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 老朽化した土葺きの瓦がずれて音を立てないように、慎重にハシゴを使って瓦塀を飛び越える。庭先の地面は雑草が生い茂っているせいで、着地の衝撃音はいくぶん吸収された。もし玉砂利が敷かれていたら、石の擦れ合う音を聞き付けて、根乃井が飛び出してきたかもしれない。勝手口は窓の無い古い木製戸に南京錠が後から取り付けられている。継人は手に持った懐中電灯の光が漏れないように、土蔵に対して背を向けた。芳田が2本の安全ピンを操っていとも簡単に解錠すると、継人は目を丸くした。
「言いたいことは分かってる」芳田は耳元に小声で囁いた。そして、戸をゆっくりと開けた。「入るぞ」
「ちょっと待て」継人は掌を広げた。「いくら廃屋だからって、土足じゃ気持ちが悪い」そう言って、背中のリュックから上履きを2足取り出した。
「お行儀がいいんだな」
「当たり前だ。オレ達は物盗りじゃない」
 継人が廊下に並べると、芳田は風紀委員に窘められた生徒のように唇を突き出しながら黙々と履き替えた。
 玄関に近い方向からはずっとブーンという音が鳴っている。
「そう、この音だ。屋内から聞こえるってことは、室外機の音じゃなかったらしいな」
「とにかく、音のする方向を探そう」
 部屋は左右に広がっていたので、2手に分かれることにした。板張りの広縁を通っていけば素早く移動できるが、懐中電灯の光が外に漏れるのは避けたかった。面倒だが、閉め切られた襖を慎重に開けながら畳の部屋をひとつずつ進んでいく。畳の表面を踏みしだく度に、足の裏にシャリシャリとした感覚が伝わる。おそらく煤埃が堆積したものなのだろう。暗くてよく見えないが、かなり長い間、人が住んでいないことだけは分かった。光が当たっても艶が無くくすんだままで暗闇に溶け込んでいる木製の箪笥や、動くのを止めて久しい掛け時計。納戸を開けると、漆塗りや桐の箱が積み上げられ、その周りをたくさんの蜘蛛の巣が覆っている。
「ここだ」隣の部屋で、芳田が呼んだ。
 芳田が光を照らす先には、三方開きの仏壇があった。隣の床の間の掛け軸には壮麗な花の絵が描かれている。それに比べ、やたらと大きい袖付きの仏壇はお盆の時期だというのに手を合わせる人もなく、扉を閉じたまま打ち捨てられているように見えた。
 しかし、機械的な駆動音はまさにこの中から聞こえている。
 芳田は申し訳程度に手を合わせると、開け方に戸惑いながらもゆっくりと扉を畳んでその両側を全開にした。
「これは?」継人は息を呑んだ。
 仏壇の中は全くのもぬけの殻だった。その下部には外部の意匠とはおよそ似つかわしくない金属の蝶番と太い閂が掛かっている。何かを保管しているというより、何かを封じ込めているといった雰囲気だ。ここにも南京錠が掛けられていたが、勝手口のそれの3倍以上の大きさだった。
「開けられそうか?」
 継人が心配そうに覗き込むと、芳田はニヤリとした。
「楽勝だ。大きさは問題じゃない」
 鍵穴の大きさに見合う針金を2本加工して同じ操作を行なう。やがてカチッという音とともに南京錠が外れ、閂が自由に動くようになった。床にはめ込まれた90センチ角の蓋を跳ね上げると、下に向かって続く長い階段が姿を現わした。
 芳田は小さい音で口笛を鳴らした。「不思議の国にようこそ、ってとこか」
「そうだな」継人は息を詰まらせた。「でも、変な気分だ」
 微かだった駆動音は、いまやハッキリとした輪郭を持って両耳に飛び込んできた。音源がこの下にあるのは間違いない。
 芳田が先に降りて、継人が蓋を閉じた。そして5段目を降りたところで、芳田が突然止まった。
「どうした?」継人は身体がぶつかって体勢を崩しそうになった。
「スイッチがある。点けてもいいか?」
「ああ」
 芳田が懐中電灯で周りを照らしてからスイッチを入れると部屋全体が明るくなった。
 2人は懐中電灯をOFFにして、周りを見回した。階段下の踊り場には土間コンクリートが打たれ、漆喰の壁伝いには太いダクトが走っている。その延長線上には件の音の根源である大きな装置が絶え間なく唸り続けていた。
「こりゃ驚いた」芳田は興奮ぎみに言った。「これは水力発電装置だ」
「水力発電?」一瞬ダムのような大掛かりな装置が継人の頭を掠める。「でも、何のために?」
「少なくとも根乃井の住んでる土蔵に電力供給するために造られたものじゃない。ずいぶん古い装置だ。戦中戦後くらいのものかもしれん。たぶんこの下には地下水脈があるんだろう」
「まるで映画の世界みたいだな」継人は階段の上り口を見て、ここがあの朽ち果てた旧家の地下であることを改めて確認した。そうでもしないと、同じ空間の延長線上に繋がっていることを脳が理解できなかった。
「おい、こいつを見てみろよ」芳田は壁に埋め込まれた鉄扉に取り付けてある回転式のツマミを指差した。「サムターン錠だ。これを回して扉を押せば向こう側に出られるが、向こう側からは鍵を開けないとこっちには入れない」
「つまり、ちゃんとした入り口は別にあって、オレ達は反対側から飛び込んだってわけか」
「そういうことだ。下手すりゃ扉を開けた瞬間に鉢合わせになるかもしれん」
「そうならないほうに賭ける」
 継人がニヤリと微笑んで部屋の照明スイッチを切ると、芳田は溜息をついてからゆっくりとツマミを回した。「楽観的だな」
 金属が擦れ合う音が響かないようにそろそろと鉄扉を押し開けていく。真っ暗で物音ひとつ無い静謐な空間はまるで洞窟のようだ。2人は鉄扉の隙間に身体を滑り込ませ、再び懐中電灯を点けて進行方向を照らした。
「スイッチだ」今度は継人が見つけると、芳田は無言のまま頷いた。
 パチッという音とともに、目の前に上の階と同じ造りの長い廊下が広がった。板張りの天井を支える数箇所の梁には白熱電球がぶら下がり、その光が周囲の木の枠組みと漆喰の壁を照らしている。一歩踏み出すと、向こう側の突き当りにも扉が見える。やはり、本来の入り口とは逆の方向から侵入してきたということらしい。
 長い廊下を息を殺して進む。やがて一枚板で作られた分厚い引き分け戸に出くわした。
 2人は格子戸の両脇に立ち、短く頭を動かす合図をして、両側から戸を一気に引いた。
「これは・・・」
「すげえ」
 それ以上、言葉が出てこなかった。この空間を何と表現すればいいのだろう。部屋全体には数十本の黒檀の角材が格子状に組まれており、中央の1箇所だけ潜り戸が設けられている。その佇まいは映画や小説に登場する『座敷牢』そのものだ。
 ただ、人間を幽閉するという陰惨なイメージはあまり感じられない。部屋の両端は約12メートル、広さは京間の畳18畳分もあり、壁の殆どを数千冊の書籍が隙間なく埋め尽くしている。机や椅子といったものは無く、1台のマットレスだけが部屋の隅に寄せられていた。居間とも書斎ともいえない奇妙な空間だ。
「見ろ、ここには鍵が掛かっていない」芳田が潜り戸に軽く手を掛けると、戸はそれ自体が意思を持っているかのようにこちら側に開いていく。
「なんだか、罠っぽいな」
「いまさら言うな」
「すまん」継人は肩をすくめた。「発電機は生きているのに、人の気配が無いのがどうにも不自然な気がしたんだ」
高原咲恵の身に起こったことを考えれば、ここに誰かがいてもおかしくない。そう期待していた。高原夏美、あるいはその1番上の姉が・・・。
部屋のなかの畳敷きに一歩足を踏み入れる。上の階で感じた煤埃のシャリシャリした感覚は一切なく、きちんと清掃されているのが分かった。
 芳田が部屋の中央にある吊り下げ式の照明の紐を引くと、床まで延長して伸びている紐に足を取られそうになって悪態をついた。
「くそ、ここの住人は随分と物ぐさなヤツらしいな」
「あるいは身体が不自由だったか、だな」
 10秒ほど経って蛍光灯が点いた。暗闇に眼が慣れていたせいで、人工的な光がやけに眩しく感じられる。いまや書籍の背表紙の文字がくっきりと読み取れた。
 とはいえ、タイトルのほとんどが英語・ドイツ語・フランス語やその他の言語のものばかりで、さっぱり訳が判らない。ただ、並んでいる本の多くにPHARMACY(薬学)やMEDICAL(医学)やPSYCHOLOGY(心理学)などの文字が金箔押しされているのを見ると、ここの住人が並々ならぬ頭脳の持ち主であることだけは分かる。
 継人は本棚から抜き出した1冊をパラパラと捲ったが、六角形とアルファベットで構成された分子の構造式を見ただけで気分が悪くなりそうだった。
「ぜんぶ、根乃井の蔵書かな?」
「かもな。あの男、ちょっと学者っぽい雰囲気だったから」根乃井の名前が出るや、芳田の顔が露骨に歪んだ。よほど気に入らないタイプなのだろう。
 しかし、この地下施設がこれで完結しているとは到底思えない。座敷牢の中の図書館と水力発電の組み合わせは、何ともちぐはぐだ。2人は全身を目に集中して、継人は引き続き本の背表紙を確認し、芳田は書棚全体を穴の開くほど凝視した。すると、芳田は書棚が置かれている板張りの1箇所に矢印が彫ってあるのを発見した。
「あっ」芳田が声を上げるのに反応して継人はすぐに駆け寄った。「どうした?」
「この書棚、動くぞ」建付けが悪いという意味ではないらしい。隣り合った書棚の枠の部分を軽く押すと、床が抜けそうなくらいに重い木の箱はいとも簡単に90度回転し、その向こう側に片開き戸が姿を現わした。ここにも鍵は掛かっておらず、一気に開いて壁に取り付けてあるスイッチを跳ね上げた。「こりゃ、一体・・・」
 放心したように先の空間に吸い込まれていく芳田の後を、継人は追った。恐怖心もないではなかったが、好奇心がさらにその上をいった。
「これが、この屋敷の秘密ってわけか」
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