言の葉デリバリー

粟生深泥

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その傷跡を抱きしめて

その傷跡を抱きしめて7

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 予定時刻の5分前、インターホンを押す指が震えた。
 ギリギリまで気持ちを落ち着けようかとも思ったけど、どうせ変わらないからやめた。それならば少しでも早い方が相手のニーズに合っている気もする。
 初めてこの部屋を訪れた時とは違う種類の緊張。胃の辺りがヒュルヒュルとする感じ。
 インターホンを押してすぐ、ガチャリと応答する気配。

「お世話になります。言の葉デリバリーです」

 タタタっと部屋の中から足音が聞こえて、すっとドアが開く。部屋の中から顔を出した木下さんはちょっと疲れたような笑みを浮かべていた。

「や、後輩君。本当に呼んじゃってゴメンね」
「いえ、今日もよろしくお願いします」

 木下さんに案内されて部屋の中に入ると、一週間と変わらぬ物の少ない白い部屋。だけど、今日はそこに1つだけ異物があった。部屋の隅に真新しいリクルートスーツが脱ぎ捨てられている。僕の視線に気づいたのか、木下さんが慌ててハンガー片手に拾い上げる。

「ごめんごめん、後輩君が来るのに散らかったままにしちゃってた」
「いえ、そんな」

 これで散らかっているとしたら、雑然とした僕の部屋はゴミ屋敷になってしまうんじゃないだろうか。でも、そんな違和感が昨日の今日で急に依頼してきた理由なのかもしれない。
 木下さんとキャンパスで話した翌日の夕方、できるだけ早くという希望で言の葉デリバリーに依頼があった。その時僕は別の注文に向かう準備をしていたところだったけど、そちらには夏希さんに行ってもらうことになり、僕が木下さんの注文を請けることとなった。
 一週間前と同じ位置にぺたりと座り込んだ木下さんが力なく笑う。

「午前中、企業の合同説明会っていうのに行ってきたんだけどさ。たまたまそこに前の彼氏がいてね。アイツ、一緒に来てた友達と馬鹿みたいに笑いながら話してて、そんなの見ちゃったら説明会どころじゃなくなっちゃって」

 木下さんはテーブルに両肘をつき顎を乗せる。

「バカみたいじゃん、私ばっかり引きずってて。」

 だからさ、と木下さんが両手をパチンと叩き、それを合図にパッと笑みを浮かべた。でも、気丈な笑みはその分どこか痛々しくて。緊張とは違った苦しさに僕の方まで縛り付けられそうになる。

「私も早く上書きしなきゃいけないから。だから、そのためのエネルギー欲しくなっちゃって。今日もよろしくね、後輩君!」

 一つ頷いて鞄から冊子を取りだす。雪乃さんが一日で書き上げた作品を事前に読んだ時には頭をガツンと殴られたようになって。傷口を抉り出すという言葉の意味を理解して、それを読み上げるのが僕だということに改めて震えてしまった。
 だけど、僕が読むと言ったから雪乃さんが書いてくれたのだ。今更、夏希さんに泣きつくことはできなかった。
 小さく息を吸う。思い描くのは、終わりかけの夏の夕暮れ。

「約束はいつもの場所。10年近く前に卒業した高校の正門にいくと浴衣を着た千絵が待っていた。このところお互い忙しかったから久しぶりに会えたことに胸が弾む。千絵は少し疲れているのかぼうっとしていたけど、俺に気づくとふわりと微笑んでくれた」

 ちらりと冊子から顔をあげると、木下さんはワクワクとした様子で聞き入ってくれていた。ズキリと胸に痛みが走って慌てて冊子に視線を戻す。

「千絵の手を取って薄暗くなっていく街中を歩いていく。目指すはお城の上の広場の夏祭り会場。特別な夜の気配に街中は浮足立っていた。会った時は少し浮かない様子だった千絵も今はいつも通りの千絵だった」

 今は夏希さんと雪乃さんのことを信じて読み上げるだけだ。意識を夏祭りに染まる街並みに溶け込ませていく。
 主人公の斗真と千絵は幼なじみで、大学を卒業したタイミングで晴れて付き合い始めた関係だった。だけど、ここ最近はお互いの仕事が忙しくてなかなか会うことができていない。千絵は医学部を卒業して研究の道に進んでいて、今が一つの正念場だ――そういったことが二人のやり取りのなかで自然に交わされていく。

「『思い出すよな。初めてのデート』城の広場に向かう坂を上っていくと高校時代に初めて二人で来た夏祭りを思い出す。当時はまだ付き合ってなかったけど、高校最後の夏休みということで意を決して誘ってみたんだった。幼馴染相手なのに馬鹿みたいに緊張して、あの時のドキドキは今でも覚えている。あの時は結局手すら繋げなかったんだ」

 そして、二人は夏祭りのメイン会場の広場に着く。メインイベントの花火まではまだ少し時間があった。そこで二人は屋台を見て回ることにする。かつて繋げなかった手を今はしっかりと握りしめて。

