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第1章
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目の前にアンナの亡骸が転がっている。
まだほんのりと温かい身体。それなのに、もう既に彼女は死んでいる。
特大の秘密と小さな錠剤を二粒だけ残して。
本当の本当に去ってしまった。
私達二人のワンルームから。
どうやらアンドロイドらしい私にも「涙」という機能はあるから、さ。
泣くわよ、わんわん泣いてやるわよ。
だって、そうでしょう。
泣くしかないじゃない。
アンナが死んだのよ。
「大丈夫」なんて、「待っていて」なんて、そんなの信じる方がどうかしている。
私が死ぬのは簡単だ。このまま、このワンルームに蹲っていればいい。
あと数十分もしないうちに、私は弾け散るだろう。
私はアンナにお別れのキスを落とした。
その白い四肢に優しいキスの雨を降らした。
愛していたよ、愛していたんだよ。
私を私にしてくれてありがとう。
そんな祈りを込めたキスだった。
キスをした瞬間、アンナの体は溶けていった。御伽噺の終わりみたい。
アンナだったものは青い青い液体となって、床に青の水たまりを作った。
その中心部からころりと落ちてきたのは見覚えのある記憶解析。かつてマリーの首にアンナが付けたそれと同じ種類のものだった。
それがなぜアンナの中から出てきのか。そもそも人間は溶けて死ぬ生き物なのだろうか。
今更ながらそんな簡単な知識さえ持っていなかったことに気づいて、自分自身に恐慄いた。
そうか、やっぱり私はアンドロイドだったんだ。唐突にその事実に気がついて呆然とした。
私はアンナと同じだと思っていた。同じ種族だと疑いさえしなかった。
そもそも疑うということすら私にプログラムされているのかどうかもわからなかった。
だけどよくよく考えてみれば当然のことだった。
普通の人間であったとしたらアンナから知らされたこの驚愕とも言える真実、もっと驚くのではないだろうか。もっと悲しむのではないだろうか。疑うのではないだろうか。動揺するのではないだろうか。
私はただ事実として受け入れた。受け入れてしまった。
受け入れたという事実こそ、私がアンドロイドである事の、機械生命体であることの、無機物であることの何よりの証明ではないのだろうか。
であるとすれば、私はアンナにとってどんな存在だったのだろう。私はアンナの側にいる必要があったのだろうか。
アンナはどうして私に幼馴染という関係値をプログラムしたのだろうか。
それが人間のよくする手法なのだろうか。
アンドロイドに、幼馴染のプログラムを入れることは酷くありふれた出来事なのだろうか。
ある意味、騙された私達アンドロイドは果たして本当に不幸なのだろうか。裏切られたと言えるのだろうか。
曲りなりにも私はアンナと過ごした日々が楽しかった。幸せだった。
彼女がいなくなって泣いてしまうくらいには大切な人だった。大切な思い出だった。
だけど、それも結局は電気信号上の出来事でしかないのかもしれない。ただそう錯覚させられていただけなのかも。
ジジジッと耳元で機械の焼ける音が鮮明に聞こえた。
あまり考えすぎるのもいけないわね。だって私はいずれ壊れてしまうアンドロイドなのだから。
脳みそが焼けきったら私はどうなってしまうのだろう。いや脳みそではないか、ただの回路だ。
だけどそれは思考しているのだろうか。それともただの電子記号を送っているだけなのだろうか。
わからない、わからない、わからないわよ。何もわからないことが、アンドロイドの美徳なのかもしれない。
疑問符とかもしれないばかりが同じ回路をぐるぐるして、私は考えることをやめた。埒が明かないからだ。
それからアンナの体から出てきた記憶解析に手を伸ばして、結局取れなかった。なぜならその瞬間パーンと窓の外から音がしたからだ。
何かの気配を感じた。何か不吉なことが起きるみたいだった。
そして、あちらこちらでまた爆発音が聞こえてきた。
いつの間にか私の視覚と聴覚も異常をきたしていたらしい。
ここにいるのはまずいと判断した私はマリーを抱えてダクトの中に滑り込んだ。
三年前のあの日、アンナが外へと飛び出したダクトだ。
そのダクトの中を勢いよく滑りながら、私はマリーの口に錠剤を放り込んだ。マリーは本能的にそれを飲み込んだ。
私もついで白い小さな錠剤を口に入れると、そのまま飲み込む。
カチッと何かがはまる音がして、それからドロリと体液が体の中を巡回する。
きっと爆発物が溶けたのだろう。
それから唐突に嗚咽した。溶けた金属が鈍色をして口から零れ落ちた。
しかしその物体をよくよく確認する間もなく、私達はダクトを滑り降りていく。
私達機械の吐瀉物がダクトの壁に張り付いているのを視界の隅で捉えた。
全てのアンドロイドの識別番号が今私達からなくなった。これでもう私とマリーは管理されなくなる。
アンドロイドとしての死は免れたのだ。
アンナのいない世界でこれからを生きる必要があるのかは不明だけれども彼女は望んだ。
希望とは限りなく未知である。
どうして私の生を望んだのか。どうして生きていくことを私達に託したのか。
命がないと定義づけられている私達機械に、ただの無機物に、どうして「生きて欲しい」なんて彼女は言ったのか。
その想いをどう扱っていいのか、私は知らない。
今亡き彼女に語りかけることが必要なのかもわからない。
だからこそ生きなければならないのかもしれない。
持ち主の最後の望みをきっと私の電子回路はプログラムしている。「生きなさい」と。だから今こうして成し遂げるべく、私はダクトに身を入れたんだ。
私自身は「生きたい」なんてこれっぽっちも願ったりしていないのに。
こんなのはまるで人間の生存本能みたい。……馬鹿げているわ。
アンナもわかってくれるさってマリーが切なげに鳴いていた。まるで慰めるみたいだった。
そんなこと出来もしないのに。
健気にみゃー、と一言だけ。それが思いの外痛いような気がして体に損傷はないはずなのになぜかどこかが痛むような気がした。
やっぱり私は心があるのかな。だなんて錯覚を起こす。
あぁもう! とんでもない厄介なものを引き受けたわけだ。
その一点においては、アンナを恨んでいる。人間を恨むなんておこがましいかもしれないけれど、アンナなら許してくれるはずだ。
彼女は私に何を望んでいたのだろう。
彼女は私に一体なんの意味を持たせていたかったのだろう。私の存在意義はなんだったのだろう。
なんでここにあるのだろう。これから先どうすればいいのだろう。生きるとはどういうことを指しているのだろう。
指針であるアンナを失った私にはもう前が見えない。
過去や記憶ですら猜疑心に塗れて正しく判断出来ない。つまり私は盲目なのだった。
ダクト内に充満する生臭い風を感じながら、それでももうこのダクトを怖いと思うことはなかった。
三年前、なぜ私がアンナを追いかけられなかったのか今はっきりとわかった。
それをアンナが望んでいなかったからだ。
持ち主の望まないことをできないように、アンドロイドたちはプログラムされているからだ。
長い長いダクトの旅が終わって、私達は下層居住区へと飛び出した。かつてアンナが住んでいた町だ。
私は今来た道を振り返った。
この錆びたダクトの先に、ずっとずっと向こうに、濁った空気で欠片すら見えない遥か彼方にかつての私達の家があった。
小さな王国だった。六畳一間のワンルームが私達のホームだった。
私の腕から抜け出したマリーがとことこ先を歩く。
煙で視界もおぼつかないし、空気も悪いけど、確かに私達には何の害も及ぼさないようだった。
そのことが唐突に悲しい。私達がアンドロイドでしかあり得ないということを痛感させてくる。
少し先にある廃墟の瓦礫に登ったマリーが小さく頭をかいて、それから尻尾をたしたし振っている。
早く来いよと言わんばかりに私を見つめ待っている。
そうか、私にはもうマリーしかいないのだ。
マリーはアンナが私に残してくれた忘れ形見だ。マリーにとって私もまたアンナの残した忘れ形見だということにようやっと気が付いた。
マリーとアンナが過ごした時間はほんの一時間にも満たないと思うけれども、彼女もまたアンナの忠実なるアンドロイドなのだ。
私達は同志だ。持ち主を失ったアンドロイドとしてこれから先どうやって生きていくのかについて一緒に考えるしかない。
猫型アンドロイドであるマリーに考える芸当ができるのかもわからないけれど、やってみなければならない。
もしかしたらただ怠惰に生きてしまうだけかもしれない。永遠にも近い長い長い時間を。
生きることそのものに意味を持たせられるのは人間ならではの性質だったのだ。なぜなら人は、生命は、命ある者たちはその時間が有限であるのだから。
命に限界があるうちは生きることそのものが最大の意味だったのかもしれない。
永遠は夢物語で、いつか終わってしまう、必ず終わってしまうということ明確に知っているから、だからこそ生きているだけで尊い。何をしなくとも尊い。
なぜならいつかはなくなってしまうものだから。
その反面、私達はいつでも生きていける。限りのない時間を生きていられる。動いていられる。例え足が、手足が動かなくなっても私達に意識は残っていると思う。
私達が本当の終わりを迎える時は、この考えている思考回路の回線が切れた時、もしくは全ての記憶を失った時。
否、記録といった方が正しいだろうか。記憶や思い出は私達にはないのだから。
全ての記録を失った時、それが私達の死だ。
それはいつ訪れるのだろう。地球が爆発した時かもしれない。
だって私達本体がなくなったとしても、きっと私達の記録自体はどこかにあるはずだし、その間私は死んでいるとは言えないだろうから。
かつての人間たちは本当に死ぬ時は自分のことを思い出す人がいなくなった時だというようなことを言っていたらしい。
とすると、今生きていた、今の時代を生き抜いた人間達は永遠に死ねないのかもしれない。だってアンドロイドたちがきちんと記録しているもの。
だから私達が覚えている限り、アンナもまたその一人だ。
私達の記録が残る限り、生きていると言えるのだろうか。記録と記憶や思い出の違いは何だろう。
そこに感情が伴っていることだろうか。それともただの事実としてわかっていることだろうか。
私達が生きる意味はそこにあるのだろうか。
人類の記憶を覚えていくため、そのために私達は生まれさせられたのだろうか。
そしてそれは悲しいことなのだろうか。嬉しいことなどだろうか。
幸せなことなのだろうか。不幸せなことなのだろうか。
私達の、この命ともいえない粗末な生命にも少しは意味があるのだろうか。
考えても仕方のないことは考えないに越したことはない。
そう思うのは、アンドロイドの本能なのかもしれなかった。
とにもかくにも私はこの場から立ち去らねばならない。
いや、このままここで突っ立って生きていくことはできるけれど、それでいいのかわからないから、この永遠の時間を旅してみようと思う。
同じく永遠を生きる、マリーと共に。
アンナの分まで生きるほかないのかもしれない。いや、アンナ以上に生きてしまうだろう。
それはもうどうしようもない事実だ。
私はやや絶望にも似た感情に肩を竦めた。それからもう一足先に進んでいたマリーを追いかけた。
未だこの世界は絶望に縁取られている。
上層居住区のあちらこちらで、アンドロイド達が爆発していく。
その小さな暴発が何百億にもなって、たぶん人類は絶滅する。
その先の未来を私達は見ることになるだろう。
それでも私達はこの動く身体がある限り、マリーと共に、アンナの最後の願いを引き継いで生きていくしかないのだった。
……そういえば、モグラという男は一体何者だったのだろう。私達と同種であったのか。
そうならば彼の目的は一体何だったのだろう。彼はどうしてテロを起こしたかったのだろう。
私達はこのまま自由に生きていけるのだろうか。
何かが始まる、そんな予感がした。
少しの不安と多くの絶望と、アンナのいない虚無感を胸に、私は第二の道を歩き始めた。
いつ終わるかもわからない、この長い長いアンドロイドとしての人生を選んだのだ。
まだほんのりと温かい身体。それなのに、もう既に彼女は死んでいる。
特大の秘密と小さな錠剤を二粒だけ残して。
本当の本当に去ってしまった。
私達二人のワンルームから。
どうやらアンドロイドらしい私にも「涙」という機能はあるから、さ。
泣くわよ、わんわん泣いてやるわよ。
だって、そうでしょう。
泣くしかないじゃない。
アンナが死んだのよ。
「大丈夫」なんて、「待っていて」なんて、そんなの信じる方がどうかしている。
私が死ぬのは簡単だ。このまま、このワンルームに蹲っていればいい。
あと数十分もしないうちに、私は弾け散るだろう。
私はアンナにお別れのキスを落とした。
その白い四肢に優しいキスの雨を降らした。
愛していたよ、愛していたんだよ。
私を私にしてくれてありがとう。
そんな祈りを込めたキスだった。
キスをした瞬間、アンナの体は溶けていった。御伽噺の終わりみたい。
アンナだったものは青い青い液体となって、床に青の水たまりを作った。
その中心部からころりと落ちてきたのは見覚えのある記憶解析。かつてマリーの首にアンナが付けたそれと同じ種類のものだった。
それがなぜアンナの中から出てきのか。そもそも人間は溶けて死ぬ生き物なのだろうか。
今更ながらそんな簡単な知識さえ持っていなかったことに気づいて、自分自身に恐慄いた。
そうか、やっぱり私はアンドロイドだったんだ。唐突にその事実に気がついて呆然とした。
私はアンナと同じだと思っていた。同じ種族だと疑いさえしなかった。
そもそも疑うということすら私にプログラムされているのかどうかもわからなかった。
だけどよくよく考えてみれば当然のことだった。
普通の人間であったとしたらアンナから知らされたこの驚愕とも言える真実、もっと驚くのではないだろうか。もっと悲しむのではないだろうか。疑うのではないだろうか。動揺するのではないだろうか。
私はただ事実として受け入れた。受け入れてしまった。
受け入れたという事実こそ、私がアンドロイドである事の、機械生命体であることの、無機物であることの何よりの証明ではないのだろうか。
であるとすれば、私はアンナにとってどんな存在だったのだろう。私はアンナの側にいる必要があったのだろうか。
アンナはどうして私に幼馴染という関係値をプログラムしたのだろうか。
それが人間のよくする手法なのだろうか。
アンドロイドに、幼馴染のプログラムを入れることは酷くありふれた出来事なのだろうか。
ある意味、騙された私達アンドロイドは果たして本当に不幸なのだろうか。裏切られたと言えるのだろうか。
曲りなりにも私はアンナと過ごした日々が楽しかった。幸せだった。
彼女がいなくなって泣いてしまうくらいには大切な人だった。大切な思い出だった。
だけど、それも結局は電気信号上の出来事でしかないのかもしれない。ただそう錯覚させられていただけなのかも。
ジジジッと耳元で機械の焼ける音が鮮明に聞こえた。
あまり考えすぎるのもいけないわね。だって私はいずれ壊れてしまうアンドロイドなのだから。
脳みそが焼けきったら私はどうなってしまうのだろう。いや脳みそではないか、ただの回路だ。
だけどそれは思考しているのだろうか。それともただの電子記号を送っているだけなのだろうか。
わからない、わからない、わからないわよ。何もわからないことが、アンドロイドの美徳なのかもしれない。
疑問符とかもしれないばかりが同じ回路をぐるぐるして、私は考えることをやめた。埒が明かないからだ。
それからアンナの体から出てきた記憶解析に手を伸ばして、結局取れなかった。なぜならその瞬間パーンと窓の外から音がしたからだ。
何かの気配を感じた。何か不吉なことが起きるみたいだった。
そして、あちらこちらでまた爆発音が聞こえてきた。
いつの間にか私の視覚と聴覚も異常をきたしていたらしい。
ここにいるのはまずいと判断した私はマリーを抱えてダクトの中に滑り込んだ。
三年前のあの日、アンナが外へと飛び出したダクトだ。
そのダクトの中を勢いよく滑りながら、私はマリーの口に錠剤を放り込んだ。マリーは本能的にそれを飲み込んだ。
私もついで白い小さな錠剤を口に入れると、そのまま飲み込む。
カチッと何かがはまる音がして、それからドロリと体液が体の中を巡回する。
きっと爆発物が溶けたのだろう。
それから唐突に嗚咽した。溶けた金属が鈍色をして口から零れ落ちた。
しかしその物体をよくよく確認する間もなく、私達はダクトを滑り降りていく。
私達機械の吐瀉物がダクトの壁に張り付いているのを視界の隅で捉えた。
全てのアンドロイドの識別番号が今私達からなくなった。これでもう私とマリーは管理されなくなる。
アンドロイドとしての死は免れたのだ。
アンナのいない世界でこれからを生きる必要があるのかは不明だけれども彼女は望んだ。
希望とは限りなく未知である。
どうして私の生を望んだのか。どうして生きていくことを私達に託したのか。
命がないと定義づけられている私達機械に、ただの無機物に、どうして「生きて欲しい」なんて彼女は言ったのか。
その想いをどう扱っていいのか、私は知らない。
今亡き彼女に語りかけることが必要なのかもわからない。
だからこそ生きなければならないのかもしれない。
持ち主の最後の望みをきっと私の電子回路はプログラムしている。「生きなさい」と。だから今こうして成し遂げるべく、私はダクトに身を入れたんだ。
私自身は「生きたい」なんてこれっぽっちも願ったりしていないのに。
こんなのはまるで人間の生存本能みたい。……馬鹿げているわ。
アンナもわかってくれるさってマリーが切なげに鳴いていた。まるで慰めるみたいだった。
そんなこと出来もしないのに。
健気にみゃー、と一言だけ。それが思いの外痛いような気がして体に損傷はないはずなのになぜかどこかが痛むような気がした。
やっぱり私は心があるのかな。だなんて錯覚を起こす。
あぁもう! とんでもない厄介なものを引き受けたわけだ。
その一点においては、アンナを恨んでいる。人間を恨むなんておこがましいかもしれないけれど、アンナなら許してくれるはずだ。
彼女は私に何を望んでいたのだろう。
彼女は私に一体なんの意味を持たせていたかったのだろう。私の存在意義はなんだったのだろう。
なんでここにあるのだろう。これから先どうすればいいのだろう。生きるとはどういうことを指しているのだろう。
指針であるアンナを失った私にはもう前が見えない。
過去や記憶ですら猜疑心に塗れて正しく判断出来ない。つまり私は盲目なのだった。
ダクト内に充満する生臭い風を感じながら、それでももうこのダクトを怖いと思うことはなかった。
三年前、なぜ私がアンナを追いかけられなかったのか今はっきりとわかった。
それをアンナが望んでいなかったからだ。
持ち主の望まないことをできないように、アンドロイドたちはプログラムされているからだ。
長い長いダクトの旅が終わって、私達は下層居住区へと飛び出した。かつてアンナが住んでいた町だ。
私は今来た道を振り返った。
この錆びたダクトの先に、ずっとずっと向こうに、濁った空気で欠片すら見えない遥か彼方にかつての私達の家があった。
小さな王国だった。六畳一間のワンルームが私達のホームだった。
私の腕から抜け出したマリーがとことこ先を歩く。
煙で視界もおぼつかないし、空気も悪いけど、確かに私達には何の害も及ぼさないようだった。
そのことが唐突に悲しい。私達がアンドロイドでしかあり得ないということを痛感させてくる。
少し先にある廃墟の瓦礫に登ったマリーが小さく頭をかいて、それから尻尾をたしたし振っている。
早く来いよと言わんばかりに私を見つめ待っている。
そうか、私にはもうマリーしかいないのだ。
マリーはアンナが私に残してくれた忘れ形見だ。マリーにとって私もまたアンナの残した忘れ形見だということにようやっと気が付いた。
マリーとアンナが過ごした時間はほんの一時間にも満たないと思うけれども、彼女もまたアンナの忠実なるアンドロイドなのだ。
私達は同志だ。持ち主を失ったアンドロイドとしてこれから先どうやって生きていくのかについて一緒に考えるしかない。
猫型アンドロイドであるマリーに考える芸当ができるのかもわからないけれど、やってみなければならない。
もしかしたらただ怠惰に生きてしまうだけかもしれない。永遠にも近い長い長い時間を。
生きることそのものに意味を持たせられるのは人間ならではの性質だったのだ。なぜなら人は、生命は、命ある者たちはその時間が有限であるのだから。
命に限界があるうちは生きることそのものが最大の意味だったのかもしれない。
永遠は夢物語で、いつか終わってしまう、必ず終わってしまうということ明確に知っているから、だからこそ生きているだけで尊い。何をしなくとも尊い。
なぜならいつかはなくなってしまうものだから。
その反面、私達はいつでも生きていける。限りのない時間を生きていられる。動いていられる。例え足が、手足が動かなくなっても私達に意識は残っていると思う。
私達が本当の終わりを迎える時は、この考えている思考回路の回線が切れた時、もしくは全ての記憶を失った時。
否、記録といった方が正しいだろうか。記憶や思い出は私達にはないのだから。
全ての記録を失った時、それが私達の死だ。
それはいつ訪れるのだろう。地球が爆発した時かもしれない。
だって私達本体がなくなったとしても、きっと私達の記録自体はどこかにあるはずだし、その間私は死んでいるとは言えないだろうから。
かつての人間たちは本当に死ぬ時は自分のことを思い出す人がいなくなった時だというようなことを言っていたらしい。
とすると、今生きていた、今の時代を生き抜いた人間達は永遠に死ねないのかもしれない。だってアンドロイドたちがきちんと記録しているもの。
だから私達が覚えている限り、アンナもまたその一人だ。
私達の記録が残る限り、生きていると言えるのだろうか。記録と記憶や思い出の違いは何だろう。
そこに感情が伴っていることだろうか。それともただの事実としてわかっていることだろうか。
私達が生きる意味はそこにあるのだろうか。
人類の記憶を覚えていくため、そのために私達は生まれさせられたのだろうか。
そしてそれは悲しいことなのだろうか。嬉しいことなどだろうか。
幸せなことなのだろうか。不幸せなことなのだろうか。
私達の、この命ともいえない粗末な生命にも少しは意味があるのだろうか。
考えても仕方のないことは考えないに越したことはない。
そう思うのは、アンドロイドの本能なのかもしれなかった。
とにもかくにも私はこの場から立ち去らねばならない。
いや、このままここで突っ立って生きていくことはできるけれど、それでいいのかわからないから、この永遠の時間を旅してみようと思う。
同じく永遠を生きる、マリーと共に。
アンナの分まで生きるほかないのかもしれない。いや、アンナ以上に生きてしまうだろう。
それはもうどうしようもない事実だ。
私はやや絶望にも似た感情に肩を竦めた。それからもう一足先に進んでいたマリーを追いかけた。
未だこの世界は絶望に縁取られている。
上層居住区のあちらこちらで、アンドロイド達が爆発していく。
その小さな暴発が何百億にもなって、たぶん人類は絶滅する。
その先の未来を私達は見ることになるだろう。
それでも私達はこの動く身体がある限り、マリーと共に、アンナの最後の願いを引き継いで生きていくしかないのだった。
……そういえば、モグラという男は一体何者だったのだろう。私達と同種であったのか。
そうならば彼の目的は一体何だったのだろう。彼はどうしてテロを起こしたかったのだろう。
私達はこのまま自由に生きていけるのだろうか。
何かが始まる、そんな予感がした。
少しの不安と多くの絶望と、アンナのいない虚無感を胸に、私は第二の道を歩き始めた。
いつ終わるかもわからない、この長い長いアンドロイドとしての人生を選んだのだ。
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