鬼人の恋

渡邉 幻月

文字の大きさ
上 下
8 / 68
鬼ノ部 其之壱 運命を覆すため我は禁忌の扉を開く

七. 慟哭

しおりを挟む
最初に異変に気付いたのはハヅキだった。里の外が騒がしい、と近くの大人に伝え、胸騒ぎに襲われ様子を見に飛び出した。ヒノキの里の鬼どもがハヅキに続く。

雑木林からは怒号が聞こえる。里の者の声ではない。なんて殺気に満ちた声なんだろう、とハヅキは不安になる。どうしてこんなにも胸が潰れそうなのか。すぐに里の大人たちも追い付いて、連れ立って雑木林に足を踏み込んだ。

そこには。
息も絶え絶えの傷だらけのホヅミと、中には血の付いた獲物を持つ人どもがいた。
「ホヅミ…?」
「ハヅキ、あのね、」
ハヅキの姿を視認してホヅミが花のような笑顔を見せた、その刹那。
ホヅミに追いついたイナホの里の一人が手に持っていた斧を振り下ろした・

「ホヅミーーー!!!」
ハヅキは喉が裂けるのではないかと思われるほどの声量で叫んだ。
切り落とされた反動で跳ね飛んだホヅミの首の下へ駆け寄り、拾い上げて抱きしめる。ハヅキの慟哭が響く中、イナホの里とヒノキの里の者どもが衝突した。

金属のぶつかり合う音、互いの怒号で周囲が殺伐とした雰囲気になっても、ハヅキはホヅミの首を抱きしめたまま嘆く。ただ、ただホヅミの名を呼び、もう二度と開くことの無い瞼に絶望し、己が体が血に染まるのも構わずホヅミに最初で最後だとそっと口づけた。

「クソ、帰るぞ!」
苛立っているのが分かる怒鳴り声がすると、イナホの里の人どもは踵を返して逃げ去った。元々鬼どもの方が体力も筋力もある。同じ人数で正面からやり合えば鬼どもの方が有利である。その上、当初の目的は果たした彼らには、これ以上ここに止まる理由は無かった。

「…ハヅキ。」
ハヅキを追ってきた大人たちの中には、ハヅキの父親もいた。泣きじゃくる息子に、そっと声をかける。いつまでもここに居る訳にもいかない。何があったかも分からないが、亡骸をいつまでも打ち捨てておくのも忍びない。
「ハヅキ、せめて里で葬ってやろう。」
あれほど仲の良かったホヅミの死を目の当たりにした息子に、それ以上の言葉が見当たらない。
「…、ゔぅ、どゔ、ざ、ん゙… は、ホヅミはっ、お゙れっ、が 連れてく、か、ら。」
嗚咽に遮られながらもハヅキは父親に伝える。
「…分かった。」
そう答えて、ホヅミの遺体を抱き上げていた者に、声をかけた。皆、ハヅキとホヅミがいつも一緒にいることを、お互いにお互いしかいないのではと言うほど仲が良かったことを知っている。そっとハヅキの傍にホヅミの体を横たえた。
「ホヅミ、ホヅミ…」
何度も何度もホヅミの名前を呼びながら、ハヅキはホヅミの体と首を抱え上げた。鬼の子のハヅキには、ホヅミの体を抱き上げて歩くくらい造作もないことであったが、足取りが覚束無い。今も悲しみと絶望と、受け入れがたい現実に混乱したハヅキの目は虚ろだった。

大人どもに囲まれて、血塗れのハヅキが里に戻ると氏神が迎えてくれた。
「ヒノキ様。実は…」
一人が、先ほど雑木林であったことを報告する。氏神ヒノキと共にいた鬼どもはその内容に、悲嘆や同情の声を上げた。ハヅキの視線は、今も虚ろなまま。
「…そうか。実はなイナホの里を中心に、人どもは氏神を殺すのだと息巻いているということだ。実際にイナホは人どもの凶刃に倒れた。」
ヒノキが躊躇いながら、イナホの里で起こったことを告げる。どよめきが広がる。本当に氏神を手にかけるなどと血迷ったか、と誰かが言った。それこそ、ここ最近の諍いの原因になっていた思想だった。悪い冗談だと取り合わない亜人どもも多かったが、実際に事が起こってしまえばそうも言っていられない。
 大人どもの動揺が少し落ち着くとヒノキは続けて言った。
「その子は、人どものその動きを伝えようとしてくれたのだろう。そうして、裏切り者として、追われたのではないか。」
その言葉に、ハヅキの肩がぴくりと反応する。

「そんな理由で…? 間違ってんのはイナホの里の人どもなのに? それなのに、ホヅミが?」
ぶつぶつとハヅキが呪詛を吐くように呟く。隣に立つ彼の父親にも聞き取れないほど小さな呟きは、声量に反して深く重い憎悪に染まっていた。
しおりを挟む

処理中です...