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第9話:夏服の到来。できるだけ可愛いの。ビションフリーゼよりもふわふわの

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「世間」と「人間」は似ている。
「人間」の世の中は「世間」と呼ばれる。

 わたしは「世間」に「またあの娘?」と呼ばれる。
「あの娘」はあん。鴨川杏かもかわあん。高校1年生。身長155㎝。体重45㎏。長所なし。短所あり。死亡動機は? 「黄色い線の内側に呼ばれたから」。お悔やみ申し上げます。「けっこうです」。

 今日、午後2時10分ごろ、神奈川県のJR横須賀線新守白駅で、名守市高校1年生の女生徒(16)=同市常葉区=が、久里浜発仙台行き普通電車にはねられ死亡した。自殺と見られる。
 鎌倉署によると、女子生徒がホームの端に立ち、電車に飛び込む姿を利用客が目撃しており、電車のカメラにも写っていた。乗員乗客に怪我はなかった。

「最近は眠れてる?」今日2時ごろ永眠しました。
「学校のほうはどう?」保健室の匂いは好きです。
「お母さんと仲直りした?」お母さんと喧嘩した憶えはありません。
「憶えてないのは薬のせいだよ」薬の処方箋を書いているのは先生です。

「いい加減起きたら?」

 今日、午前8時10分ごろ、わたし──鴨川杏(16)=同市常葉区=はお母さんに起こされました。机の上には水の入ったコップ。朝陽の光に七色を照らし出しています。
 担当医によると、七色の光に転がるフルニトラゼパム1㎎2錠はUFO型の錠剤。悪夢の原因と見られる。わたしはベッドの端に座り、ぼー……とする姿をお母さんに目撃されており、窓際に並ぶテディベア──ヴィヴィとププの瞳にも映っていた。
 わたしに「おはよう」の挨拶はなかった。

「けっこう痛かったな……」

 バラバラになったわたしの記憶と身体は回収されました。回収先は頭の中。まだ狂る狂る回ってるみたいです。

 今日は土曜日。学校はお休み。お休み中に宇宙人あなたとお約束。約束の時間は午前11時。どこへ行くのかな? とても楽しみです。
 朝ご飯はベーコンエッグ。豚の燻製と生卵。豚は「ぶー」と鳴く。わたしのお腹は「ぐー」と鳴く。昨日ご飯食べられなかったから。どうしてだったっけ?
 冷蔵庫から出した卵は真っ白。朝日に照らしてヒヨコの孵化を試みる。黄身は黄色いヒヨコになるかも。

「休みは外に出ちゃ駄目よ」

 玄関からドアの閉まる音。鍵のかかる音もする。卵は真っ白。わたしも頭の中を真っ白にしてみる。はい、忘れました。

 卵は真っ白。中身の白身と黄身を想像する。割れたら最後、フライパンでジューだから。

 卵は真っ白。本当の中身を想像してみる。卵は見た目、真っ白。卵の中身は真っ暗け。光のない卵の中、真っ暗けに決まってる。真っ暗闇。「明」と「暗」は卵の本質。卵の中には夜の暗闇しかない。

 明暗を分けるように卵を割る。フライパンでジュー。ベーコンを乗せて蓋。カリカリベーコンよりも蒸し焼き柔らかベーコン派。冷凍ブロッコリーをチンしてフライパンの中に入れる。
 あと1分30秒。朝ご飯秒読み開始の90秒。わたしはTVをつける。

『昨夜、午後9時10分ごろ、神奈川県のJR横須賀線新守白駅で、名守市高校1年生の女生徒が──』

 ご飯と即席お味噌汁。ブロッコリーとベーコンエッグ。無調整豆乳。お薬1㎎を4錠。朝ご飯の完成。

「いただきます」

「白」と「茶色」と「緑」と「白」と「黄色」と「乳白色」と「白」をお口に混ぜて、胃の中を想像する。卵の中と一緒。真っ暗だった。
 服の色も考えなきゃ。下着の色も考えなきゃ。宇宙人あなた好みになりたい。好みの色合いになりたい。色気は足りない。埋め合わせに必要なものはなに? 子犬のような可愛らしさ?

 ペット可。ペット化。お利口さんにはできるはず。「おすわり」「お手」「待て」「よし」「ちんちん」昨日いっぱい練習したからできるはず。可愛がってもらえたら嬉しいな。

 夏の到来。
 出会いの季節。
 アブダクションの夜。

 揺れる電車に帰納法を使う。連日のコンタクトは今日のため。卵の中のヒヨコは言う。蓋然性の導出に留まるよう。
 留まれません。卵の中身を知るには割るしかない。毎朝みんなそうしてる。確率は結果になる。頭と身体を使います。単純に。「よし」と言ってもらえるように。

 夏服の到来。
 できるだけ可愛いの。
 ビションフリーゼよりもふわふわの。

 白ワンピ。赤いリボンの麦わら帽子。ひまわりのブローチ。サンダルも白にしよう。
 誘拐されそうなよそおい。手間暇要らずの脱衣仕様だついしよう。あ、歯磨き忘れてた。キスの準備も怠らない。
 くるくる回る床屋のあれ。そんな感じの歯磨き粉。洗面台のコップには「赤」と「黒」の歯ブラシ2本。赤いのはわたしの。黒いのは誰の?

 なぞなぞ「長い棒をいっぱい出し入れして、最後に白いのをピュッと出すのはなぁーんだ?」答え──歯磨き。

 窓を少し開けて、部屋に鍵を閉める。廊下側から。
 探しものは何ですか? 醜いものですか? そうらしいのです。毎日わたしを叱る理由を探すお母さんは探しもの名人。ビックリするほど見つけ出すのです。

 トイレのほこりとか庭の雑草とかお風呂のカビとか。服の着方とか姿勢とか階段を上がるときの足音とか。

 1年は365日。
 叱る理由も365個。
「ごめんなさい」も365回。

 だから一緒。なにしても叱られるなら、休日外に出ても叱られるし、門限を破っても叱られる。だから一緒。今日の出来事は内緒。秘密のお出掛け。

「行ってきます」

 快晴。
 いい天気。
 心地のいい風。
 麦わら帽子はゆらゆらり。

 迷路みたいな新興住宅地。新興宗教よりマシかも。人生の迷路に迷って神頼み。それだけならいいけど、勧誘はご遠慮願います。
 十字路。「止まれ」の文字に止まる。カーブミラーに映るあの子は鴨川杏。鴨川さん家の娘さん。あらあら、どこへお出掛けかしら? あんな格好して。学校お休みなのにめずらしいわね。今日は通院の日?

 左右を確認。
 後ろ指も確認済み。

「さようなら」世間「こんにちわ」新守白駅。今日のご機嫌は如何でしょうか?

『黄色い線の内側まで──』

 黄色い点字ブロックは吊り橋。吊り橋に沿ってわたしは歩く。足を踏み外したら溶岩に落ちる設定。バランスは大事。両手を広げる。今日は自由。鳥になった気分だよ?

 どこまで飛んでいけるだろう?



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