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「ほう、こいつが今話題のアンドロイド型ラブドール、ねぇ」
「なぁんでこんなところにいるんだ?」
「さぁ、知らねぇよ。例え誰かのものでも、路地裏に顔の分かる状態で放置してるってことは好きにして構わないってことだろ?」
「そういうもんかもな。にしても、こいつ怯えすぎじゃないか?」
「バグだろ。案外、店から逃げ出してきた個体なのかもな」
「ま、どっちにしろ、ヤることは変わんねぇがな」
がはがはと笑う男たちに恐怖した。誤解を解こうにも、最初から聞く耳を持っていないようだ。私の手足を抑え、口元にも布で猿轡をかまされている。出来うる対抗手段は既に封じられていた。目尻に涙が溜まる。だが、それさえも男たちからしたらパフォーマンスの一部に見えるらしい。
「はぁ、流石アンドロイド型。嫌がるプログラミングもしっかりされているみてぇだ」
「俺たちが何を欲しているのか、開発者はよく分かってるねえ」
楽しそうな彼らの笑顔は何も無邪気なんかじゃなかった。ただただ飢えた獣のそれだった。彼らの手が私の身体に無遠慮に伸ばされたところで、私は目を覚ました。
「おい、澪。着いたぞ」
アレクシアの声が耳にかかり、私の意識は浮上した。どうやらいつの間にか眠っていたようだ。嫌な夢だった。いや、あれは現実に起こったことだったかしら。アレクシアに助けてもらえていなかったら、今頃私……。それ以上先のことについては考えたくもない。ぼんやりとした視界が次第にくっきりはっきりと輪郭を持ち始める。そうして視界全体に映ったのは、アレクシアの顔面だった。口付けを交わす恋人同士の距離で、私たちは見つめ合っていた。
驚いて、私は思わず身体を仰け反らせる。そんな私の姿を見て、アレクシアがくつくつと笑う。私は羞恥心で今にも溶けてしまいそうだった。琥珀色をした鷹のように鋭い眼光も、今はどこか優しく見えた。
「驚かせてすまない。ここは俺の家だ。もう危険はないから安心して欲しい」
そっとジャケットから顔を出すと、彼の言葉が嘘ではないと納得した。そこは小さな一軒家だった。木材を基調とした温かみのあるこじんまりとした空間は、まるで童話に出てくる優しい魔女の小屋のようだ。小さな暖炉には炎が揺らめき、私の心を落ち着かせる。コトコトと煮込まれた鍋からは美味しそうな匂いが漂ってきていた。
ほっと安心した私のお腹から空腹を告げるサイレンが鳴った。ぐぅぅぎゅるるるる。慌ててお腹を押さえた私の頭上から、ぶはっと吹き出す音が聞こえてきた。振り返ると、そこには意外なことに声を上げて笑うアレクシアの姿があった。
「安心と安全を与えられたみたいで何よりだ。まずはご飯にしよう」
彼は木のお椀にスープを掬い、私に差し出した。
「あ、ありがとうございます」
湯気のたったスープは、私の身体を芯から温め、淡く優しい味が私の胃を慰めた。私がお椀一杯分のスープを完食する頃を見計らって、アレクシアが私に声をかける。
「スープの味はどうだった?」
「美味しかったです!」
「それは良かった」
アレクシアは真面目な顔をして続けた。
「早速本題に入って申し訳ないが、澪の置かれている現状を説明しておこうと思う。いいかい?」
彼の言葉に私は居住まいを正し、彼を真っ直ぐに見つめ返した。
「恐らくは澪も理解していると思うが、何故か君は先日発売されたアンドロイド型ラブドールのイブver.5にそっくりな姿をしている。そのことに何か心当たりは?」
「分かりません。事故に遭って、目が覚めたら病院でした。何も覚えていなかったんです。お医者様からは頭部外傷による記憶喪失だと。名前と年齢だけが書かれたカードを渡されました」
「そうか」
「すみません。こんなの、変ですよね。自分が何者かも分からないなんて」
私は俯いてワンピースの裾を握り締めた。その拳の上に、ふっとアレクシアの大きな手が落とされる。
「大丈夫だ。行く宛がないのなら、ここにいればいい」
