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5 ミハイル

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「アレクセイ・ミハイル・ザハロフです。このたび、ベルン宇宙軍基地の特別講師として派遣されました。3カ月という短い期間ですがよろしくお願いします」

 校長から話を聞いていたものの、スティーブは面白くない。
 何が特別講師だ! 俺だってちっとは名の知れた操縦士だったのに。そんな思いがあったから、スペシャル・クラスの操縦演習を受け持つために講師が派遣されると聞いたとき腹が立った。そして、そんな男となど関わりになりたくなかった。

 校長から紹介された男は、丁寧に挨拶して深く頭を下げた。自分よりずっと上官なのに。
 落ち着いた物腰。さわやかな声。こんなに低姿勢で、洗練された対応のできる男にそうそう冷たくできるものではなかった。
 スティーブはいつの間にか、基地の案内役を買って出てしいた。

「ここが操縦ルーム。そこを抜けるとグラウンドです。軍基地と士官訓練センターが一緒になっているせいで複雑な造りですが、すぐに慣れますよ。宇宙船の発着場は、ご存じですね」

 隣で男が軽くうなずいた。赤みがかった髪が背中で揺れている。中肉中背でエキゾチックな風貌をした男は、士官と言うより領地を治める貴族を思わせた。

「ええ。今朝、軍の宙港を利用しましたから。しかし、辺境の惑星ベルンにこんなにしっかりした軍事基地があるとは思ってもいませんでした」

 意外だというニュアンスである。
 スティーブにしても、ここに来るまでベルン基地のことを知りもしなかったし、惑星ベルンがこれほど賑やかな惑星だと思っていなかったから当然かもしれない。

「ザハロフ少佐はセントラルにおられたんですか」
「少佐はやめてください。ここではただの講師です。ミハイルと呼んでください」

 スティーブより上官であるミハイルが遠慮がちに言う。スティーブがうなずくとミハイルの顔がほころんだ。
 礼儀正しい、いい男じゃないか。単純なスティーブはコロリとまいってしまった。

「話の腰を折りましたが、ご質問にお応えすると、僕は本部をよく知りません。特殊部隊ですから、あちこちと、それこそ辺境ばかりたらい回しですよ」
「特殊部隊…、それならタスクフォース!」

 さらりと口にされた部隊名にスティーブは絶句した。
 特殊部隊の士官と出会ったことなどない。いや、出会っていても、名乗られたことがなかっただけかも知れないが…。戦争や大規模な抗争の裏には特殊部隊ありと噂されていた。それなら、この男は宇宙軍でも精鋭中の精鋭!

「なぜ士官訓練センターになど? ベルンでやばいことでもあるんですか」
「そんな話は聞いていませんが…」

 釈然としない顔をするスティーブにミハイルが言葉を続ける。

「上からの命令です。下っ端には理由など知らされません。僕の受け持つ訓練生の中に特別な方でもいらっしゃるか、リクルートでもしてこいということでしょうか?」

 そう言われて、スティーブはハタと気づいた。
 そうか、ルーインだ。アドラー家ならば、宇宙軍での発言力はかなりのものだ。ルーインが山岳演習をクリアしてくれてよかった。

「あなたにはスペシャル・クラスの宇宙演習を受け持ってもらうことになります。例の山岳演習、俗に言う地獄のロードで不合格になったものがいて、5名になりました」

 ミハイルは軽くうなずいた。そんな情報はすでに入手済みだが、今日きたばかりで知ったかぶりをするわけにはいかない。

「ところで、ご専門は?」

 スティーブが訊く。操縦演習は自分が受け持つつもりでいたのである。特殊部隊の精鋭とは言え、ミハイルが何を専門とし、どれほどの技術を備えているのか知りたいと思うのは当然である。
 ミハイルは、スティーブが操縦のプロだと知っているのか、

「トンプソン教官のように操縦が専門ではありません、僕はもっと地味なことばかりやっていますよ。詳しくはお話しできないんですが…、軍歴は長いですけどね」

 言葉をにごすミハイルに、スティーブは突っ込めなかった。地味なことと言うより危険なことばかりなのだろうと思った。

「タスクフォースの仕事に比べたら、ここで訓練生相手に宇宙船の操り方や宇宙戦術を教えるなど、退屈で物足りないのではないですか」
「そんなことはありません。どんなことも経験ですし、きっと潜入やかく乱の仕事にも役立つでしょう」 

 爽やかな笑顔で物騒なことをサラリと言ってのける。さすがに歴戦の強者と言った感じであった。

 実際のところ、ミハイルは物足りないどころかワクワクしているのだ。キャプテン・レイモンドが育てた若者に会えるのだから。
 どんな若者なのだろうか。あの人のように美しくて、どんな時も毅然としているのだろうか。ぼんやり考えているところに、スティーブの声。

「兵士たちがグラウンドで朝のトレーニングをやっています。山岳演習が終わったばかりだから誰も出てないかと思ったが、スペシャル・クラスのものがいるようだ」

 ミハイルは目を凝らした。

「士官候補への第一歩として、スペシャル・クラスのものは兵士を率いる訓練をしているところです。まだ3カ月でかなり手こずっていますが…。それなりに板に付いてきたようです。彼らに引き合わせしましょうか?」

 あの中に、阿刀野リュウはいるのか? すぐに会ってみたくてお願いします、と応えようとしたその時、ミハイルの目がグラウンドの隅に立つ男に釘付けになった。

「あれは?」

 ミハイルが指差す先に、スラリとした人影が見えた。

「えっ。ああ、スペシャル・クラスのルーイン・アドラーです。山岳演習で足を怪我したから、グラウンドの隅から隊の様子を見ているんでしょう」

 と応えた後で、スティーブは影になっていたレイの姿に気が付いた。

「おやっ! あれは、阿刀野のお兄さんかな?」
「……っ?」
「ああ、すみません。こんな説明ではわからないですね。ルーインの向こうにいるのは、あなたに受け持ってもらう訓練生のひとり、阿刀野の保護者です…」

 ミハイルはもう、スティーブの話など聞いてはいなかった。
 そこに、スレンダーで美しい男が立っていた。パッと華が咲いたようでつい目を惹きつけられてしまう。どこにいても、存在感のある人なのだ。あの人には僕のように潜入の仕事などできないなとミハイルは心の中でつぶやく。
 こんなところで出くわすなどと夢にも思っていなかった。10年間、コスモ・サンダーが総力をあげて探したのに見つけられなかった男。どこにいても目立つのに、逃げることに関しても超一流だった。

 身体にピッタリ合ったスリムなパンツに革のジャケットというラフな格好である。朝の陽にキラキラ輝く蜂蜜色の髪を手で掻き上げる仕草は昔とちっとも変わっていない。

 だがそれ以外は…。
 昔はあんなにやさしい顔はしなかった。部下を見つめる目はいつも厳しかった。年下なのについていきたいと思った。自分の使命さえ忘れて。
 憧れていたし、恐れもした。この僕でさえ、毅然とした態度で冷たい瞳を突き付けられると震えたものだ。それが、いま。兵士たちの朝の日課を眺めながら、にこやかに微笑んでいる!
 昔を知っている者には信じがたい光景であった。息を呑んでしまったミハイルにスティーブが声をかける。

「大丈夫ですか。顔色がよくない?」
「いえ、なんとも、ありません」

 レイから目を離せずにいるのを見て、

「ものすごい美貌でしょう。初めて見たときは、俺も目が離せなかった。それでいながら、操縦の腕は凄いですよ」とスティーブが言う。どうやら誤解されたようだ。
「トンプソン教官、遠くから来たので昨晩から宇宙船を操縦しずめで…、さすがに疲れました。宿舎へ帰ってしばらく休みたいのですが…」

 このまま見つめていたら、きっと気づかれてしまう。捕まえられるならいいが、自分には無理だということくらいはわかる。
 僕がここにいるのがわかったら、あの人はまた、見事に行方をくらますだろう。気づかれるわけにはいかない。

「ああ、気が回らなくて申し訳ない。訓練生たちとは、予定通り午後からのクラスで顔合わせということで、すぐに宿舎にご案内します」

 スティーブが先に立って歩き始めた。


 何かが気になって、レイがくるりと振り向く。その時にはもう、ミハイルの姿は建物の中に消えていた。

「どうしたんですか、レイさん」
「う~ん。誰かが見ているような気がしたんだけど…」

 いつもと違う視線を感じたのだが、気のせいだろうかとレイがキョロキョロするのを、ルーインは不思議に思った。
 誰かが見ているって。
 そりゃあ、グラウンドにいる兵士たちも、通りすがりの訓練生も、誰も彼もがレイさんを見ている。だが、注目を集め慣れているレイさんが言うなら、何かあるのだろうか。
 ルーインは周囲を見渡したが、見慣れた光景以外に目に止まったものは何もなかった。
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