波乱万丈

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中学校時代

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芝久保小学校を卒業したうちは、田無市立田無第一中学校に入学をした。
 E組で、大南先生という男の先生が担任になった。
 中学はよその小学校からも入学してくるから、クラスの数が増えた。
 うち的には、中学に入学をして、芝久保小学校で遊んでいた友達とは、全然遊ばなくなってしまった。
 新しい友達ができたということもあるが、やっぱり芝久保小学校は、うち的には向いていなかったのだと思う。
 中学生になり、部活はサッカー部に入ったが、ほとんど部活にはいっていない。
 先輩にムカつくのがいたからというのが一つ、毎日筋力トレーニングばかりだったのが一つ。
 要するに早い話が、嫌だったのである。
 部活なんかするより、友達と遊んでいたほうが楽しかったのである。
 友達と多摩湖に行ってブラックバスを釣ったり、泳いだりして遊んでいた。
 多摩湖は、本当は釣りをしたり、中に入ってはいけないところで、湖の周りはフェンスで囲まれて入れないようになっている。
 フェンスをよじ登ったり、穴が空いているところから入る。
 たまにボートで見回りが来る。
 見つかると注意をされるから、そこだけは気を付けなくてはならない。
 ルアー釣りが流行っていたから、友達とあちこちの釣具店に行っては、ルアーを盗んで集めていた。
 中学生になってから、友達と万引きばかりするようになった。
 特に1年生のときは年中、万引きばかりしていた。
 情けない話だが、万引きばかりしていたことと、多摩湖に釣りに行ったことくらいしか記憶に残っていないのである。
 中学は、3年間を通しても、あまり大した記憶がない。
 不良(ヤンキー)だったわけでもなく、かと言って真面目だったわけでもない。
 小学校までは成績も良かったのだが、中学に入ってからは勉強も全然しなくなり、授業中はほとんど毎日寝ていた。だから成績もガタ落ちした。
 授業中は寝てばかりいたし、部活にも全然行っていなかったから、思い出すこともあまりないのだと思う。
 うちの人生の中で中学時代が一番つまらなくて、無駄な時間を過ごしてきたのではないだろうか。
 学校も家も嫌いだった。
 勉強なんかして何になるのかと思った。
 小学校で習う勉強さえできていれば、中学で習う授業など必要ないと思っていた。
 実際、漢字にしても、計算にしても、小学校で習ったものさえできていたら社会生活で困ることはない。
 特に今は、文明が発達しているからちょっと調べれば、すぐに求めていた回答がでる。
 中学時代はそこまでは深く考えていなかったが、勉強は小学生までで十分だと思っていた。
 田無は、うちの肌にあっていなかったのである。
 きっと引っ越しをすることなく三鷹に住んでいたら、こんなつまらない中学時代を送ることは絶対になかったと思う。
 中学1年生になってからか、2年生になってからか、うちは自分が普通と違うことに気付き始めた。
 なぜそうなったのか諸説あるが、幼少時代が大きく影響したのではないかと思っている。
 確かな答えは、うち自身にも全くわからない。
 悩みの一つでもあったし、絶対に誰にも知られたくないことでもあった。
 “性同一性障害”(昔はこんな言い方はされていなかった)。
 そう、うちは“なんで自分が女の子として生まれてこなかったのか、とても悩んだ”のである。 
 小学校の頃は、一度もこんなことを考えたことはなかった。中学校に入ってからである。 
 こんなことを友達に知られれば、いじめの対象にもなる。
 誰にも話せないし、誰にも知られたくないことだった。
 しかし、心の中では、自分が男だということがとても嫌だった。
 嫌で嫌で仕方なかった。
 考えてみると、このことを意識するようになってから、友達が変わった気もする。
 部活にはほとんど出ていなかったうちだが、本当にたまに顔を出すこともあった。
 だから、クラス以外の同級生とも交流はあった。Hという。
 あるとき、Hの家に遊びに行ったことがある。
 Hはうちよりも体格がよく、どちらかといえば太っていた。
 うちは背も低く、ガリガリに痩せていた。
 うちは活発的な性格だったが、Hはおおらかな性格で優しいやつだった。
 たまたまHの家に遊びに行ったとき、Hと関係を持ってしまった。
 なぜそんなことになったのか、全く覚えていない。
 お互い意識していたわけでもない。それなのに、ごく普通に、当たり前のように関係を持ってしまったのである。
 もちろん、このことは誰にも話していない。話せるわけがない。超えてはいけない一線を、超えてしまったのだから。
 Hとの関係は一回で終わらず、その後も何回か続いた。
 今だから話しているが、当時は誰にも話せなかったし、とても悩んだ(うちの場合の悩んだとは、普通じゃないという悩みではなく、女の子として生まれてこれなかったことに対しての悩みで、女の子に生まれ変わりたいといつも願っていた)。
 しかし、学校で何度か危ういことはあった。
 意識していないと、ポロッと危ういことを言ってしまうのである。
 見る人が見ると、すぐわかるらしいが、薄々周りには気づかれていたのかなと思うと、怖い話である。
 こんなことを相談する勇気も、オープンにしてしまう勇気もまったくなかった。
 いつも心の中で、どうして女の子として生まれてこなかったんだろうと、自分の運命を呪った。
 うちなんか、この世に生まれてこなければよかったんだと、いつも思っていた。
 だから友達と1年生のころよく他の中学に行って、女の子に声をかけたりしたが、いつしかそういうことはしなくなってしまった。
 成功してもうち自身はあまり興味がなく、友達だけが楽しい思いをするのが馬鹿らしく思えたのである。
 2年生のとき、すごく可愛がってくれる女の先輩がいた。
 スケ番グループである。その先輩たちといつも一緒にいた。
 その先輩たちと一緒にいるときが、一番楽しかった。
 異性としてみていたというよりは、多分同性としてみていたのかもしれないが、先輩たちと一緒にいると、とても落ち着き、楽しかったし、何か同級生とトラブルといつも間に入ってくれたりした。
 それがきっかけで、男の先輩にも一部可愛がられていた。
 しかし、うちには男の先輩より、“スケ番5人衆”がいてくれるだけで良かった。
 なぜなら、5人衆の一人、E先輩が一言男の先輩に話をしてくれれば、鶴の一声で男の先輩が動いてくれたからである。
 この頃から不思議と、姉御肌の人に好かれるようになったと思う。
 母親に恵まれなかった分、そういうところではすごく恵まれていたと思う。
 どうやらうちは、姉御肌の女性に守られて生きていく星に生まれたのかもしれない。
 本当にそうなのではないかと思うくらい、うちの周りにはそういう人が多い。
 男として考えると、どうなの?と思うところではあるが、うちはあまりそれは気にしていない。
 なぜなら、女の子に生まれてきたかったから......ということになるのであろうか。
 きっとこんなだから、母性本能を刺激するのかもしれない。
 要するに、男らしくない、頼りない男(?)なのである。
 自分でそう思うのだから間違いなく、周りはそう思っていたと思う。
 要するに、まだまだ子供なのである。体だけ大きな子供なのである。
 幼少期、母親に甘えることができなかったぶんを、そっちで取り戻しているかのようである。
 もしかすると、そういうことなのかもしれない。
 うちは大きな赤ん坊、甘ったれのクソガキなのかもしれない。
 精神年齢は、まだ4、5歳以下なのかもしれない......。
 2年生のとき、山梨に修学旅行に行った。
 しかし、うちは初日に調子に乗りすぎて、階段で足を捻り、歩けなくなってしまった。
 そのおこげでどこへも行けず、2日目は一人でホテルでお留守番、3日目はバス待機でちっとも楽しくなかった。
 うちは一年の夏から、塾に通っていた。
 小学校の頃から通ってはいたが、中学生になってからは一気にやる気がなくなった。
 小学校に通っていた頃は、従兄弟の知り合いに元小学校の先生だった人がいて、その人に習っていた。
 だからすごく分かりやすく、常に学校より一歩進んで習っていたから成績も良かった。
 しかし、そこを辞めて(従兄弟が引っ越しをしてしまい、うちも辞めることになった)、中学からは地元の塾へ通っていた。
 仲の良い友達を1人誘った。Tという。
 2年生までは、同じクラスで、3年生のときに別々になってしまった。
 Tとは釣りに行ったり、一緒になって悪さをしたり、ほとんど毎日つるんでいた。
 塾をさぼり、遊び歩いていた。
 ゲームセンターに行ったり、コンビニでたむろしていた。
 警察に連れて行かれたこともある。
 3年生の夏休み。
 Tと盗んだ自転車を、あるマンションに置きっぱなしにしていた。それを思い出し、マンションに自転車を取りに行ったとき、マンションで自転車をいじっていたら通報されて警察が来た。
 田無警察署の少年課に連れて行かれ、別々に取調室に連れて行かれた。
 Tもうちも、名前は嘘をついた。
 交互にいろいろな質問をされるのだが、お互いに言うことが食い違う。
 Tは、人見知りすることがあった(人による)。
 うちは、動じることなくスラスラと嘘をつけるが、Tはそれができなかった。 
 警察はまずTに質問すると、次にうちのところに来て、
「○○が~と言ってるぞ」
と言われる。
 Tが言っていることが正しい。
 しかし、それを認めると分が悪くなる。とことん、否定した。
 うちは心の中で、余計なことを言わないでだんまりを決め込んでくれと何度も思った。
 うちは何を言われても動揺せず、ブレることがなかった。
 そのためTが本当の事を言っているのに、
「○○!!嘘ばっかり言うな!!」
と言って怒鳴られたり、机をバンバン叩く音が聞こえてくる。
 何度笑いを堪えたかわからない。
 昼も近づき、一度帰って午後来るように言われた。
 うちもTも、いつも連絡を取れない友達の家電を教えたから連絡が取れず、仕方ないからということで、一度帰すということになったのである。
 うちは“ラッキー、これでバックレて終わり”と考えた。
 本当にあともう一歩だった。
 うちは取調室を出ていたのに......。
 Tが、最後の最後でしくじった。
 診察券を持っていて、それが見つかってしまったのである。
 再び取調室に戻された。
 うちは何を聞かれてもだんまりを決め込んでいたのに、Tはそれができず、通っていた中学まで喋ってしまった。
 教頭先生を呼ばれてしまった。
 うちは教頭先生を目の前にしても、
「そんな先生知らない」
と言い張った......。
 親父に連絡をされ、家に戻った。
 家に帰ったあと、親父と継母に木刀などでボコボコに殴られた。
 後日、この日のことを二人で大笑いして話をしたものである。
 この日、警察にも
「この子には、我々もすっかり騙されました」
とお褒めの言葉を頂いた。
 まさか、Tが診察券を持っていたとは、さすがのうちも気が付かなかった。
 3年生といえば、受験勉強が始まる。
 2学期ともなれば、みんな必死になっている。
 しかし、うちは何も考えていなかった。そもそも、高校に行くなどとは考えていなかったのである。
 高校を見学しに行ったり、模擬試験をしたり、本当に嫌な時期であった。
 そんなうちだったが、2ヶ所受験している。
 1ヶ所目は、東京航空工業専門学校という専門学校。
 ここの学校には、見学もしに行っている。
 見学をしに行ったとき、ある先生に、
「ここの学校に入りたいか?」
と聞かれ、うちは
「ハイ」
と答えた。
 見学は三人で行った。
 先生はうちらに10個の単語を言ってきて、それを覚えておくようにと言っていた。
 そのときは、全く意味がわからなかった。
 東京工専を受けたのは、うちともう一人の二人だけだった。
 テストの科目はなぜか3科目。
 英語、算数(数学ではなく、算数)、国語だった。
 それぞれ、テスト時間は一時間。
 終わった順に、教室を出ても良いということであった。
 うちは全科目30分もかからず終わった。あまりにも、簡単な問題だったのでびっくりした。
 まず、英語は単語10個のみ。
 それも見学をしに行った日に、先生が覚えておくようにと教えてくれた単語が10問。
 算数は、小学校で習った、たし算、引き算、かけ算、割り算と分数問題。
 国語は、小学校で習った漢字の読みと書き。
 目茶苦茶簡単だった。
 テストのあと面接をして、後日自宅に連絡が来れば合格である。
 あまりにも簡単なテストだったから、落ちるやつなどいないだろうと思ったけど
 結果は予想通り合格。
 うちは10月にはもう専門学校が決まっていた。
 ちなみに......
 もう一人は落ちている(落ちるやつがいたなんて)。
 うちは早々に決まり、先生には
「みんなはまだこれからでピリピリしてるからはしゃぐなよ」
と言われた。
 学年で一番最初に受験に受かったうちは、もう中学は関係ないと思い、あまり学校には行かなくなった。
 行く必要がなくなったのである。
 このとき、やっぱり小学校で習う勉強さえできていれば通用するではないかと、改めて思ったものである。
 もう1ヶ所、受験をした。
 学校の名前は忘れてしまったが、船の専門学校である。
 最終目的は、国内外の船長を目指して勉強をする学校で、全寮制の学校だった。
 この学校は、千葉にあった。
 早くに受験戦争を抜け出し、毎日フラフラフラフラしていたから、それを見兼ねて先生が言ってきたのかもしれない。
 最初は、そんなかったるいことをするつもりはなかった。
 しかし、パンフレットを渡されて、全寮制の学校と知り、受ける気になった。
 家を出れるビッグチャンスだと思った。それが受けた理由である。
 とにかく家を出たかったのである。
 家を出れさえすれば、そこがカトリック系の学校であれ、お寺であれ何でも良かった。
 ただただ、家を出たいというだけで受けた学校である。
 しかし、そこは残念ながら落ちてしまった。
 でも、そこの学校の姉妹校なら入れるということで、結果的には受かり、しかもそこの学校は青森にある学校で、千葉よりも遥かに遠く、うちは喜び勇んだ。
 青森に、行く気まんまんでいた。
 2ヶ所も受験して、2ヶ所とも合格したうちって、本当は天才(!?)だったのかもしれない。
 まさか、2ヶ所も受かってしまうとは思ってもいなかった。
 こうして、受験はなぜか勉強もせず、フラフラフラフラしてばかりいたうちが、一番苦労せずに乗り越えてしまったのである。
 本当にラッキーだったと思う。
 まぁ、“運も実力のうち”なんて言葉もあるくらいだから、自分では気付いていなかったが、実力があったのかもしれない。
 中学校時代は、うちにとってはどちらかというと、悩みの時代だったと思う。
 特に、自分の性癖については悩んだ。
 結局、そのことについての答えは出なかった。
 自分では、どうしたら良いのかよくわからなかった。
 それに、こんなことを誰にも相談することなどできなかった。
 日本はこういうことに対しての理解はまったくなく、否定的な暗いイメージしかなかったし、偏見の目で見られるのが何よりも怖かった。
 幼少時代、小学校時代、中学校時代とそれぞれ記してきた。
 人生の中で、最もその後の影響を受けたのは、やはり幼少時代と小学校時代だと思う。
 子供のいる家庭に、これから子供が生まれてくるといつ人、子供が欲しいと思っている人、子供を大切に育ててください。
 子供に罪はありません。
 子供は親を選べません。
 大人にとっては大したことではなくても、子供はズタズタに傷付きます。
 そして、その傷を一生引きずります。
 大人の勝手な都合で、子供を傷付けないでください。
 世界中の子供が、幸せになれますように。
 子供を幸せにできない人、子供を平気で傷付ける人、そういう人は子供を作る資格はありません。
 しっかり、避妊しろ!!
 継母は、妹には気持ち悪いくらい甘かった。
 うちは、ドリフや、8時だよ!!全員集合!!などは、絶対に見せてくれなかった。
 理由は、食べ物を粗末にしたりして、教育上良くないとうちには言って見せてくれなかった。
 しかし、妹には平気で見せていた。
 妹が見たいといえば、何でも見せていた。
 気色悪いのが、妹が風邪を引いたり、熱を出したりすると、妹の口に吸い付いて、
「有紀ちゃん、お母さんに全部移しなさい」
なんてやっていた。
 キチガイとしか思えない行動である。
 これをずっと言っているのだから、頭がおかしいとしか思えなかった。
 間違っても、今まで記してきた、親父や継母みたいな親には、これを読んでくれた方にはならないでほしいです。
 こうしてうちも、色々と悩みを抱えながら、差別を受けながらも、なんとか中学校を卒業した。
 中学校を卒業してからのうちは、正直、自慢できるようなことは何一つしていない。
 何しろこの頃のうちは、とにかく早く家を出ることしか考えていなかった。
 卒業式の日も、卒業証書を貰ったあとは、さっさと家に帰り、中学時代の友達とは二度と合うこともなかった。
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