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28、王子の寝顔

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 細く開いたカーテンの隙間から入り込んだ外光が、累の部屋をほの明るく照らしている。空は物音を立てないように、そっとベッドに近づいた。

「……わ、寝てる」

 累は半袖Tシャツ姿でうつ伏せになり、布団の中ですうすうと健やかな寝息を立てて眠っている。まさか寝顔を拝めるとは思ってもみなかった。空はそろそろとベッドサイドに膝をついて、累の寝顔をじっくり見てみることにした。

 熟睡しているのだろう、眉間から力が抜けた累の寝顔は、思いの外幼かった。乱れた金色の髪が額を覆い、その下には、長いまつ毛がきれいな扇形を描いている。マッチ棒が何本くらい乗るんだろうと、空はふとそんなことを考えた。

「累」

 そっと名前を呼んでみると、ぴく、と微かにまつ毛が震えた。ゆっくりと瞼が開き、朝日が青い瞳に吸い込まれてゆくようすを見守っているだけで、なんだかとても愛おしい気持ちになる。

「……そら」
「おはよ、累。ごめん、起こしちゃったね」

 心地よい眠りを妨げてしまったことに申し訳なさを感じるも、寝ぼけ眼でとろりと微笑む累が可愛くて、空はちょっときゅんとしてしまった。昨日、凛とした表情で大舞台に立ち、溢れんばかりの歓声を浴びていた姿とは打って変わって、無防備で幼い姿である。乱れた前髪も、Tシャツにスウェットというラフな寝巻きも、寝起きで少し掠れた声も、何もかもが新鮮に見えてドキドキした。

 枕元に置かれていた累の手に手を重ねると、累は嬉しそうに目を細めた。

「いまなんじ……?」
「10時半、くらいかな。お母さんに会ったよ」
「え、もう? ああ……そうだった、母さんもいるんだった」
「もう出かけたよ。遅くなるから、ゆっくりしていってねって」
「……そっか」

 累はもぞもぞと身じろぎをして、すっと布団を持ち上げた。そして、いたずらっぽく微笑むのである。

「こっちきて、空」
「えっ」
「あったかいよ、おいで」
「……う、うん」

 空は誘われるままに、累の布団の中に潜りこむ。分厚めのパーカーを着ているものの、暖房も何もついていない累の部屋は確かに少し肌寒い。軽い布団の中は累の体温でぬくぬくと温まっていて、とても心地が良かった。
 すると累は、ぎゅっと空の腰に手を回して胸元に顔を埋める。ほんのりと香るシャンプーの匂いと、寝起きでふわっとした累の髪の毛が可愛くて、空は微笑みながら累を抱き返した。

「昨日、遅かったの?」
「ああ……うん。打ち上げの会場から出たのが……11時過ぎだったかな。そのあと、酔っ払った石ケ森さんをタクシーで送って……」
「……。えっ……? 石ケ森さんを、送っ……?」

 まさかぬくぬくの布団の中で石ケ森の名前を聞くとは思わず、空はぎょっとして累のつむじを見つめた。すると累はひょいと顔を上げて空を見つめる。

「ん?」
「えっ、あ、いや……その……だ……大丈夫だったの!?」
「うん……石ケ森さん、タクシーで寝て少し復活して、自分で歩いてマンションに入ってったから、大丈夫だと思うよ」
「へ、へぇ……」

 大丈夫かと尋ねたのは累の貞操のほうだったのだが……どうやら杞憂だったらしい。ひょっとしてひょっとすると、石ケ森は送ってもらったついでに累を家に引っ張り込み、そのまま——という爛れた妄想をしかけたのだが、そんな自分が心底恥ずかしかった。いつの間に、そんなことを考えてしまうような脳みそになってしまったのだろうかと……。

「そ、そっか……石ケ森さん、今頃二日酔いかもね……。壱成もたまに二日酔いで苦しんでるし。累は飲まされてない?」
「うん、全然。ごめんね昨日は、会いたいって言ってたのは僕なのに」
「いいよ。だって累の日本初公演だもん、そりゃ色々付き合いもあるよね」
「うん、まぁね……。挨拶回りの方が疲れちゃったな」

 累はそう呟き、また空の胸に顔を埋めた。空はそっと、累の後頭部を撫でてみる。

「昨日の累、すごくカッコよかった。ヴァイオリンの音もすごくきれいだったし、迫力あったし、なんかもう……すごかった。俺、ずーっと鳥肌立ちっぱなしで、泣きそうになっちゃって」
「ふふ……ほんと? ありがとう。空が見ててくれるんだって思うと、僕も少し緊張したけどね」
「ちょっとだけそうかな~って思った、最初だけだけど」
「さすが、分かっちゃったか」
 
 空の言葉に、累がちょっと苦笑する。空は首を振って、こう続けた。

「お客さんたち、みんな累のこと好きになったと思うなぁ。だって累、弾いてる時すごく楽しそうで、幸せそうで……ニコニコしながら弾いてる時もあったよね」
「うん……楽しかった。一人で弾くのもいいんだけど、やっぱりオケと合わせると、僕も気持ちいいんだ」
「そっか、そうなんだね」

