上 下
78 / 86
初めましてのクリスマス編

〈1〉

しおりを挟む


「へぇ、彩人さんの店で?」
「そうなんだよ。誰かいいひといないかなあ?」

 クリスマスイブを一週間後に控えたある日。空は累にとある相談を持ちかけた。


   +


 彩人が経営を任されている本店ではここ数年、クリスマスイブの日にお得意さんたちを招いたパーティを行っている。その席にプロのピアニストを招き、しっとりとした生演奏を聴きながらイブの夜を過ごすというものだ。もともとワイワイ大騒ぎをするような店ではないため、それはとても好評であるらしい。

 だが、招く予定だったプロのピアニストが、食中毒で入院してしまったというのである。

「入院かぁ~。一週間後に復帰ってのは無理だよねぇ」
「そうなんだよ。今から他のピアニストもあたってみるつもりだけど、この時期、けっこう皆スケジュールが詰まってるらしくて、いい返事もらえなくてさ」

 朝食の席で、珍しく彩人が困り顔でため息をついている。まるで年齢を感じさせない兄の美肌を眺めながら、空はもぐもぐと食パンを頬張った。

 すると、キッチンからコーヒーをふたつ持って、壱成がダイニングへ戻ってきた。

「念のため、もう一人スケジュール押さえてる人がいるって言ってなかったっけ?」
「ああ……実は、その人もノロウイルスにやられたらしくて」
「マジかよ」

 彩人の隣に腰掛けた壱成が、絶望的な顔でため息をついた。そんな壱成の顔を見て、彩人が「この世の終わりみてーな顔すんなって」と笑った。

「でも困るだろ。一週間なんてあっという間だし、今から他の人見つかるのか?」
「んー、どうだろうなぁ」
「想像するだけで胃が痛い……」
「ははっ、壱成がそんな悩まなくても大丈夫だって。なんとかなるよ」
「ったくお前は気楽だなあ」

 苦笑してため息をつく壱成の肩に手を置き、彩人は明るく笑って見せる。壱成を安心させたい気持ちもあるのだろうが、昔から彩人が「なんとかなる」と言うと割と本当になんとかなるので不思議である。

 あいかわらず仲のいい兄たちだ。もう十五年ほど一緒に暮らしているというのに、喧嘩はおろか、ぐちを言っているところさえ空は一度も見たことがない。

 時折、こうして空そっちのけでいい雰囲気を醸しはじめるところには呆れもするが、慣れっこだ。空はカフェオレの入ったマグカップを両手で持ち、兄にこう尋ねてみた。

「累に、その日行けそうな知り合いがいないか聞いてみてもらおっか?」
「えっ、マジで? 累くん、ピアニストにも知り合いいんのかな」
「んー。仲がいい人がいるとは聞いたことないけど、友達に聞けば誰か見つかるんじゃないかなあ」

 自分から提案しておいて……累からあまり友人に関する話を聞いたことがないな——……と空は思った。授業とレッスンと依頼でひたすら忙しそうな累だが、大学で一緒に昼ごはんを食べる友人はいるのだろうか。若干心配になる。

「累くん、大学でちゃんと友達できたかな」

 まるで心を読んだように壱成が心配そうな顔でそんなことを言うものだから、空は苦笑した。

「今、俺もそう思ってた」
「大学の話、累くんから聞かないの?」
「んー。聞くっちゃ聞くけど、友達がどうのこうのとかは、あんまり聞かないかな」
「そうなんだ……。根は優しくていい子だけど天才少年っていうイメージが強いし、とっつきにくさはあるかもしれないしなぁ」

