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第一五八話 シャルロッタ 一六歳 ハーティ防衛 〇八

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「……旗印確認いたしました! 第八軍団……レーサークロス子爵が率いる軍のようです!」

「きたか……こちらの使者は?」
 ミシェル・レイジー男爵が伝令役となった兵士に、数時間前にハーティへと近づいてくる軍勢に向かって、状況の説明と公的な命令書があるかどうかを確認するための使者を送り込んだのだが、いまだに戻ってきていない。
 兵士は黙って首を振ると、レイジー男爵は「わかった」と頷き、傍に立つ胸当てキュイラスを着用し、真新しい緑を基調とした騎士服に身を包んだシャルロッタに苦笑いを見せる。
「こりゃ問答無用で攻めかかってくるな……レーサークロス子爵が最初に出てきたってことはアンダース殿下は本気でインテリペリ辺境伯家と戦う気のようだ」

「……もはや避けられませんわね……住民の避難は?」

「あまり進んでいない……こちらの予想よりもはるかに早く軍勢が到着してきている、せめて時間を稼がねばな」
 ハーティの街は混乱の最中にある……レイジー男爵はこれでも早い段階から住民を避難させるべく、兵士たちを使って布告を出していた。
 だがいきなり軍勢がきている、と告げられてもこの街の住人はそれが味方、イングウェイ王国軍であるということからなぜ自分たちが攻撃を受けなければいけないのか、と不思議に思っていたようで説得に多少時間をロスしてしまっていた。
 現在第一王子派と第二王子派の貴族同士で小競り合いが始まっていて、今回ハーティはインテリペリ辺境伯家の領内にあるため攻撃の対象となっていること、兵士や男爵達は時間を稼ぐためにこの街で防戦をすることを告げた。

『できる限り着の身着のままで逃げて欲しい、領都であるエスタデルには早馬を飛ばしていて援軍が来るはずだ、それまで街に被害が出ないようなんとかする、それまでの辛抱だ』

 男爵の言葉に住民達は不安そうな目をしていたが、それでも命は大事だと考えたのだろう……慌てて住民達は避難の準備を始めたが、今となってはもう遅すぎる。
 見ている感じ半分も脱出できていないだろう、それでも兵士たちとこの街に拠点を置いていた冒険者達が率先して懸命に住民の脱出を支援している。
 ただ城壁の上から見て、第八軍団は街の近くまで軍を進めておりこのままでいくと明日には攻撃が開始されてしまうだろう。
「被害が全くない戦闘など夢物語だからな、見る側にとっては辛いかもしれんがこれも軍を指揮する側の責任……可能な限り犠牲を出さずに住民を逃す」

「承知いたしましたわ、「赤竜の息吹」も誘導と護衛に当たってもらいます……マーサも逃さなければいけませんし」

「わかった、してシャルはどうする?」

「戦いますわ、そのための武装ですし」
 彼女はそのまま第八軍団がいるであろう方向に目をこらす……エメラルドグリーンの瞳が魔力を帯びてぼんやりと光を放っているかのようにみえ、レイジー男爵は本当にこの令嬢が戦う能力を持った人物だったことに今更ながら驚きを隠せない。
 レイジー男爵も魔法をいくつか操ることができるが、その彼から見ても今まで全く気が付かなかったシャルロッタ自身から漏れ出すような存在感、驚くほどに濃密で息苦しいとすら感じてしまうレベルの魔力の渦を感じる。
 どうやって今までこれを隠しきれていたのか、それだけが今は疑問に感じているが……考えても仕方ないことか、と何度か軽く首を振ると彼女の見ている方に彼も目をこらす。

 幼少期シャルロッタ・インテリペリは恐ろしいまでの美貌と、知的な言動が特徴的な貴族令嬢の一人だった。
 貴族の大半は辺境伯が可愛がっている美しい娘、病弱で部屋に籠る時間も多い深窓の美女という噂ばかりを見ていた……実際に彼女を見ると、驚くほど大人びた言動と、少女とは思えないほどの判断能力を有していた。
 時折見せるじっと相手を見る瞳の奥に、何か得体の知れないものを感じるものも存在はしていたが、それでも彼女の上辺の美しさの前に誰もがそれを忘れてしまっていた。
「男爵……わたくしは自分で身を守ることが可能です、街の防衛だけに集中してください」

「そ、そうか……わかった」
 シャルロッタの口元がほんの少しだけ微笑んでいるような気がして男爵はぎょっとするが、次の瞬間彼女の横顔は往年のクレメント・インテリペリ辺境伯にもほんの少しだけ似ている気がして思わず目を見開く。
 クレメント伯は戦闘の前に自らを鼓舞するためか、それとも本質的に戦いの中で高揚感を得るタイプなのか微笑を浮かべているときがあった。
 その姿に重なるように美しい銀髪の乙女が視線に気が付くと、キョトンとした表情を浮かべた。
「……男爵?」

「あ、い、いや……お父上にそっくりだなと思ってな」

「……よくお父様には自慢の娘だって言われましたわ、早くここでの戦いを終わらせてエスタデルに戻りたいものです」
 にっこりと大輪の花を咲かせたような笑顔を浮かべたシャルロッタを見て、男爵は思わず息をのんだ。
 さすが王族からの婚姻を受けた女性だけある……この世界の中でもダントツに美しいと感じる外見、そしてまだ一〇代の少女であるにも関わらずだ! 辺境の翡翠姫アルキオネという愛称は間違っていないと改めて思わされる。
 身長がそれほど伸びていないが、それでもイングウェイ王国の貴族令嬢の中にいても目立つ存在であることは間違いない。
 クリストフェル殿下が見初め彼女との婚約を熱望したというのもあながち納得できるな、と男爵は納得しつつ一度咳ばらいをすると彼女が武器庫から見つけてきたという銀色の胸当てキュイラスを見つめた。
「……どこかで見た……いや、誰だったかその胸当てキュイラスの持ち主をワシは知っている気がするんだが……」

「見つけた人のモノにしていい、んですわよね? わたくしこの胸当てキュイラス気に入りましたわ」

「別に返せってわけじゃない、ただその|胸当て胸当てキュイラスには魔力があるからな、ハーティに駐在していたものでそんな目立つ鎧を着ていたらさすがのワシでも気がつく」
 男爵は少し胸当てキュイラスをじっと見つめてから顎をさするような仕草をした後、やれやれと言わんばかりに肩をすくめると「忘れた」とだけつぶやいてから再び遠くを見る。
 遠くのほうに黒い何かが見える……まるで黒い洪水のように、ゆっくりとこちらへと近づいてくるのが分かる……第八軍団、黒ずくめの兵士たちの一団が次第にハーティの方向へと迫ってくるのが見えた。
「……さて、戦いを始めるとしようか? インテリペリ辺境伯家にレイジー男爵あり、と王都の連中に覚えてもらういい機会だからな……全力で戦おう」



 ——黒ずくめの軍団はゆっくりとその行軍を止めた……インテリペリ辺境伯領の街であるハーティの少し高い壁が見えており、攻撃に向けた準備のために陣地の構築を開始している。

「陣の構築は一時間ほどで完了いたします、兵を休息させますがよろしいでしょうか?」
 下士官の報告にポール・レーサークロス子爵は頷くと、彼に下がるように手で促す。
 その仕草を見た下士官は一度敬礼してから天幕から退出していく……レーサークロス子爵はふうっ、と大きく息を吐くと目の前の簡易テーブルに乗せられた地図へと視線を動かす。
 地図はあまり精度の高いものではないが、上には黒い駒とハーティを示す場所には白い駒が並べられている……黒烏の報告によるとハーティの防衛部隊はそれほど数が多くないという。

 だが、精強な部隊を中心に歴戦の戦士であるレイジー男爵が指揮していることでハーティは難攻不落の要塞としての存在感を増している。
 ハーティ自体が戦場になったことは長らくないが、レイジー男爵以下ハーティ守備隊が他国との抗争に駆り出されたケースがあり、そこでの武名がイングウェイ国内でも有名だからだ。
 だが、第八軍団が過去に積み重ねてきた武勲も相当なものだ……ポール・レーサークロス自身ではなく、レーサークロス子爵家の歴史が、この軍団を精強たらしめている。
「……我が代において最大の戦争となるだろうな……」

 先代レーサークロス子爵時代に第八軍団は先駆けとして他国との小競り合いに投入され、その強さを遺憾なく発揮した。
 黒ずくめの衣装は伊達ではないのだ……特に野戦における攻撃についてはイングウェイ王国でも並ぶものがない、と評されるだけの実力と実績を兼ね備えた軍団でもある。
 レーサークロス子爵はテーブルの上に置かれた白い駒へと自軍を示す黒い駒を使って弾く……第八軍団が現状一五〇〇名程度しか動員できていない状況でも五分の一程度の規模しかないハーティを攻め落とすことは造作もない。
 ふむ……と満足そうに微笑むと彼は地図の脇に置かれたゴブレットからワインを口に含み、口元を歪める……第一王子派の先鋒として戦果をあげ、子爵家の地位を確立する。
 子爵家という地位では満足できない……彼自身の野心がこの地位に甘んじることを許しはしないのだから。

「……私の足場を固める土台となってもらおうレイジー男爵……あなたの時代は終わった、これからは若い我々の時代なのだから」
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