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【完結】ぼくたちの模範解答
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自分が被害者遺族になるなんて、思いもしなかった。誰もがそういうだろう。錠前耕一郎は今年中学生になったばかりの孫を殺された。許せない、怒りがふつふつと沸き、感情が先に走っていく。殺した犯人は、黙秘を貫いている。物的証拠となるナイフは見つかったものの、「それは自分のナイフじゃない」の一点張りだった。自分のナイフであるかどうかよりも、そのナイフで刺したかどうかが重要なのだと、耕一郎は怒りで理性を失った。だが、犯人の名前は報道はおろか、遺族にすら公開されていない。
先の国会で、肝入りの話題の立法が審議され衆参満場一致で通過した。人権団体は、危険な法律だと警鐘を鳴らしたが、世論と連日報道するマスメディアの力が人権そのものの守るべき根っこをなぎ倒した。
【敵討ち法】
いわゆる、目には目の法である。やられたら、同じことをやり返してもいい。司法の判断を待たずにというところが、恐ろしいところで、三親等までの遺族に権利がある。相続と同じ親族の距離感だ。
最悪なのは親族間の事件の場合だ。殺人事件の大半は近親者によるものだ。敵討ちの敵討ちみたいなこともまかり通り、ある一族は一族郎党が一族郎党により滅ぼされた。自分で自分を喰らうホラー生物のように、跡形もなくこの世からその血が消滅するのだ。
錠前耕一郎の孫、錠前寛が殺害されたのは学校の教室とだけ説明があった。
寛の両親は、この【敵討ち法】によって殺害された。というのも、交通事故により信号待ちしていた親子三人、父・母・子をひき殺したからだ。救助することなく、そのまま走り去ったこと。世間からすれば日常的にありそうなニュースだったが、SNSで大きく取り扱われ世論が敵に回った。その親子の親、つまり子にとっては祖父母が【敵討ち法】を履行し、裁判を放棄。敵討ち=殺人を行う権利を獲得したというものだ。三人分の敵討ちとなり、寛の両親と姉が殺害されたのだ。
耕一郎はとんでもない話だと、この悪法撤廃に向けての署名活動を行っていた矢先、息子夫婦の忘れ形見、唯一の家族であり孫の寛を殺害された。
耕一郎は迷うこと、葛藤もなく、【敵討ち法】を申請し受理された。裁判は放棄され、耕一郎は犯人または犯人の三親等以内の親族殺害の権利を手に入れた。耕一郎はいまから復讐に向かうところだ。犯人の氏名・住所といった情報を管轄するのが、この『地獄局』というものだった。
どういう理由であれ、過失であれ、故意であれ、尊い命に手をかけるわけだから、犯人と同様に死後の行先は確定している。地獄だ。【敵討ち法】を履行した者は例外なく、死後地獄局に強制送致される。なにが悲惨かというと、そこでは【敵討ち法】で復讐された人間もいるからだ。過失・故意を問わずの殺人は、等しく地獄と判断されるのが地獄局のわかりやすいところだ。
耕一郎は、孫を殺害した人物の情報を得た。その人物は寛と同じクラスの男の子だった。一式、地獄局から情報を得ると、倉坂渉は母一人子一人の母子家庭で育つ子だった。父の料理店で失火が発生し、従業員一名が焼死した。父は生き残ったが、【敵討ち法】により、遺族の手により焼き殺された。世間は自業自得として、同情すら寄せられなかった。母のパートタイマーとしての収入だけでは家系は苦しく、いつも渉はお腹を空かせていた。
渉はまじめで、中学を卒業したら左官屋の見習いから働くことを決心していた。母に少しでも早く楽をさせたい、親孝行を絵にかいたような少年だった。
