言の葉デリバリー

粟生深泥

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ありのままの貴方で

ありのままの貴方で2

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「あ、お疲れー、悠人君。ちょうどいいところに」

 言の葉デリバリーに戻るとスマホを肩と耳で挟んで伝票とペンを持つ夏希さんに迎えられた。
 ちょうどいいところというのは仕事の依頼なのだろうけど、少しばかり意味深な感じがする。そんなことを考えていたら、夏希さんはスマホの向こう側に何かを告げて僕の方にスマホを差し出した。

「悠人君に依頼だけど、直接話したいんだって」

 僕に指名が入ること自体珍しいし、注文から直接というのは初めてだった。緊張に少しの高揚感を混ぜ合わせた震えを覚えながら夏希さんのスマホを耳に当てる。

「やっほー、後輩君。久しぶりだね、元気にしてる?」

 電話の向こうから聞こえてきたのは聞き馴染みのある声。その元気な声にほっとして、ついでに納得した。

「木下さんもお元気そうで何よりです」

 僕に一番注文してくる可能性が高いのはよく考えるまでもなく木下さんだった。とにもかくにも元気そうでよかった。二度目の注文を終えた後の様子から大丈夫だとは思っていたけど、それ以降は見かけることもなかったから、ふとした弾みに落ち込んでいないか心配だった。

「あれっ。後輩君、今少しガッカリしなかった?」
「いえ、緊張が解けただけですよ」
「むう、ちょっと釈然としないけど。まあいいや、それで後輩君にお願いしたいことがあるんだよね」

 癒しが欲しくなったらまた注文するかも、と言っていたからそれかなと思ったけど、それにしては木下さんの声は元気そうだった。

「私の幼なじみに道尾翔っていう陸上部がいるんだけどね。ちょっと後輩君に励ましてあげてほしいんだよね」
「励ます、ですか」

 木下さんではなく、知り合いへの依頼。思い浮かべていた方向はどうやら違ったようだ。

「うん。うちの大学の陸上部で長距離のエースだったんだけど、今年に入ってからずっと不調で結局9月の駅伝にも出られなくなっちゃったらしくて」

 木下さんの声は親しい相手に対する気やすさと心配が入り混じっている。ふと、二回目の朗読を終えた後に見かけた木下さんと一緒に歩いていた男子学生を思い出した。それに、なんだろう。似たような話をどこかで聞いた気がする。

「この前までは特になんともなかったんだけど、駅伝が近づいてから目に見えて気落ちしてる感じで。私がどうにかしようとしても、弱み話見せられないって意地になるっていうか」

 木下さんのちょっと困ったような笑み。親しい相手であるほど、さらけ出しにくい心の部分があるというのはわかる気がした。木下さんだって、一度目の依頼の後に僕の前ですら気丈に振る舞っていた。

「だからさ、翔のこと励ましてあげてほしいんだ。後輩君に」
「わかりました。やってみます」

 本当は任せてくださいと言いたかったけど、そこまでの自信はまだなかった。だけど、木下さんが僕を信頼してくれるというのならそれに応えたい。それは、最終的に木下さんのためとはいえ依頼と真逆のような物語を届けた負い目もあったし、その依頼を通じて成長できたという感謝みたいな部分もある。

「細かい話は夏希に伝えてあるから、よろしくね、後輩君!」

 通話を終えたスマホを夏希さんに渡すと、少しいぶかしむような視線が返ってきた。

「照乃さんからご指名かー。悠人君、本当はやっぱり照乃さんのこと口説いたんじゃない?」
「口説いてないです! 大体、今回の届け先は木下さんじゃないですし」

 依頼が終わった後、木下さんが夏希さんに何某かを告げたらしく、一応夏希さんと雪乃さんにはそれがナンパの類ではないことを説明していたけど、夏希さんからは時々蒸し返されるしその度に雪乃さんの瞳の温度が下がるのは勘弁してほしかった。

「まあ、それもそっか。今回のお届け先は道尾翔さん。長部田大学の3年生だから照乃さんの同期だね」

 今回はあっさりと引きさがってくれて、夏希さんは僕に伝票を渡した。僕が電話を受ける前に聞き取っていたようで、綺麗な字で依頼に関する情報が書き込まれている。

「依頼は『元気が出る話』で不調で駅伝に出られなくなった幼馴染を励ましてほしい。道尾さんには照乃さんから依頼とか日時の話をしてくれているらしいけど、オーダーは明日の15時。部活が始まる前に終わらしてほしいって」

 伝票を見ながら夏希さんは事務所内に積み上げられたレターボックスに向かう。ここには雪乃さんが書き溜めた冊子が収められていて、依頼に応じた物語を選ぶことになっていた――木下さんの時みたいにオーダーメイドで雪乃さんが書くこともあるのだけど。

「今回の依頼だと、この辺りかな?」

 夏希さんがいくつか冊子を捲った後にそのうちの一つを渡してくれた。一通り読んでみると、怪我をした高校球児の復活の話だった。道尾さんの状況に重なるようなところも多いし、怪我から復帰した主人公が活躍するラストシーンは読んでいるだけで感情が重ね掛けするように高まっていく。
 それにしても、雪乃さんが書く物語は幅広い。ちらっと雪乃さんの方を見ると、僕らのやり取りには関心がないようでノートパソコンの画面とじっと向き合っていた。

「あれ。悠人君、どうかした?」
「あ、いえ。じゃあ、明日はこれで頑張ってきます」

 バイトの空き時間に小説や脚本について色々調べてみたけど、何かを書くのにその経験をする必要はないという。そうだとしても、雪乃さんはこれまでに一体どのような経験をしてきたのだろう。無意識のうちにまたじっと雪乃さんを見てしまっている自分に気づいて、慌てて視線を冊子に戻した。
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