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 4日目の朝、継人が突然目を覚まして時計を見ると、まだ6時を過ぎたところだった。あと1時間はいいだろうと思い、2度寝した。
 そのあいだずっと夢を見ていた。たぶん眠りが浅かったせいだ。2度寝で見る夢は現実の不安を映し出すことが多いらしい。日常と非日常を隔てる水際に漂っている感覚だ。
 しかし、見たのは意外にも高原夏美の夢だった。
 場所は、昼下がりの直井高校。
夢のなかの高原夏美は、校舎の階段の踊り場でハンドボール部の岸本にしつこく交際を迫られている。ふたつの壁の角に追い込まれ、前からは覆いかぶさるように岸本が退路を塞いでいた。逃げるに逃げられない夏美は、困惑のあまり涙さえ浮かべている。
 そこに継人が登場する。
「彼女が好きなのは、おまえじゃない」
「なんだとぉ!」
激怒した岸本はパンチを繰り出し、継人は余裕でかわす。体勢を崩した岸本の頬を、継人は一撃でノックアウトする。
不安に立ちすくむ夏美は「栗村くん、ありがとう」と言って、こちらを見つめている。震える肩にそっと両手をのせる継人。
それを俯瞰で見下ろしている、もうひとりの自分。
 しかし、栗村くんと呼ばれた自分は、田野倉克登の姿をしていた。そして階段の上にいる継人に声を掛ける。
「きみもコーヒーはブラックでいいよね」
 そこで継人は目が覚めた。
 悪夢ではないが、なぜか呼吸が荒くなった。妙に冷たい汗が背筋を伝っていく。
 時計は7時43分。思ったより寝すぎたようだった。母がテーブルに並べた昨日の残りをそれぞれ少しずつお腹に流し込むと、歯磨きと髪のセットを念入りに行なった。
 まだ高原夏美に会えるかどうかも分からないのに、まるで初デートを迎えた童貞青年のように浮き足立っている。とても30男の精神構造とは思えない。昨日投げ込まれた手紙の内容を考えると決して油断はできないが、ドーパミンは増え続けている。
 母に「夕方までには帰る」と言って家を出ると、継人は車のキーを差し込むまえに芳田に電話をかけた。
〈おはよう名探偵、水道屋に転職したワトソンに何の用だ〉
「ご機嫌だな」
〈いや、感心してるんだ。よく田野倉の家に潜り込んだな〉
「 『髪を噛む少女』の作者だって言ったら、すんなり上げてくれた。で、何処で会う?」
〈『岩戸』でいいかとも思ったが、オレたちの動きを監視してるヤツがいるんだろ?町役場でどうだ。お盆中だから駐車場はガラガラな筈だ〉
「わかった。すぐ行く」
 役場には5分ほどで着いた。芳田の言った通り駐車場には2台の車しかなかった。庁舎は老朽化が激しく、子供の頃見た威容はどこにもない。時代の変化に置いてきぼりを食った町全体を象徴しているようだった。
「悪いな、待ったか?」駐車場の向こうから芳田が手を振っている。どうやら車から出てきたのでは無さそうだ。自宅から歩いてきたのだろう。
「車はどうした?」
「看板車じゃ目立ちすぎる。それにお役所はお盆でもやってるからな」
「長野ナンバーでも同じだろ」継人は肩をすくめた。「まあいい。乗れよ」
「怖気づいたか?」シートベルトを掛けながら芳田は笑った。「脅迫文のせいで」
「これがその手紙だ」継人は憮然とすると、封筒のまま渡した。「もしそっちに同じ手紙が来てないなら、わざわざ巻き込むこともないと思ってな」
「カッコつけるな。それに、もし危険があるなら1人より2人のほうがいいだろ」芳田はワープロの文面を見終わると、紙の折り目や閉じ方をチェックした。「たぶん女だな」
「なに?」継人は聞きなおした。
「封筒の中の紙の折り目を見てみろよ。A4の用紙がキレイに3等分に折ってあるだろ」
「それがどうした」
「4つ折りなら頭とお尻を合わせて2回折ればいいから簡単だ。じゃあ3つ折りはどうやる?」
 継人は頭の中で何度も紙を折るが、答えは出てこない。芳田はニヤリとした。
「普通に折ると、どんなに上手くやっても2回目でお尻が足らないか飛び出るかのどっちかになる。上手く折るにはまずA4の紙を2枚用意するんだ。印字されてない方の紙を4つ折りにして、1つ分を引いて3等分の状態にする。これを定規代わりにして、今度は印字した紙を斜めに重ねて角を合わせると、定規にした紙の線と交わるところが、ほぼ正確な3等分のラインになる。そのラインに沿って折れば、キレイな3つ折りが出来るわけだ」
「そんな面倒くさいことをして何の意味がある?」
「意味のある職種ならある。たとえば企業の総務課だ」
「なるほど」継人は溜飲を下げた。「名探偵は返上するよ」
「推理じゃない。実はうちのカミさんは、取引メーカーの元総務課でな。展示会のDM作りをするときに取得した技らしい。オレの嫁になってからも、お得意さん向けにしょっちゅうやってる」
「もし女だと仮定すると、高原夏美は3人姉妹だから、その誰かである可能性はあるな。でも、わざわざ“近づくな!”と警告する意味が分からん」
「知られちゃまずいことがあるってことじゃないのか? 例えば3姉妹が、前社長の不倫をネタに田野倉家を強請っていたとか」
「田野倉社長にそういう雰囲気は全く無かったがな。むしろ自分から、父親の自殺の事実を語ったくらいだ。それに、2年前に大金をはたいて揉み消したのなら、今ごろ真相をぶちまけられようが、会社は都市伝説だと一蹴すればいいだけの話だ」
「なるほどな。ところで高原夏美の離婚の原因は何だったんだ?」
 芳田は、継人がしばらくSUVを発進させるつもりが無いのをみて、いったんシートベルトを外した。
継人はタブレットを取り出して、まず『髪を噛む少女』と麻倉恵子との関連性と経緯を説明した。また、高原夏美が結婚後も頻繁に実家に帰り、遠くに行くのを極端に嫌っていたこと、それを咎められると豹変して離婚届を置いたまま姿を消したことを話した。なかでも父親の愛人が彼女だったという事実は、芳田にも衝撃的だったようだ。
「おまえさんの絵が2つの時代を結びつけてたってのは皮肉な話だな」
「大袈裟かもしれんが、何か運命みたいなものを感じる」
「それはオレも同じだ。ただ、勘違いするなよ。オレは巻き込まれたなんて、これっぽっちも思っちゃいない」芳田はポケットから出したナックルダスターに指を通して、拳を握りしめてみせた。「そう思って、こんな物も用意した」
「それで女を殴るのか?」継人は顔をしかめた。
「暴力を仕掛けてくるのは女だとは言ってないぞ。女の背後に男がいるかもしれん」
「そいつが活躍しないことを祈るよ。さて、どっちから行く?」
「おまえさんに任せる」
「じゃあ、高原夏美の実家からだ。世代が若いから、出かけるのも早いだろう」
 継人は田野倉が書いた住所をナビに登録した。目的地は8キロ先という表示が出ている。エンジンを掛けて、案内されたルートにハンドルを切った。
「もし高原夏美ご本人に会ったら、何て言うつもりだ?」
 継人は前を向いたまま答えた。「考えてない」
 芳田は天を仰いで、リクライニングを倒した。
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