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第二三五話 シャルロッタ 一六歳 内戦 〇五

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「お、おい……マジかよ」

「今からあれと戦うってのか……」
 兵士達の足元がゆらゆらと揺れる……彼らがその揺れに気がついた後、視線を上げると陣地のはるか向こうに黒い雲のようなものが地面に沿って動いているようにみえ、何度か目を擦る。
 その揺れが大軍の移動する時に発せられる振動によるものだと理解して、全員に緊張が走る……第二王子派もほぼ全軍での出撃だ、それ以上の兵力を敵は揃えているのだという事実に気がついたからだ。
 そしてその地面に沿って動く黒い雲のように見えたものが、第一王子派の軍隊であることに気がつきザワザワとしたざわめきが広がる。
 第二王子派の連合軍はインテリペリ辺境伯軍が中心となっているが、貴族達の援軍も一部参加しており……メガデス伯爵家の紋章をつけた兵士が隣にいる辺境伯軍の兵士へと話しかけていた。
「お前ら怖くねえのかよ」

「……怖いさ、でも辺境伯家は俺たちの爺さん、そのまた爺さんが暮らしやすいように努力してきたんだ、ここで恩を返せなければ俺はあの世にいる爺さんに怒られるだろうな」

「……そうかよ、なら俺たちも多少は根性見せねえとな」
 兵士たちはお互いを見て苦笑いを浮かべると、一段高い場所で立っている一人の人物を見上げる……金色の髪が太陽の光を受けて輝く。
 クリストフェル・マルムスティーン……イングウェイ王国第二王子にして、勇者の器……そして第二王子派の旗印。
 今彼は完全武装の姿でこの陣地へと迫ってくる第一王子派の軍勢を見つめている。
 じっと前を向いている鎧姿の彼は年若い若者ながら凛々しく、それを見上げる兵士たちには彼が歴戦の英雄のようにすら見えている。
 着用している鎧はまだ実戦を経ていない新品そのものであり、この日のためにとばかりにマリアンとヴィクターが丹念に手入れをしていた逸品である。
「……すごい数だね」

「まあ、最初から分かりきっていたことですから……」

「そうだね、僕らはこれで本格的に王族にして王国の反逆者ってわけですね」
 そうは言ってもクリストフェルの瞳はまるでおもちゃでも見る子供のようにキラキラしているように見え、隣に立っていたメガデス伯爵と、ウゴリーノ・インテリペリは彼の横顔を見て眉を顰める。
 まさかクリストフェルがこのような表情を浮かべているとは思わなかったのだろう……そして当の本人はそんな周りの視線など気にすることもなくじっと前を見つめている。
 戦力差は数倍、旗印から見るとモーターヘッド公爵軍、スティールハート侯爵軍、そして神聖騎士団がこの戦場に向かってきているのがわかる。
「神聖騎士団……ハルフォード家がここにきたのか……」

「そういえば殿下、ハルフォードと言えば……」

「ああ、ソフィーヤが来ているかもね聖女として……」
 クリストフェルの表情が一瞬だけ曇るが、その表情はほんの一瞬だけで再び先ほどと同じく口元を結んだ険しい表情のままじっと前を見つめている。
 元婚約者候補……そしてイングウェイ王国の聖女として認められた彼女が戦場に来ている可能性、そして王立学園で共に学んでいる自分たちがそれと戦わなければいけないという事実に心がほんの一瞬だけ揺れたのだ。
 だが、もうそれも昔の話だ……今は自分を信じてくれる人たちのために戦うしかない、クリストフェルは黙って前を見据え続ける。
 第一王子派諸侯軍の第一陣約三五〇〇〇人の兵士たちはゆっくりと彼らの目の前で布陣を終えると、少し離れた位置で横一列に並んだまま動かなくなる。
「数での平押し……包囲は難しいだろうから、こちらが疲れ切るまで波状攻撃だろうか……」

「誰か出てきますな……」
 敵軍の中から旗を持った騎兵が一人駆け出し第二王子派の人へと向かってくる……彼が持つ旗は交渉を意味する白旗であり、兵士たちも戦闘前に行われる口上が行われると知ってこれから始まる戦いが間近に迫っていることを理解して、息を呑む。
 騎兵はある程度の距離まで近づいた後、ゆっくりと旗を振ると彼自身が戦闘の意思がないことを示すように何度か左右に馬を走らせた後、よく通る声で話し始めた。
「……イングウェイ王国国王代理アンダース陛下より通達ッ! よく聞くといい」

「第二王子クリストフェル・マルムスティーンがその通達を聞こう!」

「国家に仇なす反逆者クリストフェル・マルムスティーンと、インテリペリ辺境伯家の諸君、今降伏を選択すれば命だけは許そう、と殿下は仰っていた! 今からその諸条件を伝える!」

「命だけはね……承ろう!」
 クリストフェルは苦笑いを浮かべたのち、使者の言葉を待つ。
 命だけは許そう、そう言われて降伏した貴族が後に暗殺されたり、毒を盛られて廃人となったもの……文書の署名に向かってそのまま死刑台へと直行したもの。
 歴史の中には様々な闇が潜んでいる、今回命惜しさに降伏したとしてもアンダースの性格上必ずどこかで約束を反故にするだろう。
 兄上は約束を守るという感覚が薄い……そうでなくては学園時代に散々トラブルを起こさなかっただろう、だがそれでも補佐するものが優秀であれば国王としては平均点程度の治世は行えただろう。
「……クリストフェルの王族としての権利を剥奪し、伯爵位として領地を与える、インテリペリ辺境伯家は地位を剥奪しないが、王家へと賠償金を支払うことを命じる」

「……伯爵位ね……随分とお優しいことで」

「そして辺境の翡翠姫アルキオネことシャルロッタ・インテリペリは現状の婚約を破棄し、アンダース陛下の側妃とすることを求める!」
 その言葉にクリストフェルの苦笑いに近い表情に変化が起きる……あの兄は……シャルロッタをコレクションのように扱おうとしている。
 あれだけの能力、そしてあれだけの美しさを持った彼女をまるで、自らを飾り立てるアクセサリーと同一のものとして使おうというのか。
 その言葉にクリストフェルは軽く呆れたような表情を浮かべると軽く頭を振る……女好きな兄だとは思っていたが、この後に及んでこれかと思うと情けなさすら感じる。
 黙ったままのクリストフェルに向かって、使者は再び声を張り上げた。
「……返答はいかに!」

「あー……断るっ!」

「なんだと! 国王代理の温情を理解せんのか!」

「兄上に伝えよ……貴方が手に入らないものが世の中には存在する、人の心はそう簡単に手に入らない……手に入れたくばかかってこいっ!」
 クリストフェルの気迫に満ちた返答と共に第二王子派の兵士たちから一斉に歓声が巻き起こる……兵士たちもアンダースの目的が辺境の翡翠姫アルキオネであるという事実に憤りを隠しきれない。
 インテリペリ辺境伯家の兵士たちにとっても美しい辺境の翡翠姫アルキオネは憧れの的でもあり、敬愛に値する人物でもある。
 元々兵士たちは領地にいる時に彼らへの感謝や、慰問に熱心なシャルロッタへの忠誠心が強い……そしてクリストフェルとの婚約で落胆したものも多くいたが、それ以上に仲睦まじい二人の姿を見ることで応援をしているものすら存在していた。
 手に入らない高貴な花だからこそ……無碍にされることは許されない、アンダースの要求はむしろ兵士たちの義憤を掻き立ててしまっていた。
「……後悔するぞ……辺境伯家の兵士も同じで良いな?!」

「「「「……我々はクリストフェル殿下と共にッ!」」」」
 気迫に満ちた叫びが第二王子派の兵士たちから巻き起こる……凄まじい歓声と、鬨の声があたりへと響き渡る。
 誰も音頭を取っていないにも関わらず、奇跡的なほどに揃った声にクリストフェルだけでなく、第二王子派に所属する貴族も少し驚いたような表情を浮かべ、そして剣を引き抜いて天高く掲げると大声を上げた。
 その声を聞いた使者は驚いたような表情を浮かべたのち、悔しそうな表情を浮かべると黙って踵を返して自らの陣営へと走って戻っていく。
 それを見ていた第二王子派の軍勢は気焔を上げるかのように、さらなる歓声を上げていく……。
「くるぞっ! 配置につけええっ!」

「「「王国に仇なす反逆者を殲滅せよ!」」」
「「「辺境伯家と真の王への忠誠を示せっ!」」」

 両軍から鬨の声が自然と巻き起こる……両軍ともに足を踏み鳴らし、まるで地響きのような音があたりに響いている。
 クリストフェルは側仕えとして立っていたマリアンより兜を受け取ると、一度髪を撫で付けてから兜を被り直した……この戦争のためにわざわざクレメント辺境伯が発注していた新品の装備だ。
 仕立ても良く、魔獣の皮や質の良い金属を使用しているが非常に軽くしなやかなものだ……こんな良い品を用意してくれたクレメントにも感謝をしなければならないな、と彼は思った。
 引き抜いていた剣を再び大きく掲げる……蜻蛉ドラゴンフライは陽の光を反射して虹色に輝く。
「……勝利を我らに!」

「「「勝利を我らにっ!」」」

「気合十分……かかってこいっ!」
 クリストフェルの言葉を聞いていたわけではないだろうが、使者が陣営へと戻ると同時に進軍ラッパの音が響き渡り、鬨の声と共に第一王子派の軍勢がゆっくりと前進を始めるのが見える。
 スティールハート侯爵軍の旗が風に揺られながら、凄まじい数の歩兵が前進してくるのを第二王子派の兵士たちはじっと見つめる。
 誰かがゴクリ、と喉を鳴らす音が聞こえる……わざわざスティールハート侯爵軍の兵士たちは威嚇するように足を踏み鳴らしながらかなり遅い速度で前進してくる。
 掛け声と共に兵士たちは武器を構え、来るべき衝突に向けて集中するようにじっと前を見据えてその時を待つが、それえと同時にラッパの音色が勇ましいものへと変わった瞬間、敵軍が一斉に突撃を開始するのが見えた。

「突撃いいいいッ! 反逆者どもを討ち滅ぼせええっ!」
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