私は顔を上げて、彼を見た。
「迷惑じゃ、ないですか?」
「澪が外に出て危ない目に遭う方が心配だ。君がどこの誰かも分からない今、見ず知らずの相手に澪がアンドロイドではなく人間であると証明する手段はとても少ない」
夢で見た男たちを思い返し、私は肩を揺らした。
「確かに、それは……」
アレクシアの心配は最もだった。
「澪、顔を上げて」
アレクシアの指先が私の顎を摘んで、上を向かせる。
「君は俺が守る。いいか?」
真摯な琥珀色の瞳に魅入られて、私はひとつ首を縦に振った。
「よし、なら家を案内しよう。この家の中にいる限り、誰も澪のことを傷付けないと安心してもらうためにもな」
にかっと笑った顔は少年のようで、そんな表情をすることもあるのかと少し驚いた。
「澪、おいで」
優しく手を引かれ、私はアレクシアの後をついていった。裏口から外に出ると、彼は私の方を向いた。
「ここが安全な理由が分かるだろう?」
目の前に広がる光景に驚いて、私は開いた口が塞がらない。私たちが居る場所は雲の上で、目算すると地上から遥か数十キロメートルもの上空だった。
「こんなにところに建造物があったなんて」
「確かに、まだそんなに例はないかもな。あっちを見てみろよ。俺たちの家よりもさらに数十キロ上に居住している奴もいる。あの辺になると地上よりも宇宙との距離の方が近くなっているはずだ」
アレクシアの指差した方向を目で追いながら、私は感心していた。
「そのうち、この辺りも人が増える。人類が住むには、地上の面積は既に狭すぎるからな」
「空気もちゃんとある。不思議……」
深呼吸した私にアレクシアの説明は続く。
「薄い膜のドームが張ってあるのが見えるだろう? このドームで地上と同じ大気圧や酸素濃度になるように調整されているんだ」
「膜が割れたらどうなるんですか?」
「一応、替えの膜が幾つか内蔵されているのと、あとは緊急用脱出口もあるからそこから地上に降りることも可能だな」
「確かに、これだけ高い場所に居れば誰からも見つからないですね」
アレクシアに笑いかけると、何故か彼は目線を逸らした。
「っ、だな」
それから、家の中を一通り案内してもらった。私の個室も二階に用意されており、至れり尽くせりだ。申し訳ないと思いながら、結局私にはアレクシアに頼る以外の手段がなかった。一人で地上を歩くのはまだ怖い。考えただけでも足が竦んで一歩も動けなくなるのだ。それこそ、どんな目に遭わされるか分かったものではない。
また、アレクシアの家には地下室もあった。
「ここが地下へ続く入り口だ。澪、ここにだけは絶対に入らないで欲しい。俺の仕事部屋でな。部外者には見せられない個人情報の書かれた資料が沢山あるんだ」
「分かりました」
「不自由をかけてすまない」
「いえ、安全な居場所を提供してくださるだけで十分です。それなのに、個室まで用意していただいて、ありがとうございます」
一箇所入れない場所があるくらいで不自由なんて感じるわけもない。ましてや、文句なんて言ったら罰が当たる。ただ、こんな上空に設備の整った住居を構えられるアレクシアは一体何者なんだろうか、という疑問だけは深まっていった。最後にアレクシアは私を自室の前まで送り届けた。
「しばらくの間、軟禁生活を強いることになってしまう。その分のストレスは全部俺にぶつけてくれて構わない。欲しいものは何でも地上で調達してこよう。あと、明日から日中は澪の情報を探し始めようと思う。記憶を戻す手がかりに少しでもなれば良いが……」
「えっと、何て言えばいいのでしょう。ありがとうございます。……だけど、どうしてそこまでしてくださるんですか?」
私の問いかけに彼はふっと笑みを浮かべた。その甘い笑顔に私の心臓が再び高鳴った。
「君のことが気になって仕方がないからだ」
「え? それはどうい、うっ!」
アレクシアの瞳が私を捕らえたかと思うと、次の瞬間には柔らかな彼の唇が私の頬に落ちていた。軽いリップ音を数度鳴らして、アレクシアは私から離れた。
