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2、突然の……!?

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 海外旅行経験のない空にとって、空港は初めての場所だ。
 近未来的な構造をしたきれいな建物にはワクワクするが、様々な国籍の人々が、耳慣れない言葉を早口に喋りながら行き交う様子には圧倒されてしまう。

 旅行者らしい格好をした人もいれば、スーツに身を包んだビジネスマンもいるし、エキゾチックな民族衣装に身を包んだ女性たちもいる。肌の色や髪の色もそれぞれで、空は改めて、自分がいかに狭い世界で生きて来たのかということを思い知ったような気がした。

 ——累はすごいな……。見た目はそりゃ西洋人風だけど、十歳でドイツに行くってだけでもすごいのに。そこからヴァイオリニストとして、世界の舞台に立つようになったなんてなぁ……。

「……いまさらだけど、帰って来た累と何しゃべればいいんだろ。五年も離れててさ、あっちはロイヤル感すごいのに、俺は庶民だしクラシックなんてわかんないし、話、合うのかな……」

 ついつい独り言が漏れ出してしまうが、とりあえず、空は待ち合わせ場所の展望デッキへと向かった。
 
 ただ歩いている間も、耳から入ってくる情報の多さにも驚かされる。各国からやってくる飛行機の到着を告げるアナウンスも、当然日本語ばかりではない。便名や到着時間を告げる声が、わんわんとこだまして聞こえた。

 ——てか累、俺のこと分かるかな……。最後にビデオ通話したの、いつだっけ……。

 ぼんやりそんなことを考えながら、表示に従って通路を歩くと、無事に展望デッキへ到着した。突然視界が開け、抜けるような青空が視界に広がる。

 今まさに、一機のジャンボジェット機が滑走路に降り立とうとしているところだ。空は小走りにフェンスに駆け寄った。

 耳をつんざくような轟音の中、白く巨大な飛行機の機体が、ふわりと滑走路に着地する。これまであまり飛行機に興味を持ったことはなかったけれど、数千キロの空の旅を終え、堂々と地面に降り立つ姿は、ちょっと感動してしまうほどに勇ましく、格好良い。

「うわぁ~すごいなぁ……」

 展望デッキに吹き抜ける熱風は残暑の風か、それとも、飛行機が連れて帰って来た異国の風か。めちゃくちゃに乱れる髪の毛もそのままに、空はしばらくの間、大小様々な飛行機の姿を眺めていた。

 ——累、どの飛行機かな。到着時間まで少しあるけど、着陸するところ見られるかなぁ……。

 緊張を忘れ、広い広い滑走路を眺めていた空の肩を、不意に誰かがぽんと叩いた。

「空」
「……え?」

 どこか聞き覚えのあるこの低い声は、電話越しの累の声。空ははっとして、勢いよく振り返った。

「累……?」
「やっぱり空だ! すぐに分かったよ!」

 背中にはヴァイオリンケース、傍にはトランクを手にした若い男が、スッと優雅な動きでサングラスを外した。
 すると少し長めの前髪がさらりと揺れ、形良く整った怜悧な双眸があらわれる。金色の長いまつ毛に彩られた青い瞳が細められ、白い歯も爽やかな満面の笑顔が花開いた。

 突然目の前に現れた金髪碧眼の美形を前に、空は一瞬ぽかんとしてしまった。ニュースの写真で見た姿よりも、累は何倍も何倍も美しい。華のある存在感に、空は完全に圧倒されていた。


 ——う、うおおお……すっご。累、めっちゃくちゃかっこよくなってるじゃん……!!


「ほ、ほんとに、累……なの?」
「そうだよ! ああ……空、久しぶりだね、会いたかった……!」
「わっ……!」

 気づけば、空は累の腕の中にいるではないか。唐突な再会と突然の熱い抱擁に、空は呆気に取られるばかりである。
 子どもの頃とは比べ物にならないほど、累の腕は力強い。ここではない異国の香りのする累の肩口に顔を押し付けながら、空は「く、くるし……」と呻いた。

「空……空、会いたかった! すごく会いたかったよ、空……!」
「うっ……うん、俺も……てか、ちょっと苦し……」
「すごい、こんなに背が伸びたんだね。空……もっとよく顔を見せて?」
「あ、うん、どうぞ……」

 する……と両頬に添えられた累の手は、空のそれよりずっと大きくなっていて、思わずどきりとしてしまった。恐る恐る見上げてみると、累の透き通るようなスカイブルーの瞳と視線が絡む。

