187 / 394
第一六二話 シャルロッタ 一六歳 ハーティ防衛 一二
しおりを挟む
「ええい、何が起きているんだ……!」
「敵方に冒険者パーティ「赤竜の息吹」が参戦しているようです!」
ポール・レーサークロス子爵は思うように進まないハーティ攻撃に苛立ちを隠しきれなくなっていた。
本来野戦を得意とする第八軍団であっても、小規模都市の占領という任務はそれほど難しいものではない、特にハーティの守備隊は事前の情報通り小勢であったことから力押しを決定した。
こちらの部隊をある一定の集団に分け、入れ替わり立ち替わり絶え間ない攻撃を繰り返すことで圧迫する……第八軍団の参謀たちが出した結論はこうだった、はずだ。
だが攻撃が始まってから、後方攻撃のために黒烏たちを向かわせたはずの裏道……すでにこの抜け道は事前に第八軍団は把握しており、黒烏達が通過した後に一部の部隊を分けて別方向からハーティを攻撃する計画もあったのだ。
「……閣下、地形が大きく変化しハーティの裏側……おそらく民間人を逃がしている門への攻撃は大きく迂回する必要があります、部隊を呼び戻してこのまま正面攻撃に終始するしかないかと思われますが……」
「わかっている! 伝令を出せ、作戦変更だと」
レーサークロス子爵はすぐに伝令士官を呼び出すと、別動隊へと戻るように命令を下す。
あの火柱と地響き……黒烏達は何をしたのだ? と内心悔しさに歯噛みをしつつ、彼は未だ正門の前にある陣すら抜くことをできていない味方に悪態をつきたい気分に駆られる。
攻城兵器を持つ第一王子派の軍団は、王都近くの街道を進んでいるはずだが明日にもハーティに到着できるわけではない、それまでは散発的な攻撃を繰り返しつつ、第二王子派の主力……インテリペリ辺境伯家の軍勢が少しでも遅れることを祈るしかない。
「揺動で相手を引き摺り出そうと思ったが、試しに仕掛けてみたものの前線にいるエルネット・ファイアーハウスが味方を留めているな……」
「個人的な武勇では一世一代の英雄クラス、指揮すれば有能な騎士隊長レベルとは……こちらに引き入れたい人材ですな」
ハーティの城門付近にある守備隊が構築した陣地に攻めかかる第八軍団の兵士達が次々とエルネットに制圧されていっている光景が見えている。
しかもエルネットは第八軍団の兵士にトドメを刺すことはなく、あくまでも追い散らす程度にとどめていることから、王国人同士の殺し合いをできるだけ防ごうとしている節すらある。
彼の攻撃で槍を切り裂かれたり、盾を叩き落とされた第八軍兵は慌てて本陣側に逃げていくが……追撃をできるだけ避け、防衛に徹しているのを見るたびに、大人と子供の稽古か何かのようにすら見えてしまう。
「無理だろうな……シャルロッタ嬢との契約があるらしい……冒険者組合に掛け合ったものがいたらしいが、彼ら自身が彼女への恩義を感じていることと、未だ契約期間があるとかで拒否されたそうだ」
「その結果がハーティ防衛戦への参加とは……皮肉ですな」
「だがやはり彼らがいるということはシャルロッタ嬢がハーティにいるのだな、それだけが収穫か」
現場指揮官であるレーサークロス子爵はもちろん戦場で目に見える範囲の出来事しか理解できていない、まさか裏道にシャルロッタがいて、それを襲撃した黒烏もろとも地形を吹き飛ばしたなど、想像力を遥かに超えてしまっている。
彼らの判断はハーティ側が何らかの形で、裏へと抜けられないように爆薬などを使って道を封鎖した……という認識である。
そう、そもそも辺境の翡翠姫自身が戦闘能力を持っているという事実は知られていない……せいぜい契約している幻獣ガルムや冒険者に気をつけろ、という認識程度なのだから。
そしてガルムの戦闘力をきちんと認識しているものはほとんどおらず、「赤竜の息吹」の方が注意を引いていたくらいなのだ。
「彼女を捕らえてしまえばこの不毛な内戦は終わるのだが……クリストフェル殿下は婚約者を見捨てることなどできまい?」
「しかし街中にいる場合は補足できませんな」
「そのための抜け道だったのだがな……脱出時に捕捉すれば如何な武人といえども反撃はできないはずだったんだが……全く……」
