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思い上がりを後悔しても

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 一日、二日。起きて、食事をして、本を読んで、夜になったら、スピネルが買ってくれた本を抱きしめて眠る。単調な繰り返し。
 三日、四日。昨日一昨日と同じ繰り返し。特に何も無い。寂しい、ツマラナイ。そんな感情が芽生えてくる。その感情の中で、ふと、ジャーダは思いついた。両親と叔父に手紙を書こう。本当だったらもう叔父の下に到着して落ち着いている頃合いだし、きっと心配している。もうすぐピオッジャ領に入るし、いいタイミングかもしれない。スピネルが置いていったお金があるから手紙くらい出せるだろう。そう考えて、ジャーダは便箋と封筒を買いに出かけた。

 五日目。昨日したためた、手紙を持ってジャーダはギルドに向かう。
「あらお使い? 偉いわね。」
なんて受付の人に言われてちょっとむくれる。もう子供じゃねぇ、と心の中で毒づく。無事に手紙を出し終えて、ギルドを出たところでジャーダはひらめく。部屋に戻ってもつまらない、と。本を読むのは楽しい、が。ふと、我に返ると、薄暗い部屋に自分だけがぽつんと居るのだ。独りなのが身に沁みて、ジャーダにはそれが子供心に嫌で、嫌で仕方が無かった。

 宿を出たついでだ、少し散歩でもしよう。ふらり、宿とは反対の方に歩き出した。まだ行ってみたことが無い方向に、ちょっとした冒険だとジャーダの心が躍る。部屋に独り閉じこもる、なんて事よりは遥かに、健康的だし気分転換にも良いだろうと気楽に考えていた。それが通常ならそうだったろう。
 だが、ジャーダは失念していたのだ。今はまだ戦乱の収まる気配が無い事を。家に居た頃は両親に、家を離れてからはそのほとんどをスピネルに、あまりにも大事に守られてきたから。そうしてもう一つ、そのスピネルが彼自身の望むとおり、その剣技において名を高めつつあった事を。さらにジャーダ自身、どれほど質素な身なりをしていても目立つ容姿である事も。
『ここは激戦区じゃねえみてぇだし…』
そう、油断以外の何物でもない判断で、ジャーダは町外れまで歩を進めていた。だが荒れ果てた様子に、気分が萎える。やっぱり街中を散策しよう、と思い直した時に、ジャーダは後悔した。

 物音の後に、目の前に現われたのは、柄が悪くどう好意的に見てもゴロツキ以外表現の仕様が無い連中だった。
「傭兵スピネルが護衛してるガキだな?」
不躾になんだとも思うが、こんなやつらに品性を問う事自体間違っていたとジャーダは思い直す。ゴロツキは見る限り二人。抵抗しようか、どうし
ようか。ジャーダは相手の様子を探った。
 これでも領主の息子としての教育はきっちり受けてきた。当然護身術の一つや二つ…
「売り飛ばすのと、身代金ふんだくるのと、どっちが儲かるか…」
「翠の目、ってのがポイント高いよな。顔立ちも良いしな。」
ゴロツキ共は、品定めをするようにジャーダを見る。ジャーダの翠の瞳は随分と珍しい色で、母方の一族に共通している色でもある。
 舐めるような視線に吐き気を覚えた頃、ジャーダは付き合うのも面倒だ、と、この場から逃げ出す事に決めた。幸い、相手は油断しているのかジャーダをどうするか話し合っている。
 そろり、足音をたてないよう注意深く後退る。一歩、二歩。そろり、そろり、と。だが。逃亡は敢え無く失敗に終わる。

「てめぇ、どこに行くつもりだっ!」
ゴロツキの一人がジャーダの行動に気付き、理不尽な台詞を吐く。どこにも何も。ジャーダはこれ以上面倒はゴメンだと一気に駆け出した。

「待ちやがれっ!」
柄の悪い顔を更に血相まで変えて追ってくる。決して運動神経が悪いわけではない、いやむしろ同年代よりは良いジャーダではあったが、何分にも大人と子供の体格差までは埋められなかった。見る間に距離が詰められる。人気のある場所まで、とジャーダは思っていたが諦める。ち、と舌打ち一つこぼし踵を返した。
「なんだ? やる気か?」
にたり、と、追い付いたゴロツキ達は笑う。なんて嫌らしい顔だ、とジャーダは顔をしかめる。取り敢えず、適度に叩きのめせば諦めるだろう、とは子供の考えであったとジャーダが思い知ったのはこの数分後である。

