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夏の暑さと深まる関係

〈1〉

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 空と累は、そろって大学三年生の夏を迎えていた。

 閉めそこねたカーテンの隙間から、陽の光が真っ直ぐに差し込んでいる。まだ早朝だというのに、容赦なく地上を焦がす陽光のあまりのまぶしさに目を細めつつ、空はむくりとベッドの上に起き上がった。

 隣で眠っている累を起こさないように立ち上がり、細く開いていた窓を閉めてカーテンも閉め切る。累の瞳は色素が薄いため、空以上に陽の光を眩しく感じるからだ。
 もう起きなければならない時間ではあるが、昨晩遅くに帰宅してぐっすり眠っている累に、起き抜けから強い光を浴びさせるのはかわいそうだ。

「あつ……七月ってこんなに暑かったっけなぁ」

 そうひとりごちつつ、空はリモコンを手に取ってクーラーをつける。窓を開けていたが思いのほか室内の温度が上がっていて、寝巻きにしているTシャツはしっとりと汗を含んでた。

 胸元を引っ張ってぱたぱたと服の中に風を送りながら、空は改めてベッドに腰を下ろし、うつ伏せに眠る累の背中をゆすった。

「累。るいー」
「ん……」
「そろそろ起きなよ。今日は打ち合わせがあるんでしょ?」
「んん……んー」

 寝返りをうって仰向けになった累がうっすらと目を開いた。ゆっくりと金色の長いまつ毛が上下し、澄んだ青い瞳が空の姿を映している。

「そら……おはよ」
「おはよう。ごめんね、昨日は先に寝ちゃってて」
「ううん……こっちこそごめん、せっかく来てくれてたのに、打ち上げが長引いちゃって……」
「いいって。二日酔いとか、なってない?」
「……ない。だけど、喉乾いた……」
「そう言うと思った」

 二十歳を過ぎ、大きなコンサートのあとの打ち上げの席にも顔を出すようになった累は、時折こうして帰宅が遅くなることが増えた。
 初めは心配していた空だが、累はアルコールに強い体質だし、節操のない飲み方をするわけではないとわかりつつあるため、ここ最近は安心して帰りを待つことができるようになった。

 冷えたミネラルウォーターのペットボトルを手渡すと、肘で上半身だけを起こした累は嬉しそうにそれを受け取り、喉を鳴らして一気に半分ほどを飲み干した。

「はぁ……美味しい。ありがとう、空」
「うん。で、打ち合わせは何時からだっけ?」
「九時から一時間、大学で。遅刻厳禁って念押された」
「そうなの? まぁ、遅刻はしないに越したことないけど」
「石ケ森さんも忙しくて、なかなか合わせる時間がないんだよね」

 累と賢二郎は、この春に南禅寺で二度目のコンサートを開催した。
 それは大盛況のうちに無事に終了したのだが、そのあと、コンサート運営のSNSのほうに、「もっとこのふたりのデュオが見てみたい!」「もっといろんなところでやってほしい!」といったリクエストが殺到したというのだ。

 一度目のコンサートのあともちらほらとそういった投稿があがっていたものの、賢二郎が留学を控えていたこともあってそれ以上大きく展開することはなかったが、ウェブにアップされた動画の視聴回数もぐんぐん伸びていることから、もっとこのふたりで活動してみてはどうかと運営側から声をかけられたのだった。

 すでに顔と名前の売れている累はさておき、賢二郎は今後もっと演奏家としての仕事を増やしていきたい気持ちでいる。賢二郎が前向きな姿勢だったこともあって、累もこの件にOKを出したのだった。

 累から聞いたところによれば、賢二郎は『せいぜい天才クンの知名度にあやからしてもらうで~』と計算高そうな笑みを浮かべていたらしい。
 この春から大学院に進学した賢二郎は学費を稼ぐ必要があり、露出を増やして顔を売りたいという希望があったという。なので、とんとん拍子にデュオの結成が決まったのである。

「空はこのままバイト?」
「うん、今日もプールだよ。これまでの人生で一番日焼けしてるかも」

 長袖のラッシュガードを身につけていても、手首から先や膝下はこんがりと焼けていく。ベッドの上で脚を伸ばすと、空の膝頭に、ベットに寝そべったままの累がちゅっとキスをした。

「今日も暑くなるみたいだから、無理しないでね」
「大丈夫だよー。……って、ねぇ、変な触り方しないでよ」

 日焼けの痕をたどるように、累が指先で内腿を淡く撫でてくるのだ。空が腰をよじらせると、累はまだどこか眠たげな瞳を柔らかく細め、白いままの太ももにキスを落としてきた。

