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第一九三話 シャルロッタ 一六歳 打ち砕く者 〇三

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「……是非もなし、迂回してきた別働隊に気がつくのが遅すぎた……」

 ディー・パープル侯爵はベイセル率いる辺境伯軍別働隊の突入で混乱する陣内でそう呟くと、それまで腰を下ろしていた椅子を蹴って立ち上がった。
 一度ハーティから後退しつつ反転攻勢、そして再度ハーティへと押し込んだまでは良かっただがそこで止まってしまった……辺境伯軍の陣容がほんの少しだけ薄いことは理解していた。
 クリストフェル殿下が前線で剣を振っているということも部下から聞いて疑問に思っていた……旗印となる第二王子が最前線で戦っている、では本来あの部隊を指揮しているはずのインテリペリ辺境伯家の人間はどこへ?
 その答えがこれか……と悲鳴と混乱が巻き起こる戦場をどこか遠くを見るような目で見ている自分に驚くが、ふと自軍の一部が不自然に崩壊を始めていることに気がついた。
「侯爵閣下、報告です! あの黒装束の連中が姿を再び見せ、辺境伯軍へと抵抗を始めております」

「あれは打ち砕く者デストロイヤーが連れてきた部隊だな、周りの兵士と同調できるのか?」

「……い、いえ……我が軍の兵士がその攻撃に巻き込まれたのを見て……」
 侯爵はそうか……と呟くと深くため息をついた。
 報告によると辺境伯軍の兵士を切り捨てるはずの黒装束は、味方であるはずの侯爵軍の兵士を巻き込み、踏み潰し……それを見た兵達は我先にと逃げ出し始めているのだという。
 怪物と手を組んだ結末がこれか、と侯爵は腰にあった剣へと手を伸ばしつつ崩壊していく戦場をぼうっと見つめていた……ふと背後から殺気のようなものが感じられ、彼は咄嗟に剣を引き抜くと振り返り様に振り下ろした。
「があっ……!」

「侯爵閣下ぁ!」
 侯爵は自らの胸を貫いた相手……黒い覆面を被ったあの不気味な戦士が首をほんの少し傾けながらこちらをじっと見つめているのを呆然とした様子で見ていた。
 熱い何かが肉体を貫き、喉奥から血が吹き出すのを感じて何かを言おうとして、ゴボゴボと血を吐き膝から崩れ落ちた……どうして?
 だが黒装束の戦士はまるで昆虫か何かが動くかのように、奇妙な動きを見せながら侯爵の周りにいた護衛に向かって飛びかかる……悲鳴と混乱、そして殺戮が侯爵軍の中でも巻き起こる。
「や、やめ……何を……」

「侯爵……この場は混乱を生じる必要があるのだ、シャルロッタ・インテリペリを誘い込むために全ての兵士が混乱と混沌の中で打ち震える、そんな舞台を用意するためにな」
 耳元で打ち砕く者デストロイヤーの声が囁かれる……侯爵はそこで最初から訓戒者プリーチャーがこの戦場自体を罠として活用するためにあえて自軍の中にあの戦士達を潜ませていたこと。
 敵の反撃のタイミングで戦場自体に大混乱を巻き起こし、全てをめちゃくちゃにしてただ一人……シャルロッタ・インテリペリを誘い込むための場所に仕立てること。
 侯爵軍、辺境伯軍全てがその大釜の中で調理される食材でしかないこと……侯爵はもう用済みであること。
「き、貴様……最初から……」

「貴族の死は悲劇だ、だがお前のように臆病なものは戦場にふさわしくない……ここで死ぬ方がお前には幸せだろう? ワーボス神はお前のような弱い魂も好みでな、光栄に思うと良い」
 侯爵の首に緑色の肌を持つ手がかけられ……そして無慈悲に首をへし折った。
 一瞬の激痛と衝撃の後、侯爵の視界が暗く遠くなっていく……周りの悲鳴も喧騒も、全てが遠くそして遠いもののように思えていく。
 侯爵の意識が遠くなっていく中、彼の視界に奇妙なリズムを持つ太鼓の音が広がる空間が急に現れた……始めて見る光景だと彼がゆっくりと手を伸ばすと、目の前で何かを叩いていた大きな男が彼に気がついたのか、振り返ろうとする……その顔を見た時、侯爵は悲鳴をあげた。
 言いようのない恐怖、恐ろしさよりも畏怖、そして狂気に満ちたその顔……何者かわからないが彼に向かってその男が手を伸ばした瞬間、威厳のある声が聞こえ侯爵の意識はぷっつりと途切れた。
「……眷属からの贈り物か? そうかならば受け取ろう……命は全て我が刈り取る……」



