちゃんは、嫌な女になると言った時とは対照的な内気さで
「別に大丈夫です。二人で楽しんで下さい」
と言った。
私にだけ手を振ると、逃げるように去って行った。
私達は、白瀬ちゃんと反対方向に歩き出す。
「なんか白瀬って、俺のこと嫌い?」
司くんは頭を掻きながら、困った顔をしている。
「そうかもね」
「っていうか、モテそうなのに、男どもを避けてる感じ」
そう言われて、確かにそうかもと思う。
「まあ、男どもは男どもだからね」
「どういう意味?」
「えーと。良い男がいないって意味?ほら、男子だって、同級生の女子より、先輩とか後輩とか、他校の女子が魅力的に見えたりするでしょ?」
司くんは少し考えているようだ。
私も咄嗟に言ったことだから、自分の発言が正論なのかどうか分からない。
「そうか?そんなことないんじゃないか。だって、沙咲だって」
「え?私?」
「うん。詩音のこと好きなんじゃないの?仁井詩音」
「え、違うよ」
仁井詩音。
フルネームで言われると余計、言い当てられたことを実感してしまう。
確かに、私には先輩も後輩も他校の男子も怖くて近づけない存在で。
反対に、同級生で、話していて楽しくて、同調したいと言ってくれた、物に対する態度が魅力的な仁井くんが良かった。
今はもう、同調してくれない仁井くん。
恋人の理花子に同調して、傍に居ようとする仁井くん。
「違くないだろ」
少し不機嫌な司くんの声に、自分の頬が熱くなるのを感じた。
照れではなく、恐れだった。
理花子のことを嫌いと言えないのと同じように、仁井くんのことが好きだなんて、言えない。
バレてしまうのは、あまりにも禁断だった。
本人には気になると伝えたくせに。
ただ、本人に言うのとこれは別だ。
「違うよ」
映画に行く気なんて失せた。
でも帰りたいなんて言えない。
仮病でも使おうか。
仁井くんの近況が聞けないなら、この放課後に意味はない。
いや、そうなのか?
私の心を見抜いた司くんとの時間は、本当に無意味なのか?
「じゃあ、誰が好きなの?」
司くんは、私に何か決定的なことを言わせたいようだ。
帰りたいと言えないなら、この場をどうにかしなくてはならない。
「早く映画、行こ」
私には遅すぎる司くんの歩みから抜け、歩幅を広げ、スピードを上げた。
そういえば、仁井くんと歩いた中華街や夜道では、歩幅やスピードが心地良いほどにピッタリだったな、と気付く。
振り返ると、司くんは私について来ないで立ち止まっていて
「映画、やめよ」
と大きな声で言った。
私が立ち止まると、司くんは自分のスピードで私のところまで追いつく。
「じゃあ、帰ろ」
私が言うと、司くんは首を横に振る。
「話そ。仁井詩音について。そして、沙咲自身ついて」
「話すくらいなら、映画行こ」
映画に行こうが、帰りたいと言おうが、司くんは私が決定的なことを言うまで帰らせてくれないだろう。
それを分かっていながら私は、時間稼ぎをしようとしている。
これじゃあただ、嫌なことを先延ばしにしているだけの子供。
それでも私は駄々をこねるみたいに、わがままに振る舞った。
「話すなら映画に行く。映画行かないなら、帰る。そもそも、今日の目的は映画です」
司くんは笑った。
白瀬ちゃんのと似た、私を馬鹿にしているのではない笑いだった。
どうしてか、笑われているのに嬉しくなる。
「分かったよ。とりあえず、映画行くか」
とりあえず、というのは気に食わなかったけれど、私は黙って頷く。
ふたたび司くんの歩幅に合わせて歩いていった。
司くんとの映画に、私の意見は一つもない。
何を観たいのかも聞かれず、何を飲みたいのかも聞かれず、全て司くんのお金で、司くんの選択だった。
「お金、払うから」
私が言っても、
「結局は俺が強引に誘い続けたんだから。その代わり、今度行く時はよろしく」
とか
「あとこれ、俺のバイト代だから。決して、親のお金ではない。お小遣い沢山貰ってるとかないから。俺のお金、だから俺の意思」
と、慣れた言葉のように話す。
司くんは冗談っぽく話したけれど、きっと、彼なりの防衛でもあるのだろう。
自分の父親が有名人ということに対しての、先入観から逃れる為の。
「分かった。じゃあ、今は、ありがとう」
さすがにその時には、私は素直になった。
映画の予告で、司くんのお父さんがスクリーンに映し出される。
