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番外編『トライアングル』
〈3〉賢二郎目線
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そして、三月某日の早朝。
今日は京都へ向かう日だ。賢二郎はむくりとベッドの上に起き上がり、乱れた前髪をかき上げた。そしてはぁ……と、奈落の底にまで届きそうな、重たいため息をつく。
「……あかん、ほんまあかん……あかんでこれは……」
今日も今日とて、夢に累が登場した。
ときにステージ衣装のタキシード姿で、またときにはラフな普段着姿で、ときに制服で……。夢の中で、累が賢二郎に迫ってくるのである。
ちなみに今日はタキシード姿だった。黒に近いようなワインレッドの、昨年のクリスマスコンサートの時に着用していたものだろう。累にしか似合わないであろう、華やかに洒落たタキシードだ。あの公演の日も、着替えを終えて出てきた累を見た瞬間、あまりのかっこよさに吐血しそうになった賢二郎である。
そのタキシード姿の累は、白く長い指でタイを緩めながら、賢二郎を壁際へと追い詰めた。そして——
「ああああああもう~~~~~!!! 何でやねん!!! なんでこんな夢ばっか見んねんクッソ……っ!!」
いつぞや、累に壁ドンをきめられてからこっち、賢二郎は寝不足続きだ。
空に隠し事を強いている賢二郎に苛立ったのだろう、いつになく不機嫌そうな累の表情に胸が大きく高鳴ったのを覚えている。そのままのらりくらりと言い逃れてしまおうと思っていたのに、まさかあんな、あんな、壁ドンを仕掛けてくるとは思わなかった。
しかも累はまた背が伸びたらしい。長い腕の中に閉じ込められ、上から険しい目つきで見下ろされた瞬間、賢二郎の胸はキュンと妙な音を立てて——
「いやいやいやいや!! キュンてなんやねんありえへんやろ!!!! くそっ……なんでや……!! なんでなんや……!!! あんなん喧嘩売られただけやん!! 迫られたわけでもなんでもないのにキュンてなんやねんキュンて……ッ!!!」
そしてその夜からさっそく夢に出現するようになったのは、雄めいた表情で迫ってくる累だった。それだけでも問題なのに、さらに大問題なことがある。
賢二郎が、いつだって累の下にいることだ。(といっても、たいしたことはされていない)
そう、下なのだ。しかも夢の中の自分は、そうして累に求められることに喜びを感じていて——
「いやいやいやいや!! そっちちゃうやろ!! なんで僕がそっちやねん!!! く、くそっ……!!」
ぼすん、と枕に顔を突っ伏して、賢二郎はうめき声を上げた。
累のことは憎からず……いや、もう認めた方がいい。賢二郎は、累に恋をしている。
だが、それは肉体的な欲求には直結しない、プラトニックなものだった。圧倒的な音楽的才能を持っているくせに、誠実で優しいところ——累のそういうところが、ものすごく好ましい。年下というところも手伝って、可愛さも感じている。だからこそ累のことは、むしろ愛でたいほうだと思っていたのに。
この間の壁ドンで、賢二郎は累の肉体的な成長にも気づいてしまった。
初対面の十五歳の頃から、累はすらりとした長身で大人びていたものだ。だが、ここ一年あまり会わない間に、累はさらに背が伸びていた。
きっと、すでに180センチには届いているだろう。背が高いので細身に見えるが、すこし体つきも頼もしくなったようだった。ああして間近に迫られてみて、さらに大人の男へと近づいた累の魅力を再確認してしまった。
ちなみに賢二郎は172センチである。一般的に見て、決して小さい方ではないはずだ。依頼を受けて出演したコンサートなどではキャッキャと女性にもてはやされるし、大学の友人女子からも告白されることだってある。女性を惹きつける魅力を、自分はじゅうぶん身に備えているはずだ。
「なのに…………なんでや、なんで僕は」
熱を燻らせている身体が、つらい。
夢の中で高まってしまった身体を誰に慰めてもらうこともできない虚しさに、賢二郎は少し泣きそうになった。