指揮官用に用意された椅子へとドカッと腰を下ろすと、大きくため息をつく……すでに第八軍団の損害は一〇〇名近くになっており、無理に攻め続けるのは軍団自体の崩壊を招きかねない。
自分たちの駐屯地に残してきた兵士が全て動員できれば、もう少し状況が好転するかもしれないが、帰る場所を無くしてまで内戦に加担するのは子爵の望むところではなかった。
どうする……無理に攻め続けても被害が大きくなるばかりで得るものが少ない、第一王子派貴族として、命令を受けたために出陣しているが本心としてはこの戦いで戦力を減らしたくない。
「如何いたしますか? このまま時間をかけて攻め続ければおそらく攻め落とせるとは思いますが……損害も大きくなると思います」
「わかってる、だからこそ策が必要だ」
第一王子派の貴族達は強固な同盟関係を結んでいるわけではない、第二王子派がその勢力の小ささに反してお互いの協力関係をしっかりと結んでいるのに対して、彼らは隙あらば領地を掠め取ろうとするものすらいるのだ。
レーサークロス子爵が全戦力をこの場に投入できていないのはその証左……アンダース殿下に念書でも書かせればよかったか……と出立前の準備を十分にできなかったことを悔やみつつ、子爵はしばらくじっと考えこむ。
「エルネット卿をどうにかしないといけないな……騎士アンセルモをよべ」
「ア、アンセルモですか……?」
「卿の言いたいことはわかるが、現実的に考えてもアイツ以外エルネット卿を止められんだろう、いいから呼ぶんだ」
レーサークロス子爵の命令に納得のいかない表情だった参謀は、渋々といった様子で彼に頭を下げるとそのまま天幕を出ていく……できれば使いたくなかった手段だが、現在第八軍団の中で個人的な武勇に長けた人物は一人しかない。
正確にいえば子爵も腕には自信はあるが、それでも軍指揮官として軽率に一騎打ちなどを仕掛けられるような身分ではないことは理解している。
苦し紛れの手段ではあるが、エルネット・ファイアーハウスが恐ろしく強いとはいえ、騎士アンセルモと戦えば無傷では済まないだろう……そこへ、と彼は懐に入れていた小さな黒い小箱を取り出す。
「……負けそうになる前に使え、だったな……あの不気味な女、欲する者と言ったか……」
『……いいですか、勝ちたいと思うのであれば最も効果的な場所で……特に負けそうな時には素晴らしい結果をもたらすでしょう、勝っているときは使わないでくださいね』
恐ろしく扇情的で淫らな印象のある黒髪の女……欲する者と名乗った女はアンダース殿下が最もそばに侍らせていると言われる者で、その正体は誰も知らず急に王都に現れて寵愛を勝ち取ったと言われている謎多き人物だ。
だが彼女は恐ろしく有能で、第一王子派に潜んでいたスパイを見つけたり、反体制派の人物を摘発するなど能力の高さを見せつけていたため、誰もが彼女の言葉に耳を傾けるようになっていた。
彼女の赤い瞳を見ると、まるで吸い込まれそうな気分に陥る……彼女のいうことを聞かなければいけない、そうしたいと思ってしまうのだ。
「……普通の人間ではない、と思うが……だがこの状況を予想していたとしたら……」
「騎士アンセルモを連れて参りました」
「……ここへ入れろ」
子爵の言葉の後、天幕に一人の人物がのそり、と姿を現した……身長は二メートルを超えた大男で、兵士鎧と革鎧を黒く塗装した第八軍団のイメージに合わせた鎧を着用しているが、特徴的なのはスキンヘッドにあちこちに裂傷の跡が残る痛々しい外見と、恐ろしく目つきが鋭くまるで野生の犬を思わせるような凶暴な印象の男だった。
騎士アンセルモ……レーサークロス子爵が抱える戦力の中で最も武勇に優れた人物であるが、彼は素行が悪く騎士として叙勲されているものの、おおよそ騎士らしい振る舞いが身に付かず、元の主人からは見放された存在だった。
「……あんたが呼ぶなんて珍しいな子爵」
「ああ、面倒ごとがあってな……飲むか?」
レーサークロス子爵は彼の前に銀のゴブレットに注いだワインを差し出すが、アンセルモは黙ってそれを乱暴な手つきで掴むと、一気に喉の奥へと流し込む。