 累はまた顔を上げ、空に向かってにっこりと愛らしい笑みを見せた。空に褒められて喜んでいる様子がありありと伝わってくる。

「純粋なクラシックもすごく感動したけど、ドラムが入ったりしてアレンジされてるのもカッコよかったなぁ。おしゃれっていうか、俺みたいな素人でも入りやすかったし。アンコールのクリスマスメドレーも、すっごくカッコよかったよ」
「空もそう思う? 僕も、今回のアレンジは好みだったから」
「うんうん、わかる! ずーっと聴いていたいって感じだったよ!」

 昨日感じたことを話し始めると、弾みがついたように話が止まらなくなってしまった。協奏曲の第一楽章が終わったところで間違えて拍手をしてしまったことや、指揮者の舞い踊るような指揮が面白かったこと。また、あいこ先生に再会したことや、後半での衣装替えで着ていたタキシードもすごく似合っていたこと。彩人が『秒でナンバーワンなれるわ』と言っていたエピソードなどを語る空を見つめて、累も楽しげな笑顔である。

「音楽祭の時はゆっくりした曲ばっかりだったから分かんなかったけど、累の指ってあんな速く動くんだね、すごかった」
「ほんと?」
「うん、後半の……二曲目のやつ、すっごく速かったじゃん? 壱成がね、見てるだけで腱鞘炎になりそうって言ってた」
「ははっ、そうなんだ。その気になればもっと速く動くよ?」
「えー? あれより速く? うそだろ…………って、ちょっ、あっはははっ、ちょ、くすぐった……っ!!」

 空のパーカーの中に手を入れてきた累に脇腹をくすぐられて、空は身を捩って大笑いしてしまった。だがすぐに累は空をくすぐるのをやめ、幸せそうに笑いながら空の肌を掌で包み込み、ちゅっと空の唇にキスをする。

 笑いを引きずりながら涙目で累を見つめていると、もう一度、累の唇が重なった。何度か下唇を啄まれながら、空もそっと目を閉じて、累のキスに応えてゆく。あたたかなベッドの中で身じろぎをした累の腕が、ぎゅっと空を抱きしめた。

「そら……」
「ん、ん……」

 徐々に熱を帯びてゆく累の唇はしっとりと濡れ、吐息には艶を孕み始める。いつしかキスの温度は高まって、唇が触れ合うたびに微かに水音が生まれてゆく。
 すると累は起き上がり、するりとTシャツを脱いだ。そして空を振り返って色っぽく微笑むと、「空も脱いで」と囁きながら、空のパーカーに手をかける。

 寝起きの気怠さをまだかすかに残す部屋の中、累の白い肌に朝日が透けるようだった。昨晩名曲の数々を力強く奏でていたしなやかな肉体に、空はうっとりと見惚れていた。

 互いに上半身裸になると、累はまた空の隣に寝そべって、ぎゅっと強く抱きしめる。さらりとしたやわらかな肌と肌が触れ合う感触は心地が良く、空は目を閉じて、累のぬくもりと香りを胸いっぱいに吸い込んだ。

「あったかい、空。……はぁ……癒される」
「ふふ……俺も」
「大好きだよ、空。……そら」

 ちゅ……と首筋や鎖骨にキスを受け、快楽を伴ったくすぐったさに空は少し笑った。今日は、いつものように緊張していない自分にふと気づく。いつになく甘えを含んだような累の仕草が可愛いからだろうか。これまでは、累の『男』の部分や、同い年とは思えないような色気に翻弄されてしまうばかりだったが、今は累のことがかわいくてたまらない。空は累を抱きしめ返しながら、目を閉じて囁いた。

「俺も、累が好きだよ」

 自分でも驚くほどに甘い声だった。空の首筋や耳たぶに唇で戯れていた累がふと動きを止め、空と間近で視線を交じらせながら、とろけるように優しい笑みを浮かべた。

「僕はまだ、夢の中にいるのかな」
「何言ってんの、起きてるじゃん」
「ふふ……もう、ほんとにかわいい。大好きだ……どうしよう」

 累の腕に力がこもるのを感じる。空は照れ笑いを浮かべつつ累の頬に触れると、自分から累の唇にキスをした。目を閉じて、空からのキスに吐息を漏らす累の身体を、さっきよりも熱く感じる。

 キスをしながら累はもぞりと身体を起こし、空の上に覆い被さった。累の体重を感じながら指と指を絡ませ、しばらく夢中になって濃密なキスを交わし合う。累の巧みな愛撫で、空の吐息も上がってくる。浅い呼吸に胸を上下させる空からふと唇を離し、累は苦しげな瞳でこう言った。

「……してもいい?」
「へ……?」
「空を抱きたい。もう、我慢できないよ」
「っ……」

 泣き出しそうにも見える切なげな表情だ。灼けるほどの欲を揺らめかせる累の瞳は、これまでに見てきたどんな色よりも深く、美しい色をしている。
 ひとたびこの瞳に囚われてしまえば、もう逆らうことなどできない。空はこくりと頷いた。

「……いいよ」
「いい? ほんとに?」
「うん。……う、うまくできるかわかんないけど……俺も、したい」
「空……」

 たどたどしくそう答える空の額に、こつんと累の額が触れる。

「うまくやろうなんて思わないで。ただ……怖くなったり、僕が暴走しかけたら、ちゃんと叱ってね」
「う、うん……分かった」

 うなずく空をひたと見つめて、累が幸せそうに微笑んでいる。
 これから行われようとする行為を怖いと思っていたのが嘘のように、今はただ、累が欲しくてたまらなかった。













◇続きは明日12/25、21時に更新します
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