「返事はまだ要らない。澪の心が決まったら教えてくれ。何もしない、とはもう誓えないが、嫌がることは決してしないと誓おう。全部、困っている好きな人を放っておくことが出来ない俺の我儘だ。だから、澪は澪のままここに居てくれるだけで構わない」
突然の口づけで彼の言いたいことの一割も分からない。困惑と動悸が私の身体を支配した。
「おやすみ」
アレクシアは困ったように笑って、私の指先にまたキスをした。恥ずかしさから震え出した私の肩を部屋へ押しながら、彼は暢気に笑っていた。
「それから、明日からは敬語は禁止だ。良いな?」
にやりと意地悪に口角を上げて、アレクシアは去っていった。部屋にひとり残された私は、天蓋付きの贅沢なベッドにぽすん、と腰を下ろした。否、腰を抜かしていた。当然ながら、その日の夜はなかなか寝付けなかったことは言うまでもない。
その日から、アレクシアは私の情報を得る為に昼間は地上へと降りていった。そして夕方には必ず家に戻ってくるのだ。彼が家を留守にしている間、私は窓から空を眺めたり、部屋を掃除していたりした。反対に言えばそれくらいしか出来ることがなかった。
また数日に一度、何故か必ず私は体調を崩した。そんな時、アレクシアはずっと家に居て私をベッドから起き上がらせないように見張るのだ。熱でぼうっとする身体をふかふかの寝台に沈め、私は夢の中を漂う。そして、アレクシアに助けてもらうまでの悪夢を見て、飛び起きる。
『本当はあのまま乱暴に扱われたかったんだろう?』
『あんたが望むことをしてやったのに、あんまりじゃないか』
記憶の中の亡霊たちが口々に好き勝手なことを言うから、熟睡することも満足に出来ない。冷や汗をびっしょりかいて飛び起きた私を、いつもアレクシアはその広い胸で受け止めてくれる。それから、ぽんぽんと一定速度で背中を叩いてあやすのだ。
「一緒に眠ろう」
アレクシアがそう言うと、私は彼に抱き締められたまま、もう一度眠りにつく。今度は深く静かな眠りだった。聞こえるのは互いの鼓動だけ。亡霊たちの声はもう、消えていた。
「なぁんでこんなところにいるんだ?」
「さぁ、知らねぇよ。例え誰かのものでも、路地裏に顔の分かる状態で放置してるってことは好きにして構わないってことだろ?」
「そういうもんかもな。にしても、こいつ怯えすぎじゃないか?」
「バグだろ。案外、店から逃げ出してきた個体なのかもな」
「ま、どっちにしろ、ヤることは変わんねぇがな」
がはがはと笑う男たちに恐怖した。誤解を解こうにも、最初から聞く耳を持っていないようだ。私の手足を抑え、口元にも布で猿轡をかまされている。出来うる対抗手段は既に封じられていた。目尻に涙が溜まる。だが、それさえも男たちからしたらパフォーマンスの一部に見えるらしい。
「はぁ、流石アンドロイド型。嫌がるプログラミングもしっかりされているみてぇだ」
「俺たちが何を欲しているのか、開発者はよく分かってるねえ」
楽しそうな彼らの笑顔は何も無邪気なんかじゃなかった。ただただ飢えた獣のそれだった。彼らの手が私の身体に無遠慮に伸ばされたところで、私は目を覚ました。
「おい、澪。着いたぞ」
アレクシアの声が耳にかかり、私の意識は浮上した。どうやらいつの間にか眠っていたようだ。嫌な夢だった。いや、あれは現実に起こったことだったかしら。アレクシアに助けてもらえていなかったら、今頃私……。それ以上先のことについては考えたくもない。ぼんやりとした視界が次第にくっきりはっきりと輪郭を持ち始める。そうして視界全体に映ったのは、アレクシアの顔面だった。口付けを交わす恋人同士の距離で、私たちは見つめ合っていた。
驚いて、私は思わず身体を仰け反らせる。そんな私の姿を見て、アレクシアがくつくつと笑う。私は羞恥心で今にも溶けてしまいそうだった。琥珀色をした鷹のように鋭い眼光も、今はどこか優しく見えた。
「驚かせてすまない。ここは俺の家だ。もう危険はないから安心して欲しい」
