鬼人の恋

渡邉 幻月

文字の大きさ
上 下
42 / 72
人ノ部 其之壱 神々の黄昏を先導する神の子

五. 世界の片隅での出来事

しおりを挟む
「早く帰った方が良い。」
ヒルコの肩にそっと触れて、老人は言った。まだまだ寿命が残っている者が長居しても何一つ良い事はないよ、と言う老人の声には諦念の色がある。
「こんなことが、赦されるのですか。」
「赦すも何も… 神様方の定められたことじゃ。」
何ということだろう、ヒルコは絶望した。兄弟神たちは自分を捨てるだけでは気が済まなかったのだろうか。それとも、始めから臭い物に蓋をするように見えない場所へ押し込めればいいと考えているのだろうか。
こんなに簡単に、まるで最後は物のように切り捨てるとは。
「神サマが決めたことなら絶対?」
「そうじゃな。まあ、人生の最後だけじゃ… はずれの、いや、それより、ほれ、ケガレがその身に付いてしまう前に、里に帰った方がいいぞい。」
「はずれの…?」
ヒルコが怪訝な顔で老人に問うと、知らんでいい、ほれ、とソウズカのある方へ押される。早く帰れ、と困った顔をしながら。
「今さらじゃないですか、教えてください。そしたら帰ります。歩きながらで良いですよ、さっきすぐ帰る約束しましたし。」
ヒルコの言葉に、はずれのその場所には寄り道せずに帰るという約束を新たにしてから、老人は話し始めた。

「ソウズカを西の方に行くとな、氏神様のいない里があるんじゃ。そこでは山で狩った動物を捌いて肉と革製品をつくっておるんじゃ。動物を殺すのも穢れたことだから氏神様のいる里ではしないんじゃ。亜人たちも動物は狩るが、捌いたり革製品を作るのはその里の者に任せているんじゃよ。行商人が定期的に来て物々交換しとるぞい。」
そうか、とヒルコは唐突に納得する。人の死がケガレなら動物の死だってケガレだ。考えてみれば里での食べ物はほとんど農作物だった。海の物も貝類が多かったのは血が流れないからだろう、と思い至る。
「どうしてその里には氏神が居ないんですか?」
ヒルコの問いに複雑そうな顔をする老人。いいから、と促すと、
「まあ、お前さんみたいな考え方をする連中がかってに寄せ集まったからじゃろな。身内を亡くして悲しいのは分かるがのう。神様方がお認めになっていない里というか集落じゃぞい。氏神様がいないから、大地の恵みが少ないし加護も無いから生きていくのも大変そうじゃ。」
老人は溜息を吐いた。
「悪いことは言わんから、ちゃんと里に帰るんじゃ。わしは、本当はあの里のもんたちにも、それぞれの里に帰って欲しいと思っているんじゃ。…どうしようもないことではあるんじゃがな。」
そう言って老人はヒルコの頭を撫でる。子ども扱いされているが、悪い気はしない。心配してくれているんだろう。その善意だけは受け取ってもいいとヒルコは考えた。
 そしてヒルコはその氏神のいない里の者たちの気持ちが分かる、と思っている。あんな別れは嫌だし、最後の最期があんな扱いなのも納得できない。きっと氏神が居なくても生きていけるのだ、と示したいのだろう。

 老人と話をしている間に、森は終わりを告げソウズカの河原が見えた。
「じゃあの、わしは森から出る訳にはいかんからここまでじゃ。気を付けて帰るんじゃぞい。」
老人は手を振ってヒルコを見送る。約束は約束であるし、心配させるのも何か違うと思ったヒルコは大人しくソウズカを渡り、里の方角へ歩き出す。時々振り返って、老人に手を振り返す。互いに姿が見えなくなった頃、ヒルコは立ち止まって天を仰いだ。

 この世界はどこか歪だと思う。じゃあ何が歪なのかと問われれば、はっきりと答えられないことがもどかしい。けれど、ケガレたから、ケガレるから、と言う理由だけで世界の端に追いやって済むことなんだろうか。
 みんなは知っているんだろうか。とヒルコは疑問に思う。翁と媼、ヲノの様子を思い出してみるが、知っているのかは分からない。もしかしたら、翁と媼は余命を宣告された時にワタツミから説明されたのかもしれないが。ソウズカの先にあることを。
「けど、でも…」
ここからは遥か北にあるフシノヤマに視線を向ける。人を捨てるみたいな、こんなやり方は納得できない。ヒルコは奥歯を噛み締めた。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