だが、あまりのんびりしている時間はない。今日は朝八時台の新幹線に乗らねばならないのだ。
「はぁ…………ほんまにクソ。コレ、抜かなどうしょうもないやん……」
ようやくのっそりと身体を起こし、賢二郎は今日何度目かも分からない深い深いため息をついた。
+
そして賢二郎は、東京駅の新幹線下り線ホームに到着した。
ついでに実家へ帰省することにしているため、大きめのキャリーケースを転がしながらホームを歩く。東京はいつでも人混みだが、三月半ばともなると特に人々の移動が多い時期である。人波をすり抜けるように歩きながら、賢二郎は黒いマスクの中で大欠伸をした。
累との共演依頼は、夏目から突然もたらされた。
半年ほど前、秋の最中のことだ。授業終わりに、くねくねしながら歩み寄ってきた夏目に捕獲され、ずるずると馬鹿力で廊下の隅に連れて行かれた。いったい何事かと身構えていると、夏目はニコニコしながら「累くんとお寺でデュオ、どう?」と尋ねてきたのだ。
聞けば、故郷・京都でのコンサートの依頼であるという。賢二郎は一も二もなく「やる!」と言った。
毎週のように累が大学を訪れていると知ってはいたものの、なかなか顔を合わせる機会はなく、日々もどかしい思いをしていた賢二郎である。
レッスン終わりなどの時間を狙い、偶然通りかかった風を装えば、やすやすと累に会えたのだろう。が、意地っ張りな賢二郎にそんなことができるわけがない。むしろ会いたすぎて避けてしまうというややこしい状況を自ら招いていたせいで、まったく累の姿を見ることはなかった。
だというのに、そんな状況を吹き飛ばすくらいの幸福が訪れたのである。
累とまた弾くことができる。しかも二人で……!! これを断る理由がどこにあるのだろうか。あるはずがない。
「僕は基本、ギャラの出る依頼は断らへんし」と夏目には強がっておいたが、その時からすでに賢二郎の瞳はキラキラと輝いていたに違いない。
共演するということは、練習の機会を設けることができるということ。夏目の指導が入るだろうが、必然的にふたりきりで練習する時間もあるだろう。累がすぐそこにいるのに会えないという苦行を自ら勝手に強いてきた賢二郎にとって、これ以上の僥倖はなかった。
楽曲を決める打ち合わせの後、各自での練習経て、年明けから週一で累との合同練習に入った賢二郎である。
そしていざ累の音を聴いてみて——浮かれていた自分を、賢二郎は心の底から恥ずかしく思った。
累は完璧に楽曲を仕上げてきていたのだ。それに対して、自分はどうだろう。当然、譜面通りに弾くことはできる。が、そこまででしかない。弾き込みが足りず、上辺だけの音しか出せていない。
当然、累は賢二郎の浮き足立った様子に気づいたようだった。だがそれを責めることはなく、淡々と「石森さん、お忙しいですもんね。できるだけ僕がカバーできるようにしますから」と言うのである。
……そんなことを言われて、素直に「うん、よろしく」と頷けるわけがない。
己の不甲斐なさを払拭するために、賢二郎は猛然と脇目も振らずに練習を重ねた。ずっと夢に見ていた累とのふたりきりの時間に甘いときめきを感じる余裕さえなかった。汗だくになりながら弓を引いた。
そんな賢二郎の鬼気迫る様子に累も刺激されたらしい。累も練習にも熱が入っていた。曲への解釈の微妙なズレが気になって議論が加熱したこともある。
いろんな累の表情を見ることができて、毎日が幸せだった。
楽しくて、なんだかずっと夢の中にいるような気分だった。
そして今も。雑踏の中に累の姿を見つけて、賢二郎は眩しさに目を細めた。
別段朝日が眩しいというわけではない。黒いキャップをかぶり、いつもよりラフな格好をしていても、隠しきれないイケメンオーラがすさまじいのである。
——朝からキラッキラやな……感心するわ……。
まぶしすぎて渋面になってしまう。声を掛けることなく1メートルほどの距離で佇んでいると、累ははたと賢二郎の存在に気付いたようで、にっこり笑った。……不意打ちの笑顔が可愛すぎて、賢二郎はその場で卒倒しそうになった。
「石ケ森さん。おはようございます」
「おう……おはよ。ど……どないしてん、朝早いのに機嫌よさそやな」
「僕、日本の新幹線初めてなんですよ。カッコいいですね!」
