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第三三三話 シャルロッタ 一六歳 序曲 〇三

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「グアアアアアッ! この獣風情が……ッ!」

「ふん、悪魔デーモン風情が……ガルムを舐めるなよ?」
 血飛沫をあげて悲鳴を上げると、快楽の悪魔エクスタシーデーモンガルニアーダはユルを見て憎々しげな表情を浮かべたままどおっ……と地面へを倒れて動かなくなる。
 ユルは油断なく斃れたガルニアーダの様子を伺っていたが、その死体が黒い煙をあげて風化していく様を見て、ようやく警戒を解く。
 思っていたよりも匂いに鈍感になっている……今はガルニアーダともう一体エルネットが倒したディリアーダの匂いが充満しているが、先ほど攻撃を受けるまでは全く気が付かなかった。
 そこで初めてユルはオーヴァチュア城内部が混沌の力場によって歪みきっているという事実に気がついた……今彼らがいる場所は混沌の胎の中と言っても良い場所なのだ。
「婚約者殿、エルネット卿……これはまずいですぞ、今我々は敵の体内にいるのと変わらない」

「そうだろうね……僕は魔法なんかほとんど使えないけど、この異様な雰囲気はちょっと気分が悪くなる……って殿下大丈夫ですか?」
 ようやくガルニアーダの攻撃から解放され落ち着きを見せたマリアンを腕に抱いたまま、クリストフェルは呆然とした表情のままじっと遠くを見ていた。
 エルネットがディリアーダを一撃で屠ったことでクリストフェルへの精神攻撃は終わっていたはずなのだが、それ以上に自分が友人へ邪な欲望を抱いたという事実にまだ混乱を隠しきれていないのだ。
 エルネットは剣をしまうと、クリストフェルの側へと跪き、そっと彼の腕に抱かれているマリアンを引き寄せて彼の腕の中から引き離す。
「殿下、気持ちはわかりますが混沌の攻撃に怯んではいけません……まだここは最初の序盤といっても良い……勇気をお持ちください」

「あ、ああ……すまない、僕がどうかしていた……」

「ヴィクター君、マリアンさんを頼む」
 エルネットは抱き上げたマリアンが完全に疲労によって意識を失っていることに気がつくと、心配そうな顔で彼女を見ていたヴィクターへとそっと彼女を差し出した。
 ヴィクターはいつも気丈そうな表情で憎まれ口を叩いていた初恋の女性のひどく疲れ切った顔を見て、泣きそうな表情を浮かべていたが、エルネットの言葉の意味を理解して優しく彼女を背負う。
 無理もない……悪魔デーモンによる攻撃は魂をひどく汚染する……特に精神攻撃を得意としているノルザルツの眷属による干渉はひどく心を疲労させるのだ。
 エルネットはすぐに立ち上がるとユルの側へと歩み寄って幻獣ガルムへと小声で話しかける。
「……どう思う?」

「奇襲されたらどうしようもないですね……下手をすると分断されます」

「君はクリストフェル殿下を守ってくれ、俺はあの二人を守る」

「……あれ以上の悪魔デーモンが出てくる可能性がありますよ?」

「……そうならないことを祈ろう……殿下、ここに残るのは不味そうです、進みましょう」
 エルネットの言葉に少し暗い顔をしたクリストフェルは黙って頷くと、意識を失ったままのマリアンを背負っているヴィクターの肩にそっと手を添えた後、彼はゆっくりと歩き始めた。
 場内に入るにはもう少し通路を進んで隠し扉を抜ける必要があり、ここで立ち止まっていてもアンダースの元へは辿り着けないことはわかっている。
 クリストフェルとユルを先頭に、一行はノロノロとした歩みで通路を進み続ける……先ほどまでの戦闘が嘘だったかのように、風化し黴びたような匂いがあたりを支配している。
 打ちひしがれていたクリストフェルだったが、それでも気持ちを取り戻したのかある程度進んだところで立ち止まると、何やら壁を叩いたり、摩ったりして調べ始めた。

「確かここに……使っていない部屋に出る場所が……あった」
 カチッ! という少し大きめの音が鳴ると同時に壁がゆっくりと埃を舞わせながら動き、薄暗く使われていない部屋の入り口が現れる。
 その部屋は少し埃っぽかったが、客間の一つとして作られていたのか大きな寝台とテーブルなどが備え付けられていた。
 ヴィクターは背中に背負っていたマリアンを寝台の上に積もっていた埃を軽く払った後、優しく寝かせるとほっと息を吐く。
 それを見て安心したのか、クリストフェルが近くにあった魔導ランプへとそっと手を添えるとぼんやりとした光が部屋中を満たし、客間としてはかなり大きなその部屋が照らし出される。
「……ここは客間の一つですね……玉座の間からは少し離れてますけど、あとは城内の通路を進むだけで到着できます」

「……ヴィクター君、マリアンさんは?」

「疲労しきってます……少し休ませないと」
 この部屋の窓には陽の光を入れないように板が貼り付けられているが、その向こうから城外で喧騒が巻き起こっていることを知らせる音が漏れ聞こえてきている。
 城の中で異変が起きていることを第一王子派の軍勢は理解しているのだろうか? とクリストフェルは非常に腹立たしい気分で近くにあったテーブルへと拳を叩きつけた。
 ゴンッ! という音でヴィクターがびくりと身を震わせ、エルネットは心配そうな顔でクリストフェルの横顔を見つめているが……ユルは耳を左右に動かして周囲の音を拾おうと警戒を続けている。
「くそ……っ……僕はなんて……シャルもいない……」