 実の母親・ニコラよりも累の交友関係を心配していそうな壱成だ。空は笑って、「大丈夫だと思うけど、今度聞いてみるよ」と言った。

「しっかし、天下の高城音大の学生さんが来てくれるなら、俺もそうとうありがたい」

と、ふたりのやりとりを眺めていた彩人が、改めてのようにそう言った。

「累くんには申し訳ないけど、聞いてみてもらっていいか? こっちはこっちで探すけど、念のため」
「うん、いいよ」
「悪い、助かる!」

 ぎゅ、とテーブルの上に置いていた手を彩人に力強く握り締められる。
 空はこくりと頷いて、「あんまり期待はしないでね」と言っておいた。


     +


 といった話が朝食の席で行われたことを累に話すと、累はやや傷ついたような顔でため息をついた。てっきり、紹介できるピアニストはいないと言われてしまうのかと思ったが……。

「大丈夫だよ、友達はいる。ヴァイオリン科では普通にみんなと話すし、昼も一緒に食べてるし」
「あ、そっち……」
「僕はそんなに友達がいないイメージがあるのか……そりゃ、小さい頃は空にばかりつきまとっていたから、そういう印象がつくのは仕方がないかもしれないけど……」
「いやいや、そんな悲しそうな顔しないでよ。ちょっと気になっただけだって。ね? ね?」

 へこみながら夕飯後の食器洗いをしている累をなだめつつ、空はキッチンのカウンターに肘をついた。

「じゃあ、ひょっとしてピアニストの人に心当たりあったりする?」
「ピアノ科に頼めそうな人はいるけど、みんなこの時期はバイトが忙しいって言ってたような気が……」
「そうなの?」
「クリスマスシーズンって、演奏バイトの募集がけっこう出るんだよね」
「あ、なるほど」

 なるほど、彩人の店のように、楽器の生演奏でクリスマスムードを盛り上げようということなのだろう。兄の力にはなれないかもしれないなぁ……と思いかけたところで、ピンと来た。

「サーシャさんは? 元ピアニストなんだよね」
「ああ……うーん。サーシャか」

 食器の泡を流すための流水を止め、累は迷いの表情を浮かべつつ天井を見上げた。そして、小さく首を振る。

「サーシャはちょっと無理かもなぁ」
「そっか。まぁ、そうだよね。指揮者だし、大学の仕事も忙しそうだし」
「んー、クリスマスは賢二郎と過ごすんだってウキウキしてたから、忙しくはないかもだけど」

 少しためらいがちな累から、サーシャの過去にまつわる話を聞いた。『ピアノを愛していない』——その言葉は、累の口から間接的に聞いたものだが、空の心をひゅうっと冷やす。

「そ、そっか。そんな過去があったんだね……」
「だからちょっと難しいかもね。でもサーシャは教師だし僕より顔が広いから、学生を紹介してもらえないかどうか聞いてみるよ」
「うん、ありがとう。助かる!」

 安堵した空が笑うと、累が微笑む。そして、ふと思いついたようにこう言った。

「そういえば、もうすぐ冬休みだな。なるべく早くみんなに声かけないとな」
「ありがとう、累。……そっか、冬休み」

 冬休みにクリスマス。五年前のクリスマスの日は、累の凱旋公演が催された日だった。もう五年も経ったのかと思うとびっくりしてしまう。

 巨大かつ華やかな舞台でソリストを演じ上げた十五歳の累は、すごくかっこよくて、とても誇らしかったのを覚えている。

 そしてその次の日、ふたりは初めて身体を繋げて——……。

 当時のことをぽわぽわと思い出してぼんやりしてしまったらしい。チュッと累のキスが額に触れて、空ははっと我に返った。

「どうかした? すごくかわいい顔してる」
「えっ……? い、いや、なんでもないよ」
「ふーん?」

 空のすぐそばにやってきた累は小首を傾げ、なにやらもの言いたげな笑みを浮かべている。……これはとっくに空の心を読んでいる顔だ。ちょっとエッチなことを考えているときほど、すぐに見抜かれてしまうものだから困ってしまう。自分はそんなにスケベな顔をしているのだろうかと……。

 とはいえ、スランプを乗り越えた最近の累にはゆったりとした余裕があり、こうして微笑んでいるだけですこぶる色っぽい。

 ドキドキするが、空がドキドキするとわかっていてやっている顔だということも分かっている。ときめかされてばかりでは気が済まないため、空は累に軽いデコピンを食らわせてやった。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

魔法少女のコスプレしたら、聖女と呼ばれて溺愛されました。

蒼一朗
恋愛
春香は冬の祭典に向けて、コスプレ衣装製作を頑張っていた。漸く出来上がった衣装を試着していると、不思議な音に導かれ、春香は異世界へと召喚されてしまう。 魔法少女のコスプレで異世界へ行った春香は、そこで救世の聖なる乙女と呼ばれる聖女だと言われてしまう。 変身魔法で魔法少女に変身し、笑顔が爽やかな情熱の騎士様や、穏やかな笑顔と丁寧な口調の腹黒魔道師様。天真爛漫な天使の笑顔の子犬系美少年に囲まれて、魔法少女として、国を救うことになりました。 それなのに、女神様がくれた力のせいで、春香の身体は魔法を使うたびにエッチな気分になってしまうのだ。イケメンと一緒だっていうのに、悶々とする身体。見つかったらあんなことや、こんなことをされたりするのかしら? 国を救うために戦えば、エッチになってしまう自分に戸惑いながらも、頑張る女の子のお話です。 基本ハッピーエンド。イケメンには溺愛される予定です。 魔法少女というワードのみで書き始めたお話なので、ご都合主義な場面があるかと思いますが、ご了承ください。 尚、若干の女×女シーンがありますが、基本は男女のエロです。 エロシーンには*を表示します。 タイトルを変更しました。旧題=魔法少女マジカルミラクル パステル☆フィーユ 「小説家になろう」様でも公開しています。

【R18】ショタが無表情オートマタに結婚強要逆レイプされてお婿さんになっちゃう話

みやび
恋愛
タイトル通りのエロ小説です。 ほかのエロ小説は「タイトル通りのエロ小説シリーズ」まで

西谷夫妻の新婚事情~元教え子は元担任教師に溺愛される~

雪宮凛
恋愛
結婚し、西谷明人の姓を名乗り始めて三か月。舞香は今日も、新妻としての役目を果たそうと必死になる。 元高校の担任教師×元不良女子高生の、とある新婚生活の一幕。 ※ムーンライトノベルズ様にも、同じ作品を転載しています。

【R18】お嫁さんスライム娘が、ショタお婿さんといちゃらぶ子作りする話

みやび
恋愛
タイトル通りのエロ小説です。 前話 【R18】通りかかったショタ冒険者に襲い掛かったスライム娘が、敗北して繁殖させられる話 https://www.alphapolis.co.jp/novel/902071521/384412801 ほかのエロ小説は「タイトル通りのエロ小説シリーズ」まで

私は私で勝手に生きていきますから、どうぞご自由にお捨てになってください。

木山楽斗
恋愛
伯爵令嬢であるアルティリアは、婚約者からある日突然婚約破棄を告げられた。 彼はアルティリアが上から目線だと批判して、自らの妻として相応しくないと判断したのだ。 それに対して不満を述べたアルティリアだったが、婚約者の意思は固かった。こうして彼女は、理不尽に婚約を破棄されてしまったのである。 そのことに関して、アルティリアは実の父親から責められることになった。 公にはなっていないが、彼女は妾の子であり、家での扱いも悪かったのだ。 そのような環境で父親から責められたアルティリアの我慢は限界であった。伯爵家に必要ない。そう言われたアルティリアは父親に告げた。 「私は私で勝手に生きていきますから、どうぞご自由にお捨てになってください。私はそれで構いません」 こうしてアルティリアは、新たなる人生を送ることになった。 彼女は伯爵家のしがらみから解放されて、自由な人生を送ることになったのである。 同時に彼女を虐げていた者達は、その報いを受けることになった。彼らはアルティリアだけではなく様々な人から恨みを買っており、その立場というものは盤石なものではなかったのだ。

