ヒーラーズデポジット

池田 蒼

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最終章

24話 千の春を紡ぐために

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 俺は眩しさで目を覚ました。辺りは光に溢れている。溢れているどころか、どこを見渡しても白色の空間があるのみで地平線すら確認する事が出来ない。俺は立ち上がり方向すら分からないままに歩き出した。俺は立ち止まり呼びかける。

「おおーい!誰かいねぇのかー?」

 返事は無い。どこへ向かうでもなく俺はさらに歩みを進めた。進んでも進んでも何も無い空間に不安になり、ついには俺は走り出す。しかし、それでも何も起こらない。
 俺は走り疲れ、その場に腰を下ろした。息遣いが荒くなる。

「はあ、はあ、はあ・・・。はあ、俺にどうしろってんだ。くそ!」

「乃蒼くん・・」

 唐突に千春の声がした。千春の声と言っても、年齢自体は茜の年齢をした千春の声だ。

「千春か?どこにいる?怒らねぇから姿を現せよ!」

「あたしの体無くなっちゃったのよ。前にも言ったでしょ。」

「あぁー、そう言えばそんな事聞いたかも知れねぇが俺には良く解かんなかったぜ。なんか、やりようあるだろが、お前神様なんだろ?」

「もう。じゃあ、形だけね。」

 千春がそういうと、唐突に目の前に千春が現れた。俺が千春と付き合っていた頃の姿だ。

「おお!久しぶりじゃねぇか!」

「こういうのも出来るのよ。」

 千春の姿が突如茜に変わる。

「すげぇな。何でもありだな。流石神様クロノス様だな。はは。」

「ふふ、おじさんて呼んだ方がいいかしら?」

「好きにしろよ。」

「おじさん、元気だった?あたしがいない間。」

「元気も何も、全部見てたんだろ?」

「ふふ、よくお解かりで。」

「お前、なんであんな事したんだ?」

「世界を壊した事?」

「あぁ。それだよ。」

「うーん。あたしにも正直よく良く解んないのよね。里奈さんがアスクレピオスとあたしを繋いで、そしたらアスクレピオスの意識みたいなものがあたしの頭の中にすごい勢いで入り込んできて、あたしの意識とアスクレピオスの意識が混ざって、世界を壊したいっていうか、壊すしかないって本能的に思ったっていうか。誰かに操られてる感覚とも違うのよね。多分里奈さんの想いそのものがアスクレピオスのプログラムそのものだったみたい。」

「もうちょっと解りやすく教えてくれないか。」

「うーん、百聞は一見に如かずね。これを見てみて。」

 千春はそういうと、手を横にかざした。そうすると、そこに映画のフィルムのような映像が流れ出す。それは里奈の生い立ちだった。

 その映像は里奈の幼い頃から始まる。里奈は実親に虐待されていた。そして、その現実から逃げるために唯一与えられた古いタイプのテレビゲームを部屋に引きこもってやっている映像が流れている。異質だったのは、ゲームが終盤まで進むと、あと少しでクリア出来そうな所で里奈はリセットボタンを押す。再度同じゲームを初めからやりなおし、またクリアすんでのところまで進めると同じようにリセットボタンを押す。それが何十回何百回と続くのだ。
 里奈のその様子が流れる映像のスピードはとてつもなく速い。しかしなぜかその一つ一つのシーンが俺の頭の中に1秒たりとも欠けること無く入り込んで記録されていく。

 シーンは変わり、学生の里奈が現れる。中学生くらいだろうか。パソコンでプログラムを書いているようだ。里奈はそのプログラムを走らせて、ヘッドセットのマイクから呼びかける。

「こんにちは。」

 そうすると画面に表示される。

『コンニチハ』

 続けて、里奈は言う。

「はじめまして、私はあなたのお母さんです』

『ハジメマシテ オカワサン』

「ふふふ、お母さんだってば」

 続いて大学生らしい里奈がプログラムに向かって話している。

「だから自分で考えなさいね。私たち人間では思いつかないようなアイデアを探して、私にそれを教えて下さい。」

『アイデア デスカ?』

「はい。そうです。世界をリセットする方法とかですかね。」

『ワカリマシタ』

 次のシーンは今からそう昔では無い里奈の姿だ。場所もリープの事務所だろう。

『ワタシハ アスクレピオス リョウシデータを カキダシ マスカ?』

「はい。お願いします。」

 そう言った里奈の脇にあるホワイトボードには、量子データ、人体、干渉などのキーワードと共に数式が記載されている。そして今、里奈の生い立ちと紡がれた知識の全てが俺に流れ込み、俺の脳が記録し、俺はその内容を理解していた。

 千春が口を開く。

「だいたい解った?」

「ああ、アスクレピオスは量子の領域で人の意識や行動にまで干渉した。そして、人自体を媒介してアスクレピオスそのものを拡散していった。人体にデータ化したアスクレピオス自体が埋め込まれていったってわけだ。」

「そうね、そして里奈さんの初期化本能が受け継がれて、あたしを取り込んだ今、アスクレピオスがクロノスとなり、その目的を果たそうとしている。」

「なるほどな。その目的を果たすためにお前を取り込んだってことか。それで、止めるにはどうすればいいんだ。」

「それは、解らない。解らないけど、一つだけ可能性があるとしたら、あたしの時間エネルギーを注ぎ込んで、時間の遡行を逆方向に向けるしか無いと思うのよね。」

「それを、やるとお前はどうなるんだ?」

「・・・」

 千春は無言だ。

「死ぬのか?」

「死ぬのとは違うけど、多分・・・」

「多分、なんだ。」

「消える。居なかった事になる。」

 千春は涙ぐんでいる。

「消えるって、どういう事だよ。」

「乃蒼くんと過ごした日々も、茜として改めて出会った事も全て無かったことになるわ。あたしたちが、ダンテで出会って一緒に暮らしていた事も、子供ができた事も、茜として再会して殺そうとしたけど、能力が適応しちゃって、また一緒に過ごす事になった事も。何もかもが無かった事になるの。」

 千春の声は震えていた。必死に泣き出す事を我慢している。泣き出して会話ができなくなってしまわないように。恐らく最後となるこの時間を出来るだけ長く過ごせるように。

「・・・すまん。ごめんなさい。俺が殺した子供と、お前の気持ちを踏みにじった事。こんな上っ面の言葉だけじゃ償いきれねえのは解ってる。だが、ちゃんと口に出して言わなきゃならないと思ってた。そして、その上で許されない事も解っているし、これをお前に伝える事が
とてつもなくずるい事だって事も解っている。
だから、何か、何かないのか!?お前ともう一度生活できる手段は・・・」

「・・・あたしはその事はもう消化してるのよ。ただ、赤ちゃんには、あたし自身も本当に申し訳ない事をしてしまったと思っているわ。でも、赤ちゃんが出来たって解った時、本当に嬉しかったのよ。試験管から生まれてきたあたしにも、家族を作る事が出来るんだって。でも、ずるいよ。そんな風に言われたら、もっと一緒にいたくなっちゃうじゃない。」

「・・・すまん。」

「また、謝って。バカの一つ覚えみたいに謝る事を覚えたら頭ごなしに謝るのも良くないのよ!」

 そう言って千春はくすりと笑う。俺たちの会話はまさか世界の終わりを占う局面とは思えないような温度感で進んでいた。

 そして千春は続けた。

「それじゃ、そろそろ行くわ。」

「クロノスの所か。」

「そうよ、あたしの今まで貯めてきた時間貯金ぜーんぶ使って、ぶっ壊してやるわ。」

「ああ。」

「何、おじさん、元気ないわね!平和が戻るのよ、喜んでよ!」

「ああ・・・」

 俺は泣いていた。拭っても拭っても次から次へと涙が目からこぼれ落ちた。世界が終わってもいいから、地獄でもいいから千春と暮らしていく事はできないか、未練たらたらの涙だ。そして千春も涙を拭っている。

 自分の涙をよそに千春の涙を拭って頬に触れた。そして、胸ポケットに忍ばせていた髪飾りを持ち主の頭につけてやった。

「乃蒼くん。過去も未来も存在しているわ、でもそれは単なる事実。そこにある事実でしかないの。大切なのは話して怒って殴って痛みを感じて、優しさに触れて暖かくなる現在がそこにある事。・・・乃蒼くん、今を生きて。」

 千春がそう言った途端、俺の足元にぽっかりと漆黒の穴が開く。
 俺はその穴の中に吸い込まれていった。



 俺は黒い球体から弾き出されて、地面に叩きつけられた。友梨が側にいて駆け寄ってくる。

「おっちゃん!」

「痛たたた、、。千春のやつ、手荒だな。」

 黒い球体は再度振動を始めた。恐らく千春の仕業だろう。

 そして、天高くに放たれていた白くのっぺりとした絵の具のような光に、空色が映り込む。その空色は上空に広がっていた絵の具達にまで及び、鏡面のようになったそれは地上を映し出している。だが、それは現状の破壊された街ではなく、かつて生き生きと人々が生活していたその時のものだ。
 次の瞬間、空から雨のようにその全てが降って来た。音はしない。音もなく大地に降り注ぎ、その雫に触れた箇所にあった建物が、人が次々と元に戻り、やがて黒い球体もカメレオンのように周りの色に溶け込み消失してしまった。

 広場には里奈と佐竹の衣類だけが残った。

 やがて車の往来や工場の機械音、飛行機の飛来する音が辺りを彩り始める。

 今まで起きた事全てが夢だったかのように、世界は日常を取り戻していた。

 これが俺が幼女に救われ、数々の厄災に見舞われ、俺が生まれてきた意味に気付かされた物語の記録だ。

 残念ながら全ての記憶はこの時を以って全て消えてしまったが・・・。
 


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