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同窓会
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了介はいつもの自販機コーナーで温かい飲み物を飲んでいた。10月の半ばを過ぎて急に冷え込みが激しくなった。こうして外回りから帰って来ると、ここで飲み物を摂りながら身体を温める。
自販機に寄りかかりながら、了介はさほど広くないこの場所を見回した。ここしばらく武の姿をここで見かけない。一度、夕麿たちに囲まれて足早に、一階ホールを横切って行くの目撃した。了介に気が付いて軽く手を上げた彼に手を上げて応えた。余り良い顔色ではない彼を心配しながら、止める事はなかったのだ。
そんな風に考えているとどこかから声が聞こえた。
「それでは、お先に」
「うん」
微かに聞こえて来た声は武のものだ。待っていると彼の小柄な姿が廊下からこちらへ歩いて来る。
「よお、久し振りだな、元気そうじゃん」
「ん、何とかね。
了介こそどうなのさ?」
「可もなく不可もなくってとこかな」
武の姓が変わっている事で、二人は互いに名前で呼び合う事にしたのだ。
「お前に話があってさ、待ってたんだ」
「毎日?メアドも携番も教えただろ?」
「いや、忙しそうだし…なんかさ…」
「わかった、わかった。ついでに専属秘書のアドレスも教えるから。
で、話って?」
了介はポケットの中に長く入れたままになって、ヨレヨレになった一枚のハガキを出した。
「これを渡そうと思って」
「ハガキ?
………同窓会?」
「幹事やってる奴から頼まれたんだ」
「俺、多分行けない」
「イジメられてたからか?」
「いや、警護だとかいろいろ手間がかかるし…場所によっては許可がおりないと思う」
「何とか出来ないのか?」
警護など本当に必要なのだろうか?了介にはそれがわからない。
「あのな、俺がそういうわがままを言って、何かがあった場合には許可を出した人間が咎められるんだ。今の俺の立場でそれは最もやってはいけない事なんだよ」
立場って…ドラマではよく、抜け出して何とかしてるのに。金持ちってそんなものじゃないのか?
「ごめんな」
「高校とかは同窓会はないの?」
「同窓会はしない。でも、学祭のOB訪問日にみんな集まるから、同窓会に近いかな?」
「それも警護がいるわけ?」
「いるよ?先輩や同級生に警察関係がいるしね」
紫霄は他の学校とは違う。通常、卒業して行った者たちが集う事はない。今はOB訪問日に顔を合わせ、互いの近況を語り合い旧交を温める。それが唯一の集いだった。
「変わった学校だな?」
「まあね。でも、俺には大切な場所だから」
武が紫霄を大切に想う気持ちは、了介には本当の意味では伝わらないだろう。ポケットから小銭入れを出し、自販機に投入してオレンジジュースを買う。夕麿は余り良い顔はしないが、武の息抜きには欠かせないものだ。
「去年のに参加したんだがな…」
「何?ああ、もしかして女の子たちが何か言ってた?」
「心当たりがあるのか」
「うん。まだ高等部に在学してた時の休みに、ちょっとね…付きまとわれたんだ。だからやめるように言ったら…」
「男だけではつまらないだろうって?」
「うん」
「あいつら、自分たちが誘えば男は喜んでついて来るって思ってるからなあ。大した美人でもないのにさ」
了介は何度か御園生邸にも招かれていた。それでなくても社で、雅久のような性別を超えた美形を見ている。同性ながら美形ばかりの集団に、そこそこの容姿だと思っていた自信が揺らいだ。彼らを当たり前に見て、しかも夕麿のような貴公子を伴侶に持てば、彼女たちなど霞んでしまうのは当たり前である。
「まあ、あいつらの性格の悪さは全員が認めてるから、あんまり気にすんな」
「そうなんだ。当時まだ高校生だったのに濃い化粧で、香水の匂いプンプンさせてるから凄くいやだった。夕麿がそういうのダメで体調を崩すものだから」
「うわっ、それは俺もごめんだわ」
了介ははっきりと嫌悪感を露にした。
「女は清楚なのが一番。武のお母さんみたいな女性がいいな」
「母さんか…尻に敷かれるぞ?」
「あ、俺、それ大歓迎」
おどける了介に武は苦笑した。
「なあ、幹事やってる奴がお前に会いたいって言ってるんだ。相談だけしてみてくれないか」
「じゃあその幹事に確認を取ってくれ。護衛付きで参加しても良いかって」
「わかった。夕方にでも確認する」
「護衛はただ俺の側に立っているだけだから、邪魔にはならない筈だけど…それがダメなら俺はどこにも参加できない」
護衛付きで参加を受け入れてくれるならば、夕麿たちを説得出来る。中学の同級生の顔も名前も、武はほとんど記憶していなかった。彼をイジメていた生徒すら記憶の彼方で朧気だ。それだけ紫霄編入以後が強烈に、武の記憶を塗り替えてしまっていた。もとより紫霄に編入する前に良い思い出は存在しない。
今更何故、自分を同窓会へ呼びたがる者がいるのかすら、武にはわからない状態だった。乗り気ではないが1回くらいは経験しておくのも勉強と考えた。もっとも夕麿が承知するかどうか、雫が警備上の反対をしないかは、了介の返事次第であると考えていた。
「おい、本当に来てくれるのか?」
今日の同窓会の幹事をしている、北森 英夫が了介に聞いた。会場が御園生の系列のホテルの一つであった為、夕麿が渋々許可を出したと数日前に笑って言った武を思い出す。ただし護衛は二人。会の終了で帰り二次会等には一切参加不可。それを了介は英夫に了解させて今日を迎えたのだ。
同窓会は11時から。その11時が迫っていた。ロビーで出迎える為に了介は英夫といるが、彼の不安げな問い掛けにさすがにうんざりして来た。
その時、ホテルのガラス張りの向こうの車寄せに、見覚えのある車が止まるのが見えた。すると了介たちよりも早く、ホテルの総支配人が反応した。
車からまず降りたのは貴之だった。その後に成美が続く。当日の護衛として了介は二人と対面していた。ガードマンではなく彼らが警察官である事に驚かされたが、それだけ武の身辺が脅かされているのだと説明された。
武は二人の後に車を降りた。高級スーツに身を包んで、少し緊張した面持ちだった。ホテルにも先に貴之が入り、後ろを成美が確認しながら武を入らせる。
すぐに総支配人が武に歩み寄った。
「武さま、本日はありがとうございます」
プライベートだからと一応は断ってはある。それでも挨拶は受けなければならない。武は軽く「世話になる」とだけ答えて、了介の処へ歩いて来る。
小柄で華奢ながらも経営者一族としての風格のようなものを感じて、普段あの自販機コーナーでの姿との違いを感じた。
「ごめん、ギリギリだな」
武が苦笑混じりに了介に言った。
「まだ、大丈夫だ」
了介に向ける笑顔はいつもの彼だ。だが幾分、緊張している感じがある。
「武さま」
「ん?」
「ロビーは人の出入りが多うございます。速やかに会場へ移動なさってください」
周囲を警戒しながら貴之が言う。それを見て英夫が驚いていた。了介は構わず英夫を促す。
「あ…こっちです」
武は英夫の記憶の中の姿とは、余りにも違っていた。いつもひっそりとおとなしく、イジメられても黙って耐えている彼の姿しか記憶にない。だが今の彼は堂々として、本当に財閥の跡取りなんだと思ってしまう。
エスカレーターで2階に上がる。会場である『藍玉の間』の前には、既に同窓生たちが集まっていた。そこへ英夫たちが武を案内して来たのだ。
一斉に視線が武に集まった。英夫が心配して振り返る。しかし武は平然とその視線を受け止めていた。
紫霄での生徒会長としての経験が、注目される事への怯みから脱却させていた。紫霞宮としての在り方が、武に威厳と風格を与えていた。幾つものグループ企業のトップの一人としての立場が、揺るぎない自信を武に持たせた。そして何よりも夕麿に教えられた、誇りを持つ生き方が今の武を動かしている。
総支配人自らが、会場の扉を開けた。
同窓生たちが会場に全員入ったのを見届けてから、武は貴之と成美を従えてゆっくりと踏み入れた。貴之と成美はそのまま出入り口にとどまる。武だけが立ち食のテーブルへ歩いて行く。
次々と乾杯の為の酒が配られる。だが、武は酒は口に出来ない。首を振って断るのにまた誰かが持って来る。見かねた了介が、オレンジジュースを持って来た。
「ごめんな。武、酒は呑んじゃダメなんだ。
ほら、これなら大丈夫だろ?」
「あ、ありがとう」
自販機で武が買って飲むのは、いつもオレンジジュースだった。
「酒、何でダメなんだ?」
同窓生の一人が、そう問い掛けて来た。
「主治医に禁止されてる」
「どこか悪いの?」
「うん、ちょっとね」
本当の事は言えないから、笑って適当にごまかす。
「今、どんな仕事してんの?」
「企業の経営に参加してる」
次々と質問が飛んで来る。
「企業ってどこ?」
「御園生ホールディングス」
武は何気なく答えた。周囲にいた数人が黙った。御園生ホールディングスを知らない人間は少ない。不況の最中にあって、確実に業績を上げている企業だ。
経営者の一人……彼らには衝撃だった。御園生家がどれだけの家柄かまでは、普通に庶民である彼らにはわからない。だが御園生ホールディングスについては、企業人ならばある程度は知っている。
「お母さんが結婚したからでしょ」
早速に女の子が嫌みを言う。
「何を言ってんだ。武のお母さんは元々、貴族のお嬢さまなんだぞ?武にしてもお母さんのお腹にいる時に、お父さんが急病で亡くなっただけ。
お祖父さんとは交流があるんだよな?」
「あるよ?了介、詳しいな?」
「義勝さん…だっけ?あの背の高い人?」
「一番のっぽなら、義勝兄さんだ。何、彼に聞いたの?」
「そう。あの人、お医者さんだっけ?」
「精神科のね」
「お兄さん、いるんだ?」
訊いて来たのは幹事の英夫だった。
「いる。血の繋がりはないけど」
「何人いるんだ?」
「ええっと…影暁兄さんに、義勝兄さん。雅久兄さんと…夕麿か。あと弟が二人。年内にはもう一人増えるかな?」
薫のお妃候補が決まったばかりだった。
「男ばっかり?」
「全員男」
武が苦笑した。
「これが全員、凄い美形ばっかり。一番の美形は…ほら御厨 敦紀画伯の絵のモデルになった、雅久さんだよな」
「あはは。雅久兄さんは舞楽師だからね。舞楽の衣装着ると、もっと凄いよ?」
全員が武と了介の会話に耳を傾けていた。
「御厨画伯と知り合いなわけ?」
「高校の一年後輩」
根掘り葉掘りされる覚悟はしていた。
「部活とかで一緒だったとか?」
そう、一般の学校では部活などでしか後輩と仲良くなる機会は少ない。
「ああ、俺の後任の生徒会長だからね」
「生徒会長!?」
彼らの記憶にある武とは、まるで別人の姿がここにあった。
「お前らそれくらいで驚いてどうする。武はUCLAに留学してロースクールで、MBA資格を取得してるんだ。お母さんが結婚して御曹司になったから、御園生ホールディングスの経営に参加してるじゃない。実力を持って参加してるんだ。俺は本社勤めだから、どんな風なのかよく知ってる」
「お前、御園生ホールディングスに?」
「まあな」
「ひぇ~」
「あそこ難しいって聞いたぞ?」
「基本、3ヶ国語以上の言語能力がないと、本社へ入る試験すら受けられない」
了介は堂々と胸を張る。
「葛岡…いや、今は御園生か。何ヶ国語話せる?」
「今は8ヶ国語」
「うわ~どうやったらそんなに覚えられるんだ?」
英語すら難しい人間には、多言語を駆使する感覚がわからないらしい。
「欧州の言葉は互いに繋がりがあるから、きちんと1つをマスターすれば後は何とかなる。難しいのは欧州以外の言語だ」
「凄いのは今現在、御園生ホールディングスを実際に動かしている夕麿さんだ」
「夕麿は今…17ヶ国だったかな?欧州以外の言語も話せるから、大抵は通訳がいらない」
どうやったらそんなに覚えられるのか。彼らの話題はそっちへと移った。
「確か最高はイギリスのBBC放送のアナウンサーだったと思う。44ヶ国語を話せたらしいよ?」
44ヶ国語となると大抵の国は通訳が必要ない。
「頭の中身を見てみたくなった…」
英夫が唸った。
「基本的には頭の中で思考から言語を切り替えるんだよ」
了介が答えた。彼は日本語・英語・ドイツ語・フランス語が話せる。彼が過去にいたスイスは、英語・ドイツ語・フランス語の地域に分かれており、一部は全言語が通用する。
「あ、それはいえてるな。日本語を頭で変換している間は、まだマスターしていない状態だから」
武と了介の言葉にみんなが頷いた時だった。
「何よ、偉そうに」
背後から鋭い声が響いた。それはいつか武が遠ざけた女の子だった。
「あのな、武は本当に偉いんだ」
了介がうんざりした顔で答えた。
「あら、それは初耳ね。ねえ、佐緒里?」
「ほんと。葛岡がホモだってのは知ってるけど」
「夕麿って、あんたの相手だよねえ?」
会場が鎮まり返った。
「それ、差別用語だって知ってるかな?確かに俺の最愛の人は男だ。だが君たちに非難されたり、馬鹿にされる覚えはない。俺は自分の為さなければ成らない事を懸命にやっている。夕麿は余り丈夫でない俺の分も会社を支えている。君たちが男漁りしている間にも、俺たちは御園生系列の企業の社員や家族の生活を守る責任を負ってる」
恥ずべき事は何もしてはいない。同性であろうと異性であろうと、誰かを愛して大切に想う事に違いはない。
「やめとけ、お前たちに勝ち目はない。武はそれなりに修羅場を経験してるんだ。何故、二人も護衛が付いていると思ってんだ?」
「あ、それは俺も訊きたい」
英夫が言った。警備会社の人間ではなく、武を護衛しているのは警察庁所属のキャリア警察官だという事実。それに彼は大きな疑問を感じていた。
「悪いな。言える事と言えない事があるんだ」
それが上流と呼ばれる世界のジレンマだと武は思っていた。
「何だよ、それ」
英夫が不満そうに言った。
「君の会社にも社内秘と言うものがあるだろう?それと似たようなものだ。俺も最初は理解出来ない事がたくさんあって、躊躇いや不満を感じた。不自由だと感じたものもある。だがそれはそれで必要な事だと今ならわかる」
立場や身分で変貌した武の生活を、ここにいる同級生たちは決して理解出来ない。
「お前も夕麿さんも滅茶苦茶に忙しいものな」
了介が場を取り持つように言った。
「俺はそんなでもないよ?」
言葉を紡ぎながらも、武は了介の心遣いに感謝の笑みを向ける。
「何よ、大橋。あんたさあ葛岡に毒されておかしくなってんじゃないの?」
「同性愛に対する偏見はなくなった。おかしいのはお前らの方だろ? 玉の輿狙うなら、派手派手な格好はやめとけよ。
それ下品だぞ?」
その言葉に彼女たちは目を吊り上げた。
「俺は武の家に何度かお邪魔してるが家政婦さんやメイドさん…夕麿さんの乳母さんだってお前たちが足元にも及ばないくらい品がある」
これには武が苦笑した。
「お前らが武を目の敵にするのは、相手にしてもらえない腹いせだろ?」
了介の言葉にヒステリックになった彼女たちを、武は冷めた眼差しで見詰めていた。
「えっと…」
「何?」
そんな姿を見て別の女の子が声を掛けて来た。
「私は玉の輿を狙っている訳じゃないけど…どんな女性なら良いの?」
「う~ん、どれくらいの格の家かにもよるよ?」
「あなたの家は?」
これに武は一瞬、戸惑った。宮家としてなら条件はかなり難しい。チラリと見た貴之が寄って来て耳打ちした。
「御園生家を対象になさってください」
その言葉に頷いた。
「うちは…グローバル企業を生業にしてるから、まず言語能力が必要かな?最低でも英語が話せないと貴族の家では難しい」
「貴族!?」
「うん。御園生は勲功貴族だけど、夕麿の実家は摂関貴族の一つだ」
「夕麿さんは確か……」
「ああ、亡くなったお母さんが近衛家の出身で、そのお母さんが直系の絶えた宮家の出身」
「凄い…」
了介に喰ってかかっていた女の子たちも黙ってしまった。黙ってしまった彼らを武は改めて、ゆっくりと見回した。彼らの眼差しはまるで珍獣を眺めるようなものだった。ここに自分の居場所はない。了介がいた為に見ない振りをしていた違和感が、一気に押し寄せて来た感じだった。
「……了介」
「どうした?」
急にトーンダウンした武に彼は心配そうな顔を向けた。
「もう……義理は果たしたよな?」
視線を床に向けて呟いた姿に了介は息を呑んだ。元々、武はクラスには馴染めないまま、卒業して彼らの前から姿を消した。当初に受験予定だった公立校を蹴って、クラスの誰も知らない皇立校へと進学した事実を知ったのは、御園生ビルのあの自販機コーナーで再会してからだ。
「すまん…そんなつもりではなかったんだが」
「わかってる」
それでも少し憂いを秘めた笑顔を向けるのが何だか痛々しかった。
「失礼致します」
貴之が近付いて来て、何かを耳打ちした。
「はあ!?」
うって変わって目を見開いて声を上げた姿は、いつも会社で見る武そのものだった。
貴之は夕麿から内々に命令を受けていた。武が帰る時には連絡を入れるようにと。それで今、連絡を入れたのだ。
武の眼中にはもう皆の事はなかった。踵を返してドアに近付き開けさせて、貴之の制止も無視して外に出る。
了介も英夫も他の皆も何事かと後に続いた。
武が出て来たのを認めたのか、柱の影から長身の人が出て来た。千種 康孝を護衛に従えた夕麿だった。
「何でお前がここにいるんだ?」
「先程まで近くへ出向いていたので迎えに来ました」
「榊先輩はどうした?秘書を帰して何をやってるんだ」
言葉は詰問しているような内容だが、声は微かに震えていた。
「申し訳ありません…私のわがままです」
少し申し訳なさそうに答えて夕麿は手を差し出した。武は飛び付くようにして、その腕の中へ身を預けた。夕麿は変わらない華奢な身体を優しく抱き締めた。
「貴之、連絡を感謝します」
「いえ」
「今日は私もこのまま帰宅します。帰りましょう、武」
頷いた彼を夕麿が抱き上げた。武は甘えるように首に腕を回して、彼の肩に額を押し付けた。夕麿は事態を物珍しげに見詰める者たちに、思わず身の内が竦むような眼差しを向けた。
「大橋 了介」
鋭く名を呼ばれて飛び上がった。慌てて夕麿の側に駆け寄った。
「武がこのような場に顔を出す事は二度とないと思ってください」
「はい」
「それで?武をわざわざ呼んだ理由は果たせたのですか?」
「それは…北森、お前は何がしたかったんだ?」
「俺は…」
何をしたかったのか。改めて問われるとその答えが見付からない。武に会った女の子たちや了介の話を聞いて、なんとなく今の武に会いたいと思ってしまったからだ。皆に武が来ると言ってしまった以上、来てくれなくては困るとも思っていたのは確かだ。
「大した理由はなかったようですね」
夕麿の言葉に了介は申し訳ない気持ちで一杯になった。
「夕麿さま、お車が参りました」
康孝の言葉に夕麿が頷いた。貴之の先導で彼らはそこを立ち去った。
「俺も帰るわ」
了介もうんざりだった。
「何でお前まで帰るんだ?」
「それを言わせたいのか、北森」
「それは…」
「俺は今の今まで普通のサラリーマンだと思ってた。だがたった今、それが間違った認識だと悟ったよ。お前たちは皆、井の中の蛙だ。自分たちの狭い世界でしか生きていないし、生きられないのだろうな。
御園生はグローバル企業だ。経済界などの世界のトップとの交流が不可欠なんだ。その世界の中であの二人は、蓬莱皇国に何が出来るかを考え続けている。目先の利益だけを追求して、そこに働く人間を機械のパーツぐらいにしか考えていはいない企業とは違うんだ」
了介はかつての同級生たちを眺めた。
「世の中の若者が自分のやりたい事を無責任にやって、天下を取ったかのような顔をしている。そんな奴等に二人の苦労は絶対にわからない。俺だって一部しか知らない。同性で結び付いて、10年前に夕麿さんが御園生に入って、二人は結婚したんだそうだ。
その辺の男女のカップルや夫婦より、二人は互いを大切にしてる。今だって…武が最終的に辛い想いをするって、あの人にはわかっていたんだと思う」
だから忙しいスケジュールを調節して、ここへ迎えに来たのだろう。驚きながらも武もわかっていた。
武との繋がりが御園生家と、関連する人々との出会いをもたらした。上流階級の人々全てが彼らと同じであるとは思わない。だがいつの間にかその雰囲気が当たり前になっている自分がいた。
海外で育った了介も、本当は目の前の彼らに違和感を感じて生きていた。蓬莱皇国の人間関係は余りにも視野が狭くて、息が詰まる想いをしていた。
だが御園生家にはそれがなかった。
御園生の本社にもそれがなかった。
理想だけを追っては生きてはいけない。世間の人間はすぐにそう言う。だがそれはただ、障害にぶつかって逃げ出す人間の言い訳ではないのだろうか。
「お前たちには失望したよ。俺もこれで最後にする」
了介はそう言い残してそこから立ち去った。
武たちの卒業した学校には同窓会はないと言う。だがその出会いがきっかけになって、今も何某かの繋がりがある。上辺だけの取り繕いで集まる者とは違う。
思い切れないで引き摺り続けていたものを、やっと振り切れた感じがした。
自販機に寄りかかりながら、了介はさほど広くないこの場所を見回した。ここしばらく武の姿をここで見かけない。一度、夕麿たちに囲まれて足早に、一階ホールを横切って行くの目撃した。了介に気が付いて軽く手を上げた彼に手を上げて応えた。余り良い顔色ではない彼を心配しながら、止める事はなかったのだ。
そんな風に考えているとどこかから声が聞こえた。
「それでは、お先に」
「うん」
微かに聞こえて来た声は武のものだ。待っていると彼の小柄な姿が廊下からこちらへ歩いて来る。
「よお、久し振りだな、元気そうじゃん」
「ん、何とかね。
了介こそどうなのさ?」
「可もなく不可もなくってとこかな」
武の姓が変わっている事で、二人は互いに名前で呼び合う事にしたのだ。
「お前に話があってさ、待ってたんだ」
「毎日?メアドも携番も教えただろ?」
「いや、忙しそうだし…なんかさ…」
「わかった、わかった。ついでに専属秘書のアドレスも教えるから。
で、話って?」
了介はポケットの中に長く入れたままになって、ヨレヨレになった一枚のハガキを出した。
「これを渡そうと思って」
「ハガキ?
………同窓会?」
「幹事やってる奴から頼まれたんだ」
「俺、多分行けない」
「イジメられてたからか?」
「いや、警護だとかいろいろ手間がかかるし…場所によっては許可がおりないと思う」
「何とか出来ないのか?」
警護など本当に必要なのだろうか?了介にはそれがわからない。
「あのな、俺がそういうわがままを言って、何かがあった場合には許可を出した人間が咎められるんだ。今の俺の立場でそれは最もやってはいけない事なんだよ」
立場って…ドラマではよく、抜け出して何とかしてるのに。金持ちってそんなものじゃないのか?
「ごめんな」
「高校とかは同窓会はないの?」
「同窓会はしない。でも、学祭のOB訪問日にみんな集まるから、同窓会に近いかな?」
「それも警護がいるわけ?」
「いるよ?先輩や同級生に警察関係がいるしね」
紫霄は他の学校とは違う。通常、卒業して行った者たちが集う事はない。今はOB訪問日に顔を合わせ、互いの近況を語り合い旧交を温める。それが唯一の集いだった。
「変わった学校だな?」
「まあね。でも、俺には大切な場所だから」
武が紫霄を大切に想う気持ちは、了介には本当の意味では伝わらないだろう。ポケットから小銭入れを出し、自販機に投入してオレンジジュースを買う。夕麿は余り良い顔はしないが、武の息抜きには欠かせないものだ。
「去年のに参加したんだがな…」
「何?ああ、もしかして女の子たちが何か言ってた?」
「心当たりがあるのか」
「うん。まだ高等部に在学してた時の休みに、ちょっとね…付きまとわれたんだ。だからやめるように言ったら…」
「男だけではつまらないだろうって?」
「うん」
「あいつら、自分たちが誘えば男は喜んでついて来るって思ってるからなあ。大した美人でもないのにさ」
了介は何度か御園生邸にも招かれていた。それでなくても社で、雅久のような性別を超えた美形を見ている。同性ながら美形ばかりの集団に、そこそこの容姿だと思っていた自信が揺らいだ。彼らを当たり前に見て、しかも夕麿のような貴公子を伴侶に持てば、彼女たちなど霞んでしまうのは当たり前である。
「まあ、あいつらの性格の悪さは全員が認めてるから、あんまり気にすんな」
「そうなんだ。当時まだ高校生だったのに濃い化粧で、香水の匂いプンプンさせてるから凄くいやだった。夕麿がそういうのダメで体調を崩すものだから」
「うわっ、それは俺もごめんだわ」
了介ははっきりと嫌悪感を露にした。
「女は清楚なのが一番。武のお母さんみたいな女性がいいな」
「母さんか…尻に敷かれるぞ?」
「あ、俺、それ大歓迎」
おどける了介に武は苦笑した。
「なあ、幹事やってる奴がお前に会いたいって言ってるんだ。相談だけしてみてくれないか」
「じゃあその幹事に確認を取ってくれ。護衛付きで参加しても良いかって」
「わかった。夕方にでも確認する」
「護衛はただ俺の側に立っているだけだから、邪魔にはならない筈だけど…それがダメなら俺はどこにも参加できない」
護衛付きで参加を受け入れてくれるならば、夕麿たちを説得出来る。中学の同級生の顔も名前も、武はほとんど記憶していなかった。彼をイジメていた生徒すら記憶の彼方で朧気だ。それだけ紫霄編入以後が強烈に、武の記憶を塗り替えてしまっていた。もとより紫霄に編入する前に良い思い出は存在しない。
今更何故、自分を同窓会へ呼びたがる者がいるのかすら、武にはわからない状態だった。乗り気ではないが1回くらいは経験しておくのも勉強と考えた。もっとも夕麿が承知するかどうか、雫が警備上の反対をしないかは、了介の返事次第であると考えていた。
「おい、本当に来てくれるのか?」
今日の同窓会の幹事をしている、北森 英夫が了介に聞いた。会場が御園生の系列のホテルの一つであった為、夕麿が渋々許可を出したと数日前に笑って言った武を思い出す。ただし護衛は二人。会の終了で帰り二次会等には一切参加不可。それを了介は英夫に了解させて今日を迎えたのだ。
同窓会は11時から。その11時が迫っていた。ロビーで出迎える為に了介は英夫といるが、彼の不安げな問い掛けにさすがにうんざりして来た。
その時、ホテルのガラス張りの向こうの車寄せに、見覚えのある車が止まるのが見えた。すると了介たちよりも早く、ホテルの総支配人が反応した。
車からまず降りたのは貴之だった。その後に成美が続く。当日の護衛として了介は二人と対面していた。ガードマンではなく彼らが警察官である事に驚かされたが、それだけ武の身辺が脅かされているのだと説明された。
武は二人の後に車を降りた。高級スーツに身を包んで、少し緊張した面持ちだった。ホテルにも先に貴之が入り、後ろを成美が確認しながら武を入らせる。
すぐに総支配人が武に歩み寄った。
「武さま、本日はありがとうございます」
プライベートだからと一応は断ってはある。それでも挨拶は受けなければならない。武は軽く「世話になる」とだけ答えて、了介の処へ歩いて来る。
小柄で華奢ながらも経営者一族としての風格のようなものを感じて、普段あの自販機コーナーでの姿との違いを感じた。
「ごめん、ギリギリだな」
武が苦笑混じりに了介に言った。
「まだ、大丈夫だ」
了介に向ける笑顔はいつもの彼だ。だが幾分、緊張している感じがある。
「武さま」
「ん?」
「ロビーは人の出入りが多うございます。速やかに会場へ移動なさってください」
周囲を警戒しながら貴之が言う。それを見て英夫が驚いていた。了介は構わず英夫を促す。
「あ…こっちです」
武は英夫の記憶の中の姿とは、余りにも違っていた。いつもひっそりとおとなしく、イジメられても黙って耐えている彼の姿しか記憶にない。だが今の彼は堂々として、本当に財閥の跡取りなんだと思ってしまう。
エスカレーターで2階に上がる。会場である『藍玉の間』の前には、既に同窓生たちが集まっていた。そこへ英夫たちが武を案内して来たのだ。
一斉に視線が武に集まった。英夫が心配して振り返る。しかし武は平然とその視線を受け止めていた。
紫霄での生徒会長としての経験が、注目される事への怯みから脱却させていた。紫霞宮としての在り方が、武に威厳と風格を与えていた。幾つものグループ企業のトップの一人としての立場が、揺るぎない自信を武に持たせた。そして何よりも夕麿に教えられた、誇りを持つ生き方が今の武を動かしている。
総支配人自らが、会場の扉を開けた。
同窓生たちが会場に全員入ったのを見届けてから、武は貴之と成美を従えてゆっくりと踏み入れた。貴之と成美はそのまま出入り口にとどまる。武だけが立ち食のテーブルへ歩いて行く。
次々と乾杯の為の酒が配られる。だが、武は酒は口に出来ない。首を振って断るのにまた誰かが持って来る。見かねた了介が、オレンジジュースを持って来た。
「ごめんな。武、酒は呑んじゃダメなんだ。
ほら、これなら大丈夫だろ?」
「あ、ありがとう」
自販機で武が買って飲むのは、いつもオレンジジュースだった。
「酒、何でダメなんだ?」
同窓生の一人が、そう問い掛けて来た。
「主治医に禁止されてる」
「どこか悪いの?」
「うん、ちょっとね」
本当の事は言えないから、笑って適当にごまかす。
「今、どんな仕事してんの?」
「企業の経営に参加してる」
次々と質問が飛んで来る。
「企業ってどこ?」
「御園生ホールディングス」
武は何気なく答えた。周囲にいた数人が黙った。御園生ホールディングスを知らない人間は少ない。不況の最中にあって、確実に業績を上げている企業だ。
経営者の一人……彼らには衝撃だった。御園生家がどれだけの家柄かまでは、普通に庶民である彼らにはわからない。だが御園生ホールディングスについては、企業人ならばある程度は知っている。
「お母さんが結婚したからでしょ」
早速に女の子が嫌みを言う。
「何を言ってんだ。武のお母さんは元々、貴族のお嬢さまなんだぞ?武にしてもお母さんのお腹にいる時に、お父さんが急病で亡くなっただけ。
お祖父さんとは交流があるんだよな?」
「あるよ?了介、詳しいな?」
「義勝さん…だっけ?あの背の高い人?」
「一番のっぽなら、義勝兄さんだ。何、彼に聞いたの?」
「そう。あの人、お医者さんだっけ?」
「精神科のね」
「お兄さん、いるんだ?」
訊いて来たのは幹事の英夫だった。
「いる。血の繋がりはないけど」
「何人いるんだ?」
「ええっと…影暁兄さんに、義勝兄さん。雅久兄さんと…夕麿か。あと弟が二人。年内にはもう一人増えるかな?」
薫のお妃候補が決まったばかりだった。
「男ばっかり?」
「全員男」
武が苦笑した。
「これが全員、凄い美形ばっかり。一番の美形は…ほら御厨 敦紀画伯の絵のモデルになった、雅久さんだよな」
「あはは。雅久兄さんは舞楽師だからね。舞楽の衣装着ると、もっと凄いよ?」
全員が武と了介の会話に耳を傾けていた。
「御厨画伯と知り合いなわけ?」
「高校の一年後輩」
根掘り葉掘りされる覚悟はしていた。
「部活とかで一緒だったとか?」
そう、一般の学校では部活などでしか後輩と仲良くなる機会は少ない。
「ああ、俺の後任の生徒会長だからね」
「生徒会長!?」
彼らの記憶にある武とは、まるで別人の姿がここにあった。
「お前らそれくらいで驚いてどうする。武はUCLAに留学してロースクールで、MBA資格を取得してるんだ。お母さんが結婚して御曹司になったから、御園生ホールディングスの経営に参加してるじゃない。実力を持って参加してるんだ。俺は本社勤めだから、どんな風なのかよく知ってる」
「お前、御園生ホールディングスに?」
「まあな」
「ひぇ~」
「あそこ難しいって聞いたぞ?」
「基本、3ヶ国語以上の言語能力がないと、本社へ入る試験すら受けられない」
了介は堂々と胸を張る。
「葛岡…いや、今は御園生か。何ヶ国語話せる?」
「今は8ヶ国語」
「うわ~どうやったらそんなに覚えられるんだ?」
英語すら難しい人間には、多言語を駆使する感覚がわからないらしい。
「欧州の言葉は互いに繋がりがあるから、きちんと1つをマスターすれば後は何とかなる。難しいのは欧州以外の言語だ」
「凄いのは今現在、御園生ホールディングスを実際に動かしている夕麿さんだ」
「夕麿は今…17ヶ国だったかな?欧州以外の言語も話せるから、大抵は通訳がいらない」
どうやったらそんなに覚えられるのか。彼らの話題はそっちへと移った。
「確か最高はイギリスのBBC放送のアナウンサーだったと思う。44ヶ国語を話せたらしいよ?」
44ヶ国語となると大抵の国は通訳が必要ない。
「頭の中身を見てみたくなった…」
英夫が唸った。
「基本的には頭の中で思考から言語を切り替えるんだよ」
了介が答えた。彼は日本語・英語・ドイツ語・フランス語が話せる。彼が過去にいたスイスは、英語・ドイツ語・フランス語の地域に分かれており、一部は全言語が通用する。
「あ、それはいえてるな。日本語を頭で変換している間は、まだマスターしていない状態だから」
武と了介の言葉にみんなが頷いた時だった。
「何よ、偉そうに」
背後から鋭い声が響いた。それはいつか武が遠ざけた女の子だった。
「あのな、武は本当に偉いんだ」
了介がうんざりした顔で答えた。
「あら、それは初耳ね。ねえ、佐緒里?」
「ほんと。葛岡がホモだってのは知ってるけど」
「夕麿って、あんたの相手だよねえ?」
会場が鎮まり返った。
「それ、差別用語だって知ってるかな?確かに俺の最愛の人は男だ。だが君たちに非難されたり、馬鹿にされる覚えはない。俺は自分の為さなければ成らない事を懸命にやっている。夕麿は余り丈夫でない俺の分も会社を支えている。君たちが男漁りしている間にも、俺たちは御園生系列の企業の社員や家族の生活を守る責任を負ってる」
恥ずべき事は何もしてはいない。同性であろうと異性であろうと、誰かを愛して大切に想う事に違いはない。
「やめとけ、お前たちに勝ち目はない。武はそれなりに修羅場を経験してるんだ。何故、二人も護衛が付いていると思ってんだ?」
「あ、それは俺も訊きたい」
英夫が言った。警備会社の人間ではなく、武を護衛しているのは警察庁所属のキャリア警察官だという事実。それに彼は大きな疑問を感じていた。
「悪いな。言える事と言えない事があるんだ」
それが上流と呼ばれる世界のジレンマだと武は思っていた。
「何だよ、それ」
英夫が不満そうに言った。
「君の会社にも社内秘と言うものがあるだろう?それと似たようなものだ。俺も最初は理解出来ない事がたくさんあって、躊躇いや不満を感じた。不自由だと感じたものもある。だがそれはそれで必要な事だと今ならわかる」
立場や身分で変貌した武の生活を、ここにいる同級生たちは決して理解出来ない。
「お前も夕麿さんも滅茶苦茶に忙しいものな」
了介が場を取り持つように言った。
「俺はそんなでもないよ?」
言葉を紡ぎながらも、武は了介の心遣いに感謝の笑みを向ける。
「何よ、大橋。あんたさあ葛岡に毒されておかしくなってんじゃないの?」
「同性愛に対する偏見はなくなった。おかしいのはお前らの方だろ? 玉の輿狙うなら、派手派手な格好はやめとけよ。
それ下品だぞ?」
その言葉に彼女たちは目を吊り上げた。
「俺は武の家に何度かお邪魔してるが家政婦さんやメイドさん…夕麿さんの乳母さんだってお前たちが足元にも及ばないくらい品がある」
これには武が苦笑した。
「お前らが武を目の敵にするのは、相手にしてもらえない腹いせだろ?」
了介の言葉にヒステリックになった彼女たちを、武は冷めた眼差しで見詰めていた。
「えっと…」
「何?」
そんな姿を見て別の女の子が声を掛けて来た。
「私は玉の輿を狙っている訳じゃないけど…どんな女性なら良いの?」
「う~ん、どれくらいの格の家かにもよるよ?」
「あなたの家は?」
これに武は一瞬、戸惑った。宮家としてなら条件はかなり難しい。チラリと見た貴之が寄って来て耳打ちした。
「御園生家を対象になさってください」
その言葉に頷いた。
「うちは…グローバル企業を生業にしてるから、まず言語能力が必要かな?最低でも英語が話せないと貴族の家では難しい」
「貴族!?」
「うん。御園生は勲功貴族だけど、夕麿の実家は摂関貴族の一つだ」
「夕麿さんは確か……」
「ああ、亡くなったお母さんが近衛家の出身で、そのお母さんが直系の絶えた宮家の出身」
「凄い…」
了介に喰ってかかっていた女の子たちも黙ってしまった。黙ってしまった彼らを武は改めて、ゆっくりと見回した。彼らの眼差しはまるで珍獣を眺めるようなものだった。ここに自分の居場所はない。了介がいた為に見ない振りをしていた違和感が、一気に押し寄せて来た感じだった。
「……了介」
「どうした?」
急にトーンダウンした武に彼は心配そうな顔を向けた。
「もう……義理は果たしたよな?」
視線を床に向けて呟いた姿に了介は息を呑んだ。元々、武はクラスには馴染めないまま、卒業して彼らの前から姿を消した。当初に受験予定だった公立校を蹴って、クラスの誰も知らない皇立校へと進学した事実を知ったのは、御園生ビルのあの自販機コーナーで再会してからだ。
「すまん…そんなつもりではなかったんだが」
「わかってる」
それでも少し憂いを秘めた笑顔を向けるのが何だか痛々しかった。
「失礼致します」
貴之が近付いて来て、何かを耳打ちした。
「はあ!?」
うって変わって目を見開いて声を上げた姿は、いつも会社で見る武そのものだった。
貴之は夕麿から内々に命令を受けていた。武が帰る時には連絡を入れるようにと。それで今、連絡を入れたのだ。
武の眼中にはもう皆の事はなかった。踵を返してドアに近付き開けさせて、貴之の制止も無視して外に出る。
了介も英夫も他の皆も何事かと後に続いた。
武が出て来たのを認めたのか、柱の影から長身の人が出て来た。千種 康孝を護衛に従えた夕麿だった。
「何でお前がここにいるんだ?」
「先程まで近くへ出向いていたので迎えに来ました」
「榊先輩はどうした?秘書を帰して何をやってるんだ」
言葉は詰問しているような内容だが、声は微かに震えていた。
「申し訳ありません…私のわがままです」
少し申し訳なさそうに答えて夕麿は手を差し出した。武は飛び付くようにして、その腕の中へ身を預けた。夕麿は変わらない華奢な身体を優しく抱き締めた。
「貴之、連絡を感謝します」
「いえ」
「今日は私もこのまま帰宅します。帰りましょう、武」
頷いた彼を夕麿が抱き上げた。武は甘えるように首に腕を回して、彼の肩に額を押し付けた。夕麿は事態を物珍しげに見詰める者たちに、思わず身の内が竦むような眼差しを向けた。
「大橋 了介」
鋭く名を呼ばれて飛び上がった。慌てて夕麿の側に駆け寄った。
「武がこのような場に顔を出す事は二度とないと思ってください」
「はい」
「それで?武をわざわざ呼んだ理由は果たせたのですか?」
「それは…北森、お前は何がしたかったんだ?」
「俺は…」
何をしたかったのか。改めて問われるとその答えが見付からない。武に会った女の子たちや了介の話を聞いて、なんとなく今の武に会いたいと思ってしまったからだ。皆に武が来ると言ってしまった以上、来てくれなくては困るとも思っていたのは確かだ。
「大した理由はなかったようですね」
夕麿の言葉に了介は申し訳ない気持ちで一杯になった。
「夕麿さま、お車が参りました」
康孝の言葉に夕麿が頷いた。貴之の先導で彼らはそこを立ち去った。
「俺も帰るわ」
了介もうんざりだった。
「何でお前まで帰るんだ?」
「それを言わせたいのか、北森」
「それは…」
「俺は今の今まで普通のサラリーマンだと思ってた。だがたった今、それが間違った認識だと悟ったよ。お前たちは皆、井の中の蛙だ。自分たちの狭い世界でしか生きていないし、生きられないのだろうな。
御園生はグローバル企業だ。経済界などの世界のトップとの交流が不可欠なんだ。その世界の中であの二人は、蓬莱皇国に何が出来るかを考え続けている。目先の利益だけを追求して、そこに働く人間を機械のパーツぐらいにしか考えていはいない企業とは違うんだ」
了介はかつての同級生たちを眺めた。
「世の中の若者が自分のやりたい事を無責任にやって、天下を取ったかのような顔をしている。そんな奴等に二人の苦労は絶対にわからない。俺だって一部しか知らない。同性で結び付いて、10年前に夕麿さんが御園生に入って、二人は結婚したんだそうだ。
その辺の男女のカップルや夫婦より、二人は互いを大切にしてる。今だって…武が最終的に辛い想いをするって、あの人にはわかっていたんだと思う」
だから忙しいスケジュールを調節して、ここへ迎えに来たのだろう。驚きながらも武もわかっていた。
武との繋がりが御園生家と、関連する人々との出会いをもたらした。上流階級の人々全てが彼らと同じであるとは思わない。だがいつの間にかその雰囲気が当たり前になっている自分がいた。
海外で育った了介も、本当は目の前の彼らに違和感を感じて生きていた。蓬莱皇国の人間関係は余りにも視野が狭くて、息が詰まる想いをしていた。
だが御園生家にはそれがなかった。
御園生の本社にもそれがなかった。
理想だけを追っては生きてはいけない。世間の人間はすぐにそう言う。だがそれはただ、障害にぶつかって逃げ出す人間の言い訳ではないのだろうか。
「お前たちには失望したよ。俺もこれで最後にする」
了介はそう言い残してそこから立ち去った。
武たちの卒業した学校には同窓会はないと言う。だがその出会いがきっかけになって、今も何某かの繋がりがある。上辺だけの取り繕いで集まる者とは違う。
思い切れないで引き摺り続けていたものを、やっと振り切れた感じがした。
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