本来主人から差し出されたものを受け取る際に騎士はそれなりの作法や言動で受け取る必要があるのだが……まあこの男はそれでいいのか、と子爵は軽く肩をすくめるとアンセルモの目をじっと見てから話しかける。
「冒険者「赤竜の息吹」が敵方に助力している……城門で戦っている戦士エルネット・ファイアーハウスを倒して欲しい」
「冒険者ぁ? そんなもん取り囲んでぶっ殺しちまえばいいだろうよ」
「それができんから貴様を呼んだ、お前ならできると確信している」
「……報酬はもらえるんだろうな?」
アンセルモは太い指を器用に動かすと、この世界でも見られる金を意味するジェスチャーを見せるが子爵は黙って彼の懐からほんの少し膨らんだ袋を取り出すと、アンセルモの前へと放り投げる。
テーブルに落ちた衝撃で口が少し開くと、そこからは中に詰められた金貨が見えアンセルモは口元を歪めて笑うと再びその袋を掴むと大事そうに懐へと仕舞い込む。
彼の悪徳は有名で報酬を払わないとまともに働かなかったり、汚職や賭け事などに興じて任務を放棄したりと使い所の難しい人物として知られている……だが強い、第八軍団内では圧倒的な武力を誇り負けなしとまで言われているのだ。
「いいか、お前にしかできんから依頼をしている……エルネット・ファイアーハウスの生死は問わん、奴の仲間にいる女もお前が好きにしていい、だが確実に倒せ」
「まいど……女もいるのか、なら戦いの後は楽しみが増えるな」
クヒヒッ、と引き攣るような笑いを浮かべたアンセルモがそのまま天幕を出ていくのを見て、レーサークロス子爵は深くため息をついた。
強者ではあるがまともに軍事行動の取れない人物であり、一度戦場に解き放って仕舞えばどれだけの悪事を働くか全く予想ができない。
だがしかし、それに目を瞑ってもこの街を早期に陥落させ、インテリペリ辺境伯家を掣肘しなければ第一王子派が優勢とは言っても何が起きるかわからない……初戦には絶対に勝利しなければいけない。
「……第八軍団に余計な犠牲が出ないことを今は喜ぶべきか……アンセルモが勝てないとなれば、この小箱の出番だな……」
「敵方に冒険者パーティ「赤竜の息吹」が参戦しているようです!」
ポール・レーサークロス子爵は思うように進まないハーティ攻撃に苛立ちを隠しきれなくなっていた。
本来野戦を得意とする第八軍団であっても、小規模都市の占領という任務はそれほど難しいものではない、特にハーティの守備隊は事前の情報通り小勢であったことから力押しを決定した。
こちらの部隊をある一定の集団に分け、入れ替わり立ち替わり絶え間ない攻撃を繰り返すことで圧迫する……第八軍団の参謀たちが出した結論はこうだった、はずだ。
だが攻撃が始まってから、後方攻撃のために黒烏たちを向かわせたはずの裏道……すでにこの抜け道は事前に第八軍団は把握しており、黒烏達が通過した後に一部の部隊を分けて別方向からハーティを攻撃する計画もあったのだ。
「……閣下、地形が大きく変化しハーティの裏側……おそらく民間人を逃がしている門への攻撃は大きく迂回する必要があります、部隊を呼び戻してこのまま正面攻撃に終始するしかないかと思われますが……」
「わかっている! 伝令を出せ、作戦変更だと」
レーサークロス子爵はすぐに伝令士官を呼び出すと、別動隊へと戻るように命令を下す。
あの火柱と地響き……黒烏達は何をしたのだ? と内心悔しさに歯噛みをしつつ、彼は未だ正門の前にある陣すら抜くことをできていない味方に悪態をつきたい気分に駆られる。
攻城兵器を持つ第一王子派の軍団は、王都近くの街道を進んでいるはずだが明日にもハーティに到着できるわけではない、それまでは散発的な攻撃を繰り返しつつ、第二王子派の主力……インテリペリ辺境伯家の軍勢が少しでも遅れることを祈るしかない。
「揺動で相手を引き摺り出そうと思ったが、試しに仕掛けてみたものの前線にいるエルネット・ファイアーハウスが味方を留めているな……」
「個人的な武勇では一世一代の英雄クラス、指揮すれば有能な騎士隊長レベルとは……こちらに引き入れたい人材ですな」
ハーティの城門付近にある守備隊が構築した陣地に攻めかかる第八軍団の兵士達が次々とエルネットに制圧されていっている光景が見えている。
しかもエルネットは第八軍団の兵士にトドメを刺すことはなく、あくまでも追い散らす程度にとどめていることから、王国人同士の殺し合いをできるだけ防ごうとしている節すらある。
彼の攻撃で槍を切り裂かれたり、盾を叩き落とされた第八軍兵は慌てて本陣側に逃げていくが……追撃をできるだけ避け、防衛に徹しているのを見るたびに、大人と子供の稽古か何かのようにすら見えてしまう。
「無理だろうな……シャルロッタ嬢との契約があるらしい……冒険者組合に掛け合ったものがいたらしいが、彼ら自身が彼女への恩義を感じていることと、未だ契約期間があるとかで拒否されたそうだ」
「その結果がハーティ防衛戦への参加とは……皮肉ですな」
「だがやはり彼らがいるということはシャルロッタ嬢がハーティにいるのだな、それだけが収穫か」
現場指揮官であるレーサークロス子爵はもちろん戦場で目に見える範囲の出来事しか理解できていない、まさか裏道にシャルロッタがいて、それを襲撃した黒烏もろとも地形を吹き飛ばしたなど、想像力を遥かに超えてしまっている。
彼らの判断はハーティ側が何らかの形で、裏へと抜けられないように爆薬などを使って道を封鎖した……という認識である。
そう、そもそも辺境の翡翠姫自身が戦闘能力を持っているという事実は知られていない……せいぜい契約している幻獣ガルムや冒険者に気をつけろ、という認識程度なのだから。
そしてガルムの戦闘力をきちんと認識しているものはほとんどおらず、「赤竜の息吹」の方が注意を引いていたくらいなのだ。
「彼女を捕らえてしまえばこの不毛な内戦は終わるのだが……クリストフェル殿下は婚約者を見捨てることなどできまい?」
「しかし街中にいる場合は補足できませんな」
「そのための抜け道だったのだがな……脱出時に捕捉すれば如何な武人といえども反撃はできないはずだったんだが……全く……」
指揮官用に用意された椅子へとドカッと腰を下ろすと、大きくため息をつく……すでに第八軍団の損害は一〇〇名近くになっており、無理に攻め続けるのは軍団自体の崩壊を招きかねない。
自分たちの駐屯地に残してきた兵士が全て動員できれば、もう少し状況が好転するかもしれないが、帰る場所を無くしてまで内戦に加担するのは子爵の望むところではなかった。
どうする……無理に攻め続けても被害が大きくなるばかりで得るものが少ない、第一王子派貴族として、命令を受けたために出陣しているが本心としてはこの戦いで戦力を減らしたくない。
「如何いたしますか? このまま時間をかけて攻め続ければおそらく攻め落とせるとは思いますが……損害も大きくなると思います」
「わかってる、だからこそ策が必要だ」
第一王子派の貴族達は強固な同盟関係を結んでいるわけではない、第二王子派がその勢力の小ささに反してお互いの協力関係をしっかりと結んでいるのに対して、彼らは隙あらば領地を掠め取ろうとするものすらいるのだ。
レーサークロス子爵が全戦力をこの場に投入できていないのはその証左……アンダース殿下に念書でも書かせればよかったか……と出立前の準備を十分にできなかったことを悔やみつつ、子爵はしばらくじっと考えこむ。
「エルネット卿をどうにかしないといけないな……騎士アンセルモをよべ」
「ア、アンセルモですか……?」
「卿の言いたいことはわかるが、現実的に考えてもアイツ以外エルネット卿を止められんだろう、いいから呼ぶんだ」
レーサークロス子爵の命令に納得のいかない表情だった参謀は、渋々といった様子で彼に頭を下げるとそのまま天幕を出ていく……できれば使いたくなかった手段だが、現在第八軍団の中で個人的な武勇に長けた人物は一人しかない。
正確にいえば子爵も腕には自信はあるが、それでも軍指揮官として軽率に一騎打ちなどを仕掛けられるような身分ではないことは理解している。
苦し紛れの手段ではあるが、エルネット・ファイアーハウスが恐ろしく強いとはいえ、騎士アンセルモと戦えば無傷では済まないだろう……そこへ、と彼は懐に入れていた小さな黒い小箱を取り出す。
