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16 きんいろのかぎの章

恋は序破急?

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江戸は寒いし心も寒い。お家に帰りたい。

田舎はもっと寒いけど、まだましだ。


オラは故郷を追われ、江戸に丁稚奉公に出された。


そんなオラは、春蔵さんに連れられて、寺小屋送りだ。

田舎から丁稚奉公で江戸に追われ、今度は寺小屋送り何て、オラの人生ひどすぎる。

オラは勉学なんて大嫌いだ。


はあ~


春蔵さんは、オラが丁稚奉公に来ている貸本屋の若旦那さんだ。

若旦那、気楽な人生だ。


はあ~


「吉之助・・・お前さ~何ていうか、貸本屋向いてないんじゃない?」

「えっそんな事は」

貸本屋の丁稚まで追われたら、オラは野垂れ死にだ。短い人生過ぎる。


「貸本屋稼業ってのはさ、ドキドキわくわくな訳さ」

春蔵さん言ってることが、なんか適当。

「お前みたいに辛気臭い顔してたら、本まで面白くなさそうに見えるだろ」

「はぁ」

「こーーーーーんな楽しいお話の世界が広がってますぜぃ、ってお客さんに思わせるのが貸本稼業だと俺は想う訳さ」

「はぁ」

「だからな、『いつも今からこんな楽しい事が起こりますぜぃ』って顔してなきゃダメなんだ」

「はぁ」


道の向こうに寺小屋らしき建物が見えた。


「ほら、吉之助見て見な。あの娘可愛いだろ?」

視線の先にオラと同じくらいの年頃の女の子がいた。

「呉服屋のおゆきちゃんだ、可愛いだろ」

「うん」

「いいか、これは若旦那としての俺からの命令だ!あの娘の前ではいつも

『今からこんな楽しい事が起こりますぜぃ』って顔をするんだ」

「オラには無理です、オラの人生で今まで楽し事なんて起こってないのです」

「若旦那の命令を無視すると、お前野垂れ死にだぜ」


ええええええええええええ!

大人たちから、ここは良い貸本屋さんだって聞いていたのに!

嘘だったんだ!大人たちめ!


「ほら『今からこんな楽しい事が起こりますぜぃ』って顔してみぃ、こんな風に」

春蔵さんはそんな顔をした。

仕方なくオラは、そんな顔をしてみた。

「うんまあ!出来るじゃね―か!じゃあ、行くぞ!」


オラと春蔵さんは街道を渡ると

「よう!呉服屋のお嬢、元気かい?」

春蔵さんは、おゆきちゃんに気安く声を掛けた。

「春蔵さん、おはようございまう♪」

「こいつ、うちに丁稚に来た吉之助だ。俺の弟分みたいなもんだ!

田舎者だか仲良くしてやってくれ」

と、春蔵さんはオラの手とおゆきちゃんの手を握らせた。


おゆきちゃんの驚いた顔、それ以上にオラは驚いて、オラの身体は熱を帯びた。

そんなオラに春蔵さんは『今からこんな楽しい事が起こりますぜぃ』しろよ!

って視線を送った。


オラは!オラは!オラは!


『今からこんな楽しい事が起こりますぜぃ』

って顔をした。


ほら・・・おゆきちゃん、引いてる。

只でさえ辛気臭いオラが、そんな顔するから。


それは田舎者のオラにも解った(泣)



〇 〇 〇 〇 〇



丁稚奉公の朝は早い。


それよりも早い時間にオラは春蔵さんに、起こされた。

「なんですか。まだ時間じゃないですよ」

「聞け!吉之助!」


春蔵さんの目がキラキラとしていた。

まさに『今からこんな楽しい事が起こりますぜぃ』だ。


「吉之助、まずお前に言っておくことがある」

「はい」

「いいか、物語は序破急で作るんだ」

「序破急?」

「まあ序は始まり、要は掴みだな。それを破して急だ。解るな」


えっ!

もしかして春蔵さんは、序が掴みだから、

オラにおゆきちゃんの手を掴ませたのか!?

適当過ぎるよ。


「今度は破だ!」


破!不安しかない。


「いいか、版元によると、今日は滝沢馬琴先生の『里見八犬伝』の新刊が出る日だ」


今江戸で話題作と言ったら『里見八犬伝』なのは、オラにも解る。


「はい」

「吉之助はな、明日一番に版元に行き、一番に新刊を手に入れるんだ。

そしてな、その足で、おゆきちゃんの呉服屋へ走るんだ。

おゆきちゃんが『里見八犬伝』に夢中なのは、確認済みだ!

袋に入っているこの新刊はな、最初に読むお客さんだけが、この封をきることが出来るんだ。封をきる。まさに破!

江戸ではな初物は縁起が良いんだ。それを江戸で一番最初におゆきちゃんにしてもらうんだ。封をきる。江戸っ子のおゆきちゃんならぜってぃ喜ぶはずだ。

さあ行け!吉之助!汚名挽回するのだ!」


やっぱり序は汚名だったんだ(泣)

「行け!吉之助!序破急の完成を目指して!

あっそうだ必ず直接渡せよ、それが序破急魂だから」

「序破急魂?」

「序破急・・・物語を完成させてこそ、人はしあわせに近づくんだ!」




〇 〇 〇 〇 〇



オラは版元に走った。

すでに版元の番頭さんが、店前の掃除をしていた。

「おおお春蔵のところの、どうした?」

「里見八犬伝を下さい」

「おお一番乗りか、商いに目覚めたか?」

「そう言う訳では」

「商売っ気がないって、春蔵が心配してたぞ」



〇 〇 〇 〇 〇



オラは呉服屋に走った。

呉服屋では丁稚が店前の掃除を始めていた。

「あっお前、うちのお嬢さまの手を握った」

呉服屋の丁稚はあまりいい顔をしなかった。


どうしよう。


オラは

「おゆきさんにお届け物が」

「・・・」

「・・・」

「解った、渡し解くよ」

「直接じゃないとダメなんです。それが序破急魂なんです」

「序破急魂って何だよ?」

「春蔵さんが言ってた魂です」

「あぁ春蔵さんか・・・まあそうか、いいよ。俺が渡し解くから」


うううううう。


「里見八犬伝の新刊なんです!」

とオラは滝沢馬琴先生の威光を借りた。


呉服屋の丁稚の目が少し変わった。

「解ったよ」


〇 〇 〇 〇 〇


ちょっと待っていると、起きたばかりのおゆきちゃんが、出てきた。

「吉之助?」

「これ里見八犬伝の新刊です。江戸で初めておゆきちゃんに封をきって欲しくて」

「わたしに?」

「はい」

おゆきちゃんの笑顔が零れた。


〇 〇 〇 〇 〇



里見八犬伝の効果があったかは解らないけど、おゆきちゃんには喜んで貰えた。

物語の完成に向けて後は序破急の急か。


急って何だろう?

急転回かな?

急転回♪


朝の街道で、上機嫌になっていたオラはふと転回して見た。

振り返ると、そこには顔を赤らめたおゆきちゃんがいた。

「えっ?」

おゆきちゃんは優しく微笑むと、

「届けてくれたお礼、水羊羹、美味しいよ」

と水羊羹を手渡してくれた。


「じゃあね、また寺小屋でね」

おゆきちゃんは、そう言うと振り返り走って行った。


オラは、『ありがとう』も言えない程、熱せられていた。


嬉しい。


それは、とれもとても甘い水羊羹だった。

オラは、江戸に来て初めて幸せを感じた。



       

  

      完
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