「殿下! 侯爵軍内部に現れた黒装束の集団が、敵味方構わずに襲いかかっております!」

「なんだと……! まずい! 後退しろ! あれとは戦うな!」
 クリストフェル達辺境伯軍が侯爵軍へと突撃を開始した後、待っていたのは大混乱と恐ろしい晩餐の様子だった……黒装束の戦士達はその本性を表したのか、侯爵軍だけでなく辺境伯軍の兵士にも襲い掛かると、倒れた兵士へと噛みつき、四肢を食いちぎり……内臓を引き出して食い荒らすというまるで猛獣のような本性を見せ始めていた。
 それに気がついたクリストフェルは行軍を止めて辺境伯軍を後退させようと命令を発したが……我先にと突撃を開始していた辺境伯軍の一部はその大混乱する戦場へと突入してしまっており、それに気がついた黒装束の戦士に襲い掛かられ、悲鳴と絶望の中絶命していった。
「まずいぞ、ベイセル卿は無事だろうか?」

「異変に気が付かれていると思います、無事であることを祈りましょう」
 ヴィクターが目を凝らしながら、先に突入したベイセル隊の旗印を探しているが、どうやらまだ戦場を駆けているようで、異変に気がついたのか戦場の中心ではなく外縁部へと移動を開始しているようなそぶりが見える。
 目の前の戦場では敵味方関係なく襲いかかる戦士と、それに抵抗しようとする両軍の兵が必死に抵抗している姿が見える……クリストフェルは自分が突入して兵士を助け出したいと思っているが、その混乱の最中も彼に向かって攻撃を仕掛けてくる侯爵軍の一部の兵士達の対応で手一杯になっている。
「味方が襲われているんだぞ……なぜ気がつかない」

「おそらくですが、戦場に出た興奮となんらかの影響で自軍に起きていることを理解していないのでは?」

「……それにしたって隊列の後ろの方にいる仲間が食われていたら気にするだろう?!」
 クリストフェルが美しい顔を歪めて唇をかむ……元々は同じ王国軍の仲間であり、本来であればくつわを並べて共に戦っていたかもしれない兵士たちなのだ。
 どうしたら助けられるのか……クリストフェルが手に持った蜻蛉ドラゴンフライを握りしめて自ら前に出ようかと考えていたその時、辺境伯軍の正面……侯爵軍が迫っている地点に上空から凄まじい勢いで何かが着地し、轟音と共に砂埃が舞い上がる。
「な、なんだ……!?」

「……あれは……」

「随分と……好き放題してるじゃないの?」
 砂煙が突然突風でかき消された中、そこに立っていたのは銀色の髪を靡かせるシャルロッタ・インテリペリその人であった。
 突然そこに現れた少女の存在感に、突進をしようとしていた侯爵軍とそれを迎え撃とうとしていた辺境伯軍両方が足を止め、呆然とした顔で彼女を見ている。
 どこから彼女は現れた……? 上空から降ってこなかったか? とざわめきが広がる中、辺境の翡翠姫アルキオネと謳われる少女は侯爵軍に向かってよく通る美しい声で叫んだ。
「……ディー・パープル侯爵軍の皆様、後ろを見なさいっ!」

「……え?」
 驚くほどよくとおる透き通った声だった……素直に従いたくなる心地よさと、そして貴族の令嬢らしい覇気を感じさせるその声に従い、最前線にいた彼らは素直に顔を背後へと向け……自軍で起きている大混乱を見て唖然とした表情へと変わっていく。
 いつの間にそんなことになっていたのか……? わけがわからないとばかりに自軍から距離を置こうと悲鳴をあげながら後退りしようとする。
 だが、彼らには後ろに下がる場所はない……それまで戦いを挑もうとしていた辺境伯軍がいるのだから。
 それをじっと見つめていたシャルロッタがその手にいつの間にか握られていた剣を振り上げると、美しくよく通る声で再び声を張り上げた。
「侯爵軍の皆様……武器を捨て投降なさい!」

「だ、だが武器がなきゃあんな怪物とどう戦えば……!」

「わたくしが対処するのです、わたくしのこの力で……王国の民を救うのですッ!」
 シャルロッタはその豊かな胸を覆う銀色の胸当てキュイラスをどん、と叩くとそれまで絶対に見せなかった、人間とは思えない恐ろしいまでの魔力を一気に解放する。
 虹色の魔力が戦場へと広がっていき、その幻想的な美しさに両軍の兵士は口をポカン、と開けて驚きつつ彼女をみる……不思議な瞬間、兵士の悲鳴と怪物があげる咆哮と抵抗するものがあげる雄叫びと……そしてゴオオッ! という突風のような魔力だけが空間を支配したように見えた。

 そしてその中心にいる辺境の翡翠姫アルキオネの瞳は、美しくエメラルドグリーンの色に輝いている……それは美しくも驚くべき光景だった。
 その戦場に立っていた兵士達はその光景を見て思ったという、あの少女は本当に美しかった、銀色の長い髪は風に靡いて美しく輝き、そしてその瞳には美しい緑色の光が灯っていたと。
 その姿はまるで天上の女神が降臨したかのように、そして虹色の輝きが彼女を包んだ時に今その瞬間に奇跡が起きたのだと思ったのだと。
 後年兵士たちがその内戦を振り返った時に、皆が感激したかのように話したのだという……その中心にいたシャルロッタはそれまでの印象をぶち壊すが如く、勇ましく叫んだ。

「……全員ひっくるめてぶち殺して差し上げますわよ混沌の眷属よ! 神滅魔法……神智の瞳リアライズッ!」
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