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 イリオとは早々に再会することとなった。

 彼に声を掛けた二日後、イリオはエラの店を訪れていた。

「こんにちは。エラさん」

 正直なところ彼が店に来ることはないと思っていたので驚いた。

「先日は本当に助かりました。ハンカチお返ししますね」

 手渡されたのは、皺ひとつなく綺麗に畳まれたハンカチ。

 彼に渡した時は、未使用ではあったが鞄の中で多少なりとももみくちゃだったはず。

 イリオが手入れをしてくれたことは一目瞭然だった。

「ありがとう。ご丁寧に」

「いえ、本当にありがとうございました」

 エラの社交辞令にも満開の笑顔が返ってくる。

「それで、これ。お礼に」

 可愛らしいリボンが付いた紙袋が渡される。

「マフィンです。お口に合うといいんですけど」

 紙袋越しからも甘味の良い香りがして、エラは思わず手を伸ばしていた。

 まだほんのりと温かい。

「焼きたてです」

 イリオが頬を桃色に染め微笑んでいる。

 甘いもの好きなエラにしてみれば嬉しい限りだ。

 お礼と言っているので、受け取って清算した方がイリオの気持ちもすっきりするのかも。

 そんな誰に言うでもない言い訳を心で唱えながら受け取る。

「良い香りね。ありがとう」

 エラの感謝の言葉に、イリオは視線を下げる。

 が、頬は緩み満面の笑みだ。

 よく知らない間柄だが、彼が喜んでいることがわかる。

「……焼きたて、って?」

 ふと疑問が湧いた。

 店で買うにしても、焼きたてがちょうど手に入るような時間でもない。

「はい。僕が作りました」

「えっ!?」

 想定外の答えにエラの声が裏返る。

「もしかして手作り、苦手でしたか?」

 みるみるイリオの表情が曇る。

 金の前髪が被さった青い瞳がわずかに潤んでいる気さえする。

「いや! 全然! 美味しそう!」

 全力で否定するあまり片言のようになる。

「よかったです」

 彼に明るい表情が戻った。

 こんなにも感情が顔に出る人間を見たことがない。

 演技を疑ったが、それにしては自然すぎるし演技をする意味がわからない。

「あとで、食べるね」

「はい」

 噛みしめるように彼が返事をする。

 自身の反応ひとつでこんなにも嬉しそうな顔をするのか。

 これまでのエラの人生では縁のなかったタイプだ。

 彼のまっすぐな感情表現にいまだむず痒さを感じている。

「先日いただいた飴、販売してますか?」

「ええ、もちろん。これなんだけど……」

 彼に背を向け目的の棚へ向かう。

 目当てのミント飴は、ちょうどエラの目線程の高さに陳列されている。

 手前のいくつかは売れて、在庫は棚の奥の方。

 少し背伸びをすれば取れるだろう。

「あ、これですね」

 背後からイリオの手が伸びてくる。

 エラが取ろうとしていた袋をひとつ、彼女よりも早く手に取った。

 不意打ちの至近距離に鼓動が強く打つ。

 ふわりと彼の甘やかな匂いが香った。

「え、ええ」

 心音を悟られないよう両手で胸を押さえる。

「これ、すごく効果ありました」

 イリオが飴のパッケージを眺めながらしみじみと言う。

「あとすごく美味しい」

 無邪気に笑う姿はどこかあどけなくて可愛らしい。

「あ、ありがとうございます常連さん」

 まだ収まらない早鐘から気をそらしたくて、冗談ぽく返答する。

「今日から常連になります」

 動揺を誤魔化そうとしたのに、満面の笑みで返り討ちにされた気分だ。

「はあい、こちらお買い上げですね」

 イリオの手から飴の袋を奪い会計のカウンターへ向かう。

 冷静を装い笑顔を顔に貼りつける。

 さっきは急に後ろに来られたから驚いただけ。

 そう誰に言うでもなく心の中で弁明をする。

「また来ますね。常連ですから」

 にっといたずらっぽく笑った顔が少年のようだ。

「お待ちしております」

「またね、エラさん」

 イリオは嬉しそうにエラを振り返り、小さく手を振り店を後にする。