 確かに善戦はしたのだ。きちんとした戦闘訓練を受けたような護衛や兵士などには、まだ敵うべくも無いジャーダではあるが、こんな喧嘩に毛の生えたような連中に引けは取らない。子供の腕力しか無いが故に、相手を完膚なきまでに打ちのめすほどの決定打を出せないくらいだ。
 だが、それこそが致命的であった。決定打が無い、つまりはルールのある試合でない限り決着がつけられない。ジャーダにとって不利な状況だ。一対一であれば隙を突いて逃げられもしただろうが、一対二では今のジャーダにはジリ貧の状態でしかなかった。
 そうしているうちに、痺れを切らしたのはゴロツキの片割れだった。
「あああ! 畜生、クソガキがナメやがってぇ!」
ヒステリックに叫んだかと思うと、背に背負っていた杖を構える。そこで初めてジャーダはこのゴロツキが魔法使い系であったことを知る。
 ゴロツキなんぞをしているくらいだ。元来、気の長い方ではなかったのだろう。思うように事が運ばない事に苛立ったのか、あるいは子供一人に翻弄されるのに我慢ならなかったのか。
「おい、待て、そんなモン使ったらこのガキ、売りモンにさえなんねぇぜ。」
もう一人はまだ冷静さを欠いては居なかったようで、相方を止めようと声をかける。
「は、もうこんなガキ、殺っちまおうぜ。めんどくせぇ。」
ギラギラと、イカレた殺気塗れの目がジャーダに向けられる。手にした武器も同時に向けられた。化石燃料を使用する火炎放射器だと、ジャーダは気付く。気付いたところで、自衛する手段がある訳ではない。
 本能的に、これはヤバイ、とジャーダは後退、そのまま駆け出す。だが、相棒の制止も無意味に、無情にも炎が燃え上がる。
『くそが!』
型は旧式のようだが、こちらは丸腰である。最新式でないと言ったところで、逃げ切れるかも不確かだ。実際、コートに炎が移る。ジャーダは素早くそれを脱ぎ捨てる。だが、ゴロツキは狂ったように炎を放射し続ける。

「っは、はぁ、はっ、」
肺が引きつり始める。早く、逃げなくては。誰か、人が居る所まで。必死に走るが、炎の勢いは衰える事は無い。だが、幸か不幸か。異常に燃え上がる炎に気付いた住人が居た。様子を窺いに町の護衛達がやってきたのだ。
 彼らの姿が視界に入った時、ジャーダの中にほっと安堵の心が芽生えた。
が。それにより、気が緩んで逃げ足が止まりかけ、猛威を振るっていた炎に捉まってしまった。
「うわああぁああああ!」
ごう、と、服が燃え上がる。子供が燃え上がる様に気付いた護衛達が何か叫びながら消火のために駆け寄る。そこまでは炎に包まれるジャーダの目に映った。

 次に、ジャーダが気が付いた時には、ベッドの上だった。瞼を開ける時、痛みを感じた。そう言えば、オレ燃やされたんだっけ? と、おぼろげながら思い出す。起き上がろうと身をよじると、今まで経験した事の無い激痛とも鈍痛とも言えるモノに襲われた。悲鳴すら声に成らず、悶える。

「ああ、気が付いたんだね、良かった。あ、安静にしていなきゃいけないよ、何せ君は全身火傷を負ってしまったんだから。」
聞きなれない声に、痛みに耐えつつジャーダは視線を送る。そこには白衣を着た初老の男性が居た。ああ、医者か。ジャーダは思った。何より痛みで朦朧とする頭ではそれが限界だった。警戒心だとか、そんなものは形を潜めている。
「災難だったねぇ… 坊やはどうしてあんな場所に… ああ、今は喋られる状態じゃなかったね。」
哀れんでいるのか、愚かな子供だと蔑んで居るのか。医者の口調がジャーダには鼻についた。ああ面倒だな。ぼんやりと、視線を泳がせる。

スピネルはどう思うだろう。きっとこの火傷の跡は残ってしまうに違いない。スピネルは、今どうしているだろう。スピネルは…
ジャーダはそのまま意識を手放した。

 さらに一日、二日。医者がお人好しなのか宿屋の主人が人が良いのか。あるいはスピネルの懐を期待しての事なのか。ジャーダに真意のほどは分からなかったが、手当ても面倒も見てもらった。
 三日、四日。ぽつり、ぽつり、と、無理の無い程度にあの時の状況の説明を、痛みに耐えながら医者の手のひらに書く。どうやら最初に目覚めてすぐに寝落ちた後、宿の人間から話せない事を聞いたのだろう。その事についてすまなかったねやら、何やら言っていたが興味も無かったので聞き流した。

 あの日、手紙を出しに行った事。そのまま散歩しようと宿と反対方向に歩いた事。人気が無くなって、戻ろうとしたら絡まれた事。
 そんな事を簡単に教える。手紙を出しに行った事は何人かが証言していたらしい。結局、人攫いから逃げようとして丸焼けにされた愚かで哀れな子供って事で落ち着いたようだった。
 納得したなら、早く帰ってくれないだろうか。ジャーダは微かに溜息を漏らした。

あれから何日たっただろう、と、未だ痛む火傷に顔をしかめながらジャーダは部屋のドアを見つめる。
 今日じゃなかっただろうか。スピネルが帰ってくるのは。今、どの辺に居るのだろう。あとどれくらいで帰ってくるんだろう。そんなとりとめもない事を考えながら、ジャーダはただ天井を見詰めた。もう、この大人たちの相手は飽きたのだ、と。
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