メサイア

渡邉 幻月

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修行:ホドエリア編【七日目/休日】

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 どんよりとした雲が立ち込める。今にも雨が降り出しそうな、黒く重い雲が西の空に見える。
「今日は実践の方はお休みだよ。明日からホーネット戦ね。」
朝食を取りながら、リリンが予定を確認する。
「うん。…今日は夕方まで自由でいいのかな?」
フォークを持った手を止め、少し考えてからカインが確認のために問いかけた。
「そうだね。自由でいいよ。何か考えてる?」
「ちょっと昨日君に言われたことちゃんと考えようかなって。」
神妙な顔でカインは答えた。一方のリリンは昨日言ったこと? と首を傾げる。しばし考え、
「もしかして命に差を付けるって話?」
と、ぽろりと口にする。
「…うん。昨日、あの後考えたんだけと、やっぱりすっきりしなくて…」
カインの目線は手元に落ちている。
 昨日持ち直したと思ったんだけどなぁ、とリリンは彼の様子を窺いながら考える。ここまで来ると、正直リリンはお手上げだと考えてしまう。これもカインがニンゲンだからだろうか。同時に何故自分がこの勇者の教育係に選ばれたのかも分からなくなってしまう。
「よし! 分かった。思いっ切り考えて。そして明日からはしっかり修行に励んでよね!」
リリンはそうカインに答える。ついでに自分は魔界に戻って、教育係に選ばれた意図を確認して来ようとリリンは考えた。

 朝食を終えたところで、
「キミは部屋に戻るよね? アタシはちょっと魔界に行ってくる。遅くても夕食までには戻るから!」
とリリンはカインに言い残し有無を言わせぬまま姿を消した。
「え? いや、今ここで?」
誰も見ていなかったみたいだからいいけど… とカインは呆気に取られて呆然とリリンを見送る事しか出来なかった。

「まあ、唐突なのはいつもの事か。」
すぐに我に返る辺りリリンの言動に慣れてきたからなのだろう、気を取り直したカインは宿の部屋に戻る。

 部屋の備え付けのスツールに腰かけたカインは、窓の外に視線を向けた。空の雲は重たそうにしている。カインの気分もそのまま落ち込みそうだったので、仕方なく室内に視線を戻した。
「答えが出なくても、気持ちは整理しなきゃ。」
カインは呟いた。
 深呼吸をして、今考えるべきことを指折り数える。
「命に差を付ける、世界を壊す、」
それはリリンに言われたことだ。特に、世界を壊すと言うのは出会った当初に言われたことだ。そして、
「戦って自らの手を汚さなかったとしても全ての生きとし生けるモノは、他者の犠牲の上に成り立っている。」
恐怖に圧し潰されそうになった時にルシフェルさまに言われたこと。今さらだけと冷静に考えれば、毎日毎食食べているモノは、調理される前は確かに生きていたモノばかりなのだ。…たとえ果物や野菜であっても。
「あと、もう一つあったな。屠った命を無駄にしないと誓う覚悟さえ持てばいい。この世界のために生きるのだと。そう言われたんだっけ。」
リリンの言葉だけでは、命を奪う恐怖だけが膨れ上がっていった。怖くて怖くて仕方がなかった。それが事実だと理解できるからこそ、彼女の言葉を否定できず恐怖に呑まれるしかなかった。
「リリンが悪いわけじゃない…」
いつまでも覚悟を決められない自分にも原因があるのだろう。どう足掻いたところで、自分が勇者であることは変わらないのだろうし、誰かが代わりに慣れるものでもないのだろう。…それに、勇者が為すべきことを知った今でも、他の誰かが自分を差し置いて勇者になるなど受け入れられる気がしない。きっとまた、アベルに感じたような嫉妬を抱くのだろう。
 それならさっさと覚悟を決めればいいのに。なのに、世界を壊すことに抵抗がある。
「だって… 父さんや母さんはどうなるんだ? アニキもアベルも勇者だったから良いけど、町のみんなは? 世界が壊れたら… みんなは。」
今までも考えていたことだ。その真意が分からないまま勇者であることを求められて、答えを見いだせないままここまで来た。だからこそ、リリンに『命に差を付ける』と言われ酷く動揺した。動揺して恐怖に呑まれた。
「アベルもアニキもどう思っているんだろうか。」
世界を壊すということを。オレは、昨日ようやくルシフェル様の声を聴けた。ルシフェル様の言葉で、ほんの少しのヒントを得て心は少し軽くなった。二人にはルシフェル様のような存在はいるのだろうか。昨日のオレのように恐怖に呑み込まれていたりはしないのだろうか。
 二人のことが心配になる。アベルにはルシフェル様の弟が付いているようだけど、正直彼には恐怖を感じたのだ。そんな相手の許に居てアベルは大丈夫なのだろうか。それに、アニキはどうしているのだろう。
 そこまで考えてカインは我に返る。

 だけど、今は。
「オレ自身のことちゃんとしないと。」
屠った命を無駄にしないと誓う覚悟、とルシフェル様は言っていたんだっけ。その言葉で、何かが分かったような気がした。それで心が軽くなった。
 覚悟が足りなかったんだ、と昨日は思った。それも間違っていないのだろう。けど、それだけじゃないはず。他にも意味があって、だからこそあのわずかの間のルシフェル様の言葉でオレは持ち直したんだ。

「ルシフェル様の城で会おうって言っていた。それまでに強くならなきゃいけない。覚悟も、決めないと。」

ただ生きているだけでも、他の何かを喰らっているからこそ生きていける。喰らっているということは…
別に今に限った事じゃなかったんだ。ただ、直接手を下していた訳じゃない、ただそれだけのこと。
いつか、ルシフェル様の城でルシフェル様に会った時に教えてもらえる全ての事柄がどんな内容だったとしても、オレは。

勇者として生きていく覚悟を決めなければ。
そうしなければ、マルクトエリアからここまで倒してきた怪物たちは意味もなくオレに殺されていたことになるんだ。たとえ、怪物たちが人間の敵であったとしても。
 カインは自分の両手を見詰めた。今はまだ、分からないこともある。だけど、せめて。

「覚悟は決める。今決める。」
そう呟いてカインは拳を握った。
 気が付けはだいぶ日は落ちていたようで、部屋の中は薄暗かった。朝からずっと考えていたのか、そう思ったところで空腹に気付く。
「昼、抜いちゃったからな。」
カインは苦笑した。1日がかりで覚悟を決めたと知ったらリリンは何て言うだろうか。
「ま、しょうがないか。明日からちゃんとするってことで勘弁してもらおう。」
そう独り言ちてカインは遅い昼食と言うべきなのか早めの夕食と言うべきなのかと一人考えながら食事をとるために食堂へ向かった。
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