「ウッ…………そ、そーか。うん、せやな。新幹線てカッコええよな……」
なるほど、累が朝っぱらからにこやかなのは、初めて見る新幹線を相手にテンションが上がっているかららしい。ひっきりなしにホームに滑り込んでくる新幹線のフォルムが好みらしく、スマホでカシャカシャやっている。
普段、大人びて落ち着いた累を見慣れているものだから、子どものようにはしゃいでいる累が可愛らしくてたまらない。マスクをしていてよかった。そうでなければニマニマと緩みっぱなしの口元を見られてしまうところだ。
「あれ、N700Sっていうらしいですよ。めちゃくちゃ速そうだなぁ……」
「うっ、うん……せやな……なんや360キロくらい出るらしいしな」
「そんなに速いんですか!? すごい……!」
音楽に関すること以外で、こんなにも目をキラキラ輝かせる累を初めて見た。あまりの可愛さに叫び出しそうになるのを、賢二郎はグッと堪える。
——あああ……あかん、かわいい……!! めったくそかわいいやん天才のくせに……っ!! せや、僕も新幹線撮るふりして累クンの姿を……。
と、不審者に近い思考でスマホをポケットから取り出しかけたその時、累の向こうにヌッと大柄なスーツ男が現れた。賢二郎は仰天して、スマホを取り落としそうになる。
「累さん、朝ごはん買ってきましたよ」
「ありがとうございます、岩蔵さん」
「石ケ森さんのぶんもありますので、どうぞ」
ぬ……と大きな手にビニール袋をぶら下げた男は、ドスの効いた低い声で石ケ森にも視線を向けた。誰だこいつは。
「あ、ああ……どうも、おおきに……。ってか、誰? 君、いつから執事雇うようになったん」
「僕のマネージャーをしてくださってる、岩蔵さんです。今回も指定席や宿の手配なんかを全部してくれて」
「あ~……そうなんや、スゴイな君。マネージャーまでいてはんの?」
「ええまぁ。母が、僕の身の安全のためにと」
「……なるほど」
ボディガードよろしく累の傍に立つ黒山のような大男に、一応会釈して挨拶をする。……どうやら、新幹線でふたりきり、という胸がときめく状況は消え失せたらしい。
累と賢二郎が乗車予定の新幹線の到着を知らせるアナウンスが、ホーム上ににのんびりと響いた。
今日は京都へ向かう日だ。賢二郎はむくりとベッドの上に起き上がり、乱れた前髪をかき上げた。そしてはぁ……と、奈落の底にまで届きそうな、重たいため息をつく。
「……あかん、ほんまあかん……あかんでこれは……」
今日も今日とて、夢に累が登場した。
ときにステージ衣装のタキシード姿で、またときにはラフな普段着姿で、ときに制服で……。夢の中で、累が賢二郎に迫ってくるのである。
ちなみに今日はタキシード姿だった。黒に近いようなワインレッドの、昨年のクリスマスコンサートの時に着用していたものだろう。累にしか似合わないであろう、華やかに洒落たタキシードだ。あの公演の日も、着替えを終えて出てきた累を見た瞬間、あまりのかっこよさに吐血しそうになった賢二郎である。
そのタキシード姿の累は、白く長い指でタイを緩めながら、賢二郎を壁際へと追い詰めた。そして——
「ああああああもう~~~~~!!! 何でやねん!!! なんでこんな夢ばっか見んねんクッソ……っ!!」
いつぞや、累に壁ドンをきめられてからこっち、賢二郎は寝不足続きだ。
空に隠し事を強いている賢二郎に苛立ったのだろう、いつになく不機嫌そうな累の表情に胸が大きく高鳴ったのを覚えている。そのままのらりくらりと言い逃れてしまおうと思っていたのに、まさかあんな、あんな、壁ドンを仕掛けてくるとは思わなかった。
しかも累はまた背が伸びたらしい。長い腕の中に閉じ込められ、上から険しい目つきで見下ろされた瞬間、賢二郎の胸はキュンと妙な音を立てて——
「いやいやいやいや!! キュンてなんやねんありえへんやろ!!!! くそっ……なんでや……!! なんでなんや……!!! あんなん喧嘩売られただけやん!! 迫られたわけでもなんでもないのにキュンてなんやねんキュンて……ッ!!!」
そしてその夜からさっそく夢に出現するようになったのは、雄めいた表情で迫ってくる累だった。それだけでも問題なのに、さらに大問題なことがある。