「……負けそうになる前に使え、だったな……あの不気味な女、欲する者と言ったか……」
『……いいですか、勝ちたいと思うのであれば最も効果的な場所で……特に負けそうな時には素晴らしい結果をもたらすでしょう、勝っているときは使わないでくださいね』
恐ろしく扇情的で淫らな印象のある黒髪の女……欲する者と名乗った女はアンダース殿下が最もそばに侍らせていると言われる者で、その正体は誰も知らず急に王都に現れて寵愛を勝ち取ったと言われている謎多き人物だ。
だが彼女は恐ろしく有能で、第一王子派に潜んでいたスパイを見つけたり、反体制派の人物を摘発するなど能力の高さを見せつけていたため、誰もが彼女の言葉に耳を傾けるようになっていた。
彼女の赤い瞳を見ると、まるで吸い込まれそうな気分に陥る……彼女のいうことを聞かなければいけない、そうしたいと思ってしまうのだ。
「……普通の人間ではない、と思うが……だがこの状況を予想していたとしたら……」
「騎士アンセルモを連れて参りました」
「……ここへ入れろ」
子爵の言葉の後、天幕に一人の人物がのそり、と姿を現した……身長は二メートルを超えた大男で、兵士鎧と革鎧を黒く塗装した第八軍団のイメージに合わせた鎧を着用しているが、特徴的なのはスキンヘッドにあちこちに裂傷の跡が残る痛々しい外見と、恐ろしく目つきが鋭くまるで野生の犬を思わせるような凶暴な印象の男だった。
騎士アンセルモ……レーサークロス子爵が抱える戦力の中で最も武勇に優れた人物であるが、彼は素行が悪く騎士として叙勲されているものの、おおよそ騎士らしい振る舞いが身に付かず、元の主人からは見放された存在だった。
「……あんたが呼ぶなんて珍しいな子爵」
「ああ、面倒ごとがあってな……飲むか?」
レーサークロス子爵は彼の前に銀のゴブレットに注いだワインを差し出すが、アンセルモは黙ってそれを乱暴な手つきで掴むと、一気に喉の奥へと流し込む。
本来主人から差し出されたものを受け取る際に騎士はそれなりの作法や言動で受け取る必要があるのだが……まあこの男はそれでいいのか、と子爵は軽く肩をすくめるとアンセルモの目をじっと見てから話しかける。
「冒険者「赤竜の息吹」が敵方に助力している……城門で戦っている戦士エルネット・ファイアーハウスを倒して欲しい」
「冒険者ぁ? そんなもん取り囲んでぶっ殺しちまえばいいだろうよ」
「それができんから貴様を呼んだ、お前ならできると確信している」
「……報酬はもらえるんだろうな?」
アンセルモは太い指を器用に動かすと、この世界でも見られる金を意味するジェスチャーを見せるが子爵は黙って彼の懐からほんの少し膨らんだ袋を取り出すと、アンセルモの前へと放り投げる。
テーブルに落ちた衝撃で口が少し開くと、そこからは中に詰められた金貨が見えアンセルモは口元を歪めて笑うと再びその袋を掴むと大事そうに懐へと仕舞い込む。
彼の悪徳は有名で報酬を払わないとまともに働かなかったり、汚職や賭け事などに興じて任務を放棄したりと使い所の難しい人物として知られている……だが強い、第八軍団内では圧倒的な武力を誇り負けなしとまで言われているのだ。
「いいか、お前にしかできんから依頼をしている……エルネット・ファイアーハウスの生死は問わん、奴の仲間にいる女もお前が好きにしていい、だが確実に倒せ」
「まいど……女もいるのか、なら戦いの後は楽しみが増えるな」
クヒヒッ、と引き攣るような笑いを浮かべたアンセルモがそのまま天幕を出ていくのを見て、レーサークロス子爵は深くため息をついた。
強者ではあるがまともに軍事行動の取れない人物であり、一度戦場に解き放って仕舞えばどれだけの悪事を働くか全く予想ができない。
だがしかし、それに目を瞑ってもこの街を早期に陥落させ、インテリペリ辺境伯家を掣肘しなければ第一王子派が優勢とは言っても何が起きるかわからない……初戦には絶対に勝利しなければいけない。
「……第八軍団に余計な犠牲が出ないことを今は喜ぶべきか……アンセルモが勝てないとなれば、この小箱の出番だな……」
1
お気に入りに追加
828
あなたにおすすめの小説
僕の家族は母様と母様の子供の弟妹達と使い魔達だけだよ?
