水底の歌

渡邉 幻月

文字の大きさ
上 下
8 / 33

哄笑

しおりを挟む
「浦野さん、あの、これは…」
ようやく奥津が口を開いた。 何がそんなに可笑しいのか、まだ座敷牢の中の『何か』は、笑い続けている。
「何代前かも分からない、浦野本家の先祖です。祖父も、その祖父も、その先代も、それより前からずっと世話をしているそうです。ずっと、あれは生きているんだそうです。」
浦野の言葉に、そんな馬鹿な、と言いかけて奥津は言葉を呑み込んだ。
そもそもあれは何なのだ。人なのか? 骨格は人のようだ。人の言葉も、まあ、理解しているようだ。会話になるかは別にして、だが。
「先生、残念ですが、あれに言葉は通じない。狂ってるんだそうですわ。」
そう言う浦野は拳に相当な力を込めて握りしめている。
「何があったか、聞き出せそうも無いんでしょうかね… 少し、診ても良いですか?」
異様な光景に姿に面食らいつつも、奥津は目的を果たそうとする。
「…無駄だとは思いますが、少しでも咲が治るきっかけになると言うのなら、どうぞ。ただ、危ないので座敷牢の鍵は開けませんが、よろしいですかね。」
「ええ、そうですね。それでも大丈夫でしょう。失礼します。」
意を決し、奥津は得たいの知れぬ、それ、に近付く。
不老不死など、本当にあるのだろうか。咲さんの前に発病した誰かに間違いは無くとも、そんな昔のことでは無いのではないのか。
せいぜい、咲さんの三代前とか。ここまで変容していれば、個人の区別もつきそうにない。何度か入れ代わっていても、そのうちに同一視されてもおかしくないのではないか。
様々の事を思い巡らせながら、奥津は『それ』に最も近い場所で膝をついた。浦野の話では言葉は通じないそうだが、話せるのだから理解はできるはず… 不安だらけではあったが、できるだけ冷静に丁寧に話しかけることを心がけようと心を決め、奥津は語りかけた。
「こんばんは。僕は奥津と言います。医者をしてお…」
「ああ、おマえさま、いきておイでだったノね?」
奥津に気付いたそれ、は、ぎこちない動きですり寄ってくる。
「あア、モっとよく、かオをみせて、」
奥津の顔に触れようと、その骨と皮と少しの鱗に覆われた手を伸ばしてきた。 さすがの彼も得体の知れない恐怖に思わず仰け反る。
「おまエさま、ドうして、」
しゃがれた声では、悲しんでいるのか、傷付いているのか、はたまた怒ったのかも分からぬ。
「僕は、あなたとは初対面です。暗いので、見間違えたのでしょう。」
居住まいを正し、奥津は答えた。
「おまえは、ダれだ。」
「医者です。彼女を治すための、医者です。」
奥津はそう静かに説明した。話が通じているかは、疑わしいが。
「あなたは─…」
奥津が続けようとした言葉を遮り、咲を見たそれ、がまた高笑いを始めた。話にならない。浦野が言った通り、気がれているのだろう。
奥津は軽く溜め息を一つ。そして、そっと咲の様子を窺う。恐怖と絶望に染まった目が、気の狂れた先祖に釘付けになっている。
これは、切り上げた方が良いな。
奥津は判断した。咲が思い詰めたあげく、自らも気の狂れることを恐れて、命を絶ちかねない。明日以降、また浦野に都合をつけてもらおう。今度は咲を置いて。奥津は立ち上がると浦野に向かって、
「今日は、もう…」
「肉を喰らえば、良い。」
もう切り上げましょう、と言う奥津の言葉を遮り、妙にドスの効いた声がした。
奥津も浦野も咲も驚き、声のした方、それは座敷牢の中だったのだが、思わず視線を投げる。それ、が、あくどい笑みを顔に浮かべていた。
「肉を喰えば、元に戻るぞ。」
先ほどまでの、しゃがれた声はどこへやら。狂った様子も今は無く、それは言った。
「…何の、肉ですか?」
奥津が尋ねた。それ、は、奥津を指差して言う。
「お前の生肝よ。」
それは酷く邪悪な顔をしていた。
「その娘は、お前に惚れているだろう。惚れた男の生肝を喰えば、元の人間に戻れるぞ。」
残酷な宣告。咲の呼吸が乱れていく。
ひどい。先生にだけは知られたくなかった。こんなバケモノ染みた姿の女に好かれているだなんて、先生はどう思っただろう。元の姿に戻るまでは黙っていようと思っていたのに。ひどい。
ふらつき始めた娘に気付いた浦野が、支える。
今気遣っても、余計に咲を傷付けかねないと判断した奥津はそのまま、座敷牢の中に視線を向けたまま続ける。
「…惚れた男の生肝、ですか。何故、それで治るのか、教えていただけますか。」
鋭く射るような目で、奥津はそれを捉えていた。
確かに、生肝が万病に効くという迷信はある。だが、所詮は迷信だ。そんなもので病は治らないし、おそらく呪いが解けることもないだろう。まるで咲を追い詰めて楽しんでいるようだ。奥津の拳に力が籠る。
「過去世の因縁、と言うやつだ。」
にやにやと邪悪な笑みを浮かべたまま、それは言う。
「知りたいのなら、教えてやろう。因果の元を。」
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

校長室のソファの染みを知っていますか?

フルーツパフェ
大衆娯楽
校長室ならば必ず置かれている黒いソファ。 しかしそれが何のために置かれているのか、考えたことはあるだろうか。 座面にこびりついた幾つもの染みが、その真実を物語る

ターゲットは旦那様

ガイア
ライト文芸
プロの殺し屋の千草は、ターゲットの男を殺しに岐阜に向かった。 岐阜に住んでいる母親には、ちゃんとした会社で働いていると嘘をついていたが、その母親が最近病院で仲良くなった人の息子とお見合いをしてほしいという。 そのお見合い相手がまさかのターゲット。千草はターゲットの懐に入り込むためにお見合いを承諾するが、ターゲットの男はどうやらかなりの変わり者っぽくて……? 「母ちゃんを安心させるために結婚するフリしくれ」 なんでターゲットと同棲しないといけないのよ……。

あの日、さようならと言って微笑んだ彼女を僕は一生忘れることはないだろう

まるまる⭐️
恋愛
僕に向かって微笑みながら「さようなら」と告げた彼女は、そのままゆっくりと自身の体重を後ろへと移動し、バルコニーから落ちていった‥ ***** 僕と彼女は幼い頃からの婚約者だった。 僕は彼女がずっと、僕を支えるために努力してくれていたのを知っていたのに‥

婚約者の浮気を目撃した後、私は死にました。けれど戻ってこれたので、人生やり直します

Kouei
恋愛
夜の寝所で裸で抱き合う男女。 女性は従姉、男性は私の婚約者だった。 私は泣きながらその場を走り去った。 涙で歪んだ視界は、足元の階段に気づけなかった。 階段から転がり落ち、頭を強打した私は死んだ……はずだった。 けれど目が覚めた私は、過去に戻っていた! ※この作品は、他サイトにも投稿しています。

余命宣告を受けたので私を顧みない家族と婚約者に執着するのをやめることにしました

結城芙由奈 
恋愛
【余命半年―未練を残さず生きようと決めた。】 私には血の繋がらない父と母に妹、そして婚約者がいる。しかしあの人達は私の存在を無視し、空気の様に扱う。唯一の希望であるはずの婚約者も愛らしい妹と恋愛関係にあった。皆に気に入られる為に努力し続けたが、誰も私を気に掛けてはくれない。そんな時、突然下された余命宣告。全てを諦めた私は穏やかな死を迎える為に、家族と婚約者に執着するのをやめる事にした―。 2021年9月26日:小説部門、HOTランキング部門1位になりました。ありがとうございます *「カクヨム」「小説家になろう」にも投稿しています ※2023年8月 書籍化

今更気付いてももう遅い。

ユウキ
恋愛
ある晴れた日、卒業の季節に集まる面々は、一様に暗く。 今更真相に気付いても、後悔してももう遅い。何もかも、取り戻せないのです。

最愛の側妃だけを愛する旦那様、あなたの愛は要りません

abang
恋愛
私の旦那様は七人の側妃を持つ、巷でも噂の好色王。 後宮はいつでも女の戦いが絶えない。 安心して眠ることもできない後宮に、他の妃の所にばかり通う皇帝である夫。 「どうして、この人を愛していたのかしら?」 ずっと静観していた皇后の心は冷めてしまいう。 それなのに皇帝は急に皇后に興味を向けて……!? 「あの人に興味はありません。勝手になさい!」

寝室から喘ぎ声が聞こえてきて震える私・・・ベッドの上で激しく絡む浮気女に復讐したい

白崎アイド
大衆娯楽
カチャッ。 私は静かに玄関のドアを開けて、足音を立てずに夫が寝ている寝室に向かって入っていく。 「あの人、私が

処理中です...