上 下
247 / 409

第二一二話 シャルロッタ 一六歳 煉獄 〇二

しおりを挟む
「……なんで領主様が……」

「もしかして犯罪者でも出たのか?」
 突然場末の酒場へと横付けされた豪勢な馬車を見て、住人たちは驚いた表情を浮かべている。
 それはそうだ、暁のコブラ亭はメネタトンの街にある冒険者組合アドベンチャーギルドが併設されている大きな酒場兼宿屋である。
 間違っても貴族が立ち寄るような品の良い場所ではなく、むしろ荒くれ者が揃う危険な場所として認識されているからだ。
 しかし……今暁のコブラ亭は物々しい警備と共に、ソイルワーク男爵が訪問をしているということで、付近の住民が困惑気味にことの成り行きを見守っているのだった。
「男爵様……こんな場末の酒場にお越しいただけるとはね」

組合長ギルドマスター……私がきた理由は飲みたいからではないぞ?」

「ほぉ?」

「この宿に宿泊しているシャドウウルフを連れた女性を出せ」
 その言葉に組合長ギルドマスターは訝しがるような表情を浮かべた後、受付嬢に向かって軽く頷くと彼女は慌てて記録されている宿帳を抱えて彼へと手渡す。
 その帳簿をテーブルの上へと載せてから開くと、組合長ギルドマスターはパラパラとめくりながら確認をしていく。
 冒険者組合アドベンチャーギルドが運営する宿屋は王国内に限って言えば運営母体が同一であり、どの町にある宿でも同じサービスが受けられることが大きい。
 ただし利用者は冒険者登録を行なっているものに限られ、一般人が宿を利用することは難しい……一時的にでも冒険者登録を行なって利用することは可能なため、名目上冒険者登録を行なっている国民は実は非常に多い。
「……シャドウウルフを連れた女性……受け付けた時に見ているか?」

「あ、はい……珍しい組み合わせだったから覚えています……ええとお名前はロッテさんだったかしら」

「何日分予約してるんだ?」

「ええと先日からだから……一週間分ですね、期間を過ぎても戻らない場合は部屋を開け渡すっていってました」

「これか青銅級? いつ登録されたのかは問い合わせないとわからないな、探してるのはこちらのですかい?」
 記録を見て組合長ギルドマスターはさらに訳がわからないという表情を浮かべて男爵へと視線を向けるが、男爵は黙って頷くと彼の肩をポンと叩いてから部屋が並んでいるはずの二階へ向かって階段を上がっていく。
 それに付き従おうとする兵士たちを手で押し留めると、一度振り返ってから首を振って必要ないとばかりの仕草を見せた。
 男爵は仕立ての良い服装だが外套と腰に剣を帯びており、物々しい格好でここへきている……それを見た酒場の常連客たちもごくりと唾を飲み込んでことの様子を見守っているのだ。

「……失礼する」
 青銅級冒険者ロッテが宿泊していると言われている部屋の扉を軽く叩くと、中からがガタッ! と物音がしてそこに誰かがいるのがわかった。
 男爵は油断なく腰の剣へと手を伸ばしつつ、ゆっくりと扉を開けていく……彼の予測通り寝台を守るように一頭のシャドウウルフに見える黒色の毛皮を纏った魔獣が威嚇をしながら彼へと真紅の瞳を向けている。
 シャドウウルフなどではない……と男爵はその時直感した、魔獣シャドウウルフは青い瞳を持っており燃え盛るような目をしていることはないのだ。
 そして魔獣の後ろで眠っている人物を見て、彼は思わず目を見開いた後思い出したように慌てて膝をついた。
「……シャルロッタ様……どうしてこの街へ……」

「……辺境伯家に関連した方ですか?」
 魔獣から思って見ないほど流暢な声で話しかけられたことで、男爵は驚いたように魔獣の姿を見る……そうか、やはりこの黒い獣は、とそこまで考えた後質問に答えるように一度頷いた。
 ガルム……地獄の炎と美しき黒い毛皮、そして強力な戦闘力を持つ神話にも歌われた幻獣であり、辺境伯家でこの幻獣と契約したものは一人しかない。
 そこまで考えた後、一度廊下の方へと視線を向けた後黙って扉を閉め男爵はゆっくりと寝台の方へと近づく……美しく輝く銀色の髪、恐ろしいほど整った顔。
 辺境の翡翠姫アルキオネの呼称にふさわしいと思える辺境伯家の誇る美姫……シャルロッタ・インテリペリその人がそこに眠っている。
「なぜ……この街へ……ユル様ともども参られた?」

