白銀の竜と聖なる魔女

加永原

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第1章

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 トーエは会議室を出ると、扉の脇にいた若いアルィーラムに声を掛けた。
 自身が呼ばれたことに目を瞬かせた扉番の一人は、一瞬の戸惑いを見せた後にトーエに恐る恐るといった体のまま、それでも素早く近寄る。その瞳には薄らと畏怖が覗いているものの憧れを前にした輝きが色濃く出ており、もう一人の扉番は羨ましそうな視線を幸運な同僚に送っていた。

「まだ第三席は残っているか?」

「は、はい、主席! 第三席は第一席との定例報告会議を終え、休養期間に入られると聞き及んでおります」

「うむ、では第三席を呼んで――いや、その必要は無いようだな」

 トーエが呼び出しを頼むのを中断し顔を上げると、複数の部下を引き連れた青年が丁度やって来たところだった。
 青年は従えた部下に待機の一言を命じると、トーエの前で一礼をする。次いで扉番に業務に戻るように言えば、背筋を伸ばした扉番は再度扉の脇へと戻って行く。

「会議中だと聞いていたのですが、主席がお呼びだとお伺いしたので飛んで来ました。遅れてしまいましたか?」

 若々しくくりっとした丸い目が印象的なその青年は、文字通り飛んで来たのだろう。トーエが会議室から出ていることに自身が遅刻したのではないかと口にし、申し訳なさそうに翼を畳んだ。

「ティデアン、貴殿の翼は遅れを知らぬ。今呼びに行かせようとしていたところだ」

 トーエが深く感心するようにそう褒めれば、ティデアンと呼ばれた青年はわざとらしくも良かったと胸を撫で下ろしてみせる。優秀さを鼻にかけない謙虚さを持ち合わせているのは、若いアルィーラムにしては中々であるとトーエは頷いた。
 ティデアンは若手でありながら、白翼の一翼を担っている。
 白翼には主席であるトーエの他、第一から第三までの席次が与えられている。その第三席にティデアンは任命されており、彼の飛行速度は全アルィーラムの中でも随一だ。
 無論、彼の指揮する部隊も同様に、速度に自信のある者たちが揃っているのだから、自身らの直属の上官が褒められ、どことなく誇らしげな表情が垣間見える。
 トーエは誰よりも速い翼を持つティデアンを見下ろすと、いつもより低い声音で命令を下した。

「ティデアン、第三席部隊を使い各地区に散っている全アルィーラムを呼び戻せ」

 トーエが上を仰ぎ見れば、その視界には長い螺旋階段がどこまでも続いている光景が広がる。果てがないように見えるその光景は、初見の者であれば誰もが言葉を失うものだ。
 顔を上げたままトーエは暫しの瞑目をし、螺旋階段の無かった過去へと思いを馳せる。変革の時の間の悪さに、言いようのない諦観が気を重くさせるのだ。
 とはいえ、トーエの中での推測はドロシーが呼びに来た時点で確信へと変わっている。最早神の意志は定まったのだと、トーエはアルィーラムの長として忠誠を示す以外の道は無かった。
 思案に耽る自身の上官であるトーエを見つめ、ティデアンは図りかねているかのように首を傾げる。

「全アルィーラムを、ですか? テラクォシだけでなく?」

「如何にも。全ての任務、全ての業務の一切を停止させ、このエーベの棟に直ちに集結させる。老若男女問わずにだ。貴殿ら第三席部隊には休養期間を返上して貰うことになるが、この任を拒否する権限は無い」

「もちろん、それは受けます。受けますが、アルィーラムだけでなく、へヴァーゲンに無用な混乱をもたらす可能性があるかと思われます。開戦が近いのではという懸念は今や、国民に広く浸透していますから」