賢二郎が、いつだって累の下にいることだ。(といっても、たいしたことはされていない)
そう、下なのだ。しかも夢の中の自分は、そうして累に求められることに喜びを感じていて——
「いやいやいやいや!! そっちちゃうやろ!! なんで僕がそっちやねん!!! く、くそっ……!!」
ぼすん、と枕に顔を突っ伏して、賢二郎はうめき声を上げた。
累のことは憎からず……いや、もう認めた方がいい。賢二郎は、累に恋をしている。
だが、それは肉体的な欲求には直結しない、プラトニックなものだった。圧倒的な音楽的才能を持っているくせに、誠実で優しいところ——累のそういうところが、ものすごく好ましい。年下というところも手伝って、可愛さも感じている。だからこそ累のことは、むしろ愛でたいほうだと思っていたのに。
この間の壁ドンで、賢二郎は累の肉体的な成長にも気づいてしまった。
初対面の十五歳の頃から、累はすらりとした長身で大人びていたものだ。だが、ここ一年あまり会わない間に、累はさらに背が伸びていた。
きっと、すでに180センチには届いているだろう。背が高いので細身に見えるが、すこし体つきも頼もしくなったようだった。ああして間近に迫られてみて、さらに大人の男へと近づいた累の魅力を再確認してしまった。
ちなみに賢二郎は172センチである。一般的に見て、決して小さい方ではないはずだ。依頼を受けて出演したコンサートなどではキャッキャと女性にもてはやされるし、大学の友人女子からも告白されることだってある。女性を惹きつける魅力を、自分はじゅうぶん身に備えているはずだ。
「なのに…………なんでや、なんで僕は」
熱を燻らせている身体が、つらい。
夢の中で高まってしまった身体を誰に慰めてもらうこともできない虚しさに、賢二郎は少し泣きそうになった。
だが、あまりのんびりしている時間はない。今日は朝八時台の新幹線に乗らねばならないのだ。
「はぁ…………ほんまにクソ。コレ、抜かなどうしょうもないやん……」
ようやくのっそりと身体を起こし、賢二郎は今日何度目かも分からない深い深いため息をついた。
+
そして賢二郎は、東京駅の新幹線下り線ホームに到着した。
ついでに実家へ帰省することにしているため、大きめのキャリーケースを転がしながらホームを歩く。東京はいつでも人混みだが、三月半ばともなると特に人々の移動が多い時期である。人波をすり抜けるように歩きながら、賢二郎は黒いマスクの中で大欠伸をした。
累との共演依頼は、夏目から突然もたらされた。
半年ほど前、秋の最中のことだ。授業終わりに、くねくねしながら歩み寄ってきた夏目に捕獲され、ずるずると馬鹿力で廊下の隅に連れて行かれた。いったい何事かと身構えていると、夏目はニコニコしながら「累くんとお寺でデュオ、どう?」と尋ねてきたのだ。
聞けば、故郷・京都でのコンサートの依頼であるという。賢二郎は一も二もなく「やる!」と言った。
毎週のように累が大学を訪れていると知ってはいたものの、なかなか顔を合わせる機会はなく、日々もどかしい思いをしていた賢二郎である。
レッスン終わりなどの時間を狙い、偶然通りかかった風を装えば、やすやすと累に会えたのだろう。が、意地っ張りな賢二郎にそんなことができるわけがない。むしろ会いたすぎて避けてしまうというややこしい状況を自ら招いていたせいで、まったく累の姿を見ることはなかった。
だというのに、そんな状況を吹き飛ばすくらいの幸福が訪れたのである。
累とまた弾くことができる。しかも二人で……!! これを断る理由がどこにあるのだろうか。あるはずがない。
「僕は基本、ギャラの出る依頼は断らへんし」と夏目には強がっておいたが、その時からすでに賢二郎の瞳はキラキラと輝いていたに違いない。
共演するということは、練習の機会を設けることができるということ。夏目の指導が入るだろうが、必然的にふたりきりで練習する時間もあるだろう。累がすぐそこにいるのに会えないという苦行を自ら勝手に強いてきた賢二郎にとって、これ以上の僥倖はなかった。
楽曲を決める打ち合わせの後、各自での練習経て、年明けから週一で累との合同練習に入った賢二郎である。
