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これからやろうとしていることは、露見すれば刑法の住居侵入罪に該当する犯罪行為だ。だから慎重に事を運ぶ必要がある。
継人は考えを巡らせた。罪に問われるかどうかは、警察に侵入現場を押さえられるか、あの根乃井という男から告訴されるかだ。警察のほうは敷地への出入りだけに気をつければいいが、敷地内はまったく予想がつかない。旧家がまだ機能しているのであれば、根乃井本人か若しくは他の誰かとバッタリ出くわす危険性もある。
しかし、もしそうなった時、あらかじめ“何か”を掴んでいれば、根乃井も告訴をためらうかも知れない。
「ホームセンターに寄ってくれ」芳田がスマホで検索した場所を指示した。「伸縮ハシゴと、懐中電灯と、工具セットも欲しい」
「黒っぽい服も要るな」継人はお互いの服装を見やった。自分の着ている黄色いポロシャツ。芳田が着ている南国の花をモチーフにしたプリント柄のTシャツ。夜の侵入者にしてはなんとも間抜けな恰好だ。
「じゃあ、ついでに顔も黒く塗るか? ほら、映画の特殊部隊みたいに」芳田が前のめりになると、継人は肩をすくめた。
「それは止めとこう。見つかったらみっともない」それに、もし万が一高原夏美に逢うようなことになったら、旧日の面影くらいは残しておきたい。
 24時間営業のホームセンターは、夕食時の時間帯にもかかわらず多くの客で賑わっていた。浴衣姿ではしゃぐ若者や、虫除けスプレーや花火を買い求める人、かくれんぼをして店内を走り回る子供。其々が行く夏を惜しむかのように、ゆったりとした時間の中に身を委ねている。
 2人が商品を物色しているコーナーには誰もいなかった。お盆休みの夜に探している品目としては、いささか異質だったのかもしれない。幸いレジに立っている店員は、夏休み中の学生バイトのようだ。
とはいえ、買い物の中身を見て怪しまれるのは避けたい。そこで、念のため2手に分かれて、別々に会計することにした。
 やがて店を出て野外の生温かい空気に触れ、遠くを見ながら大きく息を吸い込んだ。まさにその時、継人は突然咳き込んだ。「あの女だ」
「なに?」
 芳田は、継人が目で合図する方向を見た。ついさっき石積駅前で見かけた女が、駐車場の一番端にポツンと駐まっている黒い軽乗用車に、今まさに乗り込もうとしているところだった。茶色く長い髪が水色のワンピースの上に揺れている。『スナック 咲恵』から出てきたそのままだった。30メートル程離れているだろうか。顔まではハッキリ確認できないが、ほんの一瞬こちらに気付いたようにチラッと振り向くと、ハッとしたように、慌てて車を出した。
「追いかけるか?」
「もちろん」
 継人はエンジンをかけると、直ぐにハンドルを切った。
しかし、何かしっくりこなかった。偶然と言うには余りにも作為的な気もするが、どうも引っ掛かる。挑発するつもりなら、もっと堂々とやればいい。まるでここに居るのは分かっているが、見つかったのは想定外だ、とでもいうような反応だ。
「さながら『不思議の国のアリス』の白ウサギってとこだな」芳田は上機嫌だった。「彼女がオレ達を別世界に案内してくれるってわけだ」
「忘れるなよ。高原咲恵を殺したかもしれない相手だぞ」
「まあ見てなって、行き先は分かってる。賭けてもいい」
「罠ってこともある」
「もし飲み物を勧められたら、丁重に断ればいいだろ」
「頼もしいこった」継人は下唇を突き出した。
 国道はお盆休みの影響もあって長い渋滞が続いていた。黒い軽乗用車は現在、4台先にいる。すでに相手は気付いているかもしれないが、継人は出来るだけ真後ろに付かないよう、中間の1台が抜けるごとに側道や店舗から出てくる車を1台入れながら間合いを調整した。20時を過ぎるとさすがに空は真っ暗だ。車種を判別されにくいという点でも夜は都合がいい。
 しかし、車がほとんど走っていない農村地区に入ると様相が変わってくる。昼間なら200メートル先にいれば判別しにくいが、夜間でヘッドライトを点ければ1キロ先にいても分かってしまうからだ。人の飛び出しや周りの構造物に注意しつつ、時折りスモールライトに切り替えながら軽乗用車の後を追った。
「くそっ、やっぱり何か賭けとくんだった」
芳田が言うとおり、軽乗用車はまるで吸い込まれるように少しずつ麻倉邸に近づいている。
やはり高原家と麻倉家は繋がっていたのだ。
継人は軽い目眩を覚えた。もちろん確信はあった。ただ、妄想に過ぎなかったものが目の前の現実として実体化していくのを見ると、不意に全身の毛がざわざわと逆立ってくる。
集落のいちばん高台にある広い長屋門がかろうじて見える位置にSUVを停めると、ヘッドライトを消した。
「見ろよ、開かずの蛤御門が内側に開いていく」
 芳田が双眼鏡で見上げると、継人はもどかしそうに眼を凝らした。この距離では長屋門のシルエットを確認するのが精一杯だ。そういえばこの間の免許更新で、裸眼でぎりぎりセーフだと担当官に言われたばかりだった。
「人の姿は見えるか?」
「根乃井だ。他の人間は見当たらない。入り口で何か喋っている。何か揉めてるようにも見えるが、すぐに車ごと門の中に消えて行った」
「じゃあ、あの中は少なくとも2人になったってわけだ」
「そうだな。あっ、ちょっと待て。根乃井がまた門の外に出てきた。神経質そうに何度も左右を見返している。道路の縁まで出てきて、もう一度塀の向こう側を覗き込んでいるみたいだ。いま、門のほうに戻って来た」
「こっちには気付いている様子か?」継人は“実況はいいから、その双眼鏡をよこせ”と言いたいのを堪えて訊いた。
「たぶん気付いていないと思う。ただ、何かを警戒しているのは間違いない」
 長屋門の中央の分厚い大扉が閉まり始めると、芳田はゆっくりと双眼鏡を下ろした。継人はその動作を恨めしそうに見ながら、腕を組んだ。
「問題は、警戒している相手がオレ達なのかどうかだ。それが引っ掛かる。そもそも、どうしてあのホームセンターに現われたんだ? わざわざ付いて来いと言わんばかりに姿を晒しておいて、いざ追っかけてみれば警戒するなんて、どう考えても道理に合わん」
「つまり、さっき会ったのは、全くの偶然だったんじゃないのか? オレ達があそこに現われるのは想定外だった。だから慌てているのさ」
「楽観的だな」
「おまえさんが悲観的すぎるんだよ」
「そのおかげで大した失敗もせずにやってこれたんだ」継人は冗談っぽく言ったつもりだったが、芳田は笑っていなかった。
「だから、後悔や迷いがあるってことなんじゃないのか?」
 継人は急所を打ち抜かれたように、口ごもった。「たしかに・・・そうかもしれん」
 芳田の言う通りだった。将来食えなくなるからと美大進学を止めて、ほんとうは東京で仕事がしたいのに履歴書には“何処でもいい”と書いた。いつも険しい道を避けて、安全な道を選んだ。それが、果たせなかった想いとなって何時までも頭にこびり付いている。
 いま自分を険しい道に駆り立てているのは高原夏美に逢いたいという一念なのか? きっとそれだけではない気がした。そうでなければこの形容しがたい高揚感を説明できない。
「でも、いまは違う。オレにだって闘う理由はある。そう思ってる」
 継人が自分に言い聞かせるように言葉を搾り出すと、芳田はニヤリとした。
「分かってる。それでいい」
 麻倉邸の20メートル先の脇道をゆっくり登り、敷地全体が見える丘の中腹にSUVを停めた。ここからはよく見下ろせるが、下からは重なる木立に遮られてほとんど見えない。2人は夕食代わりにコンビ二で買っておいたおにぎりと頬張りながら、侵入経路を検討した。
 芳田は伸縮ハシゴを巻いていた簡易包装を千切って、ダッシュボードの上に広げた。小物入れからボールペンを取り出すと、麻倉邸の平面図を描き始めた。長屋門の正面から見て右側が根乃井の住んでいる土蔵。左が母屋。その手前には家庭菜園と駐車場。そしてそれら全てを要塞のように取り巻く堅牢な瓦塀。設備業者らしい的確な手つきで一気に描き上げていく。そして、瓦塀のある一点に印をうった。
「図上では母屋の左上、オレ達の現在地から見ると、右下が侵入するにはベストだ。着地するとすぐに母屋の勝手口がある。オレが先に入って鍵をこじ開けるから、おまえさんは土蔵のほうに動きがないか見張ってくれ」
「分かった」
 確かにこれ以外は無いだろうな、と継人は思った。その位置なら根乃井が敷地の裏にまわり込まない限り、完全な死角になる。
「護身用の武器は要らないのか?」
「必要ない」継人は首を振った。「こう見えても、逃げ足は速いんだ」
 今度は芳田もちゃんと笑った。
 暗闇に眼が慣れてくると、宝石を散りばめたような街の明かりの一つ一つと、その先に月明かりに照らされてピンと張り詰めている琵琶湖がはっきり見えた。近くの民家からは、釜炊きの煙突から白い煙が立ち上っていくのも見える。目のまえの麻倉邸の母屋は真っ暗だが、土蔵の上部の小さな窓からはうっすらと明かりが漏れていた。ただ、蔵は吹き抜けの構造で部屋内から外を覗けないことは、午前中の訪問で分かっていた。
 2人は黒い上下のトレーナーに袖を通した。芳田は最後まで顔を黒く塗ることに拘っていたが、フード付きにしたおかげで、特殊部隊の真似事をしなくても頭からすっぽり被れば十分に顔を隠せそうだった。
「よし、行こう」
2人は黒い軍手をはめてお互いの拳を合わせると、まるで遥か昔にこの地で戦った武士達の魂が乗り移ったように、一気に丘を駆け下りた
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