そっとジャケットから顔を出すと、彼の言葉が嘘ではないと納得した。そこは小さな一軒家だった。木材を基調とした温かみのあるこじんまりとした空間は、まるで童話に出てくる優しい魔女の小屋のようだ。小さな暖炉には炎が揺らめき、私の心を落ち着かせる。コトコトと煮込まれた鍋からは美味しそうな匂いが漂ってきていた。
ほっと安心した私のお腹から空腹を告げるサイレンが鳴った。ぐぅぅぎゅるるるる。慌ててお腹を押さえた私の頭上から、ぶはっと吹き出す音が聞こえてきた。振り返ると、そこには意外なことに声を上げて笑うアレクシアの姿があった。
「安心と安全を与えられたみたいで何よりだ。まずはご飯にしよう」
彼は木のお椀にスープを掬い、私に差し出した。
「あ、ありがとうございます」
湯気のたったスープは、私の身体を芯から温め、淡く優しい味が私の胃を慰めた。私がお椀一杯分のスープを完食する頃を見計らって、アレクシアが私に声をかける。
「スープの味はどうだった?」
「美味しかったです!」
「それは良かった」
アレクシアは真面目な顔をして続けた。
「早速本題に入って申し訳ないが、澪の置かれている現状を説明しておこうと思う。いいかい?」
彼の言葉に私は居住まいを正し、彼を真っ直ぐに見つめ返した。
「恐らくは澪も理解していると思うが、何故か君は先日発売されたアンドロイド型ラブドールのイブver.5にそっくりな姿をしている。そのことに何か心当たりは?」
「分かりません。事故に遭って、目が覚めたら病院でした。何も覚えていなかったんです。お医者様からは頭部外傷による記憶喪失だと。名前と年齢だけが書かれたカードを渡されました」
「そうか」
「すみません。こんなの、変ですよね。自分が何者かも分からないなんて」
私は俯いてワンピースの裾を握り締めた。その拳の上に、ふっとアレクシアの大きな手が落とされる。
「大丈夫だ。行く宛がないのなら、ここにいればいい」
私は顔を上げて、彼を見た。
「迷惑じゃ、ないですか?」
「澪が外に出て危ない目に遭う方が心配だ。君がどこの誰かも分からない今、見ず知らずの相手に澪がアンドロイドではなく人間であると証明する手段はとても少ない」
夢で見た男たちを思い返し、私は肩を揺らした。
「確かに、それは……」
アレクシアの心配は最もだった。
「澪、顔を上げて」
アレクシアの指先が私の顎を摘んで、上を向かせる。
「君は俺が守る。いいか?」
真摯な琥珀色の瞳に魅入られて、私はひとつ首を縦に振った。
「よし、なら家を案内しよう。この家の中にいる限り、誰も澪のことを傷付けないと安心してもらうためにもな」
にかっと笑った顔は少年のようで、そんな表情をすることもあるのかと少し驚いた。
「澪、おいで」
優しく手を引かれ、私はアレクシアの後をついていった。裏口から外に出ると、彼は私の方を向いた。
「ここが安全な理由が分かるだろう?」
目の前に広がる光景に驚いて、私は開いた口が塞がらない。私たちが居る場所は雲の上で、目算すると地上から遥か数十キロメートルもの上空だった。
「こんなにところに建造物があったなんて」
「確かに、まだそんなに例はないかもな。あっちを見てみろよ。俺たちの家よりもさらに数十キロ上に居住している奴もいる。あの辺になると地上よりも宇宙との距離の方が近くなっているはずだ」
アレクシアの指差した方向を目で追いながら、私は感心していた。
「そのうち、この辺りも人が増える。人類が住むには、地上の面積は既に狭すぎるからな」
「空気もちゃんとある。不思議……」
深呼吸した私にアレクシアの説明は続く。
「薄い膜のドームが張ってあるのが見えるだろう? このドームで地上と同じ大気圧や酸素濃度になるように調整されているんだ」
「膜が割れたらどうなるんですか?」
「一応、替えの膜が幾つか内蔵されているのと、あとは緊急用脱出口もあるからそこから地上に降りることも可能だな」
「確かに、これだけ高い場所に居れば誰からも見つからないですね」
アレクシアに笑いかけると、何故か彼は目線を逸らした。
「っ、だな」
それから、家の中を一通り案内してもらった。私の個室も二階に用意されており、至れり尽くせりだ。申し訳ないと思いながら、結局私にはアレクシアに頼る以外の手段がなかった。一人で地上を歩くのはまだ怖い。考えただけでも足が竦んで一歩も動けなくなるのだ。それこそ、どんな目に遭わされるか分かったものではない。
また、アレクシアの家には地下室もあった。
「ここが地下へ続く入り口だ。澪、ここにだけは絶対に入らないで欲しい。俺の仕事部屋でな。部外者には見せられない個人情報の書かれた資料が沢山あるんだ」
「分かりました」
「不自由をかけてすまない」
「いえ、安全な居場所を提供してくださるだけで十分です。それなのに、個室まで用意していただいて、ありがとうございます」
一箇所入れない場所があるくらいで不自由なんて感じるわけもない。ましてや、文句なんて言ったら罰が当たる。ただ、こんな上空に設備の整った住居を構えられるアレクシアは一体何者なんだろうか、という疑問だけは深まっていった。最後にアレクシアは私を自室の前まで送り届けた。
「しばらくの間、軟禁生活を強いることになってしまう。その分のストレスは全部俺にぶつけてくれて構わない。欲しいものは何でも地上で調達してこよう。あと、明日から日中は澪の情報を探し始めようと思う。記憶を戻す手がかりに少しでもなれば良いが……」
「えっと、何て言えばいいのでしょう。ありがとうございます。……だけど、どうしてそこまでしてくださるんですか?」
私の問いかけに彼はふっと笑みを浮かべた。その甘い笑顔に私の心臓が再び高鳴った。
「君のことが気になって仕方がないからだ」
「え? それはどうい、うっ!」
アレクシアの瞳が私を捕らえたかと思うと、次の瞬間には柔らかな彼の唇が私の頬に落ちていた。軽いリップ音を数度鳴らして、アレクシアは私から離れた。
「返事はまだ要らない。澪の心が決まったら教えてくれ。何もしない、とはもう誓えないが、嫌がることは決してしないと誓おう。全部、困っている好きな人を放っておくことが出来ない俺の我儘だ。だから、澪は澪のままここに居てくれるだけで構わない」
突然の口づけで彼の言いたいことの一割も分からない。困惑と動悸が私の身体を支配した。
「おやすみ」
アレクシアは困ったように笑って、私の指先にまたキスをした。恥ずかしさから震え出した私の肩を部屋へ押しながら、彼は暢気に笑っていた。
「それから、明日からは敬語は禁止だ。良いな?」
にやりと意地悪に口角を上げて、アレクシアは去っていった。部屋にひとり残された私は、天蓋付きの贅沢なベッドにぽすん、と腰を下ろした。否、腰を抜かしていた。当然ながら、その日の夜はなかなか寝付けなかったことは言うまでもない。
その日から、アレクシアは私の情報を得る為に昼間は地上へと降りていった。そして夕方には必ず家に戻ってくるのだ。彼が家を留守にしている間、私は窓から空を眺めたり、部屋を掃除していたりした。反対に言えばそれくらいしか出来ることがなかった。
また数日に一度、何故か必ず私は体調を崩した。そんな時、アレクシアはずっと家に居て私をベッドから起き上がらせないように見張るのだ。熱でぼうっとする身体をふかふかの寝台に沈め、私は夢の中を漂う。そして、アレクシアに助けてもらうまでの悪夢を見て、飛び起きる。
『本当はあのまま乱暴に扱われたかったんだろう?』
『あんたが望むことをしてやったのに、あんまりじゃないか』
記憶の中の亡霊たちが口々に好き勝手なことを言うから、熟睡することも満足に出来ない。冷や汗をびっしょりかいて飛び起きた私を、いつもアレクシアはその広い胸で受け止めてくれる。それから、ぽんぽんと一定速度で背中を叩いてあやすのだ。
「一緒に眠ろう」
アレクシアがそう言うと、私は彼に抱き締められたまま、もう一度眠りにつく。今度は深く静かな眠りだった。聞こえるのは互いの鼓動だけ。亡霊たちの声はもう、消えていた。
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