1話完結の短編集

月夜

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目覚めるとそこは/テーマ:目覚めるとそこには……。

3 目覚めるとそこは

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「こちらの手拭いをお使いくださいませ。着替えの着物はこちらに準備しておりますので」

「はい、ありがとうございます」



女中がいなくなると、陽菜はお風呂へと入る。
だが、そこにはシャンプーやボディソープすら見当たらない。

置き忘れたのだろうかと思ったが、この格好ではお風呂場から出ることもできず、仕方なく女中からいただいた手拭いで擦る様に洗う。
だが、シャンプーやボディソープを使わないで洗うというのは、なんだか汚れが落ちていないような気がし、何度も綺麗に洗い流した。

早くおばあちゃんの家に帰る方法や、なぜこんな事になったのかを思い出すためにも、陽菜は洗い終えて直ぐにお風呂を上がる。

用意された浴衣に着替え脱衣女から出ると、そこには先程の女中が立っていた。



「ご案内致します」



それだけ言うと、女中は静かに歩き出し、そのあとを陽菜も着いていく。

少し歩いて着いた部屋の前で女中が止まると、女中は一言、お連れ致しました、と襖越しに声をかけた。



「入るが良い」



男の声が聞こえると、女中は、どうぞお入りくださいませ、と陽菜を促す。



「失礼します」



言われるままに襖を開け中へと入ると、そこには、陽菜を連れてきた男、そして、城で最初に会った男の姿があった。



「お主が着ていた物も似合っておるが、着物姿も捨てがたいな」

「お舘様!!」

「そう怒鳴るでない。我は本心を言ったまでのことだ」



嬉しいやら恥ずかしいやらで、陽菜は頬をほんのり色づかせ顔を伏せそうになってしまう。



「お主も座るがいい。夕餉の準備は出来ておるからな」



そう言われ、用意されていた料理の前に座るが、少し離れた横には、陽菜を助けてくれた男、そして前には、城で最初に会った男が座っている。

皆揃ったところで夕食は始まるが、前に座る男は一切陽菜を見ないまま夕食を食べている。
もしかしたら、急に見ず知らずの女が来たため嫌われているのかもしれない。

それに比べてもう一人の男は、先程からずっと陽菜を見つめている。



「あの、まだお名前を伺っていなかったのですが」



耐えきれなくなった陽菜は、まだ名前を聞いていなかったことを思い出し尋ねると、先程までこちらを見ようともしなかった男が立ち上がると、声を大きくして口にした。



「お舘様をしらないのですか!?」

「ごめんなさい……」



あまりの迫力につい謝ってしまったが、そんなに有名ということは、芸能人なのかもしれないと、自分の失礼な発言にシュンとしてしまう。



「幸村、そう怒らずとも良い」



男の一言で陽菜に視線を向けると、その表情が暗いものになり落ち込んでいるのがわかる。



「申し訳有りません」

「いえ、私こそ失礼なことを言ってしまって」



不安げであり悲しげなその表情に、男の方まで眉を寄せてしまう。

すると、パンツと手を叩く音が聞こえ、二人が顔を上げる。



「我は武田たけだ 信玄しんげん、そして、お主の前に座るのが、我が一番信頼のおける家臣である真田さなだ 幸村ゆきむらだ」

「武田さんに真田さんですね!」

「信玄様と呼ばぬか!!」

「あはははッ!!良い。武田さんなどと呼ぶものは初めてだ。陽菜、お主には、そう呼ぶことを許そう」



お舘様がそう仰るのでしたらと幸村が頷き、それから夕食を済ませると、信玄が本題を話始めた。

先ずは、事情を知らない幸村に信玄は説明するが、幸村もそれだけではわからないらしく考え出す。



「他に何か覚えていることなどはありませんか?」

「ずっと考えてはいるのですが思い出せず……。すみません」

「まぁ良い。無理に思い出さずとも、記憶とは突然思い出すものだ」



信玄の優しい言葉に、不安な気持ちが少し休まるのを感じていると、今日はもう遅いため眠ることとなった。

何かを思い出すまで間は、甲斐と呼ばれるこの国で過ごすことが話で決まり、しばらくこの城でお世話になることになりそうだ。



「こちらが、この甲斐にいる間の貴女の部屋となります」

「ありがとうございます」

「では、お休みなさいませ」



部屋まで案内してくれた幸村は、それだけ言い残すと、一度も陽菜を見ることはなく去ろうとする。

突然現れどこの誰かもわからない陽菜は、きっと幸村にとって邪魔な存在に違いない。
だが、それでも、こうして部屋まで案内してくれた。
例えそれが信玄に頼まれたからだとしても、少しでも仲良くなれたら、などと考えてしまい、ついその背に声をかけてしまう。



「佐々村 陽菜です」



振り返った幸村は、ようやくその瞳に奈草をうつす。



「私の名前です。まだ名乗っていませんでしたので」



ニコリと笑みを浮かべると、幸村は顔を耳まで真っ赤に染め、早足で去ってしまった。



「また怒らせちゃったかな……」



一体どうなるのかわからないこの状況、それはきっと、また目が覚めたら変わっているに違いない。

そうでなくては困ると思いながら、布団に入ると瞼を閉じた。


《完》
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