私はあえて何も言わなかったけれど、司くんが私の肩を二度トントンして、
「親父」
と言って笑った。
もちろんそのトントンの時、仁井くんのことを思い出した。
だけど、今までと何かが違った。
私の片想いに気付いた存在が隣にいるからだろうか。
私達が観たのは、今人気の海外のアクション映画で、見飽きはしなかったけれど、どこかで見たことがある気がするストーリー設定だった。
アクションシーンは騒がしくて、なんの気無しに司くんの方を見たら、物凄く見入っていた。
そして、中華街でマフィアみたいな人達と主人公が喧嘩するシーンではもちろん、仁井くんを思い出した。
和食が好きだと言った私に、仁井くんは
「じゃあ中華食べよう」
と笑った。
その場面こそが、私にとって映画みたいだったと思う。
視線を感じ横を見ると、司くんがこっちを見ていた。
目で、何?と問い掛けると、彼は私の手を握った。
これまで何度も私を映画に誘ってきたその理由が決定的になった気がして、手をそのままにしたけれど、すぐに思い直して離した。
「ねえ、映画面白い?」
小声でそう聞く彼に、私は少しおかしくなりそうだった。
司くんが魅力的に映ったからだ。
でもこれはきっと、ほとんどの人が、そう思ってしまう、そんなシチュエーション。
司くんは格好良いし、積極的だし、私は自惚れてしまいそうになる。
それに私はこういうのに慣れていないし、ああ、騙される人はこうやって自らハマっていく感覚なのだろうか、なんて思う。
彼は真剣な表情をしている。
父親が俳優の松木聖司で、その芸名から名前をつけられた司くん。
アクションシーンを食い入るように見ていた司くん。
私の好きな人を言い当てた司くん。
彼は俳優の息子という、他と比べれば特殊な環境で育ち、演技力や洞察力が長けているのだろうか。
それともそんなのは関係なく、ただ、司くんはそういう人間なのだろうか。
「面白くない」
私は小声で正直に伝える。
今、彼の前で嘘をつけそうになかったからだ。
司くんは納得したように頷くと、私の腕を掴み、
「出よう」
と言って、体勢を低くしながら、行儀よく席から離れた。
暗い階段では、私が転ばないよう注意しながら歩いてくれた。
「司くんも面白くなかったの?そんな風には見えなかったけど」
何も言わずに映画館を出てしまった司くんに私は問い掛ける。
まだ腕は掴まれたままだった。
そして、さっきまでとは違い、歩くスピードが速かった。
「ということは、映画見ながら、俺を見てたの?」
意地悪っぽく、私の顔を覗き込む。
「そっちだって、見てたじゃん」
「ふーん」
腕を離そうとすると、強く握られた。
「俺が選んだ映画だから。見続けるかやめるかは、俺が決めるの」
わがままだなと思う。
でももし、私が選んだ映画を一緒に見て、司くんがそれを面白くないと言うよりは全然マシだ。
自分の選択が相手にとって良いものとなるか、プレッシャーになったと思う。
「なんか、ごめん」
謝りながら、また腕を離そうとした。
また、強く握り返される。
「映画を面白くないと思ったことに謝ってる?それとも、詩音を好きなことに?」
今度こそは本当に離してやろうと思って、思い切り自分の腕を引っ張る。
司くんはそんな私のもう片方の手を、空いてる方の手で握った。
さっきまで掴まれていた腕は解放された。
「ちょっと」
片手を、油断してた。
掴まれた腕ばかり意識していて、もう片方の手は、阿呆面で油断しまくり、ガードゼロ。
今は司くんと手を繋いでいる。
阿呆面から赤面へ。
私は、怒った顔をしながらも、ついに笑ってしまった。
ダメだと思いながらも、自分がおかしくなっていると思いながらも。
司くんはそんな私を見て、今までとは違う、柔らかくて、子供っぽい顔で笑った。
「沙咲。映画を途中で抜けたことを、むしろ良かったと思えるようにしようよ」
まだ、彼の目的が分からない。
それでも、ほんの少し、今日の放課後が良いものかもしれないと思った。
仁井くんへの当てつけだろうか。
いや、そんな高度な心境の変化ではない。
単純に、司くんが格好よく映っただけなんだと思う。
そんな風になびかれながら、この後まさか、私の一等賞の仁井くんを表彰台から引きずり下ろす想像をするなんて思わなかった。
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