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あみだくじで動かす未来

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「あみだくじで決めようか」



 浩輔がひっと息を飲み、一度、俺の顔を見上げた後、少し逡巡したがーー思ったとおりに右の線を選んだ。

 口元が緩まないように引き締める。メガネの位置をなおした。

 右へ左へ線を辿るペン先が踊る。





 結果は……!CMのあと





ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー





『あみだくじで動かす未来』







 予想通り浩輔が歓声をあげた。口をぽかんとあけて、すごいすごいとはしゃぐ。苦笑しながら冷蔵庫からお茶をだした。浩輔に限らずだいたいの人が初めてこの部屋に来ると驚く。それから喜ぶ。



 俺、相楽が金欠な理由。研究が忙しくてあまりバイトができないこともあるが、部屋の大部分を占拠するーーアクアリウムに財政が圧迫されている。趣味と実益を兼ねたその中で、色鮮やかな魚が尾びれを翻し、クマノミがふよふよと遊泳する。

 狭いワンルームの部屋には大水槽と2つのモニターに繋いだデスクトップ型パソコンとベッドがあるのみ。茶を出しても客人が座るところに困る。



「ごめんね。床だけど」

 ベッドの横にひいてあるやわらかなラグの上に浩輔を誘導する。両手でコップをつかむ様子がかわいい。ラッコを思い描きながら自分も腰をおろした。





 相楽は海がきれいな地方の出身だった。ベータの夫妻から隔世遺伝だか先祖返りだかで突然変異のアルファとして生まれた。特に数字が好きで数学の成績がズバ抜けていた相楽は田舎の神童として末は医者か官僚かと村の期待を一身に浴びて育った。

 そんな俺の将来像はクマノミによって一転した。クマノミが主人公のアニメ映画をものすごく気に入った俺は、両親に頼んで都会の水族館に連れて行ってもらった。鮮やかなオレンジと白の縞模様。小さな黒い目。イソギンチャクと共生する不思議な生態。夢中になった。



 興味は魚に全般に広がった。多種多様な魚たち。見目麗しいもの、毒をもつもの、食べて美味いもの。とりわけ海にまつわる生き物が好きだ。両親や学校の先生が反対するのを振り切って研究者になる道を選んだ。

 魚の生態と、天候や水温や地形さらにはインターネットの検索ワードなどといったビッグデータとの因果関係を複雑な数式で解きあかす研究をしている。集中が続く限り研究室に泊まりこんで論文を手がける。趣味と研究の境があやふやで高性能なパソコンを購入したり、珍しい魚を探しにダイビングに突然出奔したりする。そんな俺とつきあえる女の子もオメガもいなかった。気を遣う相手もいなくて、つい時給の良さにつられて風俗バイトに手をだした。



 あの日も徹夜明けだった。

 指定されたホテルは大学から遠い。電車に揺られながらあくびをかみ殺す。

 隠れ家風で割高なホテルだ。仕事に疲れた大人のちょっとした贅沢用。



ーーラブホじゃないから準備がいるな。かったりぃ。

 有閑マダムのアバンチュールか? めんどくさい性癖がなければいいけど。

 かわいい子は望めなさそうだとため息をついて、部屋のアクアリウムを思い浮かべる。早く帰ってクマノミに癒されたい。

 そんなことを考えながら部屋をノックした。



 勢いよく開けられた扉から飛び出るように出てきた子。

 ハコフグの幼生?

 ガラスに気がつかずに体当たりをする小さなハコフグを空想する。 

 小さめの体躯にくりっとした黒い目が見上げる。



 部屋の中に入れてくれるよう促すと両手両足が同時に出ている。



「!」



 その頭の旋毛つむじがよく見えた。

 フィボナッチ数列。

 自然界に現れる神秘の数列。

 きれいに渦巻いている。ひまわりの種。巻貝の螺旋。ザトウクジラの狩り。



 ハコフグみたいにかわいい子。

 オメガだろうかほんのり香るのもおひさまのような温かみのある香りで、化学合成の変な香水ではない。

 美しいフィボナッチ数列を体に持っている。



 にんまり笑いそうになるのを堪えてカウチに座った。



ーー緊張をほぐさないと。



 話ながらオオノさんーーきっと偽名だろう(後に小野と判明)が取り出した紙に首を傾げる。

 あみだくじ。

 何だこれ。

 問いただすと簡単にしゃべる。えぇ、ちょろ……。大丈夫か。



 童貞とか処女とかそんなことより。



 29歳。

 素数だ。



 睡眠不足の頭が脳内麻薬を分泌しているのか楽しくなってくる。

 年齢を気にしているようだったから、俺は自分の方が年上にみえるように振舞うことにした。

 実際ハコフグちゃんの方が俺より若くみえそうじゃないか?



「運を天に任せる」



 それは違う。



『あみだくじは平等じゃない』



「あみだくじは、確率的に選んだところの真下にたどりつきやすい」



 十分に左右に動ける条件だと正規分布に近似できる。感覚的には、たくさん縦線があるときに一番端から反対側の端にたどりつく確率が低くなりそうだとわかるだろう。



 口には出さないが、あみだくじの性質はそれだけではない。

 偶奇性がある。

 今回は彼が選んだ左から2番目の頂点から真下の2番にたどりついている。これは横線を偶数回通っているのだ。実際6回左右に動いた跡がある。

 偶数本の横線を通ると真下の2番か一つあけた4番にたどりつく。



2.男性を買って処女を捨てる

4.女性を買って童貞を捨てる



 良かった。もし4番で彼が女を買っていたら、その女を俺は……。

 俺の説明に固まっていた彼がぴくりと動いて我に返った。客相手になんで執着しているんだ。落ち着け。

 かわいい唇を奪いたい欲求を無理やりねじ伏せた。

 シャワーを一緒に浴びるかと問うと大きく頭を振られて拒絶された。

 残念。

 次・・のお楽しみだ。



 後から思う。睡眠不足の俺はだいぶ本能に思考がもっていかれていた。

 性感マッサージをしながら彼を客だなんて思ってもいなかった。



 自分がかけたはずの2時間で鳴るタイマーにいら立った。

 イルカみたいに高い音で鳴く彼。

 信じられないくらい興奮する自分。

 手放せるわけないだろう。



 まな板の上の鯉どころか、まな板の上の大トロ。口の中でいまにもとろけそうなその刺身を目前に食わないなんてことができるか?!

 我慢できなかった。

 研究室にオメガの子がいることもあって薬をしっかりのんでいたし、暴走しないように抑制剤も追加した。

 それでも、止まれなかった。



 やってしまった。そう思ったのは初めてだった彼がくたりと目を閉じてしまった時だった。

 目が覚めたら口説く。

 めちゃくちゃ優しくする。

 黒い瞳が開くのを楽しみに彼の横に寝そべった。



 もう一度いう。この日の俺は徹夜明けだった。

 田舎のひだまりの縁側のような匂いがしてそのまま眠り込んでしまった。



 腕の中にいたはずの運命はもぬけの殻で。

 テーブルに置かれた紙には整った真面目な文字で、チェックアウト時にカードキーをフロントに返してほしいと書かれていた。



 これは。

 もしかして俺ってレイプ犯?

 血の気がひいた。



 釣ったはずの魚はするりと逃げ出した。

 逃げたクマノミ。



 負わせた傷が心配だった。

 個人情報の壁は厚く、打つ手がなかった。
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