 去り際の無邪気な笑顔が脳裏に焼き付く。

 正直、もう彼は来ないだろうと思った。

 人助けをしてそのお礼を受け取る。

 ひとつのやりとりが完結してしまった。

 彼はまた来ると言ったが、その保証はない。

 今後イリオとの関りが終わってしまうのか。

 そう思うと少し寂しくなった。

「自分に懐いてくれた大型犬に会えないのが寂しい、みたいな?」

 会ったばかりの人間がここまで気になるのは初めてで、エラ自身自分の気持ちがよくわかっていない。

 イリオの去った後をいつまでも見つめ、彼の人懐っこい表情を思い返した。





 エラの予想はまたしても外れる。

 あれからイリオは数日おきに店を訪れた。

 毎回手作り菓子の持参はもちろん、来るたびに様々な商品を購入してくれる。

 お礼をしなければ、と気を遣って通ってくれているのかもしれない。

「エラさん、肌荒れに効くハーブってなにかありませんか?」

 無理して来ることはない、もう礼は充分だ。

 そう伝えるべきか悩んでいた矢先、イリオから肌荒れの相談を受ける。

 そうなれば彼はもうただのお客様だ。

 来なくていいと伝える理由はない。

「いくつかあるけど、どこの肌荒れ?」

「ここです」

 イリオは右頬をエラに向かって突き出した。

 きめ細かくて白い肌に、一点だけわずかに赤味を持った部分がある。

 至近距離でよく見ればわかる、という程度。

 正直、これぐらいなら睡眠をしっかり取って栄養のあるものを食べていれば彼ぐらいの若さならすぐ治るだろうに、と思わなくはなかった。

 目の前の頬を突き出す彼の表情があまりに必死で、微笑ましくて思わず吹き出してしまった。

「笑うことないじゃないですか」

 拗ねて頬を膨らませる様も可愛らしい。

「ごめんごめん。これくらいならすぐ治りそうだね」

 店で一番刺激のない商品を選び提案した。

 放っておけばすぐ治るだろう旨を遠回しに伝えてみたが、どうしても商品が欲しいと言うのでそのまま販売することにした。

 人の悩みはそれぞれだから、お手入れをして彼が満足できるならそれでいい。

 それからというもの、イリオは店に来るたびに肌荒れの進捗を申告していくようになった。

 だんだん治ってきた、と嬉しそうに話す様子は、子犬が飼い主に一生懸命なにかを話しかけているような必死さと可愛らしさがあった。

 イリオの一喜一憂が眩しくてついつい話を聞いてしまう。

 彼の来店を心待ちにしてる自分に気付くまでそう時間はかからなかった。




 店の定休日。

 目が覚めたはいいものの、ベッドから起き上がることもせずエラはごろごろしていた。

 無意識に考えることはイリオのこと。

 ふわふわした金髪と人懐っこい笑顔が脳裏をよぎる。

 ほんのりと寂しい気持ちになる。

「可愛がってるわんちゃんに会えなくて寂しい、って感じかな」

 この街に来てから誰かとこんなにも親密に交流したのは初めてかもしれない。

 二十五歳でこの街に店を構えて一年。

 女がひとり、というだけで高圧的に出てくる客も少なくない。

 負けないように精一杯の虚勢で走り続け、なんとか軌道に乗ってきた。

 たくましくなったと同時に、可愛げはなくなったなと自分でも思う。

『エラさん』

 イリオの声と笑顔を反芻する。

「私にもあの愛嬌があればなあ」

 大きな独り言を呟き盛大に空しくなる。

 人懐っこい笑顔と綺麗な金髪と青い瞳。

 ふと自身の髪を見る。

 肩甲骨の辺りまで伸ばしてはいるが、茶色くぱさついている。

 お世辞にも綺麗とは言い難い。

「……さすがにこれはまずい」

 忙しさにかまけて自身の手入れを怠っていた。

「お手入れ、久々に頑張ろうかな!」

 わざと大きな声を出して気合を入れる。

 折角の休日だ。

 自分をたくさん磨いた後は、少しお洒落をして街に出てみよう。

 本屋にも行きたいし、気になるカフェもある。

 エラはベッドから飛び起き、その勢いのままバスルームへ向かった。




 自分を飾ることは嫌いではない。

