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「酷いの、ラゼーネ様が私を苛めますの」


   謂れのない嘘を言われること約30回目ほど。伯爵令嬢の嘘が日に日に悪質へと変わる。それが私の婚約者である王太子殿下に対する告げ口だからさらに悪質極まる。もしこれが自分でなければ、世のご令嬢であれば、耐えられないものであっただろう。でも私にとっては僥倖。こんな形で社交界から抜けられるなんて嬉しすぎて笑顔が溢れてしまう。



   これでやっと私は世界を知れ、自由に生きられる。



「お前は顔だけじゃなく性格まで醜いとはな、婚約なんぞ破棄だ。社交界からも追放してやるっ」


   私、醜いと言われるまで顔が整っていないわけではないと思うのだけど。確かに王太子殿下の隣にいる伯爵令嬢は愛らしい顔立ちをしているけれども。


「そもそも私、あの女の名前すら知らないのだけど」


   ぼそりと呟いた言葉に周囲で見物していた貴族共が顔をしかめる。ここにいる半分ほどは伯爵令嬢の方が嘘だと言うことにも気づいているだろうけど、殿下に口出しできるほどの爵位の人はいないし。というより、こんな行為を許しておかないと反発してくれる家族、身内すらすでに居ませんし。


「私を追放してしまえば公爵の名は無くなってしまいますが…、如何なさるおつもりですか?この身に流れる血はこの国の貴族で最も貴いものですよ」

「はっ、そんな古臭い血の流れなど知ったものか。空いた公爵の名はアイーシャが継ぐさ」

「ビウレット様っ」


   瞳を潤ませて殿下を見る伯爵令嬢は相変わらず大根役者だ。演技が雑すぎる。10年売れない役者でももっとましな演技をする。


「本当に頭が沸いているのかしら」


   私の呟きには気付かずにそこそこ整った顔を慈しむように伯爵令嬢に向けた殿下は私を笑う。


「まぁ、いいか。私には関係ない。悪役はいい感じに撤退しましょうか」


   私は優雅に微笑んで学園の制服のスカートを摘みカーテンシーをした。殿下は相変わらず睨むようにこちらを見据える。正直うざい。元から好きじゃなかったけど、伯爵令嬢とラブラブし始めてから脳筋、いや脳脂肪が悪化してる。


「皆様、今まで良くして頂き感謝が絶えません。それでは、さようなら」


   学園を出ると暖かな日差しが私を包む。機嫌よく庭園を抜けるとすでに馬車を待機させた唯一の護衛が寂しげに笑った。


「お嬢様。如何なさいますか?」

「お嬢様なんて辞めてちょうだい。もう私には貴方を雇ってあげることが出来ないのですから」

「私は、いつだってお嬢様についていきます。雇って頂く必要はありません」


   妻子がいるのにバカなことをほざいている男の額をデコピンしてやるとそこを手で抑え、ほんの少し涙目でこちらをを伺ってくる。


「あなたはしっかりとした仕事に就きなさい。今の貴方にとって妻子を養うことが一番大事な役目ですのよ」

「ですが、私はお嬢様に忠誠を誓った身です。お嬢様以外の奴に仕えるなどあり得ません」

「はぁ、何を言っているのかしらこの脳筋っ。新しく職を見つけなさい。そして家庭を守りなさい。そしたら私が時折顔を出して差し上げますわ。あんなに可愛らしいお嬢さんと奥さんを持っているのに私にばかり構っていたら嫌われてしまいますわよ」


   悔しそうに顔を歪め、拳を握りしめた男に私は笑いかけた。


「デュハン。私は大丈夫ですわ。むしろ清々しいほどです。半分諦めかけていた外で自由に生きるという夢を叶えられるのですから。勿論はじめこそ苦労するでしょうけど、きっとそれだって楽しいわ」

「はい…」

「だからそんな泣きそうな顔はしなくていいの。確かに私は貴方から忠誠を頂いたけど、貴方の人生は貰っていないわ。今後どうしようもなく私が困ったときがあれば手を貸して頂戴。それだけで十分よ」


   長年私に仕えてくれて兄のように慕っていたから自分のせいで泣き顔を見るのは心苦しい。涙を拭いたくて頰に手を寄せると縋るように手を握られた。


「もう、本当に私のことが好きね。男前な顔が台無しじゃない。奥さんに愛想疲れちゃうわよ。ね?それにほら、貴方は今できる仕事をしないといけないんじゃないかしら。馬を動かさないと馬車は進んでくれないわ。デュハン、お願い」

「はい。お嬢様。かしこまりました」


   名残惜しげに手を離し、手でゴシゴシと涙を拭いた彼は御者台に乗ってゆるゆると馬車を進めた。




   帰りの馬車で、自由になれることを何も考えずに喜んでしまったことを私は少し後悔していた。

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