 潤んだ累の瞳は、まるで透明度の高い南国の海のよう。空が思わず見惚れていると、累もまた、うっとりと甘い微笑みを浮かべる。

「……ああ、空、大人っぽくなったね」
「へっ……そ、そうかな。累こそ……なんかすごすぎ。どこの王子様かと思ったよ」
「王子様って……ははっ」

 空の素直な感想に、累が声を立てて笑いだす。ぐっと大人びた累だが、笑顔に幼い頃の面影を見つけると、ようやく累の存在を近くに感じることができた。それが無性に嬉しくて、空もようやく笑顔になる。

「累、おかえり。がんばったね」
「ん……ありがとう。ただいま、空」
「あははっ、よかった、累だ。なんかさ、海の向こうで立派になっちゃったじゃん? もう、俺すごい緊張しちゃってさぁー」
「そんなことない。僕は何も変わってないよ」

 累はそう言って微笑むと、ようやく空の身体を解放した。

 すらりとした長身は、まるでモデルのように均整の取れた体つきだ。Tシャツの上に羽織ったジャケットを軽く腕まくりして、足元はデニムにスニーカーというラフないでたち。
 だが、全身から放たれる高貴な雰囲気や華やかさとがあいまって、一国の王子か英国貴族かと見紛うほどのきらびやかさである。

 そして、空から一切目を逸らず、愛おしげに微笑む累の笑顔があまりにも眩しい。こりゃ高校でもファンクラブが即座に立ち上がりそうだなと思っていると、ナチュラルに左手を握られ、熱い眼差しでひたと見つめられ——

 まるで、累の周囲にだけ大輪の薔薇が咲き誇っているように見えて、空はごしごしと目を擦った。

「はあ……感動だなぁ。すごい、生身の空だ……」
「生身って。何いってんの、大袈裟だなぁ」
「僕、空に渡したいものがあるんだよ」
「へぇ、なになにぃ?」

 さっそくドイツ土産をもらえるのかと思い、空はわくわくしながら累の行動を見守った。

 すると累は、ジャケットのポケットから小さな箱を取り出した。光沢のある箱で、いかにも高級感がありそうなものだが、サイズは小さい。ピンバッチか何かかな……と思った空がじっと箱を見つめていると、スッ……とおもむろに累が跪く。


 そして、ぱかっと開いた小箱の中には、クッションに収まったシンプルな銀色の指輪が入っていて——

「空、僕と結婚してください」
「ん? ……………………はい?」

 空が呆気にとられている横で、外国人観光客たちが「ワーォ♡」と歓声を上げ始めている。空はギョッとして、慌ててギャラリーに背を向けた。

「累っ、な、何!? 何言ってんの!?」
「僕はね、今も変わらず、空のことが好きだよ。いや……離れていた時間のぶん、もっともっと、空への想いは強くなってる」
「え? あ、うん? 親友だもんね……?」
「親友? ……ねぇ空、僕はもう、そんな関係じゃ全然足りない。空のこと、ちゃんとこの手で掴んでいたいんだよ」
「あの、あのー、ちょっと落ち着こう、落ち着こうか累。どうしたの急に。飛行機で何か悪いもんでも食べた!?」

 スッと持ち上げられた手の甲に、累の唇が軽く触れる。日常では決して目にすることのない行動はあまりにも様になっていて、非現実感が半端ない。これは一体どういうことだ、何故に突然の求婚だ? この数分のうちに繰り広げられた展開についていけない空は「えぇぇ?」と奇声を上げてしまう。すると、累は伏せていた目をそっと開いて、空を見上げた。

「空、僕を見て。五年経って、それなりの男になっただろ?」
「それなり……? いや、それなりどころか……」

 それなりどころか、累は世界に認められるほどの若手ヴァイオリニストへと成長し、どこぞの王子と見紛うほどの高貴なオーラを身につけて帰って来た……が、この突飛な求愛行動には戸惑うしかない。海外で暮らすと、みんなこんなふうにオープンになってしまうのか……!?

「今の僕があるのは、空がいてくれるおかげだよ。それに昔、言ったろ? 僕が空を守るって」
「あ、あー……うん、小学一年生あたりの時のことかな。てっきり通学路の危険から守ってくれるんだと……」
「五年間、離れてみてはっきり分かった。空が僕のそばにいないってことが、どんなに苦しくて、辛いことなのか」
「あ……うん」
「僕はもう、空から絶対に離れない、離れたくない……ずっと、僕のそばにいて欲しい」
「る、累……」

 どこか切なげな眼差しで空を見上げる累の瞳に、五年前のことを思い出す。
 ドイツへ発つ前の累の落ち込みっぷりは凄かったし、物心つく頃から一緒にいたのだ、空も寂しかったのを覚えている。

 幼い累がこれまでに空に伝え続けてきた『すき』という言葉を、空は『親友』としての好意だと受け止めてきた。だがそれは、恋愛的な意味を表すものだった……ということだろうか。だとしたら、空が想像する以上に、累は寂しい思いをしていたのかもしれない。

 しかも、向かった先は言葉も通じない異国の地。最初はかなり心細かっただろう。
 そんな中、累はひとまわりもふたまわりも成長して帰国した。そんな累を誇らしく思う気持ちはもちろんあるし、帰って来てくれてとても嬉しい。……だが。


 ——いや、でも、いきなり結婚してくれってのは、どう考えてもおかしくないか……!?