【R18】両想いでいつもいちゃいちゃしてる幼馴染の勇者と魔王が性魔法の自習をする話

みやび
恋愛
タイトル通りのエロ小説です。 「両想いでいつもいちゃいちゃしてる幼馴染の勇者と魔王が初めてのエッチをする話」 https://www.alphapolis.co.jp/novel/902071521/575414884/episode/3378453 の続きです。 ほかのエロ小説は「タイトル通りのエロ小説シリーズ」まで

婚約解消して次期辺境伯に嫁いでみた

cyaru
恋愛
一目惚れで婚約を申し込まれたキュレット伯爵家のソシャリー。 お相手はボラツク侯爵家の次期当主ケイン。眉目秀麗でこれまで数多くの縁談が女性側から持ち込まれてきたがケインは女性には興味がないようで18歳になっても婚約者は今までいなかった。 婚約をした時は良かったのだが、問題は1か月に起きた。 過去にボラツク侯爵家から放逐された侯爵の妹が亡くなった。放っておけばいいのに侯爵は簡素な葬儀も行ったのだが、亡くなった妹の娘が牧師と共にやってきた。若い頃の妹にそっくりな娘はロザリア。 ボラツク侯爵家はロザリアを引き取り面倒を見ることを決定した。 婚約の時にはなかったがロザリアが独り立ちできる状態までが期間。 明らかにソシャリーが嫁げば、ロザリアがもれなくついてくる。 「マジか…」ソシャリーは心から遠慮したいと願う。 そして婚約者同士の距離を縮め、お互いの考えを語り合う場が月に数回設けられるようになったが、全てにもれなくロザリアがついてくる。 茶会に観劇、誕生日の贈り物もロザリアに買ったものを譲ってあげると謎の善意を押し売り。夜会もケインがエスコートしダンスを踊るのはロザリア。 幾度となく抗議を受け、ケインは考えを改めると誓ってくれたが本当に考えを改めたのか。改めていれば婚約は継続、そうでなければ解消だがソシャリーも年齢的に次を決めておかないと家のお荷物になってしまう。 「こちらは嫁いでくれるならそれに越したことはない」と父が用意をしてくれたのは「自分の責任なので面倒を見ている子の数は35」という次期辺境伯だった?! ★↑例の如く恐ろしく省略してます。 ★9月14日投稿開始、完結は9月16日です。 ★コメントの返信は遅いです。 ★タグが勝手すぎる!と思う方。ごめんなさい。検索してもヒットしないよう工夫してます。 ♡注意事項~この話を読む前に~♡ ※異世界を舞台にした創作話です。時代設定なし、史実に基づいた話ではありません。【妄想史であり世界史ではない】事をご理解ください。登場人物、場所全て架空です。 ※外道な作者の妄想で作られたガチなフィクションの上、ご都合主義なのでリアルな世界の常識と混同されないようお願いします。 ※心拍数や血圧の上昇、高血糖、アドレナリンの過剰分泌に責任はおえません。 ※価値観や言葉使いなど現実世界とは異なります(似てるモノ、同じものもあります) ※誤字脱字結構多い作者です(ごめんなさい)コメント欄より教えて頂けると非常に助かります。 ※話の基幹、伏線に関わる文言についてのご指摘は申し訳ないですが受けられません

よくある婚約破棄なので

おのまとぺ
恋愛
ディアモンテ公爵家の令嬢ララが婚約を破棄された。 その噂は風に乗ってすぐにルーベ王国中に広がった。なんといっても相手は美男子と名高いフィルガルド王子。若い二人の結婚の日を国民は今か今かと夢見ていたのだ。 言葉数の少ない公爵令嬢が友人からの慰めに対して放った一言は、社交界に小さな波紋を呼ぶ。「災難だったわね」と声を掛けたアネット嬢にララが返した言葉は短かった。 「よくある婚約破棄なので」 ・すれ違う二人をめぐる短い話 ・前編は各自の証言になります ・後編は◆→ララ、◇→フィルガルド ・全25話完結

処理中です...