「殿下、自分も同じことを思いました……愛するものが目の前で無惨に辱められようとした時、自分の無力さをひどく呪ったのです」

「……そんなことがあったのか……」

「仲間も誰もが傷つき、動けなくなった時にシャルロッタ様が助けに来てくれたのです」

「シャルが……」

「今はまだ離れた場所にいるかもしれません、でもあの方は仲間、友人、愛する人を見捨てません……必ず殿下のために来てくれます、自分たちはそれを信じて足掻きましょう」
 エルネットはその悔しさをバネに王国最強と呼ばれるだけの成長を見せた……最初はほんの気まぐれ、シャルロッタから依頼を受けただけだったが、あの強さを目の前にして自分の力の無さを嘆くのではなく、同じくらい強くなって恩返しをしようと心に誓っている。
 クリストフェルはまだ若い……友人を辱めようとした心は悪魔デーモンによって無理やり捻じ曲げられたものだから、本心でそうしようとしたわけではないのだ。
「今やれることをやり続ける……それ以外にできることはありますまい」

「……そうですね……ヴィクター、僕はユルと共にひと足さきに兄上を止める、エルネット卿と共に後から来てくれ」

「……危険です! 殿下とユル殿だけでは……」

「どちらにせよマリアンは当分動けない、君たちだけでは通路を戻ることも難しい……エルネット卿、二人を守って欲しいのだ」
 クリストフェルのまっすぐな青い瞳に見つめられ、エルネットは少しだけ迷った……だが、ユルは戦闘力も高く、移動速度も速いためクリストフェルを背中に乗せれば逃走することも可能だ。
 しかしエルネットやヴィクターがいるとその速力を活かすことができないのもまた事実……ヴィクターとマリアンを残してエルネットも同行する方が勝算も高くなるが、その場合戦闘力に劣る二人が悪魔デーモンに襲われた場合、守ることは難しい。
 だが、本当にクリストフェルとユルだけで行かせてしまって良いのか? という迷いがエルネットの中に去来する……彼はヴィクターへと視線を向けるが、まだ年若い二人を見捨てることは彼には出来なかった。
「……わかりました、でも無理だと思ったらすぐに逃げてください、逃げることは恥ではありません」

「冒険者の教えだな、僕も学園で学んだよ」

「ええ、命さえ繋げばあとはなんとかなりますから」
 エルネットの言葉にクリストフェルはにっこりと笑うが、再びその表情を見たエルネットは第二王子の瞳に強い光が宿っているような気がして軽く目を擦った。
 勇者の器と呼ばれる存在、この世界では数人その器として認定されたものが過去存在していたが、その全てが非業の死を遂げている。
 勇者という存在が遠い過去の存在となった今でも、その再来を信じる者は多くいてクリストフェルはその期待を一心に背負ってきていた。
 神話の中にある『勇者とは決して諦めない者である』という言葉が示す通り、幾度も挫折し心をおられても立ち上がることができるものこそが勇者なのだと司祭は話していた。
「……僕はシャルを信じているし、彼女も僕のことを信じているはずだ、僕もやれることを全力でやる……だから死なないよ」

「……わかりました、自分は貴方とシャルロッタ様にリリーナとの結婚式に出席していただきたくと決めておりますので……ちゃんと出席をお願いしますよ」

「責任重大だな……貴方の結婚式を盛大なものにするために、僕も死力を尽くすと誓おう……二人を頼みます」
 クリストフェルとエルネットはそっと手を握るとお互いを見て微笑みながら頷く……歳は離れてはいるものの、お互い愛する者を持つ男性同士であるため気持ちはどこかで繋がっていたのだろう。
 クリストフェルはユルへと軽く声をかけると、余計な持ち物の一部をテーブルの上に置いてから、少し心配そうな顔で寝台に横たわるマリアンのことを見つめた。
 幼い頃からヴィクターとマリアンは彼によく仕えてくれており、本当に大事な女性の一人であるとは思っている……それは友人としての気持ちだが。
 それでもその気持ちを踏み躙るような悪魔デーモンのやり口に、元々正義感の強いクリストフェルの怒りは沸々と沸き立っていた。
「マリアン、僕は君の気持ちに答えられない……だけど君のことは大好きだ、友達として君は大事な人なんだ……だから、僕は行くよ」

「殿下……」

「ヴィクター……彼女を頼む、帰ったら君の気持ちもちゃんと伝えてあげてくれ」
 ヴィクターはクリストフェルの言葉に唇を噛み締めながら黙って頷く……マリアンがずっとクリストフェルのことしか見ていないのはよくわかっている。
 そしてクリストフェルがマリアンを友人以上に見れていないことも理解はしていて、それだからこそ苦しい時間を過ごしていた。
 ヴィクターはクリストフェルは自分のことを友人だと認識してくれていることに内心感謝している……そしてその彼が大事な人、と言葉にしたマリアンを預けるという意味をヴィクターはきちんと理解していた。

「……殿下、必ずお戻りください……マリアンも貴方の帰りを待ち望んでいると思います……」
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