「空……イエスなら、この指輪を受け取って?」
「いっ……いやいやいやいや待って累! 話が急展開すぎてついていけてないんだってば。ちょっと落ち着こう? 累らしくないよ大丈夫!? もっとクールな子だったよね!?」

 立ち上がり、空の腰を抱いてぐいぐい迫ってくる累を制しながら辛うじてそう伝えると、累は一瞬、捨てられた子犬のような表情をした。だが、何度かゆっくりと目を瞬き、空からようやく身体を離す。

「そ……そうだよね、いきなりごめん。久々の再会が嬉し過ぎてさ、ここ一週間くらいまともに眠れなかったんだ。つい、取り乱して……」
「一週間も寝てないの!? あ、いやあの、俺だって嬉しいんだよ? 累と会えたこと。それに、またおんなじ学校に通えるんだなぁって思うと、楽しみだし」
「うん……。僕も」

 ようやく少し落ち着いたのか、累は眉を下げて苦笑した。そしてそっと、指輪の入った小箱をポケットにしまい直している。

「……いつ買ったの、それ」
「帰国が決まった時に、すぐ。ギャラをもらえる仕事も受けてるから、けっこういいやつだよ」
「そ、そうなんだ……すごいねぇ」
「いきなり先走って、ごめんね。……でも僕は、とにかく幸せなんだ。また空と一緒にいられるなんて、夢みたいで」
「うん、俺も」

 向かい合うと、自然とお互い笑みが溢れた。
 色々衝撃は受けたものの、やはり幼馴染との再会は嬉しいものだ。純粋に懐かしくて、くすぐったい気持ちになる。

「累、帰ろ? 眠いよね、時差ボケとか大丈夫?」
「うん、平気だよ。興奮しすぎて飛行機でも寝れなかったけどね」
「興奮……。ま、まぁ、とにかく今日は休んだほうがいいよ。あそうだ、兄ちゃんと壱成が累のおかえりパーティしたいって言ってたんだ。また予定教えてね」
「え、ほんと? 嬉しいなぁ」
「二人とも累に会えるの楽しみにしてたよ。いっぱい話聞かせてね」
「うん」

 嬉しそうに微笑む累が、空の手を握りかけた……が、すぐにその手を引っ込める。手を繋ごうとしたんだろうな、というのは分かるけれど、もう二人は十五歳で、親友で、男同士だ。
 人前で手を繋いで歩くなんて普通はしない。累は、空を好きだと言ってくれているけれど……。


 ——累、どこまで本気なんだろう。寝不足と帰国のテンションで盛り上がってるだけ……?


 累を促し、空は考え事をしながらモノレール乗り場の方へ歩き出そうとした。すると累は「ちょっと待って」と言い、ヴァイオリンケースを大切そうにベンチに置いて、羽織っていたジャケットをするりと脱いだ。

 ジャケットの下はシンプルなTシャツで、この五年ですっかり男らしくなった累の身体のラインが見て取れる。


 ——うわ……きれいだな。


 ずっと小柄だった空も、この夏で身長が伸び、身体も引き締まってきたと思う。だが、累の身体は同い年とは思えないほどに大人びた魅力を備えていて、無意識のうちに視線を吸い寄せられてしまう。

「日本ってこんなに暑かったっけ? もうすぐ九月だってのに……あれ、空、どうかした?」
「……えっ? あ、ああ、うん、蒸し暑いよね!! ドイツってなんか寒そうだし!」
「まぁ確かに、こっちに比べたら涼しかったかなぁ。早く慣れないと」
「う、うん! 夏バテしないようにしなきゃだよねぇ」

 こうして普通の会話を交わしていると、五年前に戻ったようでほっとする。だが、色々気になることが多すぎる。


 ——何から何までかっこよくなっちゃってんのに、なんで俺なんかのことを? わっかんないなぁ……どこがいいんだろ。


 とはいえ、幼馴染が戻ってきてくれたことは純粋に嬉しい。

 互いの近況を話し合いながら、二人は帰路に着くのだった。
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