「『あ、りんご飴』千絵の声の先では屋台の光で紅く輝くりんご飴が並んでいた。『懐かしいな』そういえば、初めて二人で来た時に買ったのもりんご飴だった。食べるか尋ねると千絵が小さく頷いて二人で屋台に並ぶ。まるであの時をトレースしているみたいで、年甲斐もなく胸が高まっていった」

 ページをめくるのに合わせて、もう一度木下さんを見る。目がキラキラするってこういうことを言えばいいんだろうか。この先の展開を期待して、続きを聞くために耳を澄ませている感じがした。また一つ、ズキリとした感触。

「夏祭りのメインの花火。そこでプロポーズをするつもりだ。忙しくて会えない日々が続くたびに、もっと傍にいたいという思いが募っていった。告白するなら思い出の場所で――だから今日は必死の思いで時間を作った」

 そしてついにメインの花火が始まった。りんご飴を舐めながら、二人は黙って夜空に描かれる色とりどりの光を見つめる。ドンドンと大玉が空に打ち上げられるリズムに合わせて胸の鼓動も早まっていく。
 やがて花火の勢いは増していき、クライマックスが近づく。一斉に打ち上げられた花火が紅掛花色の空を明るく染める。斗真は小さく絡めていた千絵の指を解き、その掌をギュッと握りしめた。

「『あのさ』その言葉を発したのは同時だった。千絵は何かをグッと決意するような目で俺を見ている。トクンと一つ鼓動が跳ねる。もし、俺と同じことを千絵が考えてたらそれは凄い運命的だ。『言いたいことがあるの』『俺もだよ』『……私に先に言わせてほしい』」

 脳裏に描くのは花火で染め上げられた満点の夜空。斗真と千絵は向かい合い、千絵の言葉に斗真はゆっくりと頷いた。そして、千絵が口を開く。

「『私たち、もう別れよう?』」

 ひうっと息を吸う音が聞こえた。木下さんの瞳からすっと色が落ちるのがわかった。
 
「『今、なんて?』『私ね、研究の関係で来年から海外に行くことになったの。だから、別れよう』」

 千絵の言葉に斗真は頭の中が真っ白になった。帰ってくるまで待ち続ける、と答えた斗真に千絵は首を横に振る。

「『斗真のことは大好きだけど、だからこそ私が重荷になりたくないの。いつ戻ってくるかもわからないし、いつまでも斗真のこと待たせらんないから』」
「違うよ」

 物語の中に割り込んできた木下さんの声。その声は震えていて、痛くて、か細くて。

「違うよ。そうじゃないよ」

 口からポロポロと零れ落ちるように吐き出された声を耳から追い出す。違うという言葉が指しているのが注文した内容と話が違うということなのか、物語の中の千絵の言葉を否定しているのかはわからないけど、その声を聴き続けてしまったら僕は物語を続けられなくなる。

「『私たちは気が合う幼馴染でいた方がきっとお互い幸せだから。今までありがとう、斗真』最後に残されていったのは、唇に残るりんご飴の甘さと柔らかい感触、それからさっきまで隣にいた人の温もりだけだった。失ったものの大きさにヒリヒリと胸を焼かれる。それでも止めることはできなかった。千絵の瞳が既に海外を――自分の夢を見ていることに気づいてしまったから。『頑張れよ』誰にも届かないその声は花火に紛れて消えていった」

 そこで、冊子は終わりを迎える。
 斗真の視点から読み上げると、理不尽な別れの話だ。どれだけ最後に斗真が千絵のことを応援したとしても、それがどれだけの救いになるのだろう。幸せをあと一歩で掴み取るつもりだった斗真はこれからどうやって生きていくのだろう。
 目を閉じて、深呼吸をする。
 物語はこれで終わり。だけど僕はこれから木下さんに向き合わなければならない。注文と違うことを届けたことに怒られるかもしれない。それならそれでいい。もし傷つけてはいけない部分を貫いていたら、僕に何ができるだろうか。

 目を開けると、木下さんは泣いていた。僕の方をじっと見ながら、泣いていることに気づいていないかのように見開かれた瞳から涙の線が伝っていく。ハッとした木下さんが戸惑いながら目元を拭った。

「嘘、私、泣いてっ……! フラれてからも一度も泣かなかったのに」
「泣いても、いいんですよ」

 できるだけゆっくり、けれどはっきりと伝える。

「泣いてもいいんです。急がなくていいんです。多分、木下さんは強い人だから、一生懸命前を向こうとしてますけど、ゆっくりと気持ちを整理してからでも大丈夫なんです」

 せっかちだ。木下さんは自分のことをそう自称してるし、大なり小なりそんなところはあるのだろう。でも、木下さんがせっかちだとしても急ぐことが本人にとって幸せなこととは限らない。あるいは、急いでしまうために見落としていたものとじっくりと向き合う時間も必要なんじゃないだろうか。

「ごめん。ちょっとあっち向いてて」

 言われた通りに木下さんに背を向ける。スンと鼻を鳴らす音がきっかけとなって、溜まりにたまったものが一気に溢れだしてきた。僕はただ空気になりきって木下さんの嗚咽を受け止める。その時間は僕にとっても痛々しいものかと思っていたけど、不思議と木下さんの部屋に来てから一番落ち着いた時間だった。
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