 しかもそのまま、ゆるいハーフパンツをたくし上げながら上へ上へと唇を這わせてこようとするものだから、空は大慌てで脚を引っ込めて立ち上がった。

「だめだっつーの!! い、今からバイトなんだから!」
「ん……そうだよね、ごめん。日焼けの痕がなんかエロくて、つい」
「えっ? どこが?」

 しげしげと見つめてみても、自分の脚がツートンカラーになっているだけでなんの色気もないように思う空である。こんがりと小麦色に焼けた膝下と、真っ白なままの太ももがあるだけだ。

 首を傾げていると、累が小さく笑う声が聞こえてくる。累もようやく目が覚めてきたらしく、立ち上がって大きく伸びをした。

「ふふ。その話の続きは今夜ゆっくり。空はそろそろ着替えないと」
「あ、ほんとだ」

 累の両親が揃って海外赴任となったことで、こうしてふたりきりで過ごす時間が増えている。

 高校時代からさほどインテリアの変わらない累の広々とした自室には、空の私物が少しずつ増え、壁際に置かれたセミダブルベッドには空の枕が置かれるようになった。

 ウォークインクロゼットには空の私服が収められ、部屋の真ん中に置かれたローテーブルには、音大の分厚いテキスト共に、保育士試験のための参考書が積まれている。
 累の両親も彩人と壱成も、ふたりの関係を認めているため、ごく当たり前のように穏やかな朝を迎えることができるのだ。

 ふたりそろって一階に降りて顔を洗い、簡単な朝食を準備する。目玉焼きをつくる空の横で、累はトーストをセットして、コーヒーを淹れはじめた。

 あいかわらず累は多忙だが、こうしてごく当たり前の日常を自然に過ごせるありがたみを、空はしみじみと噛み締めた。

 ちなみに、去年の夏はスランプに苦しんでいた累だが、今年はリラックスした表情で学業や仕事をこなすことができているようで、空は内心安堵していた。
 夏の暑さとともに、累の荒んだ横顔や、石ケ森賢二郎に対する複雑な想いをふと思い出してしまうけれど、あの時期を乗り越えることができたからこそ、今があるのだと思えるのだった。

 小さく鼻歌をうたう累の横顔をこっそり見上げていると、ふと、気がかりなことが脳裡に浮かんだ。

「そういえば、サーシャさんは大丈夫なの? 何も言わなかったのかなぁ」
「なにもって?」
「石ケ森さんと累がデュオをやるってこと。二人きりで練習することが増えるし、遠いところでコンサートとなると泊まりがけになるだろうし……なんとなく」
「空は? 空は不安?」

 サーシャのことなどどうでもよさそうな様子で、累はやや慌てた表情で空に向き直った。
 いっときはずいぶん賢二郎の存在にやきもきさせられてしまったけれど、今は驚くほどに不安もなく、純粋に二人の活動を応援したいと思えている。

 なので空は、笑顔で首を振った。

「俺は全然。もうじゅう~~~ぶんモヤモヤしてきたしね」
「ご……ごめんね」
「あははっ、冗談だよ! 今は俺、石ケ森さんとけっこう仲良しだし、本当に全然平気だよ」
「そっか……」

 累は心底安堵したように肩の力を抜き、ちょっと困ったような顔で微笑んだ。少し乱れた金色の前髪を指先で直してやると、くすぐったそうに目を細める。

 そのとき、チーンと軽やかな音がして、トーストが焼き上がった。

「サーシャは、最初は色々思うところはあるみたいだったけど、今は協力的だよ」

 向かい合って朝食を食べながら、累は思い出したようにそう言った。

「ふたりとも大人だし、なにも問題ないんじゃないかな。別にサーシャも絡んでこないし」
「そっかぁ。まぁ、そうだよね。サーシャさん、大人だもんね」
「そうだよ。……それより空、不安なことがあったらすぐに言ってね。僕に遠慮して、我慢しないでほしいんだ」
「わかってるって。大丈夫だよー」
「本当に?」

 そう尋ねてくる累のほうが、よほど不安げな顔をしている。空は手を伸ばし、累の唇の端についた半熟卵の黄身をとってやった。

「ほんとだって。ほら、早く食べよ」
「うん」

 指先についた卵の黄身をぺろりと舐めて空が笑うと、累も同じように笑顔になった。

 早起きをしたかいもあって、ふたりはのんびりと朝食をともにしたのだった。
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