MONSTER

N.ikoru
恋愛
公爵家の血筋として生まれたにも関わらず、奇妙な出生のせいで嫡女とは認められず、養女として育てられたレベッカ。 ある日、父親であるイグニートは公爵である祖父を弑逆《しぎゃく》し、公爵となる。 自身の愛する者のためならば、イグニートは罪も罪でないと、その数年後には国の王ですら、その手にかけ反逆者となる。一人、国に残されたレベッカは、身の置き場の無い罪人の子となった。 そんな時、黒騎士団の団長を務めるセルジオが何かと手を差し伸べてくれて自然と心を通わせるようになるが、二人の歩む道は波乱に満ちていた。

どうやら夫に疎まれているようなので、私はいなくなることにします

文野多咲
恋愛
秘めやかな空気が、寝台を囲う帳の内側に立ち込めていた。 夫であるゲルハルトがエレーヌを見下ろしている。 エレーヌの髪は乱れ、目はうるみ、体の奥は甘い熱で満ちている。エレーヌもまた、想いを込めて夫を見つめた。 「ゲルハルトさま、愛しています」 ゲルハルトはエレーヌをさも大切そうに撫でる。その手つきとは裏腹に、ぞっとするようなことを囁いてきた。 「エレーヌ、俺はあなたが憎い」 エレーヌは凍り付いた。

かの世界この世界

武者走走九郎or大橋むつお
ファンタジー
人生のミス、ちょっとしたミスや、とんでもないミス、でも、人類全体、あるいは、地球的規模で見ると、どうでもいい些細な事。それを修正しようとすると異世界にぶっ飛んで、宇宙的規模で世界をひっくり返すことになるかもしれない。

家ごと異世界ライフ

ねむたん
ファンタジー
突然、自宅ごと異世界の森へと転移してしまった高校生・紬。電気や水道が使える不思議な家を拠点に、自給自足の生活を始める彼女は、個性豊かな住人たちや妖精たちと出会い、少しずつ村を発展させていく。温泉の発見や宿屋の建築、そして寡黙なドワーフとのほのかな絆――未知の世界で織りなす、笑いと癒しのスローライフファンタジー!

目が覚めたら異世界でした!~病弱だけど、心優しい人達に出会えました。なので現代の知識で恩返ししながら元気に頑張って生きていきます!〜

楠ノ木雫
恋愛
 病院に入院中だった私、奥村菖は知らず知らずに異世界へ続く穴に落っこちていたらしく、目が覚めたら知らない屋敷のベッドにいた。倒れていた菖を保護してくれたのはこの国の公爵家。彼女達からは、地球には帰れないと言われてしまった。  病気を患っている私はこのままでは死んでしまうのではないだろうかと悟ってしまったその時、いきなり目の前に〝妖精〟が現れた。その妖精達が持っていたものは幻の薬草と呼ばれるもので、自分の病気が治る事が発覚。治療を始めてどんどん元気になった。  元気になり、この国の公爵家にも歓迎されて。だから、恩返しの為に現代の知識をフル活用して頑張って元気に生きたいと思います!  でも、あれ? この世界には私の知る食材はないはずなのに、どうして食事にこの四角くて白い〝コレ〟が出てきたの……!?  ※他の投稿サイトにも掲載しています。

箱庭から始まる俺の地獄(ヘル) ~今日から地獄生物の飼育員ってマジっすか!?~

白那 又太
ファンタジー
とあるアパートの一室に住む安楽 喜一郎は仕事に忙殺されるあまり、癒しを求めてペットを購入した。ところがそのペットの様子がどうもおかしい。 日々成長していくペットに少し違和感を感じながらも(比較的)平和な毎日を過ごしていた喜一郎。 ところがある日その平和は地獄からの使者、魔王デボラ様によって粉々に打ち砕かれるのであった。 目指すは地獄の楽園ってなんじゃそりゃ! 大したスキルも無い! チートも無い! あるのは理不尽と不条理だけ! 箱庭から始まる俺の地獄(ヘル)どうぞお楽しみください。 【本作は小説家になろう様、カクヨム様でも同時更新中です】

転生令嬢は現状を語る。

みなせ
ファンタジー
目が覚めたら悪役令嬢でした。 よくある話だけど、 私の話を聞いてほしい。

【完結】目覚めたら男爵家令息の騎士に食べられていた件

三谷朱花
恋愛
レイーアが目覚めたら横にクーン男爵家の令息でもある騎士のマットが寝ていた。曰く、クーン男爵家では「初めて契った相手と結婚しなくてはいけない」らしい。 ※アルファポリスのみの公開です。

処理中です...