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変わりたくない君と変われない僕
変わりたくない君と変われない僕1
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「パタパタと小さな尻尾を振りながら近寄ってきた仔犬のコマの頭を撫でながら、私はあの日の出会いに心の中でそっとお礼を告げる」
パタリと冊子を閉じると、テーブルの向かいに座る木下さんはホクホクとした笑顔で余韻に浸るように目を閉じていた。部屋着替わりにしてるという陸上部のジャージを上下に身に纏ってリラックスモード。
夏休みが終わったばかりの10月初旬の週末、3度目となる木下さんからの依頼は「癒される話」だった。就活が徐々に本格化してきてややお疲れらしく、そんな木下さんに雪乃さんが書いたのは仔犬を巡る話だった。
元々はいがみ合っていた同級生の二人が受験が近づいてきた初詣の日に捨てられた仔犬を見つけ、こっそり育てていくうちに仲を深めていく。 二人が険悪になりそうになると仔犬が二人を振り回し、気がつけば二人はお互いを信用し合うようになる。
「よかったよ! なんて言うんだろ、萌えともキュンとも違うけど、なんかじんわりというかほっこりというか……温まる感じ」
余韻を最後まで噛みしめるように手足を伸ばして小さくパタパタさせてから、木下さんは目を開けた。
「田野瀬くん、なんだか上手くなったね。聞いてるうちにふわっと温かい色が浮かぶ気がした」
道尾さんの駅伝からしばらくすると、木下さんは僕のことを“後輩君”ではなく名字で呼ぶようになった。その理由を直接聞けてはいないけど、なんだか認めてもらえたような気がしている。
「道尾さんに朗読したときに胆力がついたのかもしれません」
「あー、あの頃の翔ピリピリしてたからね。普段はもうちょっと付き合いやすいと思うから、また絡んであげてよ。翔、陸上部以外の知り合い全然いないし」
木下さんは口元に手を当てて楽しそうに笑い、それから柔らかい瞳で僕を見る。木下さんのこんな陽だまりのような温かさに道尾さんは惹かれたのかな、なんて不意に思い浮かんだ。
「田野瀬くんには借りが増えちゃったなあ。どこかでちゃんと返さないと」
「楽しみにしてますね」
「お、言うねー。まあ、任せといて」
本当は仕事だから気にしないでと言うべきなのかもしれないけど、この仕事ではその言葉は少し素っ気ないような気がした。
実際、僕の言葉に木下さんは勝気に笑いつつ、どこか満足げだった。
「あ、そうだ。田野瀬くんも上手くなったと思うけど、物語もこの前とはちょっと雰囲気が変わった気がする」
不思議そうな表情を浮かべる木下さんの指摘に思わず息を呑む。
「物語書いてるの、あの時の鈴ちゃんだよね?」
「はい。あの……木下さん的にはどんなふうに変わったと感じますか?」
「どんなふうにって。うーん、言葉で表すの難しいなあ」
そう言いながらも木下さんは顎に手を当ててじっと考え込む。
「そうだなあ。人の気持ちみたいなのがダイレクトに感じるようになったかも。だから、凄い温かさが染みてくる、みたいな……って、まだ3回しか聞いてない私がこんなこと言っても説得力ないよね。ごめんごめん」
「いえ、ありがとうございます」
木下さんは小さく舌を出しておどけてみせるけど、正直鋭いなって舌を巻くような思いがした。雪乃さんの物語の何かが変わったことは僕も感じていたし、他の常連のお客さんからも程度の差はあれ似たような感想を貰うことがあった。
「あ、別に今の方がいいとか、昔の方がよかったとかって話じゃなくて。本当になんか変わったかなって感じがしただけだから、あまり気にしないでね」
それは例えばスパイスを組み替えて作った二つのカレーみたいなものだろうか。味は違うけど両方とも美味しいことには違いなくて、どちらの方が美味しいと感じるかは人それぞれ好みの問題。そんな例えが浮かんでくるのも雪乃さんの物語の変化についてずっと考えていたからだ。
恭太なんかからは、僕の例えはよくわからないっていつも言われるけど。
「っとと、あまり引き留めちゃ悪いよね。何か最近しんどいなーっていうのが積もってる感じだったけど、すごい楽になった」
「ありがとうございます。えっと、その。やっぱり就活って大変ですか?」
「うーん、まだ忙しいとかっていうのはそんなにないんだけどね。ただ、自己分析するとちょっと凹むっていうか。色々やってきたつもりだけど私って何もしてこなかったなとか、面接側から見れば有象無象の一人でしかないんだろうなって考えると、なんだかなあって。自分と向き合うって、こんなに大変なんだって初めて知ったかも」
木下さんは苦笑を浮かべながら立ち上がる。知り合ったばかりの頃の木下さんだったら、全然大丈夫だよ!みたいに気丈に振る舞うんだろうなってふと思った。
木下さん自身が変わったのか、僕のことを信頼してもらえているのかはわからないけど、この瞬間だけでもほっと肩の力を抜いてもらえるのなら、それだけで僕も報われる。
僕も木下さんの動作に促されるように席を立ち、言い忘れていたことを思いだす。
「あ、そうだ。道尾さんによろしくお願いします」
木下さんは不思議そうに首を傾げた。
「え? うん、わかったけど。じゃあ、田野瀬くんも夏希と鈴ちゃんによろしくね」
ちょっと苦笑いが浮かぶのを自覚しながら頷いて、木下さんの部屋を出る。木下さんに限っては僕がいなくても傍で支えてくれる人がいると思うのだけど、もしかしたらそれはもう少しだけ先の話になるのかもしれない。
パタリと冊子を閉じると、テーブルの向かいに座る木下さんはホクホクとした笑顔で余韻に浸るように目を閉じていた。部屋着替わりにしてるという陸上部のジャージを上下に身に纏ってリラックスモード。
夏休みが終わったばかりの10月初旬の週末、3度目となる木下さんからの依頼は「癒される話」だった。就活が徐々に本格化してきてややお疲れらしく、そんな木下さんに雪乃さんが書いたのは仔犬を巡る話だった。
元々はいがみ合っていた同級生の二人が受験が近づいてきた初詣の日に捨てられた仔犬を見つけ、こっそり育てていくうちに仲を深めていく。 二人が険悪になりそうになると仔犬が二人を振り回し、気がつけば二人はお互いを信用し合うようになる。
「よかったよ! なんて言うんだろ、萌えともキュンとも違うけど、なんかじんわりというかほっこりというか……温まる感じ」
余韻を最後まで噛みしめるように手足を伸ばして小さくパタパタさせてから、木下さんは目を開けた。
「田野瀬くん、なんだか上手くなったね。聞いてるうちにふわっと温かい色が浮かぶ気がした」
道尾さんの駅伝からしばらくすると、木下さんは僕のことを“後輩君”ではなく名字で呼ぶようになった。その理由を直接聞けてはいないけど、なんだか認めてもらえたような気がしている。
「道尾さんに朗読したときに胆力がついたのかもしれません」
「あー、あの頃の翔ピリピリしてたからね。普段はもうちょっと付き合いやすいと思うから、また絡んであげてよ。翔、陸上部以外の知り合い全然いないし」
木下さんは口元に手を当てて楽しそうに笑い、それから柔らかい瞳で僕を見る。木下さんのこんな陽だまりのような温かさに道尾さんは惹かれたのかな、なんて不意に思い浮かんだ。
「田野瀬くんには借りが増えちゃったなあ。どこかでちゃんと返さないと」
「楽しみにしてますね」
「お、言うねー。まあ、任せといて」
本当は仕事だから気にしないでと言うべきなのかもしれないけど、この仕事ではその言葉は少し素っ気ないような気がした。
実際、僕の言葉に木下さんは勝気に笑いつつ、どこか満足げだった。
「あ、そうだ。田野瀬くんも上手くなったと思うけど、物語もこの前とはちょっと雰囲気が変わった気がする」
不思議そうな表情を浮かべる木下さんの指摘に思わず息を呑む。
「物語書いてるの、あの時の鈴ちゃんだよね?」
「はい。あの……木下さん的にはどんなふうに変わったと感じますか?」
「どんなふうにって。うーん、言葉で表すの難しいなあ」
そう言いながらも木下さんは顎に手を当ててじっと考え込む。
「そうだなあ。人の気持ちみたいなのがダイレクトに感じるようになったかも。だから、凄い温かさが染みてくる、みたいな……って、まだ3回しか聞いてない私がこんなこと言っても説得力ないよね。ごめんごめん」
「いえ、ありがとうございます」
木下さんは小さく舌を出しておどけてみせるけど、正直鋭いなって舌を巻くような思いがした。雪乃さんの物語の何かが変わったことは僕も感じていたし、他の常連のお客さんからも程度の差はあれ似たような感想を貰うことがあった。
「あ、別に今の方がいいとか、昔の方がよかったとかって話じゃなくて。本当になんか変わったかなって感じがしただけだから、あまり気にしないでね」
それは例えばスパイスを組み替えて作った二つのカレーみたいなものだろうか。味は違うけど両方とも美味しいことには違いなくて、どちらの方が美味しいと感じるかは人それぞれ好みの問題。そんな例えが浮かんでくるのも雪乃さんの物語の変化についてずっと考えていたからだ。
恭太なんかからは、僕の例えはよくわからないっていつも言われるけど。
「っとと、あまり引き留めちゃ悪いよね。何か最近しんどいなーっていうのが積もってる感じだったけど、すごい楽になった」
「ありがとうございます。えっと、その。やっぱり就活って大変ですか?」
「うーん、まだ忙しいとかっていうのはそんなにないんだけどね。ただ、自己分析するとちょっと凹むっていうか。色々やってきたつもりだけど私って何もしてこなかったなとか、面接側から見れば有象無象の一人でしかないんだろうなって考えると、なんだかなあって。自分と向き合うって、こんなに大変なんだって初めて知ったかも」
木下さんは苦笑を浮かべながら立ち上がる。知り合ったばかりの頃の木下さんだったら、全然大丈夫だよ!みたいに気丈に振る舞うんだろうなってふと思った。
木下さん自身が変わったのか、僕のことを信頼してもらえているのかはわからないけど、この瞬間だけでもほっと肩の力を抜いてもらえるのなら、それだけで僕も報われる。
僕も木下さんの動作に促されるように席を立ち、言い忘れていたことを思いだす。
「あ、そうだ。道尾さんによろしくお願いします」
木下さんは不思議そうに首を傾げた。
「え? うん、わかったけど。じゃあ、田野瀬くんも夏希と鈴ちゃんによろしくね」
ちょっと苦笑いが浮かぶのを自覚しながら頷いて、木下さんの部屋を出る。木下さんに限っては僕がいなくても傍で支えてくれる人がいると思うのだけど、もしかしたらそれはもう少しだけ先の話になるのかもしれない。
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