 ティデアンは命令の意図を察せず、懸念事項が多いと食い下がる。
 大空の神でもあり、国王でもある自身らの主が目覚めた今、何よりも優先されるのは悲願を叶えること。悲願とは即ち、神の斧を取り返すことだ。
 であれば、マクァラトル王国との戦争になるのは必至であり、そのためにテラクォシの集結を急ぐと言うのならば納得出来よう。テラクォシとはこのハルバート神聖国において、軍事的組織の役割を担っているのだから。
 だがティデアンが命じられたのは、老若男女問わずの全アルィーラムの集結である。これが意味するところを、正確に把握して対応しなければ暴動が起きかねないという考えが拭えないのだ。へヴァーゲンらに一切悟らせるなくアルィーラムを集結させることは、決して内密に行えることではない。
 へヴァーゲンに対しティデアンは、同胞に向けるような感情は抱いてはいない。へヴァーゲンとは管理しなければならない種族であるという考えが根底にあり、そんな彼らを新たな地へと至るために切り捨てるというのかと、ティデアンは職務放棄にも等しい決断を主席がしているのではないかと疑っているのだった。
 しかし、そこへ向けられるトーエの目は冷めたもので、ばさりと広げられた翼がこれ以上の問答は不要だと告げる。

「これは我らが神の望みであり、我らアルィーラムとへヴァーゲン――“人間”に与えられた試練でもある」

 一歩下がったティデアンは、解消されない疑問に溜息をつきたくなる気持ちを抑える。命令の遂行に意図を気にする必要はないと、トーエからの態度にそれで納得する他ないことを悟った。
 従順な態度を取り繕ったティデアンは、ふとトーエの背後にいる人物に気付いた。
 気付いてしまえば最早任務に対する疑問よりも、嫌悪感が腹の底から全身を這い回り、取り繕ったばかりの口からついて出た舌打ちは憎悪にも似た感情が込められていた。

「――チッ、売女が」

 露骨に嫌そうな顔をしながら、ティデアンはドロシーに向けてそう吐き捨てた。
 トーエや部下の前でなければ、ドロシーに向けてもっと散々に罵詈雑言を浴びせてやりたかったが、ティデアンは舌打ちに全てを込めてなんとか気持ちを抑える。
 そして命令の受諾を再度告げ、即座に踵を返して部下を引き連れ去って行った。1秒たりとも同じ空間にいたくないと言わんばかりの迅速な行動に、幾人かの部下が遅れているのさえも気にかけていなかった。
 後に残る扉番からすれば、唐突な険悪な雰囲気に口を挟めるわけもなく、耐えるしかないのだという苦行に唇を噛み締める。
 そんな扉番の心中を察するでもなく、呆れに富んだ深い溜息が響いた。

「大地の魔女よ、あれの不敬を詫びよう」

 トーエの口調はまさに子供のどうしようもなさに呆れを吐露するもので、ドロシーはさして気分を害した様子もなく微笑んでいる。

「可愛いものですよ、あれくらい。陛下の方がもっと凄かったですし、ふふふ、あたしの神さまなんてもう、ふふふ」

 ティデアンの吐く毒には慣れており、時折顔を合わせれば露骨に嫌な顔をして時には暴言を吐くのだ。とはいえ、ドロシーにとってはそんなもの猫の戯れに過ぎないのだと感じているのが事実。幼稚と言えば簡単な話ではあるものの、それもまた仕方の無いことだと受け入れている。
 度量が広いわけではない、とドロシーは指先をくるりと宙で回す。そうすれば彼女の足元から木の根が現れ、ミシミシとした音を立てながらそれは器用にも編まれていく。
 ティデアンのような、自身を嫌悪する者たちに対し、ドロシーはそれだけのことをしたという自覚がある。ただ嫌悪感を顕にするだけ、軽やかな暴言を吐かれるだけ。
 可愛らしい戯れに過ぎないのだから、と顔を上げたドロシーの周りを囲うように、木の根で出来た鳥籠が出来上がる。

「さぁトーエ! 準備は出来ましたよ、ひとっ飛びで行きましょう!」

 ドロシー一人分の空間で出来た鳥籠の中、彼女はわくわくとした目をしてトーエを見上げている。
 扉番が恐る恐るトーエを盗み見て、その眉間には深い皺が刻まれていることに伸び切った背筋をさらに伸ばした。

「大地の魔女よ、貴殿は我に運べと?」

「ええ、そうですよ。あっ、もしかして重いからだなんて言いませんよね? 重いなんて言った日にはお姉ちゃん渾身のパンチが炸裂しますが、トーエはまさかそんなこと言いませんよね?」

 トーエの眉間にさらに深い皺が刻まれる。
 ドロシー一人分といえど、そこそこの大きさの鳥籠だ。その重量は大きさからして相当あるように思えるが、そんなことを口にしてしまえば本当にパンチを放つであろうことは、これまでの経験則から容易に想像出来る。
 執務中につき周囲を忙しなく行き交っていた他の者たちも、白翼主席であるトーエの前で巨大な鳥籠に入り、嬉々とした表情を浮かべるドロシーという、その異様とも見てとれる光景に足を止め始めていた。
 ざわざわと、訝しげな視線がトーエに注がれている中、同じく中心地のドロシーは手を振ってその好奇の目に応えていた。

