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第1章

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あちらこちらで小さな爆発が起きる。
小さく爆ぜて確実に刺す、これが暁に所属した三年間で私が学んできたことだった。
爆発にも満たない暴発。
それでいて、確実に相手の急所を攻める方法。
爆発の度に爆風がこちらまでやってくる。
その度に、フードから外を覗いている私の茶色い毛先がふわふわと揺れる。
それを見ながら、ぐらぐらと私の決意も少しだけ揺れ動く。
ガスマスクの視界が決して良好とは言えないから、外にいる時の私はどうしても自分の思考に引きこもりがちだ。
ふとフード越しの頭にそっと手が添えられた。
それから、隣に誰かの立つ気配がした。
まるで気でも遣っているかのような優しさを感じたから、この手の主はきっとモグラだろう。
オヤジは良くも悪くも雑な人だから。
案の定、風が吹き荒れているというにも関わらず、よく通る綺麗な彼の声が耳に届く。
「大丈夫か?」
ぶっきらぼうで、温かい彼の声だ。
よしよしと慰めるみたいに私の頭を撫ぜるから、私はうっとりと目を瞑った。
戦場の最中にいるというのに、今この瞬間だけはとても穏やかな気持ちでいられた。
それから、覚悟を持って瞼を上げる。
「……大丈夫だよ」
それだけで彼には全てが伝わったみたいだった。
「そうか」
ちょっとだけ嬉しそうな声に聞こえたのは気のせいだろうか。
それとも、彼は本当に嬉しいのだろうか。
私が彼の側につくことが。
そうであったなら、私も嬉しい。
覚悟を決めた甲斐が有るというものだ。
モグラはごそごそと自身の懐から記憶懐石を取り出すと、私に差し出した。
視界の悪い中でも、その石はきらきらと輝いていた。
青く、冷たい、光。
静謐な機械仕掛けの記憶懐石。
本来の目的は、記憶を留めておく為に造られたものだ。
それを材料にモグラが改良を加えた。
容量が飛躍的に増え、録画や録音による外部的な記録だけではなく人間の感情をも記憶することが出来るようにしたのだ。
人間の私は自らの記憶をその改良された記憶懐石に注ぎ込む。
マザーコンピュータの叡智の為に。
アンドロイド社会の秩序の為に。
それが、モグラとの契約だった。
これまでのことも全て含めて、この行為が、私とオヤジの人類への裏切りが、果たして正しいことなのかどうかは分からない。
一生分からないままでいたい。
誰も教えてくれなかった。
センターの学校でも教えてはくれなかった。
誰かを愛することも、愛し続ける為に必要な自己犠牲についても、私は何一つ無知なまま生きてきたんだった。
この記憶懐石は時限爆弾だ。
体内に入ったあと、一時間も経たずして私の本体は死ぬだろう。
ただの人間でしかない私の身体は記憶懐石の強大な磁力に耐えうることが出来ないから。
本体は死しても、「私」は残る。
だから、これを飲み込めば私はあの子に会いに行こう。
あの子と同じ永遠を生きられる。
それが私の「生きる意味」だから。
いつの間にか、私の側にオヤジがいた。
大雑把ながら、彼もまた優しい人なのだ、本当に。
私が犠牲になることを彼は最後まで反対してくれていた。
いや、あるいは彼自身の為なのかもしれない。
私が死んだ後は、彼が本当の犠牲者だと言えるだろうから。
モグラの暗く深い漆黒の瞳が私とオヤジの最期の邂逅を見つめている。
まるで何かを試しているかのように。
まだ疑っているのだろうか。
ここまで一緒にやってきたというのに。
私とオヤジは肩を竦めあった。
「これだから機械野郎は」
オヤジの愛ある皮肉もこれで最後だ。もう二度と聞くことはないだろう。
そう思うと、不意に少しだけ哀しみを覚えた。
だけどもう、戻るには何もかもが遅すぎたんだ。
私はモグラとオヤジに微笑んで、それから口元を覆うマスクを外した。
そして、青い光を振り撒く記憶懐石を一思いに呑み込んだ。
ころん、と体内にそれは落ちてきた。
きらり、と一瞬光ったあと、それは熱を放ち始めた。
ぐるぐるぐるぐる。
それが体内を駆け巡る。
私の全てを吸収しようとしている。
抗う生存本能を宥めながら、私は全てを託した。
これが唯一の希望なのだ。
みんなが生きる為の、唯一の。
記憶懐石が身体に馴染んでくると、私の身体はまるで私のモノではないみたいだった。
掠れる声を言葉にして、私は言った。
「会いに、行ってもいい?」
誰とは言わなくとも二人には分かったようだった。
「あぁ、行っておいで。後でちゃんと回収してあげるから」
モグラは優しくそう返した。
「……また会おう」
オヤジの声がどこか悲痛に聞こえたものの、その本意はガスマスクの下に隠れて不明瞭だ。
私は強化ブーツのスイッチを入れた。
ブォォォと巨大な音が辺りを支配して、足が熱を持ち始める。
この瞬間の為だけに造られたブーツは、今にも壊れてしまいそうなほどちゃちな作りをしていた。
旧型機械の廃棄物だけで作られたものだからそれも当然と言えば当然のことなのかもしれない。
ブーツの中の熱が私の足を溶かし始める。
もっても五分という所だろう。
燃料はきっちり上層居住区の我が家までだ。
私が私のまま、仲間の元に戻ってくることはもう二度とないだろう。
そのことをよくよく理解していたから、私は何も言わずそのままブーツの底を強く蹴り、ダクトの配管の上を駆け出した。
かつて私が飛び出してきたダクトの上を、今度は疾風の如く走っている。
爽快感は皆無だ。あるのはただ苦痛だけだった。
ブーツの中は熱を放ち、私の足をジリジリと焼く。
機械の力で突き上げられる私の身体は、その衝撃に長時間耐えうることが出来ないだろう。
今にも散り散りになって爆ぜてしまいそうだ。
次第に薄くなってゆく空気に私の肺は、内蔵は膨張し始める。
本来ならば既に事切れていてもおかしくはないだろう。
しかし、私の身体にはモグラの作製した記憶懐石が入っている。
唯一それだけが私の人ではない部分だ。
その青い機械が私の体内を正常に保とうとしてくれている。
しかしそれも私の記憶や感情を回収するまでの間だけだ。
まだ生きねば。
あと少しだけ。
あの子に会うのだ。
ホームに帰るのだ。
わたしの、おうちへ。
目標地点付近まで登ると、後はベランダ目がけて大きく跳躍した。
そして目標地点のベランダに到達するも、その途端、私の身体へ一気に負担が押し寄せてきた。
それでも何とか強化ガラスで出来た窓に手を伸ばす。
どんどん、と大きな音を出して私は窓を叩いた。
しばらくの逡巡のあと、そろそろと窓が開け放たれた。
絹のように艶やかで黒々とした髪を靡かせて、あの子が立っていた。
三年ぶりに再会したキキは驚いたように目を見開いて、それから小さく言葉を呟いた。
「……アンナ……なの?」
震えたその声に今度は私が驚く番だった。
顔はガスマスクに覆われていて、全身をボロ布に纏い、それでも私のことを認識してくれる彼女が愛しかった。
大好きだった。

私の幼馴染。
私の家族。
わたしの、
わたしの、
アンナの、アンドロイド。

私はこくりと頷くと、キキの手を借りながら室内へと入った。
あぁ、何も変わらない。何一つ変わることの無い景色が広がっていた。
黒猫のマリーが私の足元に擦り寄り、それから慰めるみたいに一言鳴いた。
と同時にどうやら限界も近づいてきていたみたいで、私の身体は大きくがくりと傾いた。
焦ったようにキキが私に駆け寄る。
「アンナ! 大丈夫⁉」
私は震える手でガスマスクを外した。
それから思いっきり綺麗な空気を吸い込んだ。
「ごほごほ」
口から血反吐が出る。
カラフルでポップな部屋に私の血液が飛び出した。
もう終わりだ。
再会に感動する余裕も、心を落ち着ける時間もない。
私の身体はもうすぐ終わりを告げる。
キキもそのことに気が付いたのか、私の身体をそっと窓に持たれ掛けさせてくれた。
私は血の味のする唇を舐めて、それから話し始める。
「……キキ、私の身体はもうすぐに死ぬんだ。それと同時にこの世界から人類も居なくなる」
「どういうこと?」
「下層居住区にはね、もう既に人間がいなかった。あそこはアンドロイドたちの楽園だった。テロ組織『暁』はね、人類を絶滅させる為に作られた組織だったんだ」
「……で、でもアンナは……」
「うん、私は人間。……人間だけど、もういいかなって思っちゃって……えへへ。人類は世界を自分のモノにしようとしすぎたから、その罰が下ってもいいと思ったんだ。それに、ね。私自身も人間を辞めてもいいと思ったから。キキと同じ永遠を生きることが、私の『生きる意味』だと分かったから」
「……永遠?」
「キキ、貴女はね。私が最初に購入したアンドロイド。貴女の中にある私との思い出は、私があとから付け足した記録に過ぎないんだ」
「そ、そんな……嘘よ……」
「それが、嘘じゃない、ん、だなぁ……」
遠くなる意識を無理やり引っ張り起こしながら、にやりと私は笑った。
キキの驚いた表情はレアだから、しかと目に焼き付いておかなくては。
あぁ、でももうすぐ私は死ぬのだっけ?
かろうじて動いている記憶懐石にそっと祈りを込めた。
キキの驚いた表情もしかと刻んでください、と。
それから激しく咳き込んだ。
体内の青い光が弱まった気配がした。
これがもう、本当の本当に最期だ。
伝えねばならないことはまだある。
「私達、革命を起こしたの。上層居住区に住むアンドロイドの体内にある個体識別装置の暴発を引き起こすことで、ね。暴発とは言え、この小さなワンルームを吹き飛ばすくらいの威力はあるから。……誰も彼もが狭い部屋で暮らしているでしょう? アンドロイドたちを犠牲にするのは悲しいけれど、でも彼らも納得してくれた。多少の犠牲は仕方がない、って。この部屋も例外にすることは出来なかった。下の階から順に暴発を起こすようにプログラムしていて、この部屋にもそれはやってくる、だからその前に……」
私は懐から錠剤を二つ取り出した。
この冴えない薬がキキとマリーを救うのだ。
「今すぐにこれを、飲んで。個体識別装置だけを溶かす薬だよ」
私の提案にキキは即答した。
「嫌よ。だってアンナは死ぬのでしょう? だったら私も死ぬわ」
キキの漆黒の瞳が私を射抜く。
その覚悟ある光が私は嬉しかった。
彼女もまた、私と共に生きようとしてくれている。
だけど、それはそうプログラムされているから。
……私が、そうなるようにプログラムしたから。
だから、私はこの家を飛び出したのだ。
空虚で寂しい、このワンルームの世界から。
でも、もうすぐこの寂しさから解放される。
私はキキと同じになる。
体内の記憶懐石の気配が消えた。
薄れゆく視界。
キキのほんのりと温かい手のひら。
ゆっくりと瞼を下ろしながら、私は掠れた声で何とか伝える。
「……私は大丈夫だよ……キキと同じになれる、から……ほら、早く。それを飲んで、私を……待ってい、て……」
終わりは健やかだった。
あとはモグラが上手くやってくれる。
アンドロイドは嘘を吐かない。
アンドロイドは寂しくならない。
アンドロイドに死は訪れない。
アンドロイドにも感情はあるだろうか。
アンドロイドにも愛はあるだろうか。
アンドロイドに……「生きる意味」は必要、だったのか?
虚無からの解放。
安堵と、それからほんの少しの猜疑心。
それを最期に私の意識は闇に閉ざされた。
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