「……異変の調査です、そこで敵との戦闘となり主人は魔力を失って昏睡しております」

「……ではやはりシャルロッタ様が超常の力を持つというのは」
 男爵の言葉にユルは黙って頷くと、心配そうに彼女の顔を見つめて鼻を鳴らす。
 確かにメネタトン周辺だけではないが、辺境伯領の村が壊滅する被害が続出していたのは男爵も知っている、そのための防衛態勢を整えている最中だったからだ。
 辺境伯家はそれを大暴走スタンピードの兆候として捉えていたのか……と改めてそこで、主家がこのメネタトンを含めて防衛を行う意思を示していることになぜか安堵する。
 内戦から距離を置きたいとはいえ、戦力としては微々たるものであるメネタトン兵では不測の事態に備えることは難しい。
 結果的になんらかの異変が発生すれば、主義主張は置いておいて防衛について辺境伯家へと報告を行わねばならないからだ。
「ですが……大暴走スタンピードではなかったのですが、ただ我もここへ戻ってくる際に不穏な空気を感じておりまして」

「と申されると?」

大暴走スタンピードかと思われた怪異は取り除きました、ですが再びその危険があるかもということです」
 ユルの言葉に目を見開いて驚く男爵……怪異を取り除いたのにも関わらず大暴走スタンピードは発生するかもしれない、というのはどういうことか理解できなかったからだ。
 だがユルは続けて彼に向かって説明していく……村を壊滅させていたのは強力な怪物だったが、これはシャルロッタとユルが戦闘で倒した、だがその代償にシャルロッタは魔力を使い果たし数日は目覚めることはない。
 だが戻ってくる間に空気が変わった……匂いが、そして流れる雰囲気が何か危険なものを感じさせるものへと変化しているのだということを、ユルは感じているのだという。
「……それは正しいのか?」

大暴走スタンピードの前には幻獣も含めて空気が澱むことを我らは知っております、今この周辺の森の中は空気が澱んでいる気配があるのです」

「……バカな……本来大暴走スタンピードとは数日では起きないだろう?」

「王都で「赤竜の息吹」が遭遇した大暴走スタンピードは、兆候から数時間で発生しましたよ」
 その噂話は聞いている……金級冒険者「赤竜の息吹」がビヘイビアダンジョンで遭遇した大暴走スタンピードは彼らが潜ってすぐに発生し、その影響を最小限に押しとどめたことで名をさらに上げた。
 冒険者組合アドベンチャーギルドもその異常性を調査したが、結果的にはどうして平穏なはずのビヘイビアで大暴走スタンピードが発生したのかを誰も解明できなかったはずだ。
 つまり似たようなことが起きているのだろうか? 男爵はううむ……と唸ると、一度寝台に眠るシャルロッタの顔を見つめる……まだ年若い少女だ。
「……どちらにせよこのような宿に主家の令嬢を置くわけにはいかん、砦に移動させるが良いか?」

「……我はまだ貴方を信用していない」

「この宿はシャルロッタ様を寝かしておくほど清潔ではないし、安全でもないのだ……主家の人間を冷遇したとあれば私の首が飛びかねない」
 男爵の言葉にユルは少し困ったようにシャルロッタの顔をみる……命令はこの宿で休息を取る、である。
 だが同時に男爵の言うことも貴族としては真っ当で正しいことなのだ、正直言えばシャルロッタはあまり気にしていないようだが、ユルにとっては虫も出るこの部屋にとどまるのは生理的にも辛く、苦痛である。
 グルル……と何度か唸り声を上げたユルだったが、観念したように男爵へと軽く頭を下げる……それはユルがシャルロッタと契約して以来、初めて彼女の言葉に背いた瞬間かも知れなかった。
 それは今まさにシャルロッタが昏睡状態にあり、魔力的な繋がりが恐ろしく希薄になっていることの証かも知れなかった。
「わかりました……シャルを安全な場所に寝かせる手伝いをお願いします」



 魔獣達は歌う……ああ、我らは腹一杯に食べたいのだと。
 魔獣達は歌う……ああ、我らは本能のまま赴きたいのだと。
 魔獣達は歌う……ああ、我らは憎き人を蹂躙したいのだと。

 多くの魔獣達が唸り声を上げる中、小躍りするようにその中を跳ね回る不恰好な存在がいた……でっぷりと醜く膨らんだ体、細くて華奢な手足、ニヤニヤと歯を剥き出しに笑うその顔。
 ブラドクススと呼ばれる疫病の悪魔プラーグデーモンは甘い匂いのする息を吐きつつ、凄まじい数の魔獣達の間を飛び回っている。

「ケヒヒッ! 甘い甘い匂い、甘い甘い夢を、そして侵食する」
 見た目は重そうな体を軽やかに飛び回らせながら、疫病の悪魔プラーグデーモンは権能である病魔を撒き散らしていく……その息に含まれる病原体は魔獣達の体へとゆっくりと浸透し、侵食し……次第にその個は薄れ、一つの大きなうねりとなってブラドクススの意思へと耳を傾けていく。

 魔獣達は歌う……ああ、我らは人間を食い殺したいのだと。
 魔獣達は歌う……ああ、我らは本能のまま皆殺しにしたいのだと。
 魔獣達は歌う……ああ、我らは全てを破壊し、無へ返したいのだと。

 歌う魔獣達の声が森の中へと響き渡っていく……獣の姿をした魔獣タスクボアーだけでなく、意思を失ったかのように血塗られた色へと変色した色を持つホブゴブリン、オーガ、ゴブリンがその中には混じっている。
 凄まじい数の怒りに我を忘れた集団が、一つの意思のもと人への憎悪を掻き立てられている、中には普段大人しく人に会った際には逃げ出すような魔獣すらも唸り声をあげて殺戮の時を待っている。
 ブラドクススはくすくす笑いながら、その様子を見るとコミカルな動きでくるくると回転しつつ、魔獣達へと号令をかけた。

「ケハハッ! では皆で歩こう、殺戮の道を、皆殺しの歌を響かせ……悲鳴を友に、絶望を喜びに!」
しおりを挟む
感想 88

あなたにおすすめの小説

結婚記念日をスルーされたので、離婚しても良いですか?

秋月一花
恋愛
 本日、結婚記念日を迎えた。三周年のお祝いに、料理長が腕を振るってくれた。私は夫であるマハロを待っていた。……いつまで経っても帰ってこない、彼を。  ……結婚記念日を過ぎてから帰って来た彼は、私との結婚記念日を覚えていないようだった。身体が弱いという幼馴染の見舞いに行って、そのまま食事をして戻って来たみたいだ。  彼と結婚してからずっとそう。私がデートをしてみたい、と言えば了承してくれるものの、当日幼馴染の女性が体調を崩して「後で埋め合わせするから」と彼女の元へ向かってしまう。埋め合わせなんて、この三年一度もされたことがありませんが?  もう我慢の限界というものです。 「離婚してください」 「一体何を言っているんだ、君は……そんなこと、出来るはずないだろう?」  白い結婚のため、可能ですよ? 知らないのですか?  あなたと離婚して、私は第二の人生を歩みます。 ※カクヨム様にも投稿しています。

『収納』は異世界最強です 正直すまんかったと思ってる

農民ヤズ―
ファンタジー
「ようこそおいでくださいました。勇者さま」 そんな言葉から始まった異世界召喚。 呼び出された他の勇者は複数の<スキル>を持っているはずなのに俺は収納スキル一つだけ!? そんなふざけた事になったうえ俺たちを呼び出した国はなんだか色々とヤバそう! このままじゃ俺は殺されてしまう。そうなる前にこの国から逃げ出さないといけない。 勇者なら全員が使える収納スキルのみしか使うことのできない勇者の出来損ないと呼ばれた男が収納スキルで無双して世界を旅する物語(予定 私のメンタルは金魚掬いのポイと同じ脆さなので感想を送っていただける際は語調が強くないと嬉しく思います。 ただそれでも初心者故、度々間違えることがあるとは思いますので感想にて教えていただけるとありがたいです。 他にも今後の進展や投稿済みの箇所でこうしたほうがいいと思われた方がいらっしゃったら感想にて待ってます。 なお、書籍化に伴い内容の齟齬がありますがご了承ください。

悪役令嬢の去った後、残された物は

たぬまる
恋愛
公爵令嬢シルビアが誕生パーティーで断罪され追放される。 シルビアは喜び去って行き 残された者達に不幸が降り注ぐ 気分転換に短編を書いてみました。

お嬢様はお亡くなりになりました。

豆狸
恋愛
「お嬢様は……十日前にお亡くなりになりました」 「な……なにを言っている?」

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

婚約者に毒を飲まされた私から【毒を分解しました】と聞こえてきました。え?

こん
恋愛
成人パーティーに参加した私は言われのない罪で婚約者に問い詰められ、遂には毒殺をしようとしたと疑われる。 「あくまでシラを切るつもりだな。だが、これもお前がこれを飲めばわかる話だ。これを飲め!」 そう言って婚約者は毒の入ったグラスを渡す。渡された私は躊躇なくグラスを一気に煽る。味は普通だ。しかし、飲んでから30秒経ったあたりで苦しくなり初め、もう無理かも知れないと思った時だった。 【毒を検知しました】 「え?」 私から感情のない声がし、しまいには毒を分解してしまった。私が驚いている所に友達の魔法使いが駆けつける。 ※なろう様で掲載した作品を少し変えたものです

だってお義姉様が

砂月ちゃん
恋愛
『だってお義姉様が…… 』『いつもお屋敷でお義姉様にいじめられているの!』と言って、高位貴族令息達に助けを求めて来た可憐な伯爵令嬢。 ところが正義感あふれる彼らが、その意地悪な義姉に会いに行ってみると…… 他サイトでも掲載中。

寡黙な男はモテるのだ!……多分

しょうわな人
ファンタジー
俺の名前は磯貝澄也(いそがいとうや)。年齢は四十五歳で、ある会社で課長職についていた。 俺は子供の頃から人と喋るのが苦手で、大人になってからもそれは変わることが無かった。 そんな俺が何故か課長という役職についているのは、部下になってくれた若者たちがとても優秀だったからだと今でも思っている。 俺の手振り、目線で俺が何をどうすれば良いかと察してくれる優秀な部下たち。俺が居なくなってもきっと会社に多大な貢献をしてくれている事だろう。 そして今の俺は目の前に神と自称する存在と対話している。と言ってももっぱら喋っているのは自称神の方なのだが……

処理中です...