「貴殿は我の手なくとも――」

「ほらほらトーエ、陛下がお待ちですよ。こんなところでいつまでも押し問答していて、怒られるのはあたしなんですよ。さぁトーエ、あたしは怒られたくありませんから、早く飛んでください」

 トーエが言いかけた言葉を呑み込むように捲し立て、さぁと両手を広げてふんぞり返るドロシー。
 トーエといえば白翼の主席であり、枢機卿団をひと睨みで黙らせることも出来る、畏怖すべき存在だ。神とはまた違った、恐怖の象徴とも言える。
 そんな彼が翻弄されている姿と言うのはなかなか見られるものではなく、そんなことが出来るのは恐らくこの大地の魔女、ドロシーくらいであろうとその場にいた全員の思いが一致した。
 トーエの何度目かも分からない溜息に微かな怒気が含まれ、周囲で観客となっていた者たちはその圧に押されて無意識に後ずさる。

「我が神を待たせるくらいであれば、貴殿の要望に応えるとしよう」

 白翼の主席は大地の魔女の一撃に、ようやく重い首を縦に振った。
 トーエの大きな体躯に見合う巨大とも言える翼が開かれ、白翼の名に相応しい純白の輝きに感嘆の声が周囲から零れて聞こえた。
 鳥籠の頂点ともいえるところはご丁寧にも取っ手がついており、運ばせる気しかない造りには、さすがのトーエでも呆れるのも疲れ果てる。
 籠の中で未だ喜色の笑みを浮かべているドロシーに、トーエは不意をつくようにいささか乱暴な挙動で飛び立った。
 トーエの羽ばたきに突風が吹き荒れ、周囲にいた者たちは構えていたにも関わらず飛ばされる。しかし、ふわりと彼らの体を包む大きな花が幾つも現れ、受け止めたあとは香りだけを残して消えていく。
 彼らが見上げた頃にはトーエの影は小さくなっていき、惚けるようにして彼らはその背を見続けていた。
 小さくなっていく地面から目を離したドロシーは、ぷくりと頬を膨らませた。

「トーエ、あたしを雑に扱うのは良いですけど、他の子たちを巻き添えにするのは感心しませんよ」

「大地の魔女の慈悲に触れる機会を与えるのも、時には必要だと思ったまでのこと」

 塔内を物凄い速さで昇る巨大な塊にしか見えないトーエとドロシーに、驚いて道を譲る数多のアルィーラムたちを尻目にそう返す。トーエの羽ばたきの余波で飛ばされる彼らは、ドロシーの作る花々に受け止められ怪我をする者はない。
 トーエが無慈悲に加減せずに飛ぶことで、わざと慈悲を与えさせていると言うのだから、ドロシーは頬に手を当てて嘆く。

「昔はあんなに可愛かったのに、すっかり反抗期に入っちゃったのね。はぁ、陛下の影響? それともあたしの育て方が悪かったのかな......」

 反抗期と言うには老齢であろうトーエだが、ドロシーの中では未だ幼子同然の扱いだ。
 ドロシーがぶつぶつと涙混じりに呟くのをトーエは聞こえぬフリをしながら、目的地である最上階へと辿り着く。
 最上階と言ってもそこは吹き抜けで、飛び出た先は殆ど雲の上と言っていいほど何も無い。床もないはずのそこへトーエは籠を下ろし、自身も足を付ける。
 すると波紋のように空気が波を打ち、足をつけたそこが地面となる。宙に浮いていながらも、地に足を付けているのだ。
 ドロシーは籠を解き、身体を解すように伸びをしている。ここまで大した時間を要してないが、トーエが乱暴に扱ったことで多少なりとも窮屈さを感じていたのだろうが、その顔を見るにそうでもなさそうだと判じてトーエは謝罪は口にしないことにした。
 トーエが再度顔を正面に向けると、そこには自身の神が玉座に腰掛けてこちらを見ていた。

「――我が神よ」

 トーエは胸に湧き起こる歓喜の念を押し殺し、努めて平静を装って跪いた。
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