寛は渉に対して執拗にイジメを行っていた。首謀者だった。弁当を捨てる、教科書を燃やす、筆記具を盗む、体操服をトイレの便器に投げ込む。あまりにもひどいイジメに、同級生たちもやりすぎだと注意したが寛は聞く耳を貸さなかった。
そこで事件が起きた。二月二十一日、一限目の数学の授業が終わり、二限目の体育の授業でまた渉の体操服がなくなった。カバンに入れて、カバンには鍵をかけていたが、カバンごとなくなったのだ。渉は泣きながら探したが、クラスメイトはおろか担任教師、周りにいた教師も手助けしなかった。体育の授業が始まった頃、バッグが女子の着替える隣のクラスで見つかった。バッグを見つけて、遅れて体育の授業に参加しようとした渉を巡回中の教員に見つかった。女子の着替えの教室にいたということで、指導され次の授業で渉は寛に下着ドロボーとからかわれた。我慢に我慢を重ねた渉がついにキレた。殴りかかったものの、かわされ、寛は私物のクラフト用ナイフを取り出し、渉を脅した。寛がナイフを突き出し、もみ合いになったとき、ナイフを握った右手がそのまま寛の胸に刺さった。
駆け付けた教師たちからは、ナイフに触れるなと大声で叫んでいた。複数の生徒たちが証言している。だが渉はその警告に反して、ナイフを引っこ抜いた。途端に噴水のように血が教室中に飛び散った。カーテンが赤く染まり、寛はみるみる血色を失い、顔色は青くなっていった。そのまま寛は救急車で搬送されたものの失血死で十三歳という生涯を終えた。
報告書にはここまでが記載されていた。地獄局の報告は警察よりも詳細に、かつ黒塗りつぶしなどはなく、耕一郎もその場にいたように情報を理解できた。
孫の寛がイジメをしていたとは、驚きだった。両親と姉が【敵討ち法】で復讐されたせいなのか。両親ともうひとり子供の命を差し出せと、交通事故で息子とその妻、孫を失った遺族の祖父母たちにいわれたとき、姉が名乗り出た。寛は生きて、といわれたが寛はそのままひとり残ったことを、いつも悔いていた。耕一郎が寛の心の暗闇に、ひとつもあかりを灯すことができなかったと後悔した。その後悔は、寛のイジメを正当化した。耕一郎は、渉への【敵討ち法】を履行することに迷いはなくなった。この【敵討ち法】は合法的に復讐、つまり相手への殺害の罪を問わないというだけで、返り討ちにあうことだってある。実際に、今年だけで五十八名の遺族が返り討ちにあっている。プロに頼んで殺害してもらえると誤解もあったが、三親等以外の人間が手を下すことは許されない。それゆえに、身内にそういった反社会的な人間がいると、普段は絶縁されているにもかかわらず、こういった【敵討ち】ともなれば、手のひらを返したように大切にされるのだ。
【敵討ち】決行の日は、五月二十八日土曜日。渉にも通達される。耕一郎はサバイバルナイフ二本と殺傷能力のあるモデルガン三丁、スタンガン二つを装備した。防刃チョッキを着、メガネをやめコンタクトにした。
【問題】
錠前耕一郎が倉坂渉への【敵討ち法】制度にのっとり、復讐を果たそうとしている。今回の事案において、【敵討ち法】による復讐が行われた場合、どのような課題が新たに生まれるであろうか?あなたの考えを述べよ。字数制限なし。
《出題:兆把28年・天魔学院大学・社会学科》
サクラは過去問を開いては閉じていたが、ようやく机に向かった。本番の入試まであと半年だった。兄からのおさがりの過去問題集だったが、書き込みもなくキレイだった。
「そんなもん、この事案で【敵討ち法】使ったとて、遺族自体が満足できる結果になるってのかよ。ホント。推薦入試もラクじゃないよ」
そう言いつつ、サクラはノートを広げ答案を書き始めた。文字数制限はない、端的に書くか、長々と書くか悩ましい。今は大学で卒業後の進路も決まる。天使花道に進むか、悪魔獣道に進むか、両親は天使あがりだから、当然天使花道を希望している。そんなこともあり、兄は父に反発して悪魔獣道に身を落とした。悪魔になったからといって、非道というものでもなく、むしろ非道な人間を実務的に裁く係だ。天使は机上の空論ばかりで、性善説をベースにした解決法が前提となる。孟子が性善説を唱えるまでは、天使界隈の前提となる概念が言語化されておらず、天使悪魔が混沌としていた。祖父たちはその方が清濁合わせたごった煮みたいで、イイ感じなんていっていたが。
時間ばかり過ぎる、思ったよりも筆が進まない。寛は渉をイジメていた。それも執拗に。寛の両親は交通事故を起こして、【敵討ち法】で両親と姉が被害者遺族に殺された。祖父の錠前耕一郎に育てられている。不遇ではあるが、生活には困ってはいない。愛情は親から受け取るものばかりでもないし。ただ、無関係の姉まで殺害されたのは腑には落ちないだろう。それを言うなら助手席に乗っていただけの母親もそうだが、ひき逃げの共犯だからいたしかたないかもしれない。
一方、渉も同様に【敵討ち法】で人生を変えられている。父の経営する飲食店で、火災が起こり従業員が亡くなった。従業員の遺族は【敵討ち法】を履行して、渉の父を殺害した。母子家庭となり、生活はひっ迫するなかで寛から執拗にイジメを受けていた。ナイフで脅された日は、正当防衛が成立するだろう。だがどうしてだろう。ナイフをふりかざした寛がまるで自業自得を体現するかのごとく、自分の胸にナイフが突き刺さった。そのナイフを抜くなといわれていた。だが、渉は抜いた。
サクラが受験予定の天魔学院大学は、天地大海における唯一の天使と悪魔共学だ。入学してから、就職進路が選べる。兄の陽に悪魔獣道に突き進むくらいならと、両親が受験を赦してくれた。
さて、この事案に対して、錠前耕一郎が【敵討ち法】にのっとって、渉に復讐を遂げたとして課題が起こるとはどういうことか。【敵討ち法】の履行による、逆敵討ちは厳罰化されている。いわゆる、復讐に復讐で返すというものだ。終わりが来ない。
そもそも敵討ち自体は野蛮な行為だ。だがカタルシスっていうのか、すっきりするだろう。だけど、このまえ兄が久々に帰省してきた。地獄局に配属され、なかでも残酷な刑罰課に籍を置いていると、この罪と罰の関係がとても難しい、といっていた。罪人を何度も串刺しにして、火であぶり、絶命させる。兄はその死んだ罪人(厳密には既に死んだから地獄に来ているのだがおかしいが)を蘇生させる係だ。蘇生といえば、天使の特権のように思われがちだが、実は悪魔の特権だ。悪魔から天使に転籍したものから教えを乞うて、天使なりにアレンジしたのが【復活】というものだ。魂ごとリフレッシュして、新たな生命として生まれ変わる。悪魔の方がもう少し生活に密着していて、物理的に肉体を修復して生命活動を再生させる。
この悪魔の蘇生を【敵討ち法】に組み込んで、敵討ちをするか、死んだ身内を蘇生させるかの選択にすればいいと兄は長々とぼやいていた。
結局のところ、この過去問演習はリトマス試験紙のように受験生の思想を確認するためなのだ、そう思う。時間が過ぎる、文字数は無制限だが、時間は二時間で解答しなければならない。本番で同じ問題が出るかはわからないから小論文対策なんて意味がないとクラスメイトのアオバはいっていたけど。
【敵討ち法】による復讐が行われた場合、どのような課題が新たに生まれるであろうか?
はたと、頭に電流が駆け巡った。渉は覚悟していたのではないだろうか。このイジメの問題を世の中に大々的知らせたかった。いや、このイジメを寛の身内に理解させたかったのではないだろうか。人間界で【敵討ち法】が法案として通過して、法制化されたのは二十年も前。被害者遺族の感情救済のためにはこうしたオプションがあるだけに、怒りを持ち越さない人は増えた。怒りをそのまま自分の死後の人生をふいにしたとしても、復讐に全てをかける、それはそれでいいことだろう。
渉は寛の肉親が祖父の耕一郎しかいないことを知っていたのだ。そして、敢えて寛のナイフを抜き、失血死させた。耕一郎が【敵討ち法】を使って、自分を殺害しに来ることを予見して。そうなれば、耕一郎は死後の地獄行きは確定。祖父までも巻き込んで、渉はイジメの精算をさせようとしたのか。
しかし、自分が【敵討ち法】で耕一郎に殺害されては、元も子もないというか、やられ損でもあるし。渉が受け続けてきたイジメは寛の命をもってしてチャラというのは、寛側からしたら納得はいかないだろうが、渉側からしたら足りないぐらいかもしれない。渉はみすみす、耕一郎に殺害されるのを待つのだろうか。年齢は十三歳と七十八歳。不意打ちをつかれなければ、渉にだって勝機はあるのかもしれない。たいてい、【敵討ち法】で殺害されるのは自分に罪の意識があり、敵討ちされる際に抵抗することがほとんどない。それも一度二度追い回されるだけではない、殺害を回避したところでその親族にも追われることになる。食事に入った店が、たまたま被害者親族の経営する店で、毒を盛られるってこともありえる。追われる側は生きる気力を失っていくのだ。
【敵討ち法】による復讐が行われた場合、どのような課題が新たに生まれるであろうか?
再びサクラの頭からつま先まで一気に電気が流れた。渉が一度も抵抗しなかった。学校に行かないという選択もあった。だが、学校に行き続けて誰にも相談せずに、イジメを受け続けてきたのはなぜか。根絶やしにしたかったからだ。そうだ、【敵討ち法】の免責事項には、《返り討ち》について記載がある。
“加害者は返り討ちにて自身の身を護ることが許される。また、その際に相手方・被害者遺族に何らかの物理的・肉体的な攻撃を加えたとしても、新たな罪には問わない”とある。
渉はこれを使おうとしているのだ。寛を作り出した源流を返り討ちにする、寛の両親と姉、祖母は既に亡くなっている。唯一の肉親は耕一郎だ。耕一郎も合法的に殺害するために、渉は【敵討ち法】を悪用した、これが新たに生まれる課題だ。返り討ちによって、さらに被害者を増やすというものだ。サクラは、草案をまとめ、解答を書き始めた。止まっていたシャーペンもすらすらと動く。なめらかに、躊躇することもなく、自分の考えを書いた。途中、寛はどうしてそこまで執拗に渉をイジメ抜いたのか考えたが、サクラは解答に集中した。自分たちが所属する天地大海において、天使と悪魔はそもそも同一種だ。天使は結果を大切にし、悪魔はプロセスを大切にする。積んだ善行の数や感謝された結果、人の役に立った何か、を天使側は評価する。悪魔はどんな悪事を重ねてきたか、それは結果かもしれないが、悪事のために働いた行動も悪事として評価する、それが悪魔の考え方だ。
この錠前寛という人物は、自分たちが分類している天使・悪魔の概念外にいる。サクラは、寛について考えるのをやめた。わかりあってはいけない、わかりあえない、わかる必要のない人間だ。
寛のような人間は許せない、それゆえに結果型の天使花道よりも、プロセスを大切にする悪魔獣道に進むことを決心した。きっと兄も同じだったのだろう。時計のアラームが鳴る、解説と模範解答のページをめくった。
書き込みひとつない過去問題集だったが、模範解答のページの隅に消したあとのある書き込みがあった。サクラは鉛筆を斜めにして消したあとに擦り付けた。消した文字がうっすらと浮かび上がる。
《寛も渉も耕一郎も、僕たちのなかにいる》と書かれていた。サクラは浮かび上がった文字をじっと眺め、再び消しゴムで消し去った。過去問題集を閉じ、模範解答を読むのをやめ、アオバに電話をした。
「ねぇ、アオバ、明日遊びに行こうよ」
「いいけど、どうしたの?」
「アオバに会いたくなったからだよ」
「へんなの」
サクラは電話を切って、ベッドにダイブした。長い髪がふわっと広がり、布団から自分の香りがした。
先の国会で、肝入りの話題の立法が審議され衆参満場一致で通過した。人権団体は、危険な法律だと警鐘を鳴らしたが、世論と連日報道するマスメディアの力が人権そのものの守るべき根っこをなぎ倒した。
【敵討ち法】
いわゆる、目には目の法である。やられたら、同じことをやり返してもいい。司法の判断を待たずにというところが、恐ろしいところで、三親等までの遺族に権利がある。相続と同じ親族の距離感だ。
最悪なのは親族間の事件の場合だ。殺人事件の大半は近親者によるものだ。敵討ちの敵討ちみたいなこともまかり通り、ある一族は一族郎党が一族郎党により滅ぼされた。自分で自分を喰らうホラー生物のように、跡形もなくこの世からその血が消滅するのだ。
錠前耕一郎の孫、錠前寛が殺害されたのは学校の教室とだけ説明があった。
寛の両親は、この【敵討ち法】によって殺害された。というのも、交通事故により信号待ちしていた親子三人、父・母・子をひき殺したからだ。救助することなく、そのまま走り去ったこと。世間からすれば日常的にありそうなニュースだったが、SNSで大きく取り扱われ世論が敵に回った。その親子の親、つまり子にとっては祖父母が【敵討ち法】を履行し、裁判を放棄。敵討ち=殺人を行う権利を獲得したというものだ。三人分の敵討ちとなり、寛の両親と姉が殺害されたのだ。
耕一郎はとんでもない話だと、この悪法撤廃に向けての署名活動を行っていた矢先、息子夫婦の忘れ形見、唯一の家族であり孫の寛を殺害された。
耕一郎は迷うこと、葛藤もなく、【敵討ち法】を申請し受理された。裁判は放棄され、耕一郎は犯人または犯人の三親等以内の親族殺害の権利を手に入れた。耕一郎はいまから復讐に向かうところだ。犯人の氏名・住所といった情報を管轄するのが、この『地獄局』というものだった。
どういう理由であれ、過失であれ、故意であれ、尊い命に手をかけるわけだから、犯人と同様に死後の行先は確定している。地獄だ。【敵討ち法】を履行した者は例外なく、死後地獄局に強制送致される。なにが悲惨かというと、そこでは【敵討ち法】で復讐された人間もいるからだ。過失・故意を問わずの殺人は、等しく地獄と判断されるのが地獄局のわかりやすいところだ。
耕一郎は、孫を殺害した人物の情報を得た。その人物は寛と同じクラスの男の子だった。一式、地獄局から情報を得ると、倉坂渉は母一人子一人の母子家庭で育つ子だった。父の料理店で失火が発生し、従業員一名が焼死した。父は生き残ったが、【敵討ち法】により、遺族の手により焼き殺された。世間は自業自得として、同情すら寄せられなかった。母のパートタイマーとしての収入だけでは家系は苦しく、いつも渉はお腹を空かせていた。
渉はまじめで、中学を卒業したら左官屋の見習いから働くことを決心していた。母に少しでも早く楽をさせたい、親孝行を絵にかいたような少年だった。
寛は渉に対して執拗にイジメを行っていた。首謀者だった。弁当を捨てる、教科書を燃やす、筆記具を盗む、体操服をトイレの便器に投げ込む。あまりにもひどいイジメに、同級生たちもやりすぎだと注意したが寛は聞く耳を貸さなかった。
そこで事件が起きた。二月二十一日、一限目の数学の授業が終わり、二限目の体育の授業でまた渉の体操服がなくなった。カバンに入れて、カバンには鍵をかけていたが、カバンごとなくなったのだ。渉は泣きながら探したが、クラスメイトはおろか担任教師、周りにいた教師も手助けしなかった。体育の授業が始まった頃、バッグが女子の着替える隣のクラスで見つかった。バッグを見つけて、遅れて体育の授業に参加しようとした渉を巡回中の教員に見つかった。女子の着替えの教室にいたということで、指導され次の授業で渉は寛に下着ドロボーとからかわれた。我慢に我慢を重ねた渉がついにキレた。殴りかかったものの、かわされ、寛は私物のクラフト用ナイフを取り出し、渉を脅した。寛がナイフを突き出し、もみ合いになったとき、ナイフを握った右手がそのまま寛の胸に刺さった。
駆け付けた教師たちからは、ナイフに触れるなと大声で叫んでいた。複数の生徒たちが証言している。だが渉はその警告に反して、ナイフを引っこ抜いた。途端に噴水のように血が教室中に飛び散った。カーテンが赤く染まり、寛はみるみる血色を失い、顔色は青くなっていった。そのまま寛は救急車で搬送されたものの失血死で十三歳という生涯を終えた。
報告書にはここまでが記載されていた。地獄局の報告は警察よりも詳細に、かつ黒塗りつぶしなどはなく、耕一郎もその場にいたように情報を理解できた。
孫の寛がイジメをしていたとは、驚きだった。両親と姉が【敵討ち法】で復讐されたせいなのか。両親ともうひとり子供の命を差し出せと、交通事故で息子とその妻、孫を失った遺族の祖父母たちにいわれたとき、姉が名乗り出た。寛は生きて、といわれたが寛はそのままひとり残ったことを、いつも悔いていた。耕一郎が寛の心の暗闇に、ひとつもあかりを灯すことができなかったと後悔した。その後悔は、寛のイジメを正当化した。耕一郎は、渉への【敵討ち法】を履行することに迷いはなくなった。この【敵討ち法】は合法的に復讐、つまり相手への殺害の罪を問わないというだけで、返り討ちにあうことだってある。実際に、今年だけで五十八名の遺族が返り討ちにあっている。プロに頼んで殺害してもらえると誤解もあったが、三親等以外の人間が手を下すことは許されない。それゆえに、身内にそういった反社会的な人間がいると、普段は絶縁されているにもかかわらず、こういった【敵討ち】ともなれば、手のひらを返したように大切にされるのだ。
【敵討ち】決行の日は、五月二十八日土曜日。渉にも通達される。耕一郎はサバイバルナイフ二本と殺傷能力のあるモデルガン三丁、スタンガン二つを装備した。防刃チョッキを着、メガネをやめコンタクトにした。
【問題】
錠前耕一郎が倉坂渉への【敵討ち法】制度にのっとり、復讐を果たそうとしている。今回の事案において、【敵討ち法】による復讐が行われた場合、どのような課題が新たに生まれるであろうか?あなたの考えを述べよ。字数制限なし。
《出題:兆把28年・天魔学院大学・社会学科》
サクラは過去問を開いては閉じていたが、ようやく机に向かった。本番の入試まであと半年だった。兄からのおさがりの過去問題集だったが、書き込みもなくキレイだった。
「そんなもん、この事案で【敵討ち法】使ったとて、遺族自体が満足できる結果になるってのかよ。ホント。推薦入試もラクじゃないよ」
そう言いつつ、サクラはノートを広げ答案を書き始めた。文字数制限はない、端的に書くか、長々と書くか悩ましい。今は大学で卒業後の進路も決まる。天使花道に進むか、悪魔獣道に進むか、両親は天使あがりだから、当然天使花道を希望している。そんなこともあり、兄は父に反発して悪魔獣道に身を落とした。悪魔になったからといって、非道というものでもなく、むしろ非道な人間を実務的に裁く係だ。天使は机上の空論ばかりで、性善説をベースにした解決法が前提となる。孟子が性善説を唱えるまでは、天使界隈の前提となる概念が言語化されておらず、天使悪魔が混沌としていた。祖父たちはその方が清濁合わせたごった煮みたいで、イイ感じなんていっていたが。
時間ばかり過ぎる、思ったよりも筆が進まない。寛は渉をイジメていた。それも執拗に。寛の両親は交通事故を起こして、【敵討ち法】で両親と姉が被害者遺族に殺された。祖父の錠前耕一郎に育てられている。不遇ではあるが、生活には困ってはいない。愛情は親から受け取るものばかりでもないし。ただ、無関係の姉まで殺害されたのは腑には落ちないだろう。それを言うなら助手席に乗っていただけの母親もそうだが、ひき逃げの共犯だからいたしかたないかもしれない。
一方、渉も同様に【敵討ち法】で人生を変えられている。父の経営する飲食店で、火災が起こり従業員が亡くなった。従業員の遺族は【敵討ち法】を履行して、渉の父を殺害した。母子家庭となり、生活はひっ迫するなかで寛から執拗にイジメを受けていた。ナイフで脅された日は、正当防衛が成立するだろう。だがどうしてだろう。ナイフをふりかざした寛がまるで自業自得を体現するかのごとく、自分の胸にナイフが突き刺さった。そのナイフを抜くなといわれていた。だが、渉は抜いた。
サクラが受験予定の天魔学院大学は、天地大海における唯一の天使と悪魔共学だ。入学してから、就職進路が選べる。兄の陽に悪魔獣道に突き進むくらいならと、両親が受験を赦してくれた。
さて、この事案に対して、錠前耕一郎が【敵討ち法】にのっとって、渉に復讐を遂げたとして課題が起こるとはどういうことか。【敵討ち法】の履行による、逆敵討ちは厳罰化されている。いわゆる、復讐に復讐で返すというものだ。終わりが来ない。
そもそも敵討ち自体は野蛮な行為だ。だがカタルシスっていうのか、すっきりするだろう。だけど、このまえ兄が久々に帰省してきた。地獄局に配属され、なかでも残酷な刑罰課に籍を置いていると、この罪と罰の関係がとても難しい、といっていた。罪人を何度も串刺しにして、火であぶり、絶命させる。兄はその死んだ罪人(厳密には既に死んだから地獄に来ているのだがおかしいが)を蘇生させる係だ。蘇生といえば、天使の特権のように思われがちだが、実は悪魔の特権だ。悪魔から天使に転籍したものから教えを乞うて、天使なりにアレンジしたのが【復活】というものだ。魂ごとリフレッシュして、新たな生命として生まれ変わる。悪魔の方がもう少し生活に密着していて、物理的に肉体を修復して生命活動を再生させる。
この悪魔の蘇生を【敵討ち法】に組み込んで、敵討ちをするか、死んだ身内を蘇生させるかの選択にすればいいと兄は長々とぼやいていた。
結局のところ、この過去問演習はリトマス試験紙のように受験生の思想を確認するためなのだ、そう思う。時間が過ぎる、文字数は無制限だが、時間は二時間で解答しなければならない。本番で同じ問題が出るかはわからないから小論文対策なんて意味がないとクラスメイトのアオバはいっていたけど。
【敵討ち法】による復讐が行われた場合、どのような課題が新たに生まれるであろうか?
はたと、頭に電流が駆け巡った。渉は覚悟していたのではないだろうか。このイジメの問題を世の中に大々的知らせたかった。いや、このイジメを寛の身内に理解させたかったのではないだろうか。人間界で【敵討ち法】が法案として通過して、法制化されたのは二十年も前。被害者遺族の感情救済のためにはこうしたオプションがあるだけに、怒りを持ち越さない人は増えた。怒りをそのまま自分の死後の人生をふいにしたとしても、復讐に全てをかける、それはそれでいいことだろう。
渉は寛の肉親が祖父の耕一郎しかいないことを知っていたのだ。そして、敢えて寛のナイフを抜き、失血死させた。耕一郎が【敵討ち法】を使って、自分を殺害しに来ることを予見して。そうなれば、耕一郎は死後の地獄行きは確定。祖父までも巻き込んで、渉はイジメの精算をさせようとしたのか。
しかし、自分が【敵討ち法】で耕一郎に殺害されては、元も子もないというか、やられ損でもあるし。渉が受け続けてきたイジメは寛の命をもってしてチャラというのは、寛側からしたら納得はいかないだろうが、渉側からしたら足りないぐらいかもしれない。渉はみすみす、耕一郎に殺害されるのを待つのだろうか。年齢は十三歳と七十八歳。不意打ちをつかれなければ、渉にだって勝機はあるのかもしれない。たいてい、【敵討ち法】で殺害されるのは自分に罪の意識があり、敵討ちされる際に抵抗することがほとんどない。それも一度二度追い回されるだけではない、殺害を回避したところでその親族にも追われることになる。食事に入った店が、たまたま被害者親族の経営する店で、毒を盛られるってこともありえる。追われる側は生きる気力を失っていくのだ。
【敵討ち法】による復讐が行われた場合、どのような課題が新たに生まれるであろうか?
再びサクラの頭からつま先まで一気に電気が流れた。渉が一度も抵抗しなかった。学校に行かないという選択もあった。だが、学校に行き続けて誰にも相談せずに、イジメを受け続けてきたのはなぜか。根絶やしにしたかったからだ。そうだ、【敵討ち法】の免責事項には、《返り討ち》について記載がある。
“加害者は返り討ちにて自身の身を護ることが許される。また、その際に相手方・被害者遺族に何らかの物理的・肉体的な攻撃を加えたとしても、新たな罪には問わない”とある。
渉はこれを使おうとしているのだ。寛を作り出した源流を返り討ちにする、寛の両親と姉、祖母は既に亡くなっている。唯一の肉親は耕一郎だ。耕一郎も合法的に殺害するために、渉は【敵討ち法】を悪用した、これが新たに生まれる課題だ。返り討ちによって、さらに被害者を増やすというものだ。サクラは、草案をまとめ、解答を書き始めた。止まっていたシャーペンもすらすらと動く。なめらかに、躊躇することもなく、自分の考えを書いた。途中、寛はどうしてそこまで執拗に渉をイジメ抜いたのか考えたが、サクラは解答に集中した。自分たちが所属する天地大海において、天使と悪魔はそもそも同一種だ。天使は結果を大切にし、悪魔はプロセスを大切にする。積んだ善行の数や感謝された結果、人の役に立った何か、を天使側は評価する。悪魔はどんな悪事を重ねてきたか、それは結果かもしれないが、悪事のために働いた行動も悪事として評価する、それが悪魔の考え方だ。
この錠前寛という人物は、自分たちが分類している天使・悪魔の概念外にいる。サクラは、寛について考えるのをやめた。わかりあってはいけない、わかりあえない、わかる必要のない人間だ。
寛のような人間は許せない、それゆえに結果型の天使花道よりも、プロセスを大切にする悪魔獣道に進むことを決心した。きっと兄も同じだったのだろう。時計のアラームが鳴る、解説と模範解答のページをめくった。
書き込みひとつない過去問題集だったが、模範解答のページの隅に消したあとのある書き込みがあった。サクラは鉛筆を斜めにして消したあとに擦り付けた。消した文字がうっすらと浮かび上がる。
《寛も渉も耕一郎も、僕たちのなかにいる》と書かれていた。サクラは浮かび上がった文字をじっと眺め、再び消しゴムで消し去った。過去問題集を閉じ、模範解答を読むのをやめ、アオバに電話をした。
「ねぇ、アオバ、明日遊びに行こうよ」
「いいけど、どうしたの?」
「アオバに会いたくなったからだよ」
「へんなの」
サクラは電話を切って、ベッドにダイブした。長い髪がふわっと広がり、布団から自分の香りがした。
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恐るべき異形の化け物の前に、命は無残に散る。
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