 が、毎日は少々面倒くさい。

「たまにはいいわね」

 お気に入りの香油を塗り込めた髪からは、歩くたびに良い香りがする。

 それだけで気分が良い。

 自宅から街までは数十分歩くが、今はそれも悪くないな、と思えた。

 束の間の散歩を終え街に着く。

 まずは本屋に向かった。

 行きつけの本屋なので、どこになんの本が置いてあるかはざっくり覚えている。

 薬草についての棚を端から見ていく。

 まだまだ知らないハーブや薬草、調合などが山ほど存在するので、定期的に本屋に来て新しい知識を仕入れている。

 興味を惹かれる本を見付け、手を伸ばす。

「「あ」」

 誰かと指がぶつかる。

「エラさん?」

「イリオ?」

 意外な人物だった。

「奇遇だね! 今日はどうしてここに?」

 思いもよらない出会いに思わず気持ちが高ぶってしまう。

「ぁ……ちょっと、調べものを」

 イリオの様子がいつもと違う。

 普段の歯切れはなく、視線をそらしてエラの方を見ない。

「どうかした?」

「その、エラさん。なんか今日、違うから」

 見た目の変化に気付いてくれたのは嬉しい。

 が、どうも言い方に引っかかった。

「もしかして、変?」

 さっきまでの浮かれていた気分が一気に落ちる。

 綺麗になったと思っていたのはエラ自身だけで、他人からは不自然で滑稽に見えていたのかも。

 急に恥ずかしくなってきた。

 年甲斐もなくお洒落ではしゃぐんじゃなかった。

「違う! 違います!」

 彼が必死に弁明する。

「違うんです! すごく、綺麗で。いつも綺麗なんですけど、なんか、今日は特に。良い匂いもするし」

 大きな声はみるみる小さくなり、最後の方は消え入るような声量になってしまった。

「とにかく変ではないです! 絶対に!」

「あ、ありがとう」

 急に復活した彼の勢いに、今度はエラが圧倒された。

 ごほん、とわざとらしい咳払いが聞こえる。

 振り返ると、手元の本に視線を落としたままの書店員がもう一度大きく咳をした。

 広くはない店内で随分にぎやかに喋ってしまった。

「とりあえず出ようか」

 本を数冊購入し足早に本屋を出た。

 そのままの流れでふたりでカフェに入る。

「本当にエラさん変じゃないですからね? 言葉の綾で、本当に綺麗で……」

 席についてもイリオの弁明は続いていた。

「もうそれは大丈夫だから。で、良い本は見つかった?」

 落ち込みかけていたエラの気分はもうすっかり元通りになっていた。

 だがこのまま褒め殺しにされるのもだんだんと恥ずかしくなってきたので話題をそらす。

「店に出すお酒で少し調べ物があったんですけど、なかなか難しくて」

 イリオはバーテンダーとして働いていると以前聞いた。

 随分年下かと思っていたが、今年で二十四歳らしい。

 祖父から継いだバーをひとりで切り盛りしているという。

「調べ物って、植物の本?」

 彼と出会ったのはハーブや薬草についての本が置かれている一角だった。

「はい、ハーブを使ったお酒について勉強したいんです」

「いいね、ハーブのお酒。種類によって香りも効能も色々あるから楽しいよ。うちにも使えそうなハーブいくつかあったなあ」

「本当ですか!?」

 食い気味に彼が身を乗り出してきた。

「えっと……よかったら、手伝おうか?」

 きらきら輝く瞳で見つめられて、思わず提案していた。

 どうしてもイリオのこの表情を見ると甘やかしたくなってしまう。

「嬉しいです! あ、でも、ご迷惑にならないか……」

 顔に『行きたい』と書いてあるのに、エラを気遣い遠慮しようとしているのがいじらしくて可愛い。

「大丈夫。だって常連さんでしょ? 毎度ありがとうございます」

 冗談っぽく言えば、彼はわかりやすく安堵した表情になる。

「まずはハーブティー飲みにおいで」

「是非!」

 イリオの背後に、ふさふさのしっぽをぶんぶん振り回している幻覚が見えた気がした。

 
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