そしていざ累の音を聴いてみて——浮かれていた自分を、賢二郎は心の底から恥ずかしく思った。
累は完璧に楽曲を仕上げてきていたのだ。それに対して、自分はどうだろう。当然、譜面通りに弾くことはできる。が、そこまででしかない。弾き込みが足りず、上辺だけの音しか出せていない。
当然、累は賢二郎の浮き足立った様子に気づいたようだった。だがそれを責めることはなく、淡々と「石森さん、お忙しいですもんね。できるだけ僕がカバーできるようにしますから」と言うのである。
……そんなことを言われて、素直に「うん、よろしく」と頷けるわけがない。
己の不甲斐なさを払拭するために、賢二郎は猛然と脇目も振らずに練習を重ねた。ずっと夢に見ていた累とのふたりきりの時間に甘いときめきを感じる余裕さえなかった。汗だくになりながら弓を引いた。
そんな賢二郎の鬼気迫る様子に累も刺激されたらしい。累も練習にも熱が入っていた。曲への解釈の微妙なズレが気になって議論が加熱したこともある。
いろんな累の表情を見ることができて、毎日が幸せだった。
楽しくて、なんだかずっと夢の中にいるような気分だった。
そして今も。雑踏の中に累の姿を見つけて、賢二郎は眩しさに目を細めた。
別段朝日が眩しいというわけではない。黒いキャップをかぶり、いつもよりラフな格好をしていても、隠しきれないイケメンオーラがすさまじいのである。
——朝からキラッキラやな……感心するわ……。
まぶしすぎて渋面になってしまう。声を掛けることなく1メートルほどの距離で佇んでいると、累ははたと賢二郎の存在に気付いたようで、にっこり笑った。……不意打ちの笑顔が可愛すぎて、賢二郎はその場で卒倒しそうになった。
「石ケ森さん。おはようございます」
「おう……おはよ。ど……どないしてん、朝早いのに機嫌よさそやな」
「僕、日本の新幹線初めてなんですよ。カッコいいですね!」
「ウッ…………そ、そーか。うん、せやな。新幹線てカッコええよな……」
なるほど、累が朝っぱらからにこやかなのは、初めて見る新幹線を相手にテンションが上がっているかららしい。ひっきりなしにホームに滑り込んでくる新幹線のフォルムが好みらしく、スマホでカシャカシャやっている。
普段、大人びて落ち着いた累を見慣れているものだから、子どものようにはしゃいでいる累が可愛らしくてたまらない。マスクをしていてよかった。そうでなければニマニマと緩みっぱなしの口元を見られてしまうところだ。
「あれ、N700Sっていうらしいですよ。めちゃくちゃ速そうだなぁ……」
「うっ、うん……せやな……なんや360キロくらい出るらしいしな」
「そんなに速いんですか!? すごい……!」
音楽に関すること以外で、こんなにも目をキラキラ輝かせる累を初めて見た。あまりの可愛さに叫び出しそうになるのを、賢二郎はグッと堪える。
——あああ……あかん、かわいい……!! めったくそかわいいやん天才のくせに……っ!! せや、僕も新幹線撮るふりして累クンの姿を……。
と、不審者に近い思考でスマホをポケットから取り出しかけたその時、累の向こうにヌッと大柄なスーツ男が現れた。賢二郎は仰天して、スマホを取り落としそうになる。
「累さん、朝ごはん買ってきましたよ」
「ありがとうございます、岩蔵さん」
「石ケ森さんのぶんもありますので、どうぞ」
ぬ……と大きな手にビニール袋をぶら下げた男は、ドスの効いた低い声で石ケ森にも視線を向けた。誰だこいつは。
「あ、ああ……どうも、おおきに……。ってか、誰? 君、いつから執事雇うようになったん」
「僕のマネージャーをしてくださってる、岩蔵さんです。今回も指定席や宿の手配なんかを全部してくれて」
「あ~……そうなんや、スゴイな君。マネージャーまでいてはんの?」
「ええまぁ。母が、僕の身の安全のためにと」
「……なるほど」
ボディガードよろしく累の傍に立つ黒山のような大男に、一応会釈して挨拶をする。……どうやら、新幹線でふたりきり、という胸がときめく状況は消え失せたらしい。
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