鬼人の恋

渡邉 幻月

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人ノ部 其之壱 神々の黄昏を先導する神の子

六. ワタツミの里からの決別

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 遥か遠くフシノヤマが聳えている。氏神になった兄弟神以外は皆、フシノヤマに居を構えている。いわば神域だ。ヒルコにとっての故郷であるが、無力だと思い知らされるだけの存在であったので今になるまでまっすぐ見ることも無かった。
けれど、今は。あんな扱いをするなんて。氏神のいない里の人々の声は、きっと届いていないのだろう。それも腹立たしいことこの上ない。けれど、川に流されもしかしたら海に放り出されたかもしれない未来は、あの死の谷に放り込まれたかもしれない未来に比べるとなんとマシなことだったか。そう思えば複雑な気持ちにもなる。
「話せば分かり合えるのだろうか。」
溜息と共に視線を落とし、ヒルコは呟いた。分かり合いたいのだろうか。そう考えてヒルコは緩く頭を振った。片目片腕を潰され捨てられた憎しみも、蔑まれた恨みも、消えて無くなった訳ではない。許せるはずもないのに分かり合えるはずもない。
「ただ、あの風習だけは…」
そうだ。あんな物みたいに捨てられるなんて納得できない。里を出る勇気がないだけで、ヲノだって他の里人だって納得していないはずだ。里の中が無理でも、ほど近い場所に埋めるとかできないのだろうか。折を見て、弔えるようなそんな場所が欲しいと思う。

 再びフシノヤマに視線を向ける。ヒルコは暫くの間棒立ちのまま考え込んだ。どうしたいのか。何が最善なのか。きっと翁と媼の死には間に合わないだろうけれど、こんな遣り切れない気持ちに皆がならなくて良くなるなら… 戦う意味もあるのかもしれない。ヒルコはワタツミの里に戻るべく歩き出した。

 翁と媼の家に戻ると、ヲノとかち合った。
「ああ、良かった。姿が見えなかったから…」
青褪めた顔のヲノが安堵の溜息を漏らした。そう言えば、ソウズカへ行く時は走っていったが、帰りは普通に歩いて戻って来たんだった、とヒルコは思い出す。出発はヲノの後からだったからどこに行くとかも伝えていなかった。ついでに里の者とも特に仲良くないので伝言も頼んでいない。
「ごめん、少し里の外に出ていた。」
「いや、良いんだ。今まであまり外に出ないって聞いていたから。」
少しずつ顔色が戻ってくるヲノを見て随分心配をかけてしまったなとヒルコは反省した。
「そうだ、ヲノ、相談があるんだけど。」
ヒルコは歩きながら考えていたことを、まずヲノに話そうと考えた。翁と媼を喪った悲しみは、本当の親子のヲノの方が深いだろう。それに、行商をしているヲノなら、あの氏神のいない里のことも、知っている筈だ。

「ヲノ、僕はね、翁と媼が居なくなってから、ずっと考えていることがあるんだ。」
真剣な目でヲノを見つめるヒルコ。その様子にヲノは、分かった、と一言答えると家に入るように促す。面と向かって座ってヲノはヒルコに話をするよう頷いた。
 翁と媼との別れがあまりにも突然で、寂しくて悲しかったこと。どうしても納得できなくて二人の後を追い、ソウズカの先の森まで行ったこと。翁と媼には会えずに、見知らぬ老人と会って話をし知らなかったことを教えてもらったこと、それらを全てヲノに話した。そうして、
「あんな最後は嫌だって思った。いつか、ヲノもそうなるなんて、僕は嫌だ。別に仲良くも無いけど、この里の他の連中だって、ちょっとは嫌だなって思っている。僕はね、ヲノ。里の中が無理だ、って言うなら少し離れた場所に、埋めて何か、ここに居たんだよ、って印になるものを置いて、そうして、僕ら生きてる側が納得できるまで別れの言葉が言えるような、そんな、何かがあったらいいなって思ったんだ。」
そうヲノに訴える。
「そ、れは…」
「ヲノは、反対か? 一度、ワタツミのことは考えないで、ヲノの気持ちだけ知りたい。神に逆らうとかそんなことじゃなくて、単純に、あんな別れ方でいいのかって、死んだ後の扱いがあんなで良いのかってことだけ考えてみてくれよ。」
視線を泳がせるヲノにヒルコは食いつき忖度なんか何の意味も無い、と詰め寄る。
「ワタツミ様のことを考えないなら… そりゃあヒルコの言うような方が良い。それだったら、別れの言葉を、かけられたのになあ。」
悲しげに笑いながらヲノは答えた。
「けど、だからってどうにもできないんじゃないか?」
ヲノはそう力なく呟いた。今さら何をしたって二人は戻ってこないのに、とヲノの目が言っている。

「分かった。」
ヒルコはそう言って家を出る。ヲノの呼び止める声は聞こえないふりをして。

 そのままヒルコは里中でソウズカのこと死の谷のことを喧伝する。賛同者を募り、仕組みを変えようと動いた。けれど、里の氏神であるワタツミとすぐに言い合いになり賛同者が十分に集まる前に里から追い出されることになった。
 荒々しい海の神を相手にするには、まだ力が足りなかったのかもしれない。それとも伝え方が悪かっただろうか。そんなことを考えながらヒルコは、どうにかしようとさ迷い、頭を悩ませるのだった。
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