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第3章 ー結糸ー
5、にぶい男
しおりを挟む「あ~~~絶対嫌われてる。絶対俺嫌われてる~~~~~」
そう管を巻いているのは、御門陽仁である。蓮の去った後のリビングルームで結糸に紅茶を振舞われながら、頭を抱えては延々同じことを嘆いているのだ。
「蓮様はお疲れだったんですよ。じゃなきゃ、あんな風に声を荒げたりなさらないと思いますけど」
「でもさぁ、見たろ? あの、俺を射殺すような目つき!! あ~~~~~もうだめだ。生きていけない」
「まぁまぁ、そう落ち込まないでくださいよ。蓮さまはしばらくこちらにおられるんですし、御門さまはパーティにも出席されるんでしょう? またお会い出来る機会もありますって」
「……そ、そうだな……。結糸くん、きみは優しいんだな」
あまりの嘆きように呆れつつも、放っておくこともためらわれ、結糸は陽仁の背中を軽くさすりながら慰めてやっていた。結糸の献身的な態度に多少なりとも癒しを得たのか、陽仁はむくりと顔を上げ、涙に潤んだ熱い瞳で結糸を見つめ始めた。
陽仁のそんな様子を見て、向かいのソファに座っていた葵がぴくりと眉毛を動かした。そしてやおら立ち上がり、ワイシャツ姿の陽仁の隣にすとんと腰を下ろして、長い脚を組む。
「ったく、いつまで同じことを言い続ける気だ。そろそろめんどくさくなってきたぞ」
「はぁ~~? お前に俺の気持ちが分かってたまるかってんだよ!」
「気持ちって? お前、兄さんに惚れてるのか?」
「惚れっ……?」
葵の問いに、陽仁はぐっと言葉に詰まった。そしてゆっくりと腕を組み、黙り込むこと二、三分。陽仁ははっきりとした二重まぶたの目をゆっくりと開き、呻くようにこう言った。
「惚れてるなんて、考えたこともなかったけど……。それに似た感情かもしれん」
「へぇ、そうなんだ」
「高校二年のあの日、珍しくお前を迎えにきた蓮様を見た瞬間、なんて綺麗な人なんだろうって目眩がしたんだ。胸が苦しくなって、なんかこう……手が震えて。でも蓮様の周りには、黒服のいかついSPどもがわんさといたから、ほいほい近づける雰囲気でもなくてさ」
「……へぇ」
「でも、あの人は自分から俺に近づいて……っていうか俺の隣にいたお前に近づいて来た。優しい声で『葵、帰ろう』って、お前の手を取って……あん時の俺の気持ち、分かるか!? 死ぬほどお前のことがうらやましかったよ!」
「そう言われても」
「ちらっと目が合ったんだけど、蓮さまはすぐにお前を引っ張って車の中へ消えて行った。お前をダシにしてもっと仲良くなれるかもって思ってたけど、蓮さまはもうあの頃から社交界の花だったし、バリバリ仕事をされていたから、俺なんかが簡単に会えるような存在じゃなくなってた。だから俺もすぐに仕事を継いで、頑張ってここまで来たけど……まだ、あの人の目には留まれないみたいだな」
陽仁はそこまで一気に語ると、はぁ……と重たいため息をついた。そして片手で頭を押さえて俯くと、自嘲気味な笑みを浮かべながらこんなことを言う。
「惚れてる、か。確かにそうなのかもな。俺は単に、蓮さまの有能さや美しさに憧れてるだけだと思っていたけど……」
「なるほどね。……お前になら、俺は兄さんを託せるんだけどな」
「はぁ? 託す? 何言ってんだよ。あの人はアルファの中のアルファだ。きっと、美麗なオメガい————っぱいはべらして、夜もお忙しくされてるんだろうさ」
「おい、急に物言いが下品だな。俺の兄だぞ」
「そんなの分かってるよ! やってらんねーってことだよ! 俺もオメガに生まれていれば……あるいは……」
「お前みたいにゴツいオメガは抱く気にならないな」
「うっせーなぁもう!」
陽仁はぶっきらぼうにそう言って、ぐいっと紅茶をあおった。そして涼しい顔を自分を見ている葵を見て、ふんと鼻を鳴らす。
「そういえば、ちらっと聞こえたんだけど。葵の番いたい相手って誰なんだ? 俺の知ってる子か?」
「あぁ……聞いてたのか」
「聞こえただけだよ。女のオメガか? それとも男? お前ならオメガの方からいっぱい寄ってくるんだろうけど、その中から選んだわけか?」
「いや、そういうわけじゃない。ずっと、俺のすぐそばにいてくれた相手さ」
葵は軽い口調でそう言いながら、テーブルのそばに置かれたワゴンの上で、紅茶を入れ直している結糸を見上げた。葵の目線に気づいた結糸は、ハッとしたように目を瞬く。この話の流れと、葵の目つきを見ていれば、相当に鈍い人間でない限り、葵の想い人が誰かということくらいすぐに露見してしまいそうなものなのだが……。
「え? 誰それ? ひょっとして俺のこと?」
「……は?」
「いやいやいや……葵、それは困るわ。いくらお前でも……そんな、ほら、俺もお前もアルファだし」
「……何言ってんだお前」
「そりゃお前は美人だし、いいやつだし…………でも、いやいやいや、いくら蓮さまの弟だからって、そりゃ顔立ちだって蓮さまと似てるけど、流石に俺にはそんな……」
「……」
と言いつつ、陽仁はソファの上で背筋を伸ばし、葵と向かい合った。そしてやおら葵の両肩に手を置いて、探るような目つきで葵の表情を覗き込んでいる。
陽仁のあまりの鈍さに衝撃を受けつつも、結糸は笑いを必死で噛み殺しながら、生ぬるい目つきで陽仁を見つめている葵の様子を窺った。
「葵。……お前、番いたいと思うほどに俺のことを……。あ、だからか。だから目が見えるようになった時、俺のおっぱい揉んで……」
「あーーもう、いい加減にしろ!! 俺がお前と番いたい? 誰がいつそんなこと言った!?」
「えっ? ……ち、違うのか……!?」
「そんなわけないだろうが!! さっきも言ったろ、お前みたいなゴツいのを抱く趣味はないんだ」
「いや、むしろ俺に抱かれたいのかと」
「うわぁぁ……気持ち悪いこと言うなよ! 鳥肌がたったじゃないか!」
葵は心底気持ち悪そうな顔をして陽仁の手を払いのけると、困惑気味な陽仁の顔をジロリと睨みつけている。結糸は思わず吹き出してしまったが、笑いを堪えるべく唇を真一文字に引き結んだ。
「なんだ、俺じゃないのかよ」
「どうしてちょっと残念そうなんだよ」
「だって、お前とくっついたら俺、蓮さまと親戚になれるだろ」
「俺がお前とくっつくわけないだろ!! あーもう、寒い。ぞっとする。っていうかそんなに兄さんのことが気になるなら、もっと自分からも攻めてみればいいだろう。チャンスは今しかないぞ」
「そ、そうだなぁ……」
「ったく……ほんと気持ち悪い」
「そこまで言わなくてもよくないか?」
陽仁を前にすると、葵はよく喋る上にとても元気だ。そんな葵のことが珍しくもあり、嬉しくもあり、結糸はほのぼのとした笑顔を浮かべながら二人のやり取りを聞いていた。それに、美しい葵と健康的な美丈夫である陽仁が仲良くしているという絵面はなかなかに倒錯的なものがあり、妙に結糸の心をくすぐるのである。
高校時代からきっと、この二人はこうしてじゃれ合ってきたのだろうと思うと、なんだかとても微笑ましい。
蓮のことでひどく緊張していたものだから、こののんびりとした空気は、結糸に素晴らしい癒しをもたらした。
+
「……やれやれ、やっと帰った」
その後も小一時間、陽仁の恋愛相談に乗る羽目に陥った葵は、心底疲れたようにため息をついた。『アルファ同士の恋は禁断なのか、どう実らせたらいいのか』という陽仁の自問自答に、延々と付き合わされた格好になったのである。
葵はどさりとベッドに腰を下ろして、軽く首を曲げ伸ばししている。
「陽仁さまといると、葵さまはとても活き活きされますよね。なんだか妬けます」
「……妬ける?」
「陽仁さまは、俺の知らない葵さまの顔をいっぱい知ってるんだろうなぁって思うと、ちょっと」
「……」
仲の良い二人に心底癒されたということは何となく言い難く、結糸は茶化した口調でそう言った。
そろそろ入浴の時間も近いため、クロゼットから着替えを出しながらそんなことを言っていると、不意に背後から伸びてきた葵の両腕が、結糸の身体を包み込んだ。
「妬けるだなんて、可愛いこと言ってくれるじゃないか」
「えっ……あ、いえ、そんな」
「俺だって、お前とあいつが仲良く喋ってるところを見ると、妬けてくるよ。いつの間にか、すっかり仲良くなって」
「仲いいですか? 普通にお話してるだけですけど……」
「自覚がないのはたちが悪いな。結糸は、俺のなのに」
「俺のって」
葵の物言いはどことなく甘えを含んでいて、子どもっぽい響きをもっていた。陽仁と長く過ごした影響だろうか、紳士的で大人びた普段の葵ではなく、いつになく素直な雰囲気の葵がそこにいる。結糸はくすくす笑いながら葵の腕の中で身体の向きを変え、ほんのりと拗ねた色を浮かべる葵の瞳を見上げた。
「葵さまも、可愛いことをおっしゃるんですね」
「……可愛いとか、やめてくれ」
「高校時代は、こんな感じだったんですか?」
「うーん、どうだろう」
「ご心配なさらなくても、俺は葵さまのものですよ。誰のものにもなりません」
「……結糸」
結糸の言葉に、葵はふわりと表情を緩めた。優しく微笑む葵の美しさにうっとりと見惚れていると、葵の手がするりと腰に回ってくる。
「もう目が見えるのに、風呂の支度、してくれてるんだ。結糸は世話好きだな」
「あっ、つい、いつもの癖で……」
「じゃあ、ついでに俺の身体も洗ってもらおうかな」
「身体……って、それは以前からご自分でされてたじゃないですか!」
「そうだっけ」
「そうですよ!」
結糸が真っ赤になりながらそう喚くと、葵は明るい笑い声をたてた。そして結糸の身体をぎゅっと抱きしめ、頭のてっぺんにキスをしてくれる。むず痒いほどの幸せに、結糸はついつい身震いした。
「じゃあ今日は、俺が結糸を洗ってやるよ」
「…………はい!? い、いいいですよそんなの!! そ、そんなの無理です!!」
「何で? ちょうどいい機会だ。俺、お前の身体を明るいところでよく見てみたかったんだよな」
「み、見なくていいですってそんなもん!! お、おれ、部屋に戻り……ぁっ……」
「帰さないよ」
シャツの上から首筋を甘噛みされ、結糸はふひゃりと腰砕けになった。葵は力強い腕で結糸を支え、ひょいとそのまま横抱きにする。慌てた結糸は身をよじるが、葵はかまわず軽い歩調でバスルームへと向かうのであった。
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