闇夜の現し人(ヤミヨノウツシビト)
ファンタジー
ー 母さんは、「絶世の美女」と呼ばれるほど美しく、国の中で最も権力の強い貴族と呼ばれる公爵様の寵姫だった。
しかし、それをよく思わない正妻やその親戚たちに毒を盛られてしまった。
幸い発熱だけですんだがお腹に子が出来てしまった以上ここにいては危険だと判断し、仲の良かった侍女数名に「ここを離れる」と言い残し公爵家を後にした。
お母さん大好きっ子な主人公は、毒を盛られるという失態をおかした父親や毒を盛った親戚たちを嫌悪するがお母さんが日々、「家族で暮らしたい」と話していたため、ある出来事をきっかけに一緒に暮らし始めた。
しかし、自分が家族だと認めた者がいれば初めて見た者は跪くと言われる程の華の顔(カンバセ)を綻ばせ笑うが、家族がいなければ心底どうでもいいというような表情をしていて、人形の方がまだ表情があると言われていた。
『無能で無価値の稚拙な愚父共が僕の家族を名乗る資格なんて無いんだよ?』
さぁ、ここに超絶チートを持つ自分が認めた家族以外の生き物全てを嫌う主人公の物語が始まる。
〈念の為〉
稚拙→ちせつ
愚父→ぐふ
⚠︎注意⚠︎
不定期更新です。作者の妄想をつぎ込んだ作品です。
ゆったりおじさんの魔導具作り~召喚に巻き込んどいて王国を救え? 勇者に言えよ!~
ぬこまる
ファンタジー
勇者召喚に巻き込まれ異世界の食堂と道具屋で働くおじさん・ヤマザキは、武装したお姫様ハニィとともに、腐敗する王国の統治をすることとなる。
ゆったり魔導具作り! 悪者をざまぁ!! 可愛い女の子たちとのラブコメ♡ でおくる痛快感動ファンタジー爆誕!!
※表紙・挿絵の画像はAI生成ツールを使用して作成したものです。
出て行けと言って、本当に私が出ていくなんて思ってもいなかった??
新野乃花(大舟)
恋愛
ガランとセシリアは婚約関係にあったものの、ガランはセシリアに対して最初から冷遇的な態度をとり続けていた。ある日の事、ガランは自身の機嫌を損ねたからか、セシリアに対していなくなっても困らないといった言葉を発する。…それをきっかけにしてセシリアはガランの前から失踪してしまうこととなるのだが、ガランはその事をあまり気にしてはいなかった。しかし後に貴族会はセシリアの味方をすると表明、じわじわとガランの立場は苦しいものとなっていくこととなり…。
婚約破棄の後始末 ~息子よ、貴様何をしてくれってんだ!
タヌキ汁
ファンタジー
国一番の権勢を誇る公爵家の令嬢と政略結婚が決められていた王子。だが政略結婚を嫌がり、自分の好き相手と結婚する為に取り巻き達と共に、公爵令嬢に冤罪をかけ婚約破棄をしてしまう、それが国を揺るがすことになるとも思わずに。
これは馬鹿なことをやらかした息子を持つ父親達の嘆きの物語である。
【完結】公女が死んだ、その後のこと
杜野秋人
恋愛
【第17回恋愛小説大賞 奨励賞受賞しました!】
「お母様……」
冷たく薄暗く、不潔で不快な地下の罪人牢で、彼女は独り、亡き母に語りかける。その掌の中には、ひと粒の小さな白い錠剤。
古ぼけた簡易寝台に座り、彼女はそのままゆっくりと、覚悟を決めたように横たわる。
「言いつけを、守ります」
最期にそう呟いて、彼女は震える手で錠剤を口に含み、そのまま飲み下した。
こうして、第二王子ボアネルジェスの婚約者でありカストリア公爵家の次期女公爵でもある公女オフィーリアは、獄中にて自ら命を断った。
そして彼女の死後、その影響はマケダニア王国の王宮内外の至るところで噴出した。
「ええい、公務が回らん!オフィーリアは何をやっている!?」
「殿下は何を仰せか!すでに公女は儚くなられたでしょうが!」
「くっ……、な、ならば蘇生させ」
「あれから何日経つとお思いで!?お気は確かか!」
「何故だ!何故この私が裁かれねばならん!」
「そうよ!お父様も私も何も悪くないわ!悪いのは全部お義姉さまよ!」
「…………申し開きがあるのなら、今ここではなく取り調べと裁判の場で存分に申すがよいわ。⸺連れて行け」
「まっ、待て!話を」
「嫌ぁ〜!」
「今さら何しに戻ってきたかね先々代様。わしらはもう、公女さま以外にお仕えする気も従う気もないんじゃがな?」
「なっ……貴様!領主たる儂の言うことが聞けんと」
「領主だったのは亡くなった女公さまとその娘の公女さまじゃ。あの方らはあんたと違って、わしら領民を第一に考えて下さった。あんたと違ってな!」
「くっ……!」
「なっ、譲位せよだと!?」
「本国の決定にございます。これ以上の混迷は連邦友邦にまで悪影響を与えかねないと。⸺潔く観念なさいませ。さあ、ご署名を」
「おのれ、謀りおったか!」
「…………父上が悪いのですよ。あの時止めてさえいれば、彼女は死なずに済んだのに」
◆人が亡くなる描写、及びベッドシーンがあるのでR15で。生々しい表現は避けています。
◆公女が亡くなってからが本番。なので最初の方、恋愛要素はほぼありません。最後はちゃんとジャンル:恋愛です。
◆ドアマットヒロインを書こうとしたはずが。どうしてこうなった?
◆作中の演出として自死のシーンがありますが、決して推奨し助長するものではありません。早まっちゃう前に然るべき窓口に一言相談を。
◆作者の作品は特に断りなき場合、基本的に同一の世界観に基づいています。が、他作品とリンクする予定は特にありません。本作単品でお楽しみ頂けます。
◆この作品は小説家になろうでも公開します。
◆24/2/17、HOTランキング女性向け1位!?1位は初ですありがとうございます!
3歳で捨てられた件
玲羅
恋愛
前世の記憶を持つ者が1000人に1人は居る時代。
それゆえに変わった子供扱いをされ、疎まれて捨てられた少女、キャプシーヌ。拾ったのは宰相を務めるフェルナー侯爵。
キャプシーヌの運命が再度変わったのは貴族学院入学後だった。
転生したら死にそうな孤児だった
佐々木鴻
ファンタジー
過去に四度生まれ変わり、そして五度目の人生に目覚めた少女はある日、生まれたばかりで捨てられたの赤子と出会う。
保護しますか? の選択肢に【はい】と【YES】しかない少女はその子を引き取り妹として育て始める。
やがて美しく育ったその子は、少女と強い因縁があった。
悲劇はありません。難しい人間関係や柵はめんどく(ゲフンゲフン)ありません。
世界は、意外と優しいのです。
婚約破棄はいいですが、あなた学院に届け出てる仕事と違いませんか?
来住野つかさ
恋愛
侯爵令嬢オリヴィア・マルティネスの現在の状況を端的に表すならば、絶体絶命と言える。何故なら今は王立学院卒業式の記念パーティの真っ最中。華々しいこの催しの中で、婚約者のシェルドン第三王子殿下に婚約破棄と断罪を言い渡されているからだ。
パン屋で働く苦学生・平民のミナを隣において、シェルドン殿下と側近候補達に断罪される段になって、オリヴィアは先手を打つ。「ミナさん、あなた学院に提出している『就業許可申請書』に書いた勤務内容に偽りがありますわよね?」――
よくある婚約破棄ものです。R15は保険です。あからさまな表現はないはずです。
※この作品は『カクヨム』『小説家になろう』にも掲載しています。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる