37 / 39
その言の葉に想いを乗せて
その言の葉に想いを乗せて6
しおりを挟む
バイトを終えて家に帰ると、壁に背を預けてしゃがみ込みゆっくりと息を吐き出す。
秋江さんの家での朗読は無事に終わった。朗読する頃には問題は解決していたわけだけど、秋江さんも晴美さんも朗読を喜んでくれて充実感とともに帰ってきた。
だけど、先延ばししてきたものといい加減向き合わなければならない。僕の僕自身の家族のこと。
――一番難しいのは、止まっているところから動き出すことだ。
それは道尾さんが自分自身に向けて言ったであろう言葉。だけど、その言葉は深く耳の中に残っていた。
それならば僕はいつから立ち止まってしまっているのだろう。どれだけの間目をつぶり膝を抱えてしゃがみ込んでいたのだろう。
秋江さん母娘みたいにあっけらかんと仲直りする道もずっと昔にあったはずなのに。
雪乃さんの言う通り兄が僕にスピーチを頼んだことが僕の背を押しているのだとしても、ドロドロの深い沼に沈み込んでいる足を引き抜くにはもう一押しが必要だった。
ゆっくりと深呼吸をして、スマホを手に取る。今度は躊躇いなく発信ボタンをタップする。
「もしもし?」
少し夜遅い時間だったけど、雪乃さんは直ぐに電話に出てくれた。電話の向こうから小さくカタカタと音がするけど何か作業中なのだろうか。
「こんな時間にごめん。一つお願いがあるんだ」
「何?」
もう一度息を吸う。
「僕の為に物語を書いてほしいんだ。兄貴の結婚式でスピーチするための話を」
自分の兄弟の結婚式で話す内容を、兄のことを知らない人に書いてもらう。傍から見たらそれはおかしいことだろう。だけど、不思議と断られる気はしなかった。
雪乃さんからすぐに返事はない。やがて少し呆れたように息をつく音が聞こえた。
「もう書いてる」
カタカタカタカタ。
雪乃さんの声に続いて聞こえてきたのはすっかり耳に馴染んだ小気味のいい音。
体からゆるゆると力が抜ける。スマホを持つのと反対の手で頭を覆う。
もう書いてる。雪乃さんのことを傍で支えるとか偉そうなこと言ったけど、まるで敵いっこない。
「悠人君なら、きっとそうするだろうって」
泥沼の真ん中で座り込む僕を、ぐっと雪乃さんが引き上げてくれる。雪乃さんが物語を書いてくれているのに、今更後になんて退けっこない。小気味のいいタイプ音は僕の手を引くとともに、やや荒っぽく僕の背中を押してくれた。
「ありがとう」
「お礼を言われるのはまだ早いから」
「それでも、ありがとう。雪乃さんがいてくれてよかった」
ピタリとタイプ音が止まる。それと同時に時間が止まったかのような沈黙。
少し浅い息遣いだけが雪乃さんが変わらず電話の向こうにいることを感じさせてくれる。
しばらく待ってみたけど、雪乃さんからの返事はなかった。
「雪乃さん?」
尋ねてみると、時が動き出したようにバタバタと音が聞こえる。
「と、とにかく。今日中に書き上げるから、また明日のお昼にノースポールで」
雪乃さんはどこか慌てた様子でそう言い切ると電話を切ってしまった。
胸の奥に溜まっていた息を吐き出し、スマホをギュッと握りしめる。これでもう大丈夫。
籠った熱が消えていくまで祈るように握り続けてから、もう一度画面に触れる。
さっきとは違う番号に電話をかけると、こちらもすぐに出てくれた。
「もしもし、碧兄。結婚式のスピーチのことだけどさ――」
秋江さんの家での朗読は無事に終わった。朗読する頃には問題は解決していたわけだけど、秋江さんも晴美さんも朗読を喜んでくれて充実感とともに帰ってきた。
だけど、先延ばししてきたものといい加減向き合わなければならない。僕の僕自身の家族のこと。
――一番難しいのは、止まっているところから動き出すことだ。
それは道尾さんが自分自身に向けて言ったであろう言葉。だけど、その言葉は深く耳の中に残っていた。
それならば僕はいつから立ち止まってしまっているのだろう。どれだけの間目をつぶり膝を抱えてしゃがみ込んでいたのだろう。
秋江さん母娘みたいにあっけらかんと仲直りする道もずっと昔にあったはずなのに。
雪乃さんの言う通り兄が僕にスピーチを頼んだことが僕の背を押しているのだとしても、ドロドロの深い沼に沈み込んでいる足を引き抜くにはもう一押しが必要だった。
ゆっくりと深呼吸をして、スマホを手に取る。今度は躊躇いなく発信ボタンをタップする。
「もしもし?」
少し夜遅い時間だったけど、雪乃さんは直ぐに電話に出てくれた。電話の向こうから小さくカタカタと音がするけど何か作業中なのだろうか。
「こんな時間にごめん。一つお願いがあるんだ」
「何?」
もう一度息を吸う。
「僕の為に物語を書いてほしいんだ。兄貴の結婚式でスピーチするための話を」
自分の兄弟の結婚式で話す内容を、兄のことを知らない人に書いてもらう。傍から見たらそれはおかしいことだろう。だけど、不思議と断られる気はしなかった。
雪乃さんからすぐに返事はない。やがて少し呆れたように息をつく音が聞こえた。
「もう書いてる」
カタカタカタカタ。
雪乃さんの声に続いて聞こえてきたのはすっかり耳に馴染んだ小気味のいい音。
体からゆるゆると力が抜ける。スマホを持つのと反対の手で頭を覆う。
もう書いてる。雪乃さんのことを傍で支えるとか偉そうなこと言ったけど、まるで敵いっこない。
「悠人君なら、きっとそうするだろうって」
泥沼の真ん中で座り込む僕を、ぐっと雪乃さんが引き上げてくれる。雪乃さんが物語を書いてくれているのに、今更後になんて退けっこない。小気味のいいタイプ音は僕の手を引くとともに、やや荒っぽく僕の背中を押してくれた。
「ありがとう」
「お礼を言われるのはまだ早いから」
「それでも、ありがとう。雪乃さんがいてくれてよかった」
ピタリとタイプ音が止まる。それと同時に時間が止まったかのような沈黙。
少し浅い息遣いだけが雪乃さんが変わらず電話の向こうにいることを感じさせてくれる。
しばらく待ってみたけど、雪乃さんからの返事はなかった。
「雪乃さん?」
尋ねてみると、時が動き出したようにバタバタと音が聞こえる。
「と、とにかく。今日中に書き上げるから、また明日のお昼にノースポールで」
雪乃さんはどこか慌てた様子でそう言い切ると電話を切ってしまった。
胸の奥に溜まっていた息を吐き出し、スマホをギュッと握りしめる。これでもう大丈夫。
籠った熱が消えていくまで祈るように握り続けてから、もう一度画面に触れる。
さっきとは違う番号に電話をかけると、こちらもすぐに出てくれた。
「もしもし、碧兄。結婚式のスピーチのことだけどさ――」
1
お気に入りに追加
1
あなたにおすすめの小説
校長室のソファの染みを知っていますか?
フルーツパフェ
大衆娯楽
校長室ならば必ず置かれている黒いソファ。
しかしそれが何のために置かれているのか、考えたことはあるだろうか。
座面にこびりついた幾つもの染みが、その真実を物語る
校長先生の話が長い、本当の理由
フルーツパフェ
大衆娯楽
学校によっては、毎週聞かされることになる校長先生の挨拶。
学校で一番多忙なはずのトップの話はなぜこんなにも長いのか。
とあるテレビ番組で関連書籍が取り上げられたが、実はそれが理由ではなかった。
寒々とした体育館で長時間体育座りをさせられるのはなぜ?
なぜ女子だけが前列に集められるのか?
そこには生徒が知りえることのない深い闇があった。
新年を迎え各地で始業式が始まるこの季節。
あなたの学校でも、実際に起きていることかもしれない。
就職面接の感ドコロ!?
フルーツパフェ
大衆娯楽
今や十年前とは真逆の、売り手市場の就職活動。
学生達は賃金と休暇を貪欲に追い求め、いつ送られてくるかわからない採用辞退メールに怯えながら、それでも優秀な人材を発掘しようとしていた。
その業務ストレスのせいだろうか。
ある面接官は、女子学生達のリクルートスーツに興奮する性癖を備え、仕事のストレスから面接の現場を愉しむことに決めたのだった。
小学生最後の夏休みに近所に住む2つ上のお姉さんとお風呂に入った話
矢木羽研
青春
「……もしよかったら先輩もご一緒に、どうですか?」
「あら、いいのかしら」
夕食を作りに来てくれた近所のお姉さんを冗談のつもりでお風呂に誘ったら……?
微笑ましくも甘酸っぱい、ひと夏の思い出。
※性的なシーンはありませんが裸体描写があるのでR15にしています。
※小説家になろうでも同内容で投稿しています。
※2022年8月の「第5回ほっこり・じんわり大賞」にエントリーしていました。
ハーレムに憧れてたけど僕が欲しいのはヤンデレハーレムじゃない!
いーじーしっくす
青春
赤坂拓真は漫画やアニメのハーレムという不健全なことに憧れる健全な普通の男子高校生。
しかし、ある日突然目の前に現れたクラスメイトから相談を受けた瞬間から、拓真の学園生活は予想もできない騒動に巻き込まれることになる。
その相談の理由は、【彼氏を女帝にNTRされたからその復讐を手伝って欲しい】とのこと。断ろうとしても断りきれない拓真は渋々手伝うことになったが、実はその女帝〘渡瀬彩音〙は拓真の想い人であった。そして拓真は「そんな訳が無い!」と手伝うふりをしながら彩音の潔白を証明しようとするが……。
証明しようとすればするほど増えていくNTR被害者の女の子達。
そしてなぜかその子達に付きまとわれる拓真の学園生活。
深まる彼女達の共通の【彼氏】の謎。
拓真の想いは届くのか? それとも……。
「ねぇ、拓真。好きって言って?」
「嫌だよ」
「お墓っていくらかしら?」
「なんで!?」
純粋で不純なほっこりラブコメ! ここに開幕!
坊主頭の絆:学校を変えた一歩【シリーズ】
S.H.L
青春
高校生のあかりとユイは、学校を襲う謎の病に立ち向かうため、伝説に基づく古い儀式に従い、坊主頭になる決断をします。この一見小さな行動は、学校全体に大きな影響を与え、生徒や教職員の間で新しい絆と理解を生み出します。
物語は、あかりとユイが学校の秘密を解き明かし、新しい伝統を築く過程を追いながら、彼女たちの内面の成長と変革の旅を描きます。彼女たちの行動は、生徒たちにインスピレーションを与え、更には教師にも影響を及ぼし、伝統的な教育コミュニティに新たな風を吹き込みます。
善意一〇〇%の金髪ギャル~彼女を交通事故から救ったら感謝とか同情とか罪悪感を抱えられ俺にかまってくるようになりました~
みずがめ
青春
高校入学前、俺は車に撥ねられそうになっている女性を助けた。そこまではよかったけど、代わりに俺が交通事故に遭ってしまい入院するはめになった。
入学式当日。未だに入院中の俺は高校生活のスタートダッシュに失敗したと落ち込む。
そこへ現れたのは縁もゆかりもないと思っていた金髪ギャルであった。しかし彼女こそ俺が事故から助けた少女だったのだ。
「助けてくれた、お礼……したいし」
苦手な金髪ギャルだろうが、恥じらう乙女の前に健全な男子が逆らえるわけがなかった。
こうして始まった俺と金髪ギャルの関係は、なんやかんやあって(本編にて)ハッピーエンドへと向かっていくのであった。
表紙絵は